第30章 ── 幕間 ── 混沌の中で ── ヤスミーネ・ケンゼン
ヤスミーネは薄暗い地下倉庫の硬い床から身を起こす。
横で寝ていたアーシアが身を起こして天上を見つめていた。
「どうかしたの?」
「神々の怒りは收まったようですが……」
そういえば、昨日のような轟音は聞こえてこない。
しかし、別の喧騒が耳に飛び込んでくる。
それはガシャン、バタン、ドカンと何かが暴れているような音。
そして「どこにあるんだ!?」とか「倉庫がどっかにあるだろ!?」などという男どもの粗野な怒鳴り声が聞こえて来ている。
どうやら、この音でヤスミーネは目を覚ましたらしい。
「あれは何?」
「暴徒でしょう……混乱の後には大抵暴徒が発生しますから」
なぜ暴徒が発生するのかは、ヤスミーネも解る。
経済や政治の管理・運営が正常であれば起こり得ないモノではあるが、その軛から外れた時、人々は恐怖・不安などから野蛮な行動に出るのだ。
生き残る上で食料などを求めるのは本能なのだから仕方のないことだ。
しかし、それ以上のモノを求めて略奪・暴行・強姦・殺人を犯すのは別の話である。
ヤスミーネたちがこの地下室に入ったのは秘密の入り口からだったが、本来の入り口は運河の
首都アポリスは、中央を流れるヴァレリー河を利用した水上輸送が基本なので、大きな艀で商品を地下に運び入れるのである。
もちろん、店舗へ大きな商品を運び入れる場合もある。
そういう場合は、秘密の通路などという不便なモノは使わない。
店舗の最奥には貿易都市アニアス製の最新鋭昇降機が備え付けてある。
ヤスミーネは不安から昇降機の扉を目で追う。
「ご安心ください、お嬢様。
あの昇降機は使い方を知らねば、扱うことは出来ないでしょう」
「会頭よ」
小さく溜息を吐けば小芝居をセットでやる事でお約束のやり取りとなる。
だが、その余裕もない事が別の方向からガンガンという音が聞こえて来たことが解った。
アーシアは立ち上がると、スカートの中から二本の短剣を抜き放った。
「お嬢様は、そちらの箱の中に隠れて下さい」
箱の中と聞いてヤスミーネは苦笑しか浮かばない。
アーシアは一緒に地下に避難していた他のメイドに指示を飛ばす。
「メイダとスメイ。お嬢様が箱にお入り遊ばせたら護衛に付きなさい」
「「はい」」
剣と盾を装備した二人のメイドは頷くと「お嬢様、お早く」とヤスミーネを箱へ入るように促す。
「アーシア、危なくなったら撤退しなさい」
「畏まりました」
アーシアはそう言うが、彼女は多分死ぬまで戦い続けるだろう。
それが孤児だった彼女を救ったヤスミーネを守ることに繋がるなら本望だと本人は思っているようだ。
アーシアのいた孤児院は、ヤスミーネの気まぐれで救われた事がある。
潰れかけた孤児院では食べるものも着るものも無かった。
その惨状を目撃したまだ子供のヤスミーネがギャン泣きしたため、当時会頭であったゴットハルトが孤児院を援助したのである。
その事をアーシアをはじめとする孤児たちは、院長に叩き込まれて育った。
アーシアは一二歳を越えたあたりから冒険者となった。
アーシアは子供ながら体格がよく、大食らいであった。
援助されているとはいえ、孤児院に大食らいの居場所はない。
肩身の狭い思いをするくらいならと、彼女は師匠となる冒険者の女性を訪ねたのである。
アーシアは身一つで生きて行ける冒険者を目指したのも、自分の身は自分で守れるというところが好ましかったからだ。
ラムノークでの冒険者は何でも屋である。
腕っぷしの強いちょっと役に立つチンピラと言うべきかもしれない。
アーシアは一二歳ながら冒険者として頭角を現し、ゴブリン退治から街の清掃まで何でもやった。
数年後のある日、隣町からの帰り道に盗賊に襲われている馬車を助けた。
それがヤスミーネとの再会になったのである。
その時以来、アーシアはヤスミーネに仕えてきた。
日々の鍛錬も怠らず、現在ではレベル三〇を越える
彼女は何をするにしても手を抜かない。
彼女は他のメイドにすら護身術を授け、彼女の率いるお嬢様メイド隊はさしずめ護衛騎士団のようになった。
今こそお嬢様メイド隊の本領発揮である。
「マーシャ、ニル、ヴァシリー、大扉の前で防御。
エバンゼ、全体に支援魔法を掛けて」
指示を飛ばすとアーシアも配置についた。
大扉は厚い木製なので大した強度はない。
暴徒も直ぐに押し入ってくるに違いない。
「みんな、正念場だよ!
気合い入れていきな!!」
「「「はい!!!」」」
──二時間後……
「ニルはもうだめです!」
「気合を入れ直せ!!
私はその程度で音を上げるような鍛え方をしていないぞ!!」
二四人目の賊の首を切り裂きながら、後ろの賊にも蹴りを入れる。
確かに他のメイドたちは限界が近い。
このままではジリ貧だ。
周囲は切り裂かれ、焼かれ、撲殺された死体だらけである。
メイド隊で五〇人近い賊を排除しているはずだが、賊の数は一向に減る気配がない。
当然と言えば当然だろうか。
アポリスの住人の数は八万人を越える。
単純計算で、その内の半分は男だ。
さらに半分は小さ過ぎたり年を取りすぎたりして戦えないものとしても、二万人くらいは男がいるのである。
その内のさらに半分が暴徒になっていたりしたら、一万人の暴徒がアポリスにいることになる。
かなり乱暴な計算だが、アーシアはそのくらいの気持ちで戦いに挑んでいるのである。
一万人を相手に戦うには、少々レベルが足りない。
自分も含め、仲間のメイドたちの鍛錬をもっとしておくべきだった。
今更悔やんでも仕方ない事だが。
さらに一時間経過した頃、アーシアにも限界が来た。
既に仲間のメイドたちは床に転がっている。
死んでいる訳ではないが、アーシアが倒れた後に犯されて死ぬだろう。
アーシアも覚悟を決めるしかない。
しかし、自分が倒れたら、お嬢様はどうなるのだろうか……
その事だけが心残りだ。
チラリと後ろを見ると、護衛に付けたメイダとスメイは、まだ何とか戦えている。
アーシアたちが打ち漏らした一部の暴徒が彼女らに向かった程度だったから何とかなっている感じだ。
自分の次は彼女ら、そしてその次は……
「……オラァ!!!!」
アーシアは今回何度目かのスキルを発動した。
四人の賊が一瞬で横一線薙ぎ払われて真っ二つになっていく。
膝から力が抜けていくような感覚がアーシアを襲う。
何度も経験した感覚だ。
SPの枯渇が近い……
「くっ」
ここが踏ん張り時だ。
暴徒の勢いが弱くなってきている。
死体の山と返り血まみれのアーシアの鬼神のごとき戦いぶりに気勢を削がれているのが彼女には解ったのだ。
それでもまだ襲ってくる理解力のないヤツはいる。
尽きかけたSPを庇いつつ、両の手の短剣を二振り。
二つの命がまた消えた。
──さらに二〇分。
「はぁはぁ……」
そこには膝を突いたアーシアの姿があった。
「ひひひ」
粗野な笑い方をする暴徒の一人が肩に手を掛けようと手を伸ばした。
その姿を箱の上蓋を少し上げてヤスミーネは見ていた。
このままではアーシア……いえ、メイドたちは全だ……
だが、いくら考えてもヤスミーネに現状の打開策は思いつかない。
財力がいくらあったところで、純粋な暴力の前では何の役にも立たない。
口惜しさで噛んでいた唇から血が滲み始めた時だ。
「……何を……している……」
ヤスミーネは小さな声に気づいた。
蓋を上げて外を覗くと、数人の黒ずくめの男が暴徒を一瞬で殲滅したところだった。
「あ、あれは……」
あの黒ずくめの人をどこかで見た気がする。
心の片隅にある記憶を必死に探す。
「どちら様か記憶にありませんが、ありがとうございます」
アーシアが頭を下げているのが見える。
「気に……するな……」
黒ずくめの男の人がそう言うとスッと全員が影に消えていった。
「お、終わった……」
アーシアが囁くのが聞こえ、新しい暴徒も倉庫に入ってこなくなった。
あの黒ずくめの男の人たちは何者だったのだろうか……
アーシアが崩れ落ちるのを見て、ヤスミーネは考えるのを辞めた。
「アーシア!!」
ヤスミーネは箱から飛び出すとアーシアに駆け寄り抱き起こした。
安心しきった顔で気絶する返り血まみれのアーシアの顔を見てホッとする。
その時、何故か世界樹の森の村で出会った若いやり手貴族の顔が脳裏によぎった。
ああ、そうだ。
あの黒い人は、彼の横に静かに佇んでいた人だ。
ヤスミーネは知らない。
自分がユニーク・スキル「
ドーンヴァースであれば「
それだけの能力である為、不人気ユニークである。
これを得たプレイヤーは大抵キャラクターをリメイクするほどだ。
だが、ティエルローゼでは違った。
ヤスミーネ自身は気づいてないが、彼女は人を見抜く。
人品を見抜くその力は父ゴットハルトも舌を巻くほどだった。
彼女はそのユニーク・スキルからくる直感力でケンゼン商会を守ってきたのである。
「ここにあの方が来ているのかしら……
それしか考えられないわ……」
ヤスミーネは打ち壊された大扉から覗く運河と青い空を見て、世界樹で出会ったオーファンラントの若い貴族に思いを馳せた。
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