第30章 ── 幕間 ── コリン男爵

「開門!!」


 早朝も早朝。

 日がまだ顔を出す前にコリン男爵はモーリシャスの西の大門にて大声を上げた。


 門の上にある銃眼から衛兵が覗いているのにコリン男爵は気づいた。

 手を振って早く開けるように促す。


 しばらくすると大門の扉がゆっくりと開き始めた。

 門が開くと八人の衛兵が出てきてコリン率いる遠征隊を出迎えた。


「コリン男爵、このような早朝にお戻りだとは思いませんでした。

 あと数年は戻られないのではと上司から聞いておりましたが」

「うむ。本来ならあと二年は掛かるかと私も思っていたが。

 ところで、モーリシャスに変わりはないか?」


 コリンは街の中に向かい歩きながら付いてきた衛兵に街の近況を尋ねる。


「大分変わりました。

 商人の往来が五年前よりもさらに活発になりましたし、港も増築して海ニンフたちが出入りするようになった地区もあります」

「海ニンフが?

 近海では珍しいのではないか?」

「ええ。

 モーリシャス開港以来となりますね」

「街の者に被害がでなければいいが」


 コリンは、海ニンフの恐ろしさを知っている。

 彼女らは気難しいし、子種の為には男を攫うような事もする。

 

 それだけなら喜ぶ男もいないワケではなかろうが、万が一彼女らと敵対した場合、海上を征く船など一瞬で沈没だ。

 大海原で鍛え上げられた海ニンフは大海獣や魔物以上に厄介なのだ。

 荷は奪われ船乗りたちは海の底に連れて行かれてしまう。


 そんな海ニンフがモーリシャスに出入りするとなれば警戒するに越したことはない。


「モーリシャス港に出入りする目的は?」

「海魚を卸しに来ています」


 コリンは予想外の事に足を止めた。

 衛兵もそれを察して立ち止まる。


「海魚だと?

 あやつらは海魚は帝国に売りとばしていたと記憶しているのだが……」

「ええ、以前は」


 魚は民衆にあまり人気がない。

 生臭いしそのままでは保存も利かない。

 他の都市に売りに行くために加工するとしても天日干しや塩漬けなどにしなければならないし一気に味が落ちる。

 とても高利な商品にはならない。

 小麦や薪材などの方がよっぽど利益が見込めるだろう。


 だが、海ニンフは対価に宝石を強請る。

 そこにメリットを感じなかったエマードソン商会は、彼女らから海魚を買うなどという愚を犯していない。


「どこのバカな商会が買っているというのだ?

 とても利益など出まいに」

「商会ではないですね。

 トリエン地方で全て買い取っていると聞いています」


 もう一度歩き出そうとした刹那、最近驚きとともに聞いた地方の名前が耳に飛び込んできた為、コリン男爵は前に足を動かすことすら出来なかった。


「トリエン地方だと……!?

 まさか、買い付けているのはクサナギ辺境伯殿と仰るのでは!?」

「まさにその通りです。

 遠征していたというのにお耳が早いですな。

 さすがはコリン男爵でございます」


 歯の浮くようなお追従などコリンの耳には届かなかった。


「それで、トリエンと我らの都市はどのような関係になっておるのだ?」


 そこが重要だ。

 コリンは彼の地方領主に貴族ではありえない失礼な態度を取った。

 上位貴族にそのような事をすれば、それを口実としてモーリシャスに不利益な言いがかりを付けることも可能なのだ。


 もちろん、ハッセルフ侯爵の貴族位は辺境伯よりも上だろう。

 聞いたこともない爵位だが、「伯」と入っている以上、伯爵位に準ずると思われるからだ。

 ただ、辺境や地方を治める領地持ちの貴族は大抵の場合、私兵集団を持ち中央に対して一定の発言権を持つ。

 なので通常の貴族位の一段上の権力を持つと考えて良い。

 それ以外にも様々な特権を持っている為、国王ですら地方領主は無視できない存在と言えよう。

 モーリシャスもそういった力を持つ地方領主が治めているのだからその配下であるコリン男爵が知らないわけはない。


 以前ならトリエンは代官となる貴族が運営管理していた。

 クサナギ辺境伯と出会わなければ、王家直轄地として注意を払う必要もなかったのだが……


 ハッセルフ侯爵は王家の血縁ではない場合の最高位、諸侯と呼ばれる侯爵位だ。

 一方、クサナギ辺境伯は、その下の伯爵位を前提とした特殊な爵位だと思われる。

 そこに「辺境」とついている以上、なにか問題があった場合、中央からの支援はないという事を示唆していると思われる。

 となれば、領地の安全は領主の双肩に全て伸し掛かる事になる。


 トリエン地方の立地条件として、あのブレンダ帝国と国境を面しているという厄介な土地でもある。

 カートンケイル要塞には国軍が三〇〇〇人ほど詰めていたはずだが、トリエン地方が王家直轄領ではなくなった段階で、防衛義務は地方領主に移譲しているはずだ。


 それが意味するもの……

 クサナギ辺境伯は、国軍が有する防衛力以上の私兵集団を持っているという事だ。

 たった五年でそれを組織できるほどの財力と武力を併せ持っていなければ不可能な所業だ。


 コリン男爵はブルリと震えた。

 そしてあのニコニコと愛想の良かったクサナギ辺境伯の顔を思い浮かべた。


「あの御方はやはり敵に回してはならない御方であったか……」


 心底恐ろしく感じつつも、恐怖が一定のレベルを突き抜けてしまった為か笑いすら漏れそうになってくる。

 コリンの脳裏には「自分は終わった」という脱力感が襲ってくるほどだ。


 だが、これ以上、主家に不利益を与えてはならない。

 自分の犯した不始末は、自分の命で贖わねばならない。

 モーリシャス地方の利益を考えれば当然だし、地方を、街を、民を守る為には自分が生きていてはならないのだ。


 まずは、直上の上司に全てを報告しなければ。


 コリンは再び歩を進めた。



 エマードソン商会の豪華な応接室に通され、ソファに座ってエマードソン伯爵を待つ。

 あの飛行自動車なる魔導具の座椅子と比べると笑ってしまうような粗末な座り心地である。


 鞄から報告用の書類を取り出し、ソファ・テーブルの上に並べておく。

 自分の不尊な態度で一割程度に減らされてしまったフェアリー・テイルの受け持ち分だが、それでも商会の利益はかなりのモノになるだろう。


 クサナギ辺境伯には感謝するしかない。

 彼がその気になれば受け持ち分を取り上げてトリエンの利益にできたはずだからだ。

 転移を簡単に行える大魔法があるのだ、輸送費用など無に出来る。

 だというのに、彼の御方は我らが扱えるようにしてくれたワケである。

 寛大過ぎる処置だった。


 そもそも、クサナギ辺境伯がモーリシャスではなくドラケンへ送ってくれたのは僥倖と言えた。

 何も知らずにモーリシャスに帰ってきていたとすれば、私は彼の御仁を全く知らずに報告する羽目になっていた。


 ドラケンで一泊して情報を集められる機会を頂けたことに感謝しかない。


 ドラケンにいる知り合いの貴族に話を聞いてみただけでもとんでもない人物だという事が判った。


 曰く、ワイバーンを単騎で屠る。

 曰く、地方反乱を未然に防いだ。

 曰く、あの伝説の冒険者を従えて上位魔族を誅殺した。

 曰く、帝国との和平交渉を成功させた。

 曰く、獣人国家ウェスデルフをオーファンラントの属国とした。

 曰く、厄災「赤竜グランドーラ」を国の守護に付かせた。


 途中で「我が友は何を言っているのだ?」と思ったほどである。

 どう聞いてもおとぎ話にしか出て来ない所業の数々だ。

 カートンケイルの防衛なんて事は些末な事案なんだろうと思う。


 最初、怪訝な顔をしていたら「だが、これは事実なのだ」と友は肩を竦めて苦笑していた。


 そんな御方に喧嘩を売るような真似をしたのだ。


 ガチャリと応接室の扉が開いてエマードソン伯爵が堂々とした足取りで入ってきた。


「やあ、コリン男爵。ご苦労だったな。

 あのフェアリー・テイルの仕入れ口を見つけてきたというではないか」


 エマードソン伯爵はその情報だけを聞いて上機嫌のようだ。


「その事について報告致したき重大な事がございます」


 血の気の引いたコリン男爵の表情には意を決した迫力があった。

 その雰囲気にエマードソンも眉間に皺を寄せた。


「聞こう。

 その表情では良い知らせではあるまい」


 コリンは世界樹の森にあるエックノール村での出来事を事細かく報告した。

 途中、エマードソン伯爵は「世界樹の森に辺境伯殿が?」と驚いていた。

 そしてコリンが辺境伯に取ってしまった最悪の態度と暴言の件を聞くと、最初は渋面を作っていたものの「やはり傲慢な態度を取るモノには容赦がないな」などと笑い始める始末。


 その反応に驚きつつもコリン男爵は全ての報告を終えた。


「辺境伯殿にとった態度は褒められたモノではないな。

 商人たる者は、自分の行動がどのような不利益をもたらすのか常に考えておかねばならん」


 エマードソンは面白そうにそう言いつつコリンの顔を覗き込んだ。


「いい経験になったであろう。

 辺境伯殿に感謝するのだな」

「はい。

 この後、どのような罰も受ける所存にございます」


 エマードソンは少し黙った後に「罰が欲しいのか?」と可笑しげに言う。

 その態度に戸惑っていると、エマードソンは一つ大きな溜息を吐いてから続けた。


「コリン男爵、確かに貴殿が犯した罪は我がモーリシャスの地位を脅かす類のモノではある。

 だが、それ以上の功もあるのだよ」

「私に功が?」


 エマードソン伯爵によれば辺境伯は彼のブリストルの遺産を発見したと言う。

 それは辺境伯本人から聞いたので、コリンは黙って頷くだけだった。


「その遺産から算出する魔導具は、全てではないが我が商会が商う事を認めてもらっておる」

「それは……とんでもない利益に繋がりそうでございますな……」


 エマードソンはニヤリと笑って頷いた。


「既にとんでもない利益が出ておる。だが……」


 エマードソンは瞬時に渋面を作る。


「辺境伯殿はな。

 私とて直接付き合ってくれるような事をしないのだ。

 侯爵閣下にすら素っ気ないと言って良い」


 エマードソンは、トリエンの街の行政長官であるクリストファという人物とだけ取引なり契約なりをしているらしい。

 辺境伯とは面識はあるものの、直接顔を会わせて商談をしたことがないのだと言う。


「彼の御仁は、国王をはじめ、ミンスター侯爵、マルエスト侯爵、ドヴァルス侯爵……錚々たる顔ぶれと親密に付き合っておられるが、我らが主ハッセルフ侯爵様とは殆ど付き合ってくれておらぬ」


 それでも敵国の間者の情報提供や港の借款などはしてくれているので、付き合いの状態は悪くはないと言う。


 本来なら圧力を掛けて自陣営ともっと親密な取引をさせるべき事案だがとエマードソンは言うが「そんな事をしたらモーリシャスは確実に滅びる」と目を瞑って頭上を見上げるような仕草をする。


 当然だろう。

 辺境伯閣下は、下手に機嫌を損ねてしまえば、帝国に寝返る事すらできる立場にいる。

 それは反乱を起こそうとしたアルベール男爵と同じ所業なのだが、彼と辺境伯とは立場も持っている権限も全く違う。

 地方領主は領地内では王と同じ権限を持っているのだ。

 どこに所属するかは領主の考え次第なのである。


 国王がそんな国益に反する事をするとも思えないが、それをさせるだけの力が辺境伯にあったのだろう。


 コリン男爵はまたもやニコニコしていた辺境伯の顔が脳裏に浮かぶ。


 とても太刀打ちできる人物ではないな……


 コリンは苦笑いしか浮かんでこなかった。


「貴殿は、その辺境伯殿に名前を覚えられた」

「失礼な態度をとったのです。覚えられてしまうと色々と厄介な気がしますが」

「いや、その後、彼の御仁は貴殿をオーファンラントに送り届けてくれたのだろう?」

「そうです!

 あの魔法には驚きました!

 一瞬でした!

 一瞬で世界樹の森からドラケンまで……」

「うむ。その魔法は魔法門マジック・ゲートという辺境伯殿自身が開発した魔法らしい。

 いやはやとんでもない御仁よな」

「そんな御方に覚えられてしまっては……」

「いや、いい意味で覚えられたのだろうと私は判断した」

「そうでしょうか?」

「貴殿は過ちに気づいた後に、態度を改めたのだろう?」

「はい。これ以上、無様な真似はできないと思いましたので」

「そして、あの飛行自動車に乗せてもらえた」

「あれも凄い技術でした。

 あの魔導具の座椅子はアレだけで値千金と申せましょう」

「このオーファンラントにあの魔導具に乗れた貴族は、貴殿を含めても二人しかおらん」

「は?」

「あれは現在、国家機密扱いになっている。

 王族と宰相閣下が乗車したのみなのだ。

 今回貴殿が乗ったのはまさに僥倖と言えよう」


 どうやら辺境伯は相当気難しい人物だとコリン男爵は思った。

 そんな人物が何故自分に優しく接するようになったのか……


「貴殿は気に入られた可能性がある。

 最初の態度は悪手だったが、その後貴殿は自分の才覚を示したのだろう。

 彼の御仁は有能なモノが好きなようだ。

 彼が配下にした人物たちを調べてみれば、自ずとそういう結論に至る。

 貴殿の能力は私も認めている。

 今後も活躍を期待する」


 エマードソンは、テーブルの上にある各種書類にもう一度目を通した。


「一割か。

 十分利益になりそうだな。

 販路の維持に何体かゴーレムを購入してみるか……」


 そんな事をつぶやきながらエマードソンは応接室から出ていってしまった。


 コリンは死ぬことも覚悟していたが、首の皮が繋がった事に安堵しつつソファの背もたれにもたれかかった。


「とんでもない人物と知り合ってしまったものだ……」


 それがコリン男爵が報告を終えて最初に出てきた言葉だった。


「さて、期待されたなら頑張って稼がなければ!」


 コリン男爵は勢いよく立ち上がると、力強い足取りで応接室を後にした。

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