第28章 ── 第17話
ヴィクトール・レオンハートは見た目五〇代半ば、中肉中背で柔和な顔つきながら眼光は油断のない光を湛えた人物だ。
先の一件で俺たちとの出会いは最悪の邂逅と言えるが、彼はなんとか持ちこたえた。
俺も彼の覚悟を見たので、これ以上彼らを怖がらせるつもりはない。
ちなみに、番頭格だったセザールは他国の貴族に下手を打ったという事で降格処分との沙汰をヴィクトールは下した。
暗にクビを切るのではなく、最後まで部下の人生に責任を持つつもりなのだと知り、そこも好感ポイントになった。
「辺境伯様はどのような目的で、この何もないアゼルバードなどという国にいらしたのでしょうか?」
俺たちはヴィクトールの案内で彼の商館へと案内されている最中だ。
部下の無礼を詫びたいとの事で招待されたわけだ。
彼と彼の護衛たちは歩きだったので、こちらも徒歩で案内に付き合っている。
「冒険だよ」
さすがに腕利きの商人にはその応えでは満足できなかったのか、困ったような顔をしている。
馬車をインベントリ・バッグに仕舞った時に、ヴィクトールが腰を抜かしかけてたけど、腕利きの商人らしく「普通の
まあ、嘘ではないんだが。
「俺は元々冒険者上がりなんだよ。
領主家業なんて退屈な仕事は部下に押し付けてさ、世界を悠々自適に漫遊旅行ってところかな」
貴族らしからぬあまりの言い草にヴィクトールは苦笑を漏らした。
「失礼しました。様々な貴族様にお会いして来ましたが、辺境伯様のような方には初めてお目にかかりました」
俺は軽く肩を竦めて見せる。
「まあ、貴族には義務もあるし、ここまで自由にできるヤツは中々いないと思うよ。
おっと、だからといって俺もちゃんと義務を果たしてるつもりだけどね!」
「心得ております」
ヴィクトールが言うに、彼は俺の事を知っているというのだ。
はて? こんな離れた国で俺の情報が出回っているなんてビックリですな。
「実のところ余りにも信じられない情報なので、眉唾な噂として切り捨てた情報だったのですが……」
彼はティエルローゼでは中堅どころの商人といったところだ。
それでも一応、仕入れなどの為に帆船を数隻所持している。
その船は大陸の西側、東側を行き来し、アゼルバードを中間地点として物流の一画を担っているのだ。
そんな貿易の中で雇っている船員や船長たちから不確かながら、とんでもない噂が流れてきた。
それが俺の情報だという。
彼の者、大魔族を屠り、長年争っていた大陸南東の帝国と東端の王国という二大国の橋渡しをした。
彼の者、大陸中央部の軍事大国を一〇〇〇の兵力を以て調伏せしめ、王国の属国にせしめた。
彼の者、古代竜を従え、獣人の住まう土地を征服、平定した。
彼の者、救世主の再来とフソウにて認められし。
彼の者、海のニンフの支配者となり自由貿易都市の命脈を救う。
彼の者、トラリアにて大量の混沌勢を追い払いし者なり。
その噂は、全て一人の人物を謳う者だったという。
オーファンラント王国の新たな貴族だと……
「お名前までは伺っておりませんでしたが……」
余りにも荒唐無稽な噂だとは、俺も思います。
とても全部の情報が一人の男のモノとは思えませんよな。
「ですが、トリ・エンティル様を従えているという事で全てが真実だと確信致しました」
「あ、やっぱトリシアはコッチでも有名?」
「いえ、トリ・エンティルの名前は、アゼルバードあたりでは知られていません」
ほう、それなのにヴィクトールは知っているわけか。
「ケント、気付かんのか? この男は大陸東側の人間だ」
「え? そうなの?」
ヴィクトールがまたもや苦笑して声を漏らした。
「流石はトリ・エンティル様です。
左様にございます。私は、元々ブレンダ帝国の商人だったのです」
なんと、帝国人だったのか。
「ん? だった? 今も帝国人じゃないの?」
「恥ずかしながら、私は帝国から追われたのです。二〇年以上前の話にはなりますが……」
彼は帝国で商人として栄達していたが、ある事件で皇帝に睨まれて帝国から逃亡を余儀なくされる身の上になったそうだ。
皇帝ね……
その頃の皇帝は魔族が仕立て上げた偽物だったからねぇ。
「そいつは災難でしたね」
「その皇帝を偽物と見破り、帝国を救ったのが閣下だという情報が入ってきたのが去年のクシュの月の事です」
クシュの月はティエルローゼの暦で言うところの一月の事だ。
アルコーンを倒したのが二年前のイシュマル月(八月)の下旬の出来事になる。
随分前に説明したけど、ティエルローゼは一年三六五日で、クシュ、キリエル、シュリエル、ジュンディエル、アンビエル、パハ、アミエル、イシュマルという八つの月があるのだ。
やはり貿易航路で噂などの形で情報が出回るんだなぁ。
まあ、貿易商人はそういった噂などで仕入れる商品などの決定をしているんだろうから当然かもとは思うが、それにしてもよくまあ、俺の情報をそこまで集めたものだよ。
「お恥ずかしながら、私どもが雇っている船長たちは英雄譚を集めるのが大好きな輩たちでございまして……」
ふむ。
ヴィクトール本人が収集している訳ではないだろうに、良く俺たちだと解ったな。
そこが彼の侮れないところだろう。
一度耳に入れた情報は取るに足らないと判断しても完全には捨てていないところが凄い。
彼にとって帆船の船長たちは金の卵を生み出すガチョウだ。
彼らが集めてくる英雄譚を聞かされても嫌とは言えなかったんではないか。
そんな事したら機嫌を損ねられて仕事を辞められたりしそうだしな。
これまでの話から察するに結構腕のいい船長たちなのは確かだろう。
海賊やら海のニンフが出没しまくる西側の海を普通に航行しているんだからなぁ。
ただ、そんな船長たちの噂話が初めて役に立ったとヴィクトールは言う。
「よもや役に立つとは思ってもいませんでした」
「確かにね」
俺も釣られて笑ってしまった。
「その船長たちには一度会ってみたいものだね」
「おお、それは嬉しいお申し出でございます」
ヴィクトールが破顔した。
待て、何か嫌な予感が……
案の定、今、船長たちはこのセントブリーグに寄港中らしい。
久々の寄港なので後数日は彼らの接待もヴィクトールの業務の一つらしい。
「ふむう……
まあ、言った手前一度くらいは会ってもいいよ。トリシアも付き合え」
「私もか!?」
「当たり前だろう。トリシアは伝説の冒険者だろうが」
「我は?」
俺の横を歩いていたマリスが俺を見上げる。
「来るか?」
「ケントの行く所、我が行かぬでどうするのじゃ?」
「私も行くのですよ!」
「まあ、ヴィクトールさんは帝国人らしいし、船長たちも帝国の有名人は知ってるだろうな……」
アナベルも帝国周辺では有名な冒険者だ。船長たちに知られていても不思議ではない。
「それでは近いうちに彼らとの会食にご招待させて頂きます」
ヴィクトールも嬉しそうだ。
船長たちの相手をするのは大変そうだが、まあ仕方ないな。
道中、今のセントブリーグについて聞かされる。
現在、セントブリーグは、俺の予想通り戦争の準備をしているとの事。
それは他の町々が、アゼルバードの聖獣を食料確保の観点で狩ろうとしている情報が入ってきたからだそうだ。
最初は一つの町だけであったが、膨大な食料が手に入ると聞きつけて他の町々までそれに呼応してしまったという。
聖獣の保護はアゼルバード王国の政府があった頃は国是だったそうだ。
だが、その頃は聖獣の目撃例が皆無だったため、聖獣の存在は伝説と思われていたらしい。
それが一変したのは、この数年だ。
聖獣が時々見かけられるようになったのだ。
その大きさは山にも匹敵し、狩りとれば確実に数年分の食料は確保できる。
その噂に乗せられるように軍隊を組織しはじめた町は四つ。
それをどうにかして止めなければ……とヴィクトールは思った。
生まれた国ではないが、逃亡生活を余儀なくされたヴィクトールを温かく迎え入れてくれたのは滅びる寸前のアゼルバード王国に他ならない。
その恩に報いる為に身を粉にして働いてきたが、今回ばかりは命を投げ出すつもりで取り掛かっているのだという。
「聖獣はこの国の守護神ブリギーテさまの聖獣です。
それを手に掛けたとなれば、この国は早晩確実に神の怒りによって滅びます」
ここで出たよ、ブリギーデ。
行方不明の女神様だ。
ここ数年、彼の女神が行方知れずの理由ってコレじゃなかろうな?
だが、自分の配下の聖獣が無下に狩られるってのは神にとっては由々しき事態なのかな?
実際に神がいる世界だから、その辺りを本人に確認できるのが有り難いな。
まあ、この町に潜伏しているのは解ってるんだし、とっとと見つけて事情聴取はしたいところではあるね。
「戦争してまで守るってのは凄いね。
この町だけで戦いを支えられるのかな?」
「私の試算では何とか」
戦争といっても小競り合い程度だとヴィクトールは言う。
間違っても帝国と王国が長年やりあっていた戦争のような大規模には成り得ない。
そんなマンパワーはファーディヤの父と兄の戦争で消費し尽くしているっぽい。
各町の人口は数千人程度だし、そこから軍隊を組織するにしても人口が少なすぎて一つの町で一〇〇人程度の規模だそうだ。
それでも四つの町で四〇〇人は集まると思われる。
それと対峙する戦場をセントブリーグの兵で支えなければならない。
セントブリーグは、現在残ってるアゼルバードの町の中で最大の人口を誇る。
その人口はおよそ二〇〇〇〇人。
昔のトリエン地方よりも少し少ないくらいか。
それでも、滅びかけたアゼルバードという国の中では頭一つ抜きん出た人口の多さだ。
これを上手く管理できれば四〇〇人程度の軍隊を追い返すことはできるはずと彼は言う。
まあ、計算上はな。
それでも戦場では何が起こるかわからないし、経済に与える影響は計り知れない。
本当に戦争とは無益な存在だ。
リソースをすり潰す所業なのだから当たり前なのだが。
敵方のリソースだけを一方的にすり潰せたら楽なのにねぇ。
ま、ウチの手勢を使えば余裕で出来る話ですが、手を貸して良いものやら……
戦争を止めることは市民の安全を守る冒険者の仕事とも思えるけど、まだ判断を下すには情報が足りませんな。
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