第28章 ── 第43話

 深夜も近い時間に俺たちの居室の扉をノックする音が聞こえてくる。

 俺はともかく、ベッドに潜らずにソファーで「スヤァ~」となっていたマリスが頭を上げて入り口のドアを睨んで不満顔だ。


「なんじゃ。こんな時間に」


 そんなところで寝てるからだ。


 俺は苦笑しつつマリスに毛布を掛けてやり「いいから寝てろ」と言い放つ。


 ノックされる扉に近づき「誰だ?」と問うと「夜分申し訳ありません。王室付きの侍従にございます」との返答があったので、扉を小さく開けてやる。

 隙間から確認すると、見覚えのある城の使用人だった。


 確か国王付きの侍従長じゃなかったか?


「もう皆寝てるんだけど、何かあったの?」

「いえ、王は雑務をようやく終えまして、早急にクサナギ辺境伯閣下にアゼルバードの姫様の話をお聞きしたいと……」


 夜遅いせいか、侍従長は本当に申し訳無さそうに用件を告げる。


 いやまあ、王命じゃ逆らいようもないし、ご苦労さまです。


「承知した。

 後ほど報告するようにと仰られていたしね。

 では王女殿下にご用意させてお伺い致すとお伝え申し上げてくれないか?」

「承知致しました……

 三〇分程度はお時間を見た方がよろしいでしょうか?」


 女性を連れて行くとなると普通は大変な時間が掛かるものである。

 侍従長という肩書きを持つ者なら、その辺りを考慮してくるのは当然だろう。


「いや、ファーディヤはまだ寝ていないみたいだから、一五分程で向かえるはずだよ」


 ミニマップ上にファーディヤの部屋の中に動く光点を確認してから、俺は侍従長にそう答える。


「承知致しました。そのようにお伝えいたします」

「向かう先は執務室でいいのかな?」

「左様にございます」


 侍従長はランプを片手にペコリと頭を下げると王の執務室の方へと歩み去った。


 俺はファーディヤの部屋の扉を軽くノックする。


「はい……」


 小さめの返事があり、直ぐに扉が開かれた。

 既にドレスは脱いでしまったファーディヤだが、寝間着ではなく私服姿だった。


「夜分に申し訳ないけど、リカルド陛下がお呼びだ」

「着替えた方がよろしいでしょうか……」

「いや、そのままで良いだろう」


 私服ではあるが、王族の女性らしく襟には真っ白な毛皮があしらわれた非常に豪華な感じの服だし問題ないだろう。


 あの毛皮は砂漠の砂使ったヤツだな。

 あそこまで白くしてるのに素材が傷んでないのは凄いな。

  それにしてもヴィクトールがしっかりとファーディヤ用の日用品を用意していたって事ですかね。

 相変わらず有能で結構な事だ。


 ファーディヤは「身だしなみを整えるので」と少し引っ込んだ。

 

 髪の毛に櫛を入れた程度で五分もしない内にロビーに出てきた。


「お待たせ致しました」

「では、行こうか」

「護衛は必要かや?」


 ソファからマリスが頭を上げて聞いてきたが、俺は笑って首を振っておく。


「王城内だから近衛に任せよう」

「了解じゃ」


 マリスはそういうとコテッと首を脱力してクッションに頭を埋めた。

 そういや、ドレス・アーマーを脱いでいるところを見ていない。


 そのまま寝た可能性は高いな……

 シワシワになった服を整えるメイドたちの苦労が偲ばれるね。


 ファーディヤを連れて廊下に出て、王の執務室へと向かう。


 ファーディヤは夜の城内を歩くのが珍しいのかキョロキョロとしている。


「なんだい? 珍しいのか?」

「いえ、さすがは大国の王城だと思いまして」


 俺は何のことかと思ったが、ファーディヤが言うにはもう夜中なのに壁にランプを掛けて昼間みたいに明るくしているのが凄いと言う。

 アゼルバード王国がまだ体裁を保っていた頃、セントブリーグ城では夜は灯りを全て消していたという。

 アゼルバードでは油を生産するだけの資源がないので海外からの輸入に頼っていたそうで、深夜なのにランプをつけているというのは「さすが大国」というように目に映るワケらしい。


 なるほど……そう言われてみれば確かに贅沢だね。


 この世界は現実と比べて油が非常に高い。

 まあ、現実世界でも江戸時代やら中世時代は油は高価な物だったそうだから、当たり前ではあるが。


 俺は揚げ物料理を作ることが多いので油が高いってのは知識としては知っていたけど、実感したことはなかった。

 現代人の感覚としては、ランプやらランタンの灯りってのは薄暗いなと思っていたんだが、こういう文化レベルが当たり前のティエルローゼ人には、この程度の灯りですら明るいと感じるんだと妙に感心してしまった。


「ところで、まだ寝てなかったみたいで助かったよ。

 仲間たちは既に寝ているから、ファーディヤも寝てるかと思ったよ」

「あ、はい。

 ブリギーデ様とプロセナス様に寝る前に体を動かしておくようにと言われておりまして。

 美しさを保つのに必要だそうです」


「あ-、なるほどね。美容体操かぁ」

「はい」


 少々顔を赤くしつつ微笑むファーディヤに釣られて俺も笑ってしまった。


 若手貴族に今の状況を目撃されたら嫉妬で呪いでも掛けられそうで怖い。

 どう見ても夜中にデートでもしているように見えそうだしな。


 今日の園遊会と時の話などを聞きつつ歩いていると王の執務室の前に到着する。


 扉の左右に近衛兵が歩哨として立っている。


「陛下に呼ばれて来たんだが」

「承知しております。

 陛下は中でお待ちになっております」


 俺は頷くと扉をノックする。


「入り給え」


 この声はフンボルト閣下だ。


 相変わらず王と一緒に職務に励んでいるようですな。

 もう結構な歳だろうし、後継者を育てた方がいいんじゃないか?


 中で控えているメイドが扉を開けてくれたので、俺たちは執務室へと入った。


「遅くなって申し訳ないな」


 まだ執務机で書類に目を通しつつ国王リカルドが肩を竦めた。


「相変わらずお忙しそうで」


 そう俺が苦笑すると「誰の所為だと思っている」と睨まれた。

 まあ、口元は笑っているので不興を買ったというよりも冗談だったようだ。


「ちょっと手を広げすぎましたかね?」

「いや、それは良い。

 余もこれほど仕事が増えると思ってもいなかったが、これはこれで中々充実した生活だと思っているよ」

「付き合わねばならない私も労ってほしいものだよ、辺境伯」

「ああ、フンボルト閣下もお疲れさまです」

「うむ」


 フンボルトは立ち上がるとメイドにお茶の用意をするように命じて王の執務机の前の壁際にあるソファの片方に座ると俺たちにも座るように促した。

 王も最後の書類を片付けるとソファにやってくる。


 王が座ってから俺とファーディヤもソファに腰掛けた。


「さて、話を聞きたい」

「では、掻い摘んでご報告します」


 俺はアゼルバード王国での活動と顛末を語って聞かせた。


「という事で、俺の後援でファーディヤが時期女王となる事が決定しております」

「ふむ……そのレオンハート商会というのは役に立つようだな?」

「はい。既に王都セントブリーグの商人たちの筆頭として活動しておりますし、王家の庇護の元に商会運営をしているという事になってます」

「その商人は早急に叙爵した方が良いだろう」


 実務レベルの話なので、当然そういう話になる。


「はい。国に戻り次第、そのように手配する予定でございます」


 ファーディヤも他国の王を前にして恐れもせずに受け答えしている。


 女神たちを相手してきた彼女にしてみれば人間の王など怖くもないだろうしな。


「うむ。貴族が逃げ出しているそうだが、残っている者もおるのだろう?」

「王都以外には少数いたようですが、滅ぶ寸前の王家に援助の手すら差し伸べない、国民に支援すらしない貴族に存在価値はありません」

「確かにな」


 運ばれてきたお茶を手に国王リカルドは鼻を鳴らした。


「既に我が国の若手貴族が何人か、余から其方に忠誠の鞍替えを申し出てきておる」

「そうなんですか?」

「見事に誑かされたものよ」


 国王は「クククッ」と笑い声を漏らす。


「去年、色々ありましたから……

 新天地に希望を見たい者たちではありますな」


 フンボルト閣下は溜息を吐く。


「だが、若手といえど我が国の未来を担うはずだった貴族どもだ。

 それ相応の責任を持って庇護して頂くぞ」


 王の顔に戻ったリカルドが威厳を以てファーディヤに言い放った。


「承知しております。

 我が国は現在、産業も殆どありませんし新たな人材を養うほどの財力も約束はできません。

 しかし、貴族として行政を担ってもらえるなら、力戦奮闘りきせんふんとう、貴族家のご子息たちをお預かり致す覚悟に存じます」


 リカルドとファーディヤの視線が絡み合う。

 胆力を試しているリカルドを毅然とした強い目で見据えるファーディヤは頼もしいですな。


「ふむ……女ながらも勇ましきことよ。其方なら良い王になるだろう。

 まだ若すぎる気はするが、経験次第で人は成長するものだからな……期待しよう」

「ありがとうございます。ご期待に添えますように尽力いたします」


 ここでリカルドが王の仮面を脱いだ。


「で、辺境伯。

 貴殿が支援した以上、何か旨味があったのであろう?」


 新しい玩具を期待するような目で俺を見る。


「えーと、まず王女殿下のお召し物を御覧ください」

「ふむ。小国にしては見事な意匠ではあるが……?」

「いえ、デザインではなく、この襟の毛皮の色を見てくださいよ」

「ん……?

 随分と白いな……」


 王の反応に俺はニヤリと笑う。


「そうでしょう?

 素材から色を抜いているんですよ」

「しかし、脱色はここまで白くならないはずでは?」


 フンボルト閣下も毛皮の白さに首を傾げる。


「この毛皮は砂狐という動物の毛皮ですが、ヴィクトールが用意してくれました」


 ファーディヤの言葉にヴィクトールの有能さに王たちも唸る。


「まあ、これは特産といいますか、あの土地だから原始的な脱色技術が開発されたと見るべきなんですが、この材料を一〇年ほど確保することに成功しています」

「脱色技術を一〇年?」

「はい」


 俺は嬉々として説明をはじめる。

 ただ、砂に水を掛けるだけの脱色技術をもっと先に進めて「漂白剤」という商品を開発する事を考えている事。

 その商品なら用法用量を間違えなければ一般にも使える事。

 この毛皮を例にしても解るように、本当に真っ白に脱色可能なモノになる事。


 説明する度に「貴族周りでまずは売るべきモノになりそうですな」とフンボルト閣下も頷いた。


 二人の反応は申し分ない。

 まずは漂白剤という細やかなモノだが、貴族の必需品を売り物にできれば今後の関係も良好に保てるだろう。


 国を移りたい若手貴族にもしっかり頑張ってアゼルバードを安定させて頂きたいですね。


「続いて、これは秘密契約なのですが、国王陛下と宰相閣下には知っておいて頂きましょうかね」


 俺が次の案件を持ち出すと、途端にリカルドとフンボルトが身を固めた。


「辺境伯がそのような申し方をした場合は警戒が必要かもしれんな」


 俺は吹き出した。


「いえ、それほど警戒は必要ないかと。

 アゼルバード王国の国土の約八割は死の砂漠に覆われていますが、この砂漠の地下には、園遊会でマルエスト侯爵が仰っていたようにアーネンエルベ魔導王国時代の古代遺跡が眠っています」

「ふむ、そうであろうな……発掘したらさぞ……」

「はい。その発掘権を掌中に収めました」


 そう言うと王と宰相は身を乗り出した。


「「真か!?」」

「はい」


 ニヤリと笑って答えると、二人は脱力してソファに身を沈めた。


「とんでもない事をしでかしよる……」

「これは相当な儲け口になると思いますが、ちょっと問題がありまして」

「問題?」

「はい。先程も述べましたが、遺跡は死の砂漠の地下に埋もれております」

「砂漠は確かに問題だが、発掘を徐々に進められれば……」

「いえ、私の言う死の砂漠とは、有毒な気体が発生しありとあらゆる生物が死滅する砂漠だからです」


 ありとあらゆるという俺の言葉に王たちは口を噤んだ。


「多分、俺や仲間たちが相当準備して挑まなければならない事案です。

 とても一般人では発掘は不可能となるでしょう」


 俺は少し考える間を与えてから再び口を開く。


「今直ぐに利益になることはありませんが、後々やり方を考えねばなりませんが大きな利益になりうるかと思いますよ」

「ふむ……貴殿ならやれそうだな。

 貴殿が手に入れた権利だ。

 我らが横から口を挟む事はすまい。

 ただ、有益な魔法道具や武具が出土した時には、優先的に回してもらえるのだろうな?」

「当然です。もちろん、お代は頂きますが」

「貴殿もモーリシャス侯のようになりつつあるな……」


 王の溜息と同時に俺やフンボルト、メイドまで吹き出す声が執務室に響いた。

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