第29章 ── 第12話
俺とゲーリアがニコやかに話している横に、陰鬱な顔をした者が一人いた。
ヤヌスである。
ヤヌスはずっと押し黙ったまま、俺とその周囲の仲間たちを観察していた。
「マリソリア、人間どもと一緒に旅などして腕が鈍ったりしておるまいな?」
やっと口を開いた時には、そんなことを口走る始末である。
「おじじよ、何を言い出すのじゃ。
我は人間世界では既に伝説レベルじゃよ」
「そうかのう?
エルフなぞ戦いの場では者の役に立つまい?」
黙って聞いていたが、その一言を聞いて俺は背筋が凍りつく気分になる。
バカだな……鬼の元団長になんて事を言うか……
俺はチラリとトリシアに目をやる。
だがトリシアは「フッ」と笑うだけで、どこ吹く風といった風情だ。
嵐の前の静けさてやつでしょうか……
俺はかえって周囲の温度が下がるような感覚を覚えます。
「トリシアをバカにするでない。
我が冒険に出るキッカケとなった伝説の冒険者じゃぞ?」
いつものマリスなら烈火の如く怒り出す気がするのだが、彼女もそれほど怒りを露わにせず口調は淡々としたものだった。
「それと……」
ヤヌスは俺を含めてトリシア以外の仲間たちを一人ずつ見回す。
「人族どもは、相変わらず群れねばならぬようだ。
それでドラゴンにも勝てるつもりでおるのだから始末に負えん。
そんな者と一緒にいては腕が鈍らぬとも、心が堕落しよう」
そこに力の抜けた声が割って入った。
「おじいちゃん、そんな事はありませんよ~?」
見ればアナベルだ。
おじいちゃんって……それニズヘルグ一族の長老なんですけど……
だが時既に遅し。
アナベルは太陽のような笑顔でマリスの横に立った。
その時、目にも止まらぬような速さでヤヌスの右裏拳がアナベルの横っ面に飛んでいくのが見えた。
──バシーン!!!
やっちまったか……
俺は凄まじい打撃音に目を覆った。
ふっ飛ばされた身体が壁に激突して更に凄い音を立ててもおかしくない状況だが、それ以上の音は聞こえてこない。
「あらあら……テメェいきなり裏拳とは面白ぇじじいだな?」
途中からアナベルの口調が変わる。
ダイアナモードに切り替わった証拠である。
右側から襲ったはずの裏拳は、アナベルの左の手の平で受け止められている。
「なん……だと……ワシの裏拳を人族ごときが止めるだと……」
「おじじよ。
アナベルは人族最強の
その程度の攻撃じゃと
こうなるとは思っていたが、王道パターンすぎて溜め息すら出そうですよ。
「私相手に手加減するとか、耄碌しすぎてるんじゃねぇか?
マリスがワガママに育った理由はテメェが原因か?」
「アナベルよ。
我はワガママではない。
強いていうならば、自分本位という奴じゃな」
「それをワガママっていうのよ!」
すかさずエマがツッコミを入れる。
マリスがニヤリと笑ってエマに親指を立てた。
ツッコミを期待してボケてるところにマリスには余裕を感じる。
それと、エマも結構フィルにとってはワガママ姉さんだと思うんだが。
まあ、エマは弟以上に優秀でなければならないという脅迫観念でもあるのか、修行に打ち込みまくり、現在では人間の限界を超えてしまった人物でもある。
現在のレベルは六八だ。
つい先日六〇になった程度だった気がするんだが……
世界樹の森で何度か戦ったからかもしれんけど、ちょっとレベル・アップが早すぎだな。
こういう小気味よいやり取りが、いつもの雰囲気過ぎて少々安心感を覚える。
アナベルは逆に左手でヤヌスの右腕を取ってポイッと空気投げの如く軽々と放り投げる。
ヤヌスはクルクルと宙を舞いビターンッと地面に叩きつけられた。
一応、受け身は取っていたみたいなのでダメージはなさそうです。
「こ、このワシを投げ飛ばすだと!?」
「当然じゃぞ、おじじ。
アナベルはマリオン信者なのじゃから」
え? マリオン信者だと当然なの?
「そうだぜ? マリオン信者は最初に覚えさせられるのがマリオン流
この程度の投げはマリオン信者なら誰でもできる」
え? マジで?
そんな事、知らんかったわ。
そういや出会った頃、アナベルは帝国の不良兵士どもに飛び蹴りとかしてたし、馬車に飛び乗る体捌きは格闘技者特有って感じの動きだったっけ。
ふと、帝都で会ったマリオンの神殿長を思い出す。
あの神殿長の薫陶よろしきアナベルだからだと思ってたんだが、マリオン教全体でそうだとはな……
マリオン教おそるべし。
頭の中で「失敬な」とマリオンの声が聞こえた気がしたが気の所為だろう。
「古代竜、最強の門番たるワシをこうも容易く投げるとは……」
少々打ったのか腰を摩りながらヤヌスは立ち上がる。
「ワシも本気を出して良いという事じゃ……なっ!」
ヤヌスが瞬時に踏み込み、アナベルに当て身攻撃を行う。
だが、アナベルは当然のようにそれを受け流し、逆にまたもや空気投げだ。
「そんな基本的な動きじゃ、私には通用しねぇよ」
またもや背中から綺麗に落ちてヤヌスは「かはっ」とか言ってた。
相手になんねぇというか、子供扱いだな……
アナベルってマジでそこまで強かったんか?
仲間たちも動こうとしないし……
どういうワケか誰も助けに入ろうとしないところを見ると、ヤヌスはアナベル一人で十分にあしらえる強さだという事だろう。
まあ、さっき広間で見せてたドラゴン・モードだったら、こうは行かないだろうけど、人間モードならこんなもんなのかもしれないな。
実際、古代竜は人型モードとドラゴン・モードではレベルも変わるしね。
一応、人型モードのヤヌスを大マップ画面で調べてみると、レベル七五だったよ。
それじゃアナベルには勝てないな。
ふらふらとヤヌスは立ち上がった。
「ちっ……本来の姿だったら……」
ヤヌスから負け惜しみの言葉が漏れる。
それを聞いたマリスが「はぁ……」と深い溜息を吐いた。
「おじじよ……おじじは、そんなもんなのかや?
我が一族の筆頭たるおじじからそんな安っぽい捨て台詞が出ようとはのう……
我はガッカリじゃ」
マリスの嘆きっぷりは相当なものだった。
心の底から脱力したような声に俺も驚く。
「なんという哀愁漂う響きだろうか」
アモンが俺の心の中を読んだように呟く。
「我も同じ思いですな。
カリス様が作り出した最強生物が、このような負け惜しみを言うようでは……
全ての古代竜が同じように見られても仕方ありますまいに」
フラウロスもガッカリ声だ。
「はて。妾が手伝ったにしては出来が悪い。
ゲーリアと申したか、初代竜はどこにおられる?」
アラクネイアが机の横であわあわしているゲーリアの首根っこを引っ掴み自分の方に向き直らせている。
「しょ、初代様は世界樹の中で隠居しておられます……」
アラクネイアの迫力にゲーリアも素直に答えてしまっている。
「ま、待て、マリソリア! ワシは少々気を抜いただけだ!
そんなガッカリする事はない!」
「じゃがのう……
あの様な台詞が漏れ出るなど、誇りある古代竜としてはありえぬのじゃろう?
我はニズヘルグ一族として恥を感じておる……」
再びマリスが深い溜息を吐いた。
その嘆きっぷりにヤヌスが涙目になる。
「し、しばしお待ちを!」
ゲーリアがアラクネイアを振りほどき、大きな声を上げた。
見ているとゲーリアは部屋の外へ走り出していく。
どこに行ったんですかねぇ?
ヤヌスといえば、マリスに失望されたのを感じて呆然としている。
「我はおじじをもう少し誇り高い古代竜じゃと思っていたのじゃ。
それはベヒモスおじじにも匹敵しよう存在じゃと……」
さらなる追い打ちを掛けるマリス。
まあ、身内に情けない姿を晒される屈辱はいかんともし難いとは思うがね。
俺も砂井の親に見せる自分の両親の卑屈さを思い出すと脱力するもんな。
こういう思いをさせられる子供はグレても仕方ないと思うよ。
まあ、俺は親を反面教師にして礼儀正しく、出来の良い子供を演じてたけど。
心の内はドロドロだったけどね。
マリスは素直だし、ああいう感情は隠さないので心根が曲がったりしないだろうけど。
マリスもまだまだ多感なお年頃ですし、後で少々慰めてやらないといけませんかねぇ……
それにしてもヤヌスは下手を打ったよね。
アナベル相手に裏拳とか……
マリスに自分の強さを誇ろうとしたのかもしれないけど、相手の強さを見抜けないのでは問題ありありだろう。
まあ、相手の力量を読むってのは中々難しい事なのかもしれないけど、にじみ出るオーラっていうか、雰囲気とかで感じ取るもんなのでは……?
いや、相手は天然ほんわか系のアナベルだし、読めというのが無茶だった可能性はある。
それにしては裏拳に手加減が無かった気もするけども。
アナベルが普通の人間だったら壁に吹っ飛ぶというより、頭蓋骨が弾け飛んで即死だったに違いない。
手加減を知らなかったのかもしれんが、仲間を殺されてマリスが良い顔するとも思えんのだが。
もしかして、肉体派っぽいので脳筋なのかもしれん。
だとしたら深く考えずに行動している可能性がある。
見た目は賢者っぽい黒ローブの白ひげ爺なんだがなぁ。
残念キャラなのか……
マリスがガッカリするのは既定路線だったって事なのかもしれないね。
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