第27章 ── 第49話

 大祭前の多忙な日々の中、館に滞在中の貴族たちとの会談が頻繁に行われた。


 大貴族三人との会談は毎度の事なので省くが、例の園遊会において新たに縁を結んだエドモンダール派閥の貴族と話す機会が増えた。


 これら会談はトリエンの産物の商取引についてが主な内容で、税率や手数料、物品の取引量など、貿易に関わる様々な事柄も話し合われた。


 エドモンダールとのやり取りで、トリエン産の絹織物製品の海外輸出事業をエドモンダール関連の貴族たちと行う事が決まった。

 国内流通は含まれないものの、シンジのデザインしたブランド商品の海外展開をエドモンダールが独占するって契約だ。


 トリエンは、その見返りとして北部の少都市連合との商取引における租税免除、少都市連合に所属する近隣都市町村で産出される物品の優先的な買付けの権利を獲得する。

 優先的と付けられているけど、全部買い占めていいという契約は勿論なく、毎年慣例的に取引されている物量から溢れた余剰分を対象としたものだ。


 さすがに少都市周辺の住人たちが消費する分まで買い取れるようにしてしまったら北部の少都市が瓦解してしまいますからな。

 そんな生殺与奪を握る権利は欲しくありません。


 ただ、これによってトリエンが主張すれば、少都市連合外の都市町村が買い付けようとする物品のシェアを奪うことが可能となった。

 これは商取引をコントロールする権利を手に入れたと言えるのだ。


 絹織物の海外展開なんて面倒な事業を押し付けた挙げ句、欲しい商品を買い付けられる権利なんて濡れ手に粟じゃん?

 あまりにも美味し過ぎるので、一応契約の履行期限を今年のブリストル大祭から一〇年と決めておいた。


 一〇年後にエドモンダール派が契約の更新を求めれば再度話し合うという条項も入れてやったよ。

 こちらが更新したい意思があってもエドモンダール派が拒否すれば契約はそこで終了するわけだ。


 こっちが有利すぎたのでコレくらいの不利な条項は必要かなと。

 欲張りすぎると恨みを買いそうだしね。


 ちなみに、エドモンダール派閥の少都市連合が産出する物品として俺が目をつけているのは皮革製品だ。

 これは原材料としての皮革を含む。

 少都市連合の皮革の出荷量は、オーファンラントの皮革原材料の六割を占めており、うちの工房で使っている皮革の殆どが少都市近辺の皮革だったりする。

 非常に良質の皮革なので普段遣いにも武器や防具の内張りに使うにしても大変重宝する。


 他にも金属原料なども抑えておきたい。

 トリエンには金属鉱石を採掘できる鉱山が一つもない事が最大のネックになっている。

 鉄鉱石などの原料はほぼ一〇〇%が輸入に頼っているのが現状なので、今回の契約は大いに利用できるだろう。

 北部小都市連合はワイバーンが生息する山脈が北にあるので、金属採掘を主とした鉱山町が複数あるんだよ。


 皮革と鉄などの金属鉱石を優先的に手に入れられるのはトリエンとしては相当美味しいわけ。


 この契約の情報がエドモンダール派の貴族からモーリシャス派の貴族へと漏れた。


 その結果、俺はハッセルフ侯爵からの面会要請を受ける事になった。

 さすがに大貴族からの面会の申し込みは断ることも出来ずに会うことになってしまった。


「旦那様、モーリシャス領主ハッセルフ侯爵閣下がお見えでございます」

「通してくれ」


 本来なら大貴族のハッセルフ侯爵に俺が会いに行くのが順当なのだが、あっちから攻めてきたわけです。

 こりゃ相当イライラしてるって事ですか。


 リヒャルトさんと執務室へ入ってきた人物は見た目は三〇歳くらいの赤毛の紳士だった。

 優しげな目元、微笑んだように見える口元などから、柔和そうに見えるが、目の輝きには鋭いモノを感じる。


 俺は椅子から立ち上がると、ハッセルフ侯爵に歩み寄った。


「ようこそおいで下さいました。ケント・クサナギ・デ・トリエン辺境伯でございます」

「レオン・ハッセルフ・デ・モーリシャス侯爵と申す。急な面会の申し込みにも関わらず席を設けてもらい感謝したい」


 ハッセルフ侯爵が右手を差し出したので俺はその手を握った。


 ハッセルフの油断ない視線が俺に注がれ、非常に居心地が悪い。


「ささ、お座り下さい」

「うむ」


 俺はハッセルフにソファを勧め座らせる。


「で、今回のご用件ですが……」

「君のトリエンは北部の少都市たちと商取引における契約を交わしたと聞く」

「はい。その通りです」

「例のシルクという珍しい布織物を独占的に扱わせるつもりだとか」

「独占といってもオーファンラントからの海外へ輸出する分だけですが?」


 ハッセルフ侯爵は片眉を上げてジロリと俺を睨む。


「君は解っとらんな」

「はあ……」

「エドモンダールは、元グリンゼール公国の貴族だ」

「存じております」

「オーファンラントにおける海上航路は我がモーリシャスのみだ」

「それも存じておりますが」

「グリンゼールとモーリシャスは競合した勢力なのだ。

 なぜ他国を利するような事をするのかね?」

「はあ……」


 俺は生返事しか出来なかった。


 グリンゼール公国は元々オーファンラント王国の王家から分離した貴族が起こした国だ。

 オーファンラント王国に承認された事で国を名乗れる衛星国家と言えよう。

 そんな国を敵視する理由が解らない。


「ハッセルフ侯爵閣下。グリンゼールの公王は、我が国の国王陛下とご親戚関係にあらせられますが、そう敵視する理由をお聞かせ下さい」


 質問が返ってくると思わなかったのか、ハッセルフ侯爵がピキリと固まる。


「わ、我がモーリシャスは王国唯一の貿易港なのだぞ?」

「ええ、そうですね。

 唯一の海上貿易航路だとは聞いております」

「海上貿易航路を殆ど持たなかったオーファンラントは、長きに渡りグリンゼールの貿易港に頼ってきた。

 それにより海外交易品の価格操作をグリンゼールに牛耳られてきたのだ。

 我が父の努力によって、海外との直接交易が可能になった現在、何故グリンゼールに有益な契約を結んだのかが問題なのだ!」

「絹織物だけなんですけど?」

「知っている。

 あの園遊会で披露してくれた絹織物は素晴らしい。間違いなく他国も巻き込む流行りとなるだろう。

 それが意味する事を貴殿は解らないのかね?」

「いや、解りません」


 俺が素直にそう言った所為で、ハッセルフ侯爵は言葉に詰まった。


「そもそもモーリシャスの貿易港は絹織物程度で揺らぐ細い貿易航路なんですかね?」


 俺は黒板をインベントリ・バッグから取り出して設置する。


 そこに今回の契約が効力を発揮した場合に暫定的な貿易金額などを書き込む。


「我がトリエンにおいて現状、絹織物を生産できる業者は一つしかありません。

 よってモーリシャスという貿易港が生み出す莫大な利益を脅かすような金額を動かすことはエドモンダール派にはできないでしょう」


 具体的な数字を示され、ハッセルフ侯爵は肩の力を抜いた。


 契約内容を漏らしたエドモンダール派の貴族が、誇張気味に吹き込んだんだろうと俺は思う。


 そもそもシンジの店でしか絹織物を加工できてないのに、どうやって莫大な利益を生めると思っているのか。

 多くても年間金貨数一〇〇〇〇枚行くか行かないかってところだろう。そこから経費などを差し引いたら大した儲けとは言えない。


 それに比べてモーリシャスにおける海上交易路が生み出す利益は計り知れない。年間白金貨で数万枚とかいう規模じゃないか?


「絹織物で莫大な利益を生む為には、絹織物を加工できる業者を増やさねばなりません。

 だが、絹織物を加工できる技術を持った人間は皆無です。

 それに絹織物はトリエンのみで生産されているものではなく、世界樹の森たる中央森林が原産国で大陸中央や大陸西方においても少量ながら出回っております」


 俺は絹織物の世界規模での現状をハッセルフ侯爵に教えてやる。


「確かに加工技術としてはトリエンが世界で最も優れていると自負しておりますが、大量生産の目処が立っていない以上、大きな利益は望めないでしょうね」


 ハッセルフ侯爵は先程とは打って変わって静かになっている。

 貴族間の曖昧な噂に踊らされて感情的になっただけなんだろうな。


「申し訳ない。どうもこれから流行るであろう品を独占されたと聞いて熱くなっていたようだ」

「ええ、そのようですね」


 俺はフォローの一言もなく肯定した。


 モーリシャスは今回の件みたいに「魔法の蛇口」という市場をほぼ独占している立場にある。

 そんな立場で、俺とエドモンダール派との契約に文句を言ってくるなんてお門違いもいいところだ。


 エマードソン商会には、蛇口の価格の変動を管理できる程の在庫を渡してあるし、こっちの件の方が他の商人たちに突っ込まれたら説明できない話なんだよ。完全に癒着案件だからね。


 その点、今回の契約に関しては、の絹織物の流通は他の派閥であろうと誰であろうと自由だ。

 そもそもシルク布やシルク製の衣服等は他の地域でも流通してるからな。


 シンジ・ブランドの海外取引が駄目なのであって、布地の海外輸出を誰がやっても文句は出ない仕組みって事だよ。


 詐欺みたいな話だが、そこを理解していないと今回のハッセルフみたいな誤解をすることになるのだ。


 ま、シンジの店の製品と同等のモノはアラクネーにも作れないので、エドモンダールに文句をつけられる心配も無いんだけど。


「私の誤解で言い掛かりを付け、君に迷惑を掛けた。

 後で正式に謝罪の機会を儲けたいが、よろしいだろうか?」

「不要です」

「そこを何とか……」


 どうやら俺の面子を傷つけたと思っているようで、かなり焦っているな。


「いや、侯爵閣下は、俺が怒っているとか思っているようですが、そんな事はありませんのでご安心を。

 今回の件で、エマードソン伯爵殿の商会との取引を縮小するつもりもありませんし」


 ハッセルフ侯爵の顔がパッと明るくなる。


「実際、蛇口だけでなく魔法道具全般を一般流通に乗せるためには閣下の家臣であるエマードソン伯爵殿の手腕が必要です。

 魔法道具は高価過ぎて、一般的な商人が扱うのはなかなに難しいんですよね。やはり商人貴族の肩書きは伊達じゃありませんね」


 都市用魔法道具などの行政機関との直接取り引きを基盤とした商品ならともかく、ポーション類などの錬金商品、武具などの魔法道具を大量に市場に放出する手段が現在のトリエンにはない。

 前領主代行が起こした反逆事件で、トリエンの大商人たちを粛清してしまった影響がここに出ている。

 大商いには資金面だけでなく商人同士の繋がりもかなり重要なんだよね。


 そんな事情でモーリシャス派閥とは今後も持ちつ持たれつの関係を維持しておきたいのだ。


「ふ、ふむ……なるほど。エマードソンは役に立っているようだな?」

「彼がいなかったら、我がトリエンの魔法道具を流通させるのは難しかったでしょう。本当にありがたい事です」


 主導権は握りつつ、相手の自尊心を刺激しておく。


「ところで、侯爵閣下」

「ん? 何だね?」

「モーリシャスの港は大変大きいそうですが」

「うむ。大きさだけなら帝国の貿易港アドリアーナにも負けぬぞ」

「貿易だけでなく漁業などもされているのでしょうか?」

「元は漁港だったから漁業もしてはいる。助成金は出しておらんから、規模は昔よりは小さくなったと思うが」


 なんと勿体ない……


 現在、トリエンはカートンケイルの南に作った商業特区ケントズゲートでのみ水産資源の買付をしている。

 ニンフたちの協力があっての事だが、やはり淡水圏で海水魚を扱うのは無理が大きい。

 できればモーリシャスの協力を仰ぎたいのだが……


「閣下、現在トリエンでは海水魚を扱う港を求めています」

「海水魚?」

「ええ。海の魚です。

 今は海のニンフと沼のニンフの協力で、南のケントズゲートで水揚げを行っておりますが、やはり海水魚が淡水に触れるのは微妙なところがあります」

「塩が抜けるからな。鮮度の問題だろう」

「その通りです」


 やはり海に面した領地の支配者だけはあるな。


「辺境伯殿、貴殿は海の魚の安定確保の為、我が貿易港の一部に海の魚の水揚げ場が欲しい。そう言いたいのか?」

「ご明察ですね。その通りです」

「ふむ……」


 ハッセルフ侯爵の目が計算高い者になる。


「協力するのは吝かではないが……こちらの利益になる提案をしてもらえると有り難い」


 ふむ……良いだろう。

 魚介類のためにもある程度の出費は覚悟の上だ。


「では、魔法工房が作る魔法道具を扱う権利を拡大しましょう。

 製造した製品の半分をエマードソン商会扱いとして市場に出すというのでは如何ですか?」

「半分も扱わせてくれるのかね?」

「ええ、構いません。

 ただ、これは一般流通に乗せる既製品だけです。

 オーダーメイドの魔法道具等、直接発注されるモノは含まれません」

「良かろう。水揚げ場を作る土地は手配しておこう」

「助かります。そこの開発費用はこちらで持ちますので」

「うむ」


 契約書をその場で羊皮紙に認めて契約を交わす。

 蝋によって押印を施し、契約は完了だ。


「いい取引が出来ました。今後ともよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく頼む」


 俺はハッセルフ侯爵とガッチリと握手を交わした。


 まさにWin-Winの関係を築けたかも。


 ただ、俺は後で問題が起きる気がする。

 一応、契約書にはしっかり書いておいたのだが、ハッセルフ侯爵がそこにちゃんと目を通したか確証がない。

 エマードソンあたりにハッセルフ侯爵は突っ込まれるかもしれないが。


 え? 何の話をしてるって?

 これから整備する水揚げ場は、ウチの手の者しか利用できないのだ。

 そこで扱われる水産物は全部俺のモノって事さ。


 ま、押印を押して両者が合意した以上、契約は覆らないんだけどね。

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