第28章 ── 第14話
俺のスキルが何らかの危険を感知しているが、それがどのような危険なのかが判らない。
だがピリピリとした言いようのない感覚が全身の肌を駆け巡っている。
周囲を見回しても今のところ異常はない。ただ、外からゴウゴウと天井に風が打ち付ける音だけが響いている。
俺が警戒している様子を見て仲間たちも緊張し始める。
ファーディヤは地面にしゃがみ込んで何やら神に祈るような仕草をしていた。
トリシアが顔をしかめて口を開いた。
「何やら変な臭いがしないか?」
「どれどれ?」
マリスが周囲をクンクンと嗅ぎ回る。
「ふむ。確かに変な臭いがするのう」
他の仲間たちが臭いを嗅ぎ始めたので、俺も周囲の空気を嗅いでみた。
ほのかに刺激臭がしている気がする。
その臭いはどこかで嗅いだことある懐かしい臭いに思えた。
記憶の片隅に朧気ながら浮かび上がるイメージ。
救急箱とか薬箱とかでよく見た気がする。
ふと見ると、アナベルの髪の毛がいつもより明るい。
あんな髪の色だったっけ?
いや、こりゃぁ不味い状況だ!
「全員すぐに集まれ!」
「どうしたケント!?」
トリシアはファーディヤの腕を取り、素早く俺の近くまで来た。
「これは……毒だぞ!」
オゾンに似た臭い。過酸化水素系の薬物臭に間違いない。
消毒や漂白剤などに日常的に使われているので俺たちのような現代人なら身近で嗅いだ事がある独特な臭いだ。
たが、高濃度なら生物を容易に死に追いやることもできる劇物と言っていい。
「何でそんなモノが……」
トリシアの問いに俺も答えようはない。
外の気象がこの状況を生み出している可能性もあるが、どうしてこんな毒ガスみたいなものが発生しているのか、現状では推測が難しい。
それよりも、今はもっとやらないと不味いことがある。
俺は頭の中で魔法術式を素早く構築する。
レベルはそれほど高くなくていい。
全員が入れる程度の範囲に魔法を展開させるのだ。
「ベセス・ボレシュ・レモー・シルディス・パリエ・オノフ・エタニアラ・ヘル・ウィンディア。
風のカーテンがドーム状に俺と仲間たちを覆い、途端に刺激臭が霧散する。
「ふう。危ない危ない。
気付かなかったら全滅しかねない状況だったな」
「一体何なんです?」
アナベルが不思議そうに首を傾げる。
「過酸化水素……って言っても解らないよな。
この世界にはないと思っていたんだが……」
過酸化水素が何かに反応して発生したのだろうか。
俺は自分の黒い髪を一本抜いて、魔法の範囲外にそっと出してみる。
仲間たちも興味深げに俺のやっていることを見ている。
魔法範囲外に出した髪の毛が、みるみる内に脱色されて茶色になっていく、そして僅か数分で白っぽくなった。
髪の毛の脱色具合から推測するに過炭酸ナトリウムかもしれん。
「色が抜けましたね。
白い繊維を作るのに役に立ちそうです」
アラクネイアよ。
狙いは悪くないが、こんな強力な脱色効果だと作業中に死ぬよ。
「でも身体に悪そうな感じがします!」
「確かにのう。色が抜けていくとはどんな魔力の効果なんじゃ?」
「んー、前にも言ったかもしれないけど、これは魔法とかそういうモンじゃないんだよ。化学という分野の効果だ」
化学反応とか反応式を説明しても理解してもらうのは無理だろうな……
壁に
だとするなら、水に溶けて炭酸ナトリウムと過酸化水素に分離していることだろう。
臭いや髪の毛の脱色実験などから判断すると、この砂漠を構成する砂の中には過炭酸ナトリウムが多量に含まれている可能性が高いと判断できる。
過炭酸ナトリウムや過酸化水素の漂白効果は繊維や衣類の脱色に非常に優秀な物質だ。
大量に採取して漂白剤を作ったらシンジが喜びそうなネタではある。
他にも殺菌剤として利用も可能だ。
魔法という高価な医療を受けられない人々に普及させれば、医者が大いに喜びそうではあるな。
殺菌処理が難しいこの地なら革命的な薬品になるかもしれないね。
ただ、この砂漠は人が生きていくには非常に危険だということが実感できた。
どうしてこんな物質が砂に含まれているのかは判らないが、俺の仮説では砂嵐とともに起こっていた放電現象、いわゆる「雷」にて空中で何らかの化学反応が起きたと思われる。
雷によって酸化物が生成されるという話は化学雑誌に載ってたのを読んだことがあるし、過酸化水素に代表される酸化物が自然発生することは大いに考えられる。
まったく厄介な砂漠だなぁ、おい。
見ればファーディヤが泣きそうな顔でトリシアの腕から逃れようとしていた。
「わ、私のせいです! 私が呪われているから!」
ジタバタするファーディヤをトリシアはアダマンチウムの義手で逃さない。
「落ち着け。お前の所為だとしてもここには誰もお前を責める者はいない」
「いやいや、君の所為じゃないだろう。これは自然現象だと思うよ」
俺は簡単な説明をした。
雷を伴う砂嵐によって人間というか生物には少々危険な物質が沢山砂漠の上に降り積もってしまった。
アーネンエルベが消滅したのは数千年前だと言うし、その頃から砂漠だったとすると相当な量の劇物が累積しているだろう。
そこに俺たちが水分を振りまいた。
ま、結果はこのザマです。
現代人の知識を持つ俺たちだから助かったとも言えるが、マッチポンプですな。
こういった化学知識を持っていない者がやらかしたら多分死んでる。
なるほど、こんな結果になるから誰も遺跡を発掘しに砂漠に出ないんだろうね。理解しました。
「ほ、本当に私の所為では……」
「魔法で砂を湿らせた程度でこの毒性。
君が生まれる前から蓄積してなきゃ無理だね。
という事は君のせいじゃないってことだろ?」
俺の慰めでファーディヤがようやく大人しくなった。
まあ、俺の直感では無関係じゃないんだけどね。
今回の砂嵐の発生は多分ファーディヤが関係しているんじゃないかな。
確率的に彼女の周囲には不幸が集まりすぎてるし、それが神々の呪いと言われる所以だろうしね。
だが、そんな事を口走って彼女に絶望を与える必要はないと思うわけ。
何らかの窮地が襲ってきたとしても、俺たちならそれに対処するだけの力あるし、不幸が集まるメカニズムを解き明かして、彼女を不幸から解放してやらないといけない。
神々のやらかしに対するせめてもの詫びにな。
しばらくすると、強烈な砂嵐は何処かへと去っていった。
入り口にカーテンのように垂れ下げておいた幌布をめくってみると、そこは砂の壁だった。
「ありゃ。入り口が砂嵐で埋まっちまったよ」
俺の言葉にまたファーディヤがオロオロしながらも、俺の能天気な声色に彼女は心配そうな顔で覗き込んできた。
「貴方様はどうしてそんなに落ち着いていられるのでしょうか。
砂に埋まってしまったのというのに……」
それを聞いたマリスとアナベルが顔を見合わせて吹き出した。
あっちではハリスまで腹を抱えて笑っている。
突然の爆笑にファーディヤは仲間たちを見回して困り顔になった。
「な、何で笑われているのでしょうか……?」
笑うのを堪えていたトリシアが耐えられなくなって笑い声を上げた。
ファーディヤを抑えていた腕も緩み、ようやく彼女は自由になった。
「やれやれ、そこな人間の小娘よ。
我が主様を侮り過ぎであるぞ」
アラクネイアが、扇子のようなモノを取り出してビシリとファーディヤに突きつけた。
砂漠に行くと聞いて暑そうだから用意しておいたのかな?
「アラネアの言う通りです。
我らの主様にとって、この程度のことなど危機ですらありません」
「左様左様。我が主に危機など訪れようもない」
魔族三人衆が偉そうに言ってますが、そんな事はありません。
今回の件もちょっとヒヤリとしましたよ。
ただ、毒性のある気体が発生した程度なので、エアカーテンとかシェルターみたいな魔法を使う程度で防御できたってだけですしな。
まあ、魔法がなかったらマジで危なかったと思うよ。
ハンマール王国の地下深くの毒素渦巻く坑道で使った濾過マスク程度では危なかった気もするし。
「ま、埋まったなら掘ればいいしね。人力なら難しいかもしれないけど、
魔法なら簡単。
無詠唱で土系魔法
ただ、
それなら魔法を連射すればいいじゃない。
と、普通の人には無理な事を平気でするのが俺なのだ。
「
その所業を見ていたファーディヤはポカーンと大口を開けて、まん丸の目をしていた。
「言ったろう? ケントに任せておけば、あの程度は何の危機でもない」
フッと不敵に笑うトリシアにファーディヤが苦笑気味に応えた。
そうそう。女の子は笑顔が一番ですよ。
まだ眉間にシワがあるけどな。
そのシワが取れるように手助けするのも冒険者ケントの努めじゃないか?
ちょっと格好付けすぎですかね?
ま、善行は一日ではならず。
手堅く一歩一歩行きましょうか。
冒険者という肩書には似合わない?
いやいや、冒険者だからこそ慎重に事を進め、無謀な冒険を犯さないのが冒険者なのだよ。
それなのに何で「冒険者」っていうのかは謎ですな。
冒険を犯す者を「冒険者」って言うんじゃないんだね。
反面教師的な感じなのかな?
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