第29章 ── 第57話

 青い空が視界の半分を占める周囲には何もない赤い灰色の岩の上に出る。


 一瞬で見える風景が変わってしまい戸惑う奥さん。

 レナちゃんは相変わらず転移魔法で大興奮中である。


「どっか違う場所に出た! 凄い!!」

「ここは……」

「ここはオーストラリアですね。エアーズ・ロックって知ってますか?」

「あの一枚岩の?」

「そう。

 ここにはティエルローゼに繋がる穴が存在しましてね。

 ここを経由して移動しないといけないんです」


 まあ、本来はそれは不要で、奥さんが原因でこれしか方法がなかったなんて言えないからな。

 体ごとの転移については、魂の色問題で既存の方法が使えなかった。


 アースラの一粒種であるレナちゃんは魂の色がアースラによく似ていたから転移できたかもしれない。

 奥さんは全く相似点がないので確実に失敗すると判断したんだ。


 俺が引き受けた以上、この仕事に失敗は許されない。

 それこそ俺の沽券に関わる問題だからな。


 岩陰からサイクロプスがひょっこりと顔を出す。


「あ!」

「ひっ!?」


 周囲を見回していたレナちゃんが気づき、その声にチラリとサイクロプスの方を見た奥さんが短い悲鳴を上げる。


「お待ちしておりました」

「ああ、ご苦労さん」


 俺が気さくにサイクロプスに声を掛けているので、レナちゃんは一切警戒していない。

 奥さんはガタガタ震えている。


 だが、奥さんがフラフラとサイクロプスの方へと歩いていくのが見えた。


「この二人がティエルローゼに向かう人ですか?」


 こっちの人間を二人、転移させる事は既にサイクロプスに念話で伝えておいたのだ。


「ああ、事前に話していた通りだ。

 今回は様子見なんで、また戻ってくる可能性もあるから注意な」

「承知しました」


 フラフラ歩く奥さんを目で置いながら、俺はサイクロプスと話す。

 レナちゃんはサイクロプスを「ほえ~」と言いながら見上げている。


 それで奥さんはどこに行くんだ?


 注視していると、奥さんはサイクロプスの足元で行儀よく座っている単眼のフェンリルのところに向かっている。


 女好きのフェンリルに近づくのはヤバイんではないかと思ったが、サイクロプスがしっかりと言い聞かせていたのか襲いかかるような気配はない。


 奥さんはフェンリルの前に行くと素早い動きでグルリとフェンリルのまわりを一周した。

 フェンリルの隣に立った奥さんは既に震えていない。


「クサナギさん!」

「はい!」


 突然大きな声で呼ばれたので、びっくりして俺も大きな声が出てしまう。


「この生き物は何ですか!?」

「ああ、それはフェンリルのバニープくんですね」

「フェンリル!

 聞いたこともない犬種だわ。

 この大きさ! 銀の毛並み……

 どれを取っても地球の生き物とは違うわね!?

 でも見た目は長毛種のコリー系に似ている気がする……」


 奥さんはブツブツ言いながらフェンリルの各種パーツを見て回る。

 尻尾を掴んで引っ張ったり、脚の指を数えたりと忙しい。


 女好きのフェンリルは居心地悪そうに「ワフ……」と嘆く。


 そして脳内に『この人誰ですか?』ってテレパシーが届く。


「ああ、英雄神アースラの奥さんだ」

『なんと! アースラ様とは子犬の頃に一度お会いした事があります!』


 アースラと聞いてフェンリルが尻尾をブンブンと振り回す。


 へぇ、そうなんだ?


「ん? だとしたらこの神隠しの穴って神々に知られてるんじゃないのか?」

「いえ、それはありません。

 ここは秘密にしてくれと大地に言われておりまして」


 どうやら地球の大地とやらはティエルローゼを余分なエネルギーを捨てる先として見ているようで、コッソリと捨てたいらしい。

 神々に知られて咎められるのが嫌だったのだろうとも思うが、あっちの神々にしてみたらこの神力エネルギーの投棄先に選んでくれてありがとうって案件なんだが?

 なにせ集めるのが大変な神力を好きなだけ補充できるんだからね。


「貴方、今しゃべったわね?

 そうなんでしょう?

 どうなの?」


 何やら奥さんは人が変わったように活発化してしまった。

 単なる犬好きなのかと思ったが、何かが違う気がする。


「まあまあ、奥さん落ち着いて。

 彼はバニープという名前で、見て解るように生まれた時から単眼症だったそうです。

 親に捨てられた時に彼に拾われました」

「あら、動物を保護するなんて、貴方は道理を解っているようね」

「お褒め頂きありがとう」

「この子はしっかりと手入れしてあるし、健康に問題はなさそうね。

 コリー種に系統が似ているけど、別種である事は間違いないわ」


 奥さんはフェンリルの脚の長さや体長なども手尺で測り始めた。


「比率的にいうと、コリーよりも脚が長いわ」


 ブツブツ言いながらポケットから取り出したメモ帳に何かを書き込む。


『この人、なんだか怖いんですけど……』


 奥さんの眼光に抗いようのない殺気を感じたようでフェンリルは奥さんの言うなりになっている。


 レナちゃんはというとサイクロプスと楽しそうにお話を始めている。


「貴方、名前は!?」

「プ、プロンテスだが……」

「ププロンテス?」

「プロンテス!」

「何で目が一つなの?」

「サイクロプスだから……」

「大きいね!!」

「一〇メートルくらいあるけど……」

「ここで何しているの?」

「ここにある転移穴を守っている……」


 質問攻めにされてサイクロプスもタジタジになっている。


 親子ですな。

 方法は違えど、これだけ高レベルの奴らをたじろがせるとはね。


「さて、ここで時間を潰しても仕方ない。

 そろそろ行きませんか?」


 俺が出発を促すとレナちゃんは直ぐに頷いて俺の手に掴まってくる。

 奥さんはというと、まだブツブツ言いながらフェンリルの周りを彷徨きながらメモを取っていた。


「あのー、奥さん?」

「マミー!! 時間よ!!!」


 俺が恐る恐る声を掛けているのを横目に、レナちゃんが大声で叫んだ。


「……え? あ、レナ。何?」

「もう! マミーは夢中になるとすぐそうなる!!」

「え? あ、そうね。

 こんな事をしている場合じゃないわね」


 奥さんはようやくメモ帳を仕舞った。


「失礼しました。ちょっと研究に夢中になっちゃって」


 テヘペロ的な仕草をする奥さんがかなり可愛い。


 なるほど、アースラはコレに落とされたのか。


「研究? 何かの研究者なんですか?」

「私は動物学者なんです。

 だから見たことがない動物に出会うとつい夢中に……」


 言い訳をする奥さんをレナちゃんは見て、やれやれって仕草をする。


「この前もショッピングモール近くで見つけた鳥を双眼鏡で二時間も眺めてたんだよ」


 ふむ。動物学者なのか。

 まあ、細かいことは良いか。

 先に進もう。


「それじゃ行きますか。一応、保護系魔法を掛けさせて頂きますね」


 俺は知っているプロテクション系の魔法を片っ端から掛ける。

 ついでに俺を中心に次元隔離戦場ディメンジョナル・アイソレーション・バトルフィールドを展開しておく。


「これでよし。

 では、あちらに向かいましょう」


 俺は神の目をオンにして神隠しの穴に向かって歩き出す。

 レナちゃんは手を繋いでいるのでほぼ同時に穴に突入した。

 奥さんは俺の服の裾を掴んでいるので少し遅れて穴に入った。


 保護系魔法のお陰か、転移による身体への負荷的な違和感はまるで感じない。


 次元隔離戦場ディメンジョナル・アイソレーション・バトルフィールドの効果かな>?


 五分も歩かない内に景色はサバンナ気候特有の見渡す限り草原となった。


「アフリカみたい……」

「草原!!」


 後ろからサイクロプスとフェンリルが穴から出てくるのが見えた。


「転移は大成功だ。協力感謝する」


 俺は満足感に満たされつつ、サイクロプスたちに礼を言う。


「何もしていませんが」

「いや、この穴を守ってくれていた助かった。

 今後も守護を頼むね」

「はい。こちらの神さまからも任命頂けるようで助かります」


 などと話していると「ズドーン!」という音と共に光の柱が立った。

 光が消えると、そこにはアースラが立っていた。


「レナ!! ジェニー!!!」


 突然の音と光の柱が立ったことに二人はビックリしていたが、その声に大きく反応した。


「ダディ!!!」


 レナちゃんは猛ダッシュでアースラへと走っていき飛びついた。


「リクト……リクトなの……?」


 レナを抱きとめたアースラが頷いた。


「ああ、少しあっちとは変わっているかもしれないが、声は一緒だろう?」


 ニカッと笑ったアースラの顔に生前の面影があったのかもしれない。

 奥さんはボロボロと涙を流しながら崩れ落ちた。


「ああ……貴方……生きてた……神よ……!」


 まあ、アースラは既に神ですが。


 微笑ましい光景を見ていると、転移門ゲートが開いて、もう一人の俺がやってきた。


「よう。上手く行ったようだな」

「ああ、お陰様でな」

「さすがは俺だ」

「よせよ、照れる」


 俺は俺自身とガッシリと握手を交わす。


「さて、俺の役目はここまでだ」

「ああ、了解だ。ゆっくり休んでくれ」

「バカ言うな。俺が休むわけないだろ」

「確かにな」


 二人でクックと笑っていると、ようやくそれが始まった。


 俺の身体はどんどんと存在が薄くなっていく。

 そうして俺はそのまま同化して消えていった。


「これでよし」


 は地球に行ったが経験した全てを吸収した。

 もう、もう一人の俺が見聞きした事は俺自身の出来事だと感じる。


 記憶が二重になっているワケだが、よく小説にあるように混乱するような感覚はない。

 まあ、過去の事なので記憶と大して変わらないんだよね。

 トリシアが前世の記憶を思い出した時もこんな感じだったのかね?


 何にしても今回は色々あったけど、上手く行ってよかったよ。


 見れば、奥さんが少し落ち着いてアースラとようやく抱き合った。

 アースラも感無量といった感じで二人を抱きしめている。


 こういう光景は良いものだ。


 久々の妻子の感触を堪能して目を閉じていたアースラが、目を開けてこちらを見た。


「ケント、感謝する。

 俺の無理な願いを完全に叶えてくれたな」


 俺はフッと笑いながら手を振った。


「同郷のよしみさ。

 転生よりも転移という手段を模索できたから、色々発見もあったしね」

「そうか。お前ならタダ言われた事だけをやるだけじゃないと思ったが……」

「ああ、この世界の神力事情とかシステムなんかも少し理解できたよ。

 あ、そうそう。奥さんとレナちゃんだけど、ドーンヴァース経由してないからレベルがかなり低いぞ」

「そうだろうな」

「神界に連れていくのは難しくないか?」

「現状では死んでからでないと無理だ」


 やはりそうか。


「んじゃ、トリエンに連れていくか。

 地球人だと、ティエルローゼで生きていくのは難しいし」


 色々と優しくないからね。


「助かる」

「まあ、気にすんな。

 神に恩を売っておくのは悪くない。

 礼はいずれ形あるものでな」


 俺の言葉にアースラは呆れた顔をするが、「ケントらしいな」と笑った。


 俺はトリエンまでの転移門ゲートを開き、アースラたちと一緒に我が家へ転移した。

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