第30章 ── 幕間 ── 国王リカルド&宰相フンボルト

 辺境伯たちが帰っていった謁見室で王座に崩れるように座り込むリカルドにフンボルトが心配そうな視線を向けた。


「大分、お疲れになられたようで」

「当たり前だ、ロゲール。

 私は辺境伯と話している時が世界で一番緊張するんだ」


 フンボルトは、国王のその様子に苦笑を浮かべた。


「ナイトゲート神殿長の神学講義の時よりもですか」

「馬鹿を言うな。

 辺境伯は、あのような偏屈爺ぃの威厳とは比べ物にならんぞ」


 リカルドが子供の頃から世話をしてきたフンボルトにとって、国王が緊張していたのは子供の頃に付き合いのあった大人の前だけだと思っていた。

 父親の苦労を見てきたリカルドは、大人の有力者たちの扱いに神経を尖らせて生活をしてきたからだ。


 王党派は少なく、大貴族派閥が幅を利かせていた当時の貴族界を考えれば当然といえる。


 幸い、リカルドには五歳ほど年の離れた従兄弟がいた。

 従兄弟と初めて出会ったのは王立学園に通い始めてだが、当時五歳であったリカルドにとっては、年長であった一〇歳のコーネル・ミンスターは王の血筋を持つ先輩的立場で頼もしく見えたのである。

 それ以来、リカルドはコーネルを慕い、コーネルが少々ワガママながら弟が出来たと嬉しげに友人に紹介する様をフンボルトは見守っていた。


 コーネル・ミンスターが一五歳になり卒業すると、学園に在籍する唯一の王族となったリカルドに他の貴族からの視線が集まるようになる。

 この頃のリカルドはようやく一〇歳になったばかりで、全ての面で完璧だったコーネルが卒業した事に喪失感を感じつつも、兄貴分の後釜として恥ずかしくない立ち居振る舞いを心がけた。

 そのお陰かリカルドの人心掌握技術は飛躍的に向上した。

 持ち前のカリスマ性も高かったのが功を奏したとも言える。


 そんな学園で教鞭をとっていたのが、当時、王都にあるウルド大神殿に所属していたナイトゲート上級司教である。

 彼は謹厳実直であり、軍神の神官プリーストによく見られる弱音を認めない脳筋タイプの秀才神官プリーストだった。


 そんな彼に反発しながら他の貴族学生たちの暴発を抑えねばならない立場のリカルドは相当に苦労した。

 一時期は、ナイトゲート上級司教の前に出るだけで胃が痛くなるほどだったという。


 そんな経験からリカルドが最も緊張するのはナイトゲートの前だとフンボルトは思っていたのだ。


「辺境伯殿はあそこまで気難しい顔はしませんが、それでも緊張しますか」

「にこやかに微笑んでいるのにとんでもない話が飛び出すんだぞ?

 いつも通りのニコニコ顔でも裏に更なる大事件が控えているのではないかとヒヤヒヤするではないか」


 確かにそうだ。


 フンボルトは色々と辺境伯の起こしてきた事件を思い出して笑いが漏れてしまう。


 彼が動く時、オーファンラントは大抵ひっくり返るような驚愕と打ち寄せる津波のごとき諸問題と、芋を洗うような大量の業務が発生するのである。


 それが損失を招くなら叱責や指導を行えば改善できるのだが、彼の行動や起こす事件はそうはいかない。

 なにせ国益に反しないどころか、莫大な利益をもたらすことばかりだ。

 ただ、その規模が尋常でない為、心構えをしておきたいと常々思い知らされるのである。

 もっとも「事件を起こしますよ」と予告されても相当に困る案件ばかりなのだが。


 だが、今回……

 辺境伯が来訪し「火急」と付け加えつつ貴族が踏むべき手順を守って王都にやってきたと報告が来た。

 リカルドとフンボルトは顔を見合わせて「これは心の準備ができる」と同時に思ったらしいとは、その報告を持ってきた近衛兵が後に語った証言から他の貴族は知った。

 どのような「火急」であれ、心の準備だけは出来る事が二人には何よりも嬉しいことだったのだろうと近衛兵は語ったそうである。


「さて、辺境伯も大分貴族らしい振る舞いが出来るようになったようだが……」

「ええ、持ってきた案件は相変わらずなようで……」


 ようやくフンボルトは溜息を付きながらも落ち着きを取り戻し始めている。


「神々の軍隊と言っておったが……」

「神の使徒を集めるそうですな」

「使徒がそんなに簡単に下界の者に手を貸すだろうか?」

「寡聞にして知らぬ事態ではありますが、辺境伯ならやりかねませんな」


 それでなくても彼が関わると神が個人的に下界に降臨してくる事がままあるのである。

 神自体がちょっかいを掛けてくる人物の言う事なのだ。


「神々が安定に関わっている事自体、ここ数百年の歴史を紐解いてもありえぬ事態であろうしな」


 リカルドの言葉にフンボルトも頷くしかない。


 あの辺境伯なら使徒程度なら顎で使いそうだ。


 それがリカルドとフンボルトの共通認識だ。


「何にせよ、早急に五〇〇の兵を集めねばならぬが」

「幸いな事に、王国軍に解散しておらぬ所属兵団があります」

「なるほど。

 そのまま占領軍として駐屯させるという手が使えるな」

「左様で。

 このままですと退職金の支払いの方が高く付くところでした」


 南のカートンケイル、北のドルバートンが、戦力の大幅な縮小が実現出来たため、余剰戦力を解散させなければならない事態を招いたのは記憶に新しい。


 その為、戦力的には弱い隊から解散を行ってきたのだが、今残っているのはかなり精鋭の部隊ばかりで、すでに解雇する事はできない。

 それでも二〇〇〇〇を優に超える数なのだ。

 ドラゴンやらワイバーンなどの災害級のモンスターでも出なければ、オーファンラントの広大な領地を守るのに十分な戦力である。


 さて、オーファンラントが管理する戦力だが、これ以外にも結構なものが存在していた。

 いわゆる傭兵団というヤツである。


 国軍だけでは賄いきれない事態に対峙するために、即戦力になる戦闘スキルを持つ者を集めた集団である。


 戦闘に秀でた個人やパーティが金で雇われる事がよくある。

 これを傭兵と呼ぶ。

 そういった者たちが更に人を集めて大きな集団を作ると一般的に傭兵団と呼ばれるようになる。


 傭兵団を編成するには、傭兵団が所属する国家に兵団設立を申請して承認される必要がある。


 傭兵団が単純な武力である以上、国家の承認は絶対に必要なのである。

 他国の傭兵団が入国する場合などは、元の国家の承認と為政者の紹介状が必要になる。

 管理できない武力は国に必要とされないのだから、この程度は序の口であろう。

 こういった理由から国家は傭兵団を解散させる権限を持つのである。


 ただ、その権限を行使するには、それ相応の義務も発生する事になる。

 まずは退職金である。

 解散が決まった傭兵団に所属している者には、一定量の一時金を支払わねばならない。

 金額は身分や兵団内の階級によって決まる。

 また、兵員が伴っている家族にも一時金を付加しなければならない。

 これは、傭兵団の義務を果たさせる為に必要な決まりで、他の国家でも取り入られている国際的な慣例なのだ。


 オーファンラントは今まで、様々な理由から多大な軍事力を維持しなければならず、王国軍の維持費が膨大な金額になっていた。

 一年間の国家予算の二〇パーセントが軍事費に消えていたと言えば、どれだけの負担だったかが判るだろう。


 それを一〇パーセント程度まで縮小できたのはクサナギ辺境伯の功績である。


 とは言っても突然減るわけではない。

 先程も述べたように事後処理には経費が大量に掛かるのだ。


 傭兵団に貸与していた武器や防具は返還する義務がない為、プールしていた武器や防具、弾薬などを再度手配しなければならない。

 傭兵という戦闘能力に秀でた者たちが巷に解き放たれる以上、治安の悪化も問題になるので、そちらに対処する費用も上がるだろう。


 細かいところも合わせていくと相当な出費になるのである。

 一度に全部処理しようとすると例年以上の軍事費が伸し掛かってくる事になるのである。


 従って、数年掛けて軍事費が徐々に落ちていくように経費をコントロールするのが国家財政に負担を掛けないベストな方法となる。


 なので、解散予定の傭兵団を別の軍務に充てる事が出来るのは、経費コントロールにかなり良い手段なのだ。


 五〇〇人ほどの傭兵団、それもかなりの手練れを遊ばせておくのにも金が掛かるのだから、仕事をさせておいた方が良い。


 何も国益を金銭だけで図る必要はない。


 他国への支援は国家の威信を高めることもできる。

 こういった支援外交政策は、国際世論において威力を発揮する。

 今回の件はまさにそれに該当するワケだ。


 辺境伯が現れるまで、国際世論などは単純でいい加減なモノだった。

 だが、辺境伯が世界を変えてしまった。

 国と国は軍事力でいがみ合うのではなく、外交やら貿易において優劣を決める事が多くなった。


 今まで経験したことがないような国家運営が求められているのである。

 今までは軍隊とは国の力そのものであったが、今は力の一つでしかない。

 今では金の力は侮れないモノとして貴族たちには認知され始めている。


 辺境伯はそれを「経済」という力だと言っていた。

 言われてみれば、その経済という力を背景に大きくなった都市もある。

 その経済の力によって北側に位置する小都市群はかなり苦労していたと最近知った。


 金に固執するなど貴族としてどうなのかと思っていた者も多かったが、ある程度経済力は貴族として確保しておかねば立ち行かぬ時代になったのである。


 そんな経済の中心にいるのがクサナギ辺境伯である。

 魔法道具の生産、販売を筆頭に、平民たちの生産性の向上や新たな産業を生み出すなどして、王国の金はトリエンに集まりつつある。


 本来なら王都でその状態を作り出して欲しいものだが、彼を領主に任命した以上、それは叶うまい。


 だが、辺境伯は金の亡者ではなかった。

 公共事業をどんどん提案し、その事業への資金投入まで自分の財布から行っている。

 彼が最近立ち上げた新しい事業は「街道整備」、まさに国家という身体に血液を行き渡らせる事業と言えよう。

 街道整備が進めば、物流速度や安全面も向上し、様々な恩恵を王国にもたらす事になるだろう。

 街道は物だけでなく、人、文化、情報を動かす。


 世界が変わっていく速度は否応なく加速することになるだろう。

 それが更に王国に富をもたらすことに繋がる。


 辺境伯は世界を旅することで、他の国家にすら影響を与える。

 今では大陸南側にある国々がオーファンラントと友好状態になっている。

 最近では、大陸西側に存在すると言われ、噂話や古い書物でしか聞いたことがない大国までもが使節団を送って来たほどである。


 他国で一体何をやっているのかと問い質したくもなるが、辺境伯が国益を毀損するような問題は今のところ起こしていない。


 今回、オーファンラントが支援したアゼルバードが、隣国に攻め込まれたのは辺境伯の所為ではないだろう。

 攻めても価値のないはずの弱小国に、思わぬ価値があった事に気づいたラムノークが「民衆の開放」などという胡散臭い大義を持ち出して領土を自分のものにしようと画策したに過ぎない。


 もう、すでにそんな時代ではないというのに、時代に乗れぬ古い国家は滅びる事になる。


「古きを切り捨て、新しきを尊ぶ。

 それが賢いやり方であろうか」

「もっともでございますな。

 ただ、古きモノも良いモノは残していきたいものですな」

「確かに」


 伝統を軽んじる訳では無い。

 伝統も守りつつ、古い因習は捨て去るのが得策だろう。


「古くなった酸っぱいワインは敵に飲ませるがよかろうな」

「ついでに固くなってカビたパンもぶつけてやりましょう」


 今回の出兵が、どんな国益になって返ってくるのか。

 二人にはまだ解らない。

 それが王国に何か良い影響を与えるなら、その程度でいいとも思うのであった。

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