第30章 ── 幕間 ── ゴットハルト・ケンゼン
ふふふ。
我が娘ながらいい情報を持ってきてくれたものだ。
ラムノーク民主国元老院議長ゴットハルト・ケンゼンは、娘であるヤスミーネ・ケンゼンが執務室を出ていった後に一人ほくそ笑んだ。
ちょうど毎年やっている大規模演習の時期でもあり、大軍を動かすだけの物資の用意もされており、軍を動かすだけの資金も国庫予算から軍部に渡っている頃でもある。
ゴットハルトには次の議長選出選挙の為、大きな手柄が必要な時期だった。
アゼルバードを征服して古代文明の遺産を手に入れることができれば、これほど大きい手柄はあるまい。
アゼルバードはいつ無くなっても可笑しくない国だった。
あの国の国王派と第一王子派が内戦を始め、何人もの貴族がラムノークへと庇護を求めてやってきた。
そんな貴族たちからの情報であの国が陥っている状態はよく解っている。
隣国の事なので一応ながら情報は入手していたが、どうやら第二王女を擁立して王国を立て直す方向で固まったというのは解っていた。
そして彼の東方の大国オーファンラント王国が若い貴族を送り込んでいるらしい話も掴んでいた。
だが、魔導具まで手に入れていたという情報は初耳だった。
ヤスミーネが仕入れてきた情報だ。
魔導具が存在しているのは間違いない。
最近オーファンラントでポッと出の若い貴族が才覚を発揮しているという話も知っていた。
まさか、その若き貴族がアゼルバードにも手を出しているとは……
魔導具を再生する技術を持っているならば、引き抜く事も考慮しておく必要がある。
……娘も憎からず思っているようだしな。
ゴットハルトはニヤリと笑った。
娘は有能だ。
親の贔屓目でなく、一級品と呼べるほどに見目麗しく育った。
妻の仕込みが良かったのか、女の武器の使い方も心得ている。
その娘のお眼鏡に適った男であれば、さぞ有能に違いない。
それほど有能な若手貴族だとしても、娘の手にかかれば篭絡させる事など簡単だろう。
娘はそれほどに有能なのだ。
彼のフソウ竜王国に「傾城傾国」なる言葉があるそうだが、我が娘はそう成り得るほどの存在だとゴットハルトは思っている。
ゴットハルトは、頭の中で様々な計算を始めた。
万が一、オーファンラントが出張ってきたとしても、ラムノーク東側の守りは完璧である。
元法国とラムノークの間にある国境。
そこからラムノークの内側に入り込むこと五〇キロ付近には、ラムノーク最大の城塞が存在する。
大陸東側諸国の侵入を完璧に防ぎきれると称されるその要塞は、古代魔法語で「
この城塞を突破できる軍隊はこの世界に存在しない。
魔軍ですら二の足を踏んだという歴史があるし、竜の火炎ですら突破できなかったと言い伝えられている。
東側の大国と言えど、この要塞を抜くことは不可能だろう。
ヤスミーネが報告してきた若手貴族も今は中央森林を冒険中だと聞いているし、そんな戦力が不在であればオーファンラントとて大した攻勢には出られないに違いない。
我ら西側諸国から救世主様を奪った東側諸国……
その東側諸国でも大国と呼ばれる国の一つ、シュノンスケール法国が海の守護者たる古代竜の怒りを買って消えてくれたお陰で胸がスッとしたのは最近の話だ。
話によると巨大は星が降ってきたとか。
まさに神の為せる技である。
だが、もっと東側諸国の奴らが潰し合ってくれたら良いと思っても、うまくいかない事もある。
長年争っていたはずのオーファンラント王国とブレンダ帝国が和解してしまったという噂はかなり前に入ってきていた。
何十年も戦っていたのだから眉唾な噂だとゴットハルトも思ったものだが、それが本当であれば南の懸案が片付いたオーファンラントが他の国にちょっかいを出し始める事の証左にはなりはしまいか。
おのずとアゼルバードへの干渉について真実味が増し始めていたのだ。
オーファンラントにはこれ以上大きくなってもらっては困る。
たとえ戦争をしてもだ。
東の大城塞でオーファンラント軍を防ぎつつ、アゼルバードを速やかに征服してしまえば、それ以上オーファンラントは手出しできなくなる。
その後は「戦争の事後処理は当事国同士の話し合いで決める」と言い張るだけだ。
アゼルバードを我が国の領土として征服することで、あの国の力を削ぎ、そして古代文明の遺産も手に入れられれば、東側諸国を弱体化しつつ、西側諸国にも大きな顔が出来るというものだ。
ラムノークは東側との交易はないこともないが、積極的には行っていない。
どちらかというと海路を使って西側諸国との取引が圧倒的に多いのだ。
それ故、古い時代に東側諸国が西側へと攻め込んだ史実について西側的な考え方が浸透している。
西側諸国の中心にいるワケでもないため、古い価値観が未だに支配している地域でもある。
自国よりも東にある国は全て悪なのである。
そして西にあるアゼルバードは自国よりも貧乏で何もない不毛の地。
対等の国として扱ってもない。
そんな自国よりも下と思っている国に東側の大国が手を出すなどという事をゴットハルトは許すつもりはないのだ。
戦争に持ち込む方法はないものか。
何か因縁を吹っ掛けられる理由は……
ゴッドハルトは、先程脳裏に過った事項に再び視点を向ける。
「そうか、アゼルバード貴族がいたな」
ゴッドハルトはニヤリと悪人のような笑いを浮かべた。
「あの役に立たん穀潰しどもを理由にすれば、戦端を開くこともできような」
逃げ込んできたアゼルバード貴族の殆どが、アゼルバードの国民から搾取していた。
ラムノークに逃げ込んできた時には全貴族が相当量の財産を持っていた。
その財産を食いつぶしながら、我が国でのうのうと暮らしている。
この民衆に仇なす人種を投獄し、アゼルバードの民を開放するという名目は、十分攻め込むための大義となるのではないか?
現在、アゼルバードではそんな貴族たちの象徴である王家が復活したという。
そして国の運営を担うため、他国から貴族が流入したという情報もある。
我が国の国是は「民衆による政治の支配」である。
悪しき王侯貴族を駆逐し、民衆の代表が政を行うようになって早三〇〇年。
今こそ、その威光を他国にも示して良いのではないだろうか?
まあ、表向きの大義ではあるが、悪くない大義だとゴットハルトは思う。
ある程度不自由ない暮らしを民衆に与えておけば、民衆からの支持は簡単に得ることができる。
そこからさらに一歩……
より多くの人気を民衆から集めることが出来たなら、今のように議長の椅子が約束されるのである。
民衆は物語が好きだ。
それが策を弄したものであろうと、美しい物語を求めるものである。
民衆を開放するという文言は、いかにも愚民どもが喜びそうな事ではないか?
それが圧政を敷く王侯貴族から奪うというのが更に良い。
その対象が話しによると美しき王女というのも悪くない。
王女とやらに手枷足枷をして、アポリスのメイン通りを鎖で引いて練り歩かせれば、国民の熱狂は間違いなく発案者のゴットハルトに向かうことになろう。
「悪くない」
ゴットハルトは呼び鈴を鳴らして隣の部屋にいる秘書官を呼んだ。
「及びでしょうか、議長閣下」
「軍務尚書のアルパトイ君と副官を呼んでくれ。
それと内務尚書、国璽尚書も忙しくなければ連れてきてくれまいか。
大法官であるエクノール司教猊下も……」
「え!? エクノール司教猊下にもですか!?」
「我が国の大義の証人となってもらわねばならんのでな」
国教であるアースラ教にも出張ってもらえば大義は完全に固まるというものだ。
「何か国を大きく動かすおつもりのようですね。
では、大会議場を手配して、そちらにお呼びいたしましょう」
「うむ。それが良かろう」
「では……」
秘書官は、ゴットハルトに深く頭を下げて自分の執務室へと戻っていく。
扉が閉まると彼が執務室をバタバタと走り回る足音が響いてきた。
しばらくバタバタしてから扉を大急ぎで開け締めする音がやはり聞こててきた。
「仕掛けは上々。
これは間違いなく上手くいくはずだ」
ゴットハルトは四期二〇年以上議長席にいる有能な国家元首である。
どんな人物であれ、聞こえが良い言葉を囁いてやれば人心をコントロールする事が簡単だという事は経験則として知っている。
今回脳裏に閃いた計画が上手くいくと彼自身も全く疑っていない。
後は実行する者たちに大義を信じ込ませるだけだと思っていた。
三時間後。
「では、どうしても猊下はこの度の出征を認めてくださらないと?」
「私が嫌なのではない。
関わってはならぬという予感がするだ」
各官僚たちは全員説き伏せられたのだが、何故かアースラ教の司教猊下が全く乗ってこない。
民衆の開放などという文言は英雄神のとびきり好む文言のはずなのだが……
「何か不安を掻き立てるご信託でもございましたか?」
「いや、信託は全く受けていないのだが……」
エクノール司教猊下は、言い訳のような理由を語りだした。
朝、ヒゲを剃っていたら顎を切った。
朝食に出たゆで卵の中が雛に成りかけだった。
ベルトのバックルが弾け飛んだ。
などなど……
不吉とされている事が立て続けに起きただけだという。
「そのような理由で反対なさると?」
「私の予感はあまり外れない。
これはアースラ神様の加護によるものだ。
今回の出征に我ら教団の加護は与えられない」
糞司教が!
ゴットハルトは内心毒づく。
神など我々の前に姿すら表さんではないか。
その程度の不吉とされる事象で神が許さないとか言い出すなど愚か以外の何者でもあるまい。
だが、司教が否というなら仕方がない。
民衆を集めて出征に対して「是」と言わせれば良い。
それでアゼルバードに攻め込むことが出来る。
民衆を動かすなど造作もない事なのだから。
ゴットハルトはそう思いつつ、アゼルバードから手に入れられる富を思い顔が緩むのであった。
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