第28章 ── 第36話
ファーディヤのドレスの手配のついでに、トリシア、マリス、アナベル、エマのドレスも念の為発注しておく。
さすがに四人分を追加して頼んだらシンジの眉間にシワが寄った。
だが、そこはシンジだ。
「何とか、間に合わせてみよう」
素晴らしい返答です。
ギリギリの……いや普通なら間に合わないような期日を指定しても「出来ない」と言わないところが日本人気質ですな。
ブティック・マリアはブラック企業一直線ですよ。
トリシアさん! 何とかしないと!!
「あ、いや、間に合わなくていい。
優先順位はファーディヤのドレス。
次はエマのな。
他のは前の社交界の時に着てたヤツでいいし」
まだ作って一年も経ってないし、一度しか袖を通してないからな。
二度目の着用がないなど、勿体ない精神を宿す者として看過できぬ。
普段着に着るには高価すぎるので、年始の行事みたない機会を逃さずに着て頂かなければなりませんな。
「了解した」
用事が済んだので俺は館に戻る。
ファーディヤは採寸があるとかでシンジの店に残した。
帰りはシンジがキッチリと護衛してくるそうなので問題はないだろう。
王女のエスコート役としては些か無責任な気がするが、俺も色々忙しいのだよ。
俺は館に戻ると工房へと移動する。
「お帰りなさいませ、ご主人さま」
出迎えはいつものようにフロルだ。
「フィルは研究室?」
「今は研究室に居られます」
「ありがとう」
俺が研究室に入っていくと、フィルはビーカーに溜まっていく何かの液体をしゃがみ込んで眺めている。
「いいぞぉ……この調子で行けばあと一日も掛からない……」
何を作っているのか解らないが、回復ポーション関係の開発だろう。
マリスの汗を渡したから実験が進んでいるはずだし。
俺は俺で別の実験を始めるとしよう。
今日の実験はアゼルバードで手に入れた大量の砂漠の砂を使った漂白実験です。
基本的には現実世界のモノと同じ化学反応が現れると思いますが、ここは異世界なので突拍子もない結果が出ないとも限りません。
そういった危険を排除し、普段使いできるような漂白剤を開発するのが今回の目的。
トリエンの各所を視察してきて判ったように、シンジの店やアラクネーの総合織物工房の出現でトリエンの産業割合がかなり変化しました。
織物・被服関連産業が飛躍的に活発になったわけです。
となると漂白剤の投入は必須。
業者使用は勿論の事、一般家庭での使用も視野に入れて調整もしておきたい。
まず、砂に含まれている成分だが、俺の脳内の知識から過炭酸ナトリウムだと思われる。過酸化水素は普通は液体だしな。
多分、劇物なので密閉容器を使って実験を行う必要がある。
まず三角フラスコを準備して中に砂を入れる。
漂白実験なので、汚れた布の切れ端を一緒に入れておく。
次に密閉用の栓で蓋をしたら準備は完了。
え? そんなので良いのかって?
魔法があるとなんでもできちゃうのですよ。
密閉といっても蓋がしてあるだけなので、フラスコ内部で気化した物質の体積膨張率を考えると容器が破裂したりするかもしれない。
はい。そこで俺の十八番になりつつある
二重に密閉されていれば完全に安心できるというもの。
続いて、加水方法ですが、密閉容器内にトリシアに教えてもらった
魔法ですから、魔法の発生ポイントを好きなところに設定できますからね。
魔法ってマジ便利。
この砂に含まれている物質は、過炭酸ナトリウムでも過酸化水素でもありません。
ドーンヴァースを経由してインターネットに接続してある端末を操作し、その辺りの情報を検索して結果を照らし合わせる。
中に入れる布の種類は汚れの種類などを色々組み合わせて実験をし、その効果を逐一メモしておく。
何時間か実験してみて出た結論だが、どうもこの物質はティエルローゼのオリジナル物質で、基本的には過炭酸ナトリウムではないようだ。
しかし、漂白効果は過酸化物なのは間違いない。
普通、過炭酸ナトリウムという場合は炭酸ナトリウムと過酸化水素の化合物で、正式には「炭酸ナトリウム過酸化水素付加物」という。
これは他の物質と強く反応し酸素を発生させる。
この酸化作用によって殺菌、漂白、消臭に効果を発揮する。
濃度やら数量によっては非常に危険な代物で、衝撃、熱、摩擦などによって爆発する事もあるらしい。
だが、今回の物質は可燃や爆発するモノではななさそうだ。
試しに
不安定物質かと思いきや、比較的安定した物質なのだろう。
発生する気体は漂白や殺菌をする程度には問題はないようだ。
もちろん大量に発生させれば、生物は死滅するくらいの効果はあるけどね。
少量利用なら悪くない効果だ。
化学的な知識もないヴィクトールたちが服の漂白に普段使いできるくらいだし、大きな危険物質ではないという事だろうか。
どちらかというと過酸化水素の性質が強めに出ている気はする。
用法用量を間違えなければ、比較的簡単に運用できそうな物質なので便利に使っていけそうだ。
だが、未知物質なのは間違いないので今後も様々な化学実験をしていきたい。
反応実験は終わったので、続いて廃棄実験に移ろう。
使い終わった砂が適当に捨てられても周囲の自然に影響が出ないかどうかの実験だ。
下水に流しても問題がないか、畑にばら撒いた場合は?
様々な実験をしておかないと俺の領地に変な影響が出かねないからね。
そんな事にでもなれば俺も確かに損をするだろうが、一番怖いのは住民への損害だ。
死の大地とまではいかなくても、不作の大地とかにでもなった暁には土地を貸している帝国にも迷惑を掛けてしまう。
慎重に実験しておくに越したことはない。
ふと見ると、俺の研究を興味深そうにフィルが覗き込んでいた。
この実験オタクは、こういう事に首を突っ込みたがる性質があるね。
まあ、俺が楽になるので構わないが、また不眠不休とかになりそうなので、あまり仕事を増やすような事をしたくないのだ。
「面白そうな事をしていらっしゃいますね?」
変なキャラじゃない時は引っ込み思案体質のフィルだというのに、妙に目がランランと輝いているのが怖い。
「ああ、行った先で手に入れた砂なんだけどね、色々と使えそうなので実験をしているんだよ」
「どういったモノですか?」
俺は掻い摘んで漂白効果などについて説明する。
「という事は、この作業着の汚れを落とせるワケですか?」
フィルは長年研究路に着ている厚手の作業着を引っ張る。
「そうだね。そこそこ落ちるんじゃないかな?」
フィルはニンマリ笑う。
「では、早速ボクの作業着で実験しましょう!
話を聞く限り密閉空間が必要らしいですね。
広い場所も必要だ……」
突然生き生きとしはじめるフィルに俺はタジタジです。
フィルは途中から俺の姿すら見ていないようになり、ブツブツと何やらつぶやきながら歩き回るのも初めて見る姿だね。
「有毒物質が少なからず発生するという事なので……
簡易的な覆いを用意なければ……
作業服を吊るハンガーも……
実験物質を広げる容器は……」
フィルは端末に必要なモノを記入していく。
しばらくすると作業用ゴーレムが実験室に資材を運搬してくる。
フィルは俺が渡した
実験室に行くのかと思いきや廊下に出ていくので焦ったよ。
「フィル、どこに行くんだ?」
慌ててフィルの背中を追った俺は彼に問いかける。
「え? ああ、領主閣下。工房の外、オリハルコン・ゴーレムがいる広間が実験に最適かと思いまして」
なるほど。
実験空間には申し分がないですね。
あそこなら前後左右、そして上も相当な空間が広がっているし、匂いがこもらないように空気循環システムも完備しているからね。
フィルは工房前の広間に出ると、転送装置の反対側の壁付近に資材を出して組み始める。
俺も手伝おうと手をだしたら「ありがとうございます」とは言われたものの少々邪魔という雰囲気をフィルは出してきた。
フィルって研究になると人が変わるところあるよな。
まあ、手伝わなくていいなら楽ですが。
研究バカに仕込んだ師匠「ニアミスのガンダルフォン(二つ名は勝手に命名)」はいい仕事をしたね。
テキパキと一人で準備しているので俺は近くの地面に腰を下ろし作業を見ているだけにした。
三〇分もしないウチに実験装置は完成。
フィルは転送装置に飛び込み、五分もしない内に山のような作業着コレクションを手に戻ってくる。
「フィル、君は洗濯物を溜め込んでいるタイプの人間なんだな」
「いえ、これは一度洗濯したヤツなんです」
「そ、そうなの?」
どう見ても洗濯してない作業着なんだが。
カラフルに赤やら緑やら……ペンキ職人よりはマシと思うべきか?
まあ、いいか。
しかし、これだけ色んな色で染まってると完全に漂白できないんじゃないか?
少々不安に思いつつも俺はフィルが用意した実験装置の下に置いてある容器に砂漠の砂を入れた。
フィルは嬉しげに装置の外側に急遽取り付けられたような
「ここに水を流し込めば実験開始です」
一人でも液体を注ぎ込めるよう設計したって事ですかね。
用意周到なのはフィルが一人で研究や実験をしてきた所為かもしれんね。
フィルは魔法の蛇口を
「本来ならば、水の分量も記録しなければなりませんが、今日は領主閣下がいらっしゃっておられるので省きましょう」
今のセリフから思うに、研究者の主体がフィルに変わっちゃってる。
まるで研究見学のゲストとして俺が来ているような口ぶりですよ。
俺は苦笑しつつ見守る事にする。
ただ、有毒物質が少なからず発生するので、俺はともかくフィルが危険な状況にならないようにシッカリと監督しますよ。
魔法を作っておいてショートカットにセットしておこう。
そうそう。
実のところショートカットは無詠唱よりも魔法の行使が早いのですよ。
無詠唱は使う魔法をしっかりイメージしなければならないが、ショートカットはイメージすら不要なので緊急時はショートカットでの魔法行使の方が断然早い。
なので、今回のようにやるべき事がしっかり判っている場合はショートカットを使うワケ。
まあ、そこまで警戒する必要はないとは思いますが念の為。
水が注がれると、若干「シューッ」という音がして、オゾンに似た独特の匂いが装置から漏れ出す。
「随分と刺激的な香りです」
恍惚の表情でクンクンしながらフィルが装置に近づこうとするので、襟首をむんずと掴んで引き戻す。
「死ぬ気かよ」
「あ、申し訳ありません。
初めて嗅ぐ香りだったもので、無意識に」
危険だ。こいつは放っておくと勝手に死にかねない。
後でフロルに工房内での行動を監視させるようにしておこう。
というか今まで良く無事に生きてたな。
某巨大掲示板のコピペにあった「毒物くん」ようなヤツだ。
そのうち「エンッ!」って言って倒れそうだよ、まったく。
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