第28章 ── 第35話
年明けまで一週間となったので、王城へ行く準備と共にトリエンでの仕事も片付けておく。
とは言ってもクリス率いる有能な役人たちに抜かりはなく、俺がやるのは報告書に目を通し、トリエンの運営指針について指示を出す事、決済書類に押印する事くらいだ。
決済書類の押印は例のごとくマリスに手伝ってもらった。
何が面白いのか判子押しはマリスのお気に入りなので快く引き受けてくれる。
「ポンポポン!」
妙な節を付けてマリスが判を押す姿を眺める。
和みますなぁ。
猫とマリスが戯れる風景なんかも和みそうだな。
猫でも飼うか……
いや、猫型生物ならフラウロスがいるから十分か?
一時間ほどの作業で書類仕事は終わり。
今回はかなり早い段階で帰ってきているので書類が溜まっていない。
仕事の続きはトリエン各地に視察に行くことにする。
町中の移動はゴーレム・ホースに跨って移動する。
今回の視察には護衛としてマリスとハリスの分身、それとファーディヤを伴って繰り出した。
「ここがケントさまの治める町なのですね」
ファーディヤは興味深げにキョロキョロしている。
タンデムなのでファーディヤが後ろから抱きついてきているので背中が中々幸せな感触です。
ファーディヤは標準サイズですが、背中に当たる感触の楽しさは変わりませんからね。
一番最初に連れて行ったのはアラクネーの居留地だ。
相変わらず見物客が押し寄せているが、俺たちが近づくとモーゼの海割りの如く人混みが割れる。
居留地に入り馬を降りる。
ファーディヤに手を貸して下ろしてやっていると、警備担当のアラクネーが近づいてきた。
「主様、お久しぶり」
ニッコニコのアラクネーにファーディヤは目を丸くしている。
「やあ、ネストレイア隊長。元気そうで何よりだ」
「私はいつでも元気だよ。ところで新顔かい?」
「ああ、この少女はファーディヤ。アゼルバード王国の王女さまだよ」
「こんちー」
砕けた口調の隊長にファーディヤは「は、初めまして……」と少々シャイな反応を見せる。
彼女は普段はこんな口調だけど、公の場だとちゃんと喋るから問題ない。
「他国の姫様を連れてきてるって事は、ウチの布を見せるかい?」
「ああ、見せてやってくれ。
女性だし服とか布に興味あるよね?」
ファーディヤは控えめな性格なので目の色を変えるようなことはないが、やはり女性だしオシャレには興味があるだろう。
「す、少しは……」
俺と出会うまでは、着の身着のままだったからか反応は良くない。
オシャレはお金が掛かるのでファーディヤは遠慮しているのかもしれない。
でも、出会った時のファーディヤが着ていた外套のフードに付いていたベールの部分はシルクだったんだよねぇ。
これだけで俺は彼女を貴族だと判断した。
それくらい出来の良い代物だったからね。
間違いなく中央森林で作られたシルク製品を加工した物だし、世界樹の森に隣接した国はそういう品物を仕入れる事ができて羨ましい限りです。
隊長にファーディヤの案内を任せ、森を管理をしてくれているドライアドに挨拶に行く。
小さい森ながらドライアドの住んでる木に行くのは一般人には無理だ。
例の獣人の森の「田んぼ」と同様に結界が張ってあるからだが、精霊と誓約を結んでいる俺には結界は無意味だ。
すんなりと木の洞で寛ぐドライアドを発見できた。
「あ、主様。ごきげんよう」
「やあ、森の管理お疲れさん」
「自分の家の管理だもの、別に問題はありません」
ドライアドが悪戯っぽく微笑む。
「なんじゃ、ケント。ここにドライアドがおるのかや?」
俺がドライアドと話し始めると、マリスが俺が話しかけている空間に視線を向けてジロジロと見ているが、やはりマリスには彼女の姿は見えていないようだ。
マリスが木の洞に手を入れて振りまわし始めたので俺は慌てて彼女を止めたが、振り回した手がドライアドの身体をすり抜けているのを見て失礼ながらドライアドってある意味幽霊っぽいなと感じてしまう。
世界を構成するエネルギーみたいな存在なので彼女自らが実体化しない限り、俺たちには触ることは出来ないんだけどね。
「ふふ。心配しなくても普通は見えもしませんし、触ることも出来ませんから」
「何か不足している物はあるかな?」
「まだ管理を始めて年が経ってませんから、落ち葉の積もり具合が心もとないですね」
なるほど、落ち葉か。
土の養分が不足気味って事だろうか?
普通の森には落ち葉が積もって腐葉土が形成されるワケだが、ここは彼女が住むまで森というより林だったし、木が少なかったから落ち葉が少な目なのは仕方ないな。
「了解した。役場の者に指示して東の森から集めて来させよう」
「ありがとうございます」
こっちで手配しておかないと管理者たるドライアドが自分で集めに行きそうだし、そんな事になったら「精霊が町に出現した!」とか大騒ぎになるからな。
今のところアラクネーのおかげで森は十分に観光資源になっているので、精霊の住む森などという噂は必要ないだろう。
ドライアドに別れを告げ、連れて行かれたファーディヤのところに行ったら色々な布をアラクネーに囲まれて困っている彼女を見つけた。
「こっちはサテン。触ってみ?」
「よ、汚れてしまいますので……」
「あんたの手、綺麗だから大丈夫だよ」
「はぁ……」
アラクネーは少々強引なので、控えめなファーディヤには辛かったか?
服を買いに行ったら店員に声を掛けられて戸惑う事が多い俺としては、彼女の気持ちが良く解る。
アパレル系の店員ってなんで、服選びの邪魔しに来るんだろうね?
きっと今のファーディヤも似たような気持ちなんだろな。
「そのくらいにしておいてやれ。布の売り込みはシンジにしてくれよ」
俺が苦笑してファーディヤを庇う。
「仕方ないね。この子には総シルクの服とか似合いそうなんだけどなー」
ファーディヤを取り囲んでいたアラクネーたちが蜘蛛の子が散るようにスルスルの木に戻っていった。
「悪いね、主様。
あの子たちは隊商上がりだからね。
隙あらば誰にでも商品を売り込む癖がついてるんだよ」
解る。チャンスは逃さないってヤツだよね。
「そういや、シンジには売れているのか?」
「あー、凄い売れてる。
織り子の稼働率が凄いことになってるよ。
糸が足りないから、シルクだけじゃなくて綿とか麻とかまで仕入れて布にしてるけどみんな飛ぶように売れてる」
どうやらアラクネー居留地は現在、総合織物工房と化しているらしい。
「そんな量を作ったら染めが間に合わないんじゃないか?」
「この森では、もうそこまで手が回らないから今では外部に発注してるよ」
話を聞くと、どうやらアラクネーは布織りの作業を専門とした体制に移行したらしい。
それ以外の工程は、役場が手配した外注業者が担っているそうだ。
シンジの店の出現でトリエンの被服関連産業が刺激を受けて大きく発展し始めているという。
布織りの達人たるアラクネーも嬉しい悲鳴を上げている状態なんだと。
シルクはシンジの店にしか卸してないが、他の材質の布は買付けに来る商人に直接売って大きな利益を上げていると嬉しげに話すネストレイア隊長も結構な商人ではないだろうか。
アラクネーが織る布は、麻にしろ綿にしろ品質が非常に良くなるらしく、シンジを筆頭に他の商人にも高値で売れている。
書類を確認してみるとそのあたりが非常に顕著にデータに出ていた。
アラクネー産の布は、市場の二倍近い価格が付いているのだ。
アラクネーはあまりお金に頓着しないので節税は全くしないから結構な手数料という名の税金が役場に支払われている。
トリエンにとってもウハウハな状態なんですなぁ。
ありがたや、ありがたや。
儲け口なので居留地周辺の巡回衛兵が余分に充てがわれていると後々知る。
アラクネー居留地の後は、ブリスター孤児院、闘技場建築現場、アナベルのマリオン神殿、マクスウェル魔法店、イルシス神殿、ゴーレム部隊駐屯地などを見て回り、最後にシンジの店に立ち寄る。
「シンジはいるかい?」
シンジの店に入ると、売り子番の店員が俺に気付いて走り寄ってきた。
「ようこそいらっしゃいました、領主閣下!」
「やあ、元気そうだね」
店の中にはハイソな感じの客が何人もいて、それぞれに店員が付いて回っている。
「店員増やした? 見たことない子ばかりが売り子に出てるようだけど」
「はい。今は、店の方は店番専属の従業員を雇っています。
お針子は基本店に出るのは一人だけという体制になっています」
「ふむ。じゃあ、例の儀式は必要ないね」
「は。
これ以上お針子は増やしたくないと旦那様も仰られておりますので、領主閣下のお手を煩わせる事もないかと存じます」
なるほどね。
無自覚イケメンのシンジでも相手する女性が増えるのは大変らしい。
まあ、簡単にハーレム作れる才能があるのに勿体ない気もするね。
逆にお針子たちはライバルが増えるのを阻止するために、必死にお針子の技量を上げているっぽいね。
速度も技もレベルアップしまくってるとなると、新人が入る余地ないわな。
技量に差が有り過ぎて教育が難しくなってる感じかな。
ペーパー
となると新人針子を入れる時は、他所でベテランと言われる技量の持ち主を引っ張ってくる必要が出てくるわけか。
などと、針子の店員と話していると奥の作業場の扉が開いてシンジが顔を出した。
「やあ! ケントじゃないか! 姉さんは一緒じゃないのか?」
その途端、店内が「キャーーーッ! シンジさま!!」という声でいっぱいになる。
ハイソな女性客たちが騒ぎ出した所為だが、店員とお針子店番が突如動き出し、騒がしい客を店外に排出していく。
いつもの事らしいが、さすがの俺もファーディヤ同様にびっくりして固まってしまった。
「す、凄い美形ですね……」
ファーディヤもシンジのイケメンぶりに驚いたらしい。
女客の騒ぎに驚いていたんじゃないのか。
おのれシンジめ。
客の喧騒すら耳に入らないほどに女を魅了するイケメンぶりか。
報われない女性たちにとって自覚がないシンジという存在自体が猫に対するマタタビみたいなもののように見える。
お前の存在は何らかの魅了系呪詛なんじゃねぇのか?
だが、彼に魅了された一部女性がいつの間にか団結して秩序あるシンジ親衛隊を結成するという、よく解らない成り行きも付随しているのが面白いといえば面白い。
針子親衛隊の下部に店員親衛隊、その外側にはさっきのような客がいるワケだが、よくよく観察してみると客にも階層的な組織化現象が見え隠れしている。
店内に侵入できる人物は、江戸時代の富士講や伊勢講のような団体が主催したクジで当った客のみだそうだ。
客としての財力もちろん、家柄などが考慮されてクジを売りつけられているらしい。
犯罪チックな匂いがするんだが、ちゃんと売上から税金まで収めている健全な団体だと後々読んだ役場の資料で知って驚いた。
話を戻そう。
「今日は、この子のドレスの注文に来たんだよ」
俺はシンジにファーディヤを紹介する。
「ふむ。この子は線が細いけど、凄い健康的だね。色はシンプルにしてデザインを少し派手めにするといいかもしれないね」
「王の新年の挨拶会に着せたいから一週間しか猶予がないんだよ。
手が込んだドレスだと間に合わないんじゃないか?」
「大丈夫。俺のデザインした服なら、ウチのお針子たちは三日で仕上げられる」
お針子連中、マジで相当なレベルアップをしてた。
愛のなせる技だな。
これからもトリエンのため、是非頑張っていただきたい。
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