第27章 ── 幕間 ── エマ・マクスウェル

 エマは出された食事を終えてテーブルの端へ食器を押しやる。


「ご馳走様」


 食器をカートに片付ける給仕に「ご馳走様」と言ったのは強烈な皮肉なのだが、給仕は気づきもしない。


 今回の食事は妙に冷めていて美味しくない度合いを一際感じていた。

 今まで出てきた食事は美味しくはなくても、ちゃんと作りたてで湯気が立っていたのだが。


 エマはこの微妙な変化にしっかり気づいた。


 何か起こっているんじゃないかしら?


 エマの予想通り近衛隊によるトスカトーレ派への襲撃が午後から始まっていたのだが、彼女に与えられている情報では知る由もない。


 誘拐されてから今までで三人の貴族がエマの説得を試みに来た。


 最初の貴族は立派な研究室を。

 ある貴族は多大な報酬を。

 別の貴族は爵位の陞爵しょうしゃくを。


 研究室については鼻で笑うしかない。

 今いるここがその立派で豪勢な研究室なのだ。

 パリトンと名乗ったその貴族は、研究室の豪華さや立派な設備を自慢しにきただけにしか思えない。


 一番笑ったのは「この研究室を自由に使っていい権限を与えよう」と言われたときだ。


 さすがのエマも盛大に噴き出した。


「何を言ってるの? バカなのかしら?

 機材も資料も……数だけでなく質ですら全く太刀打ちできてないわ。

 ケントの工房に比べたら、石ころとスター・エメラルドの差があるわよ。

 ココで魔法道具や錬金薬を作れというけれど材料は?

 そこにある鉄のインゴットで作れと?

 魔力は鉄と反発するって基礎知識もないなんて脳みそがミジンコのレベルなのかしら。

 じゃあ錬金素材は?

 全く見当たらないけど。錬金術は魔力も使うけど素材がなければ一滴も錬成できないのだけれど。

 もうバカを通りこして人類種には理解できない異世界の海に住む原始生物なのかしら?

 そもそも私は錬金の方には手を出してないわよ。

 ドヤ顔で言われても共感も同意もできないし、私なら誇るどころか、恥じて自殺するレベルだわ」


 エマは早口で一気にまくし立てた。

 あまりの剣幕と毒舌にパリトンと名乗った貴族は顔を真っ赤にして部屋を出ていった。

 ドアを乱暴に閉める程度だったことにエマは驚いたが、その辺りから育ちは悪くないんだろう。


 次に来た貴族はブルックドルフと名乗った。

 エマの記憶にもある名門貴族の家名だった。


 この貴族は非常に上から目線で、エマの給料を問いただしてきた。

 面倒だし秘密でもないので「銀貨八枚だけど?」と教えてやるとブルックドルフは一瞬目を剥いたが瞬時に表情を戻した。

 そして「では我々は銀貨一〇枚出そう」と言った。「要は白金貨一枚ね」と返すと「破格の提示であろう」と踏ん反り返ったので「話にならないわね」とエマは言ってやった。


「本当にバカの集まりなのかしら?

 報酬が良いからとココでの研究開発を同意したとして、私にあるメリットは銀貨二枚分の上乗せだけなの?

 材料もなければ設備も資料もお粗末なのだけれど?

 これでケントの工房での仕事内容と同じ程度の事をしろっていうの?

 バカも休み休み言いなさい。

 ここじゃ下級魔法の魔力を宿した棒キレ一本すら作れないわよ。

 言ってる意味解らない?

 もしかして東方語を理解できない西方の国の方なの?

 ウェスデルフの獣人族でももう少し人の言葉を理解するわよ?

 人がお金で動くと思ったら大間違い。

 白金貨一枚程度の賃金で私を寝返らせる事ができると思ってるのなら、古参の名門貴族も大したことないわね。

 そもそも私は今、お金に困ってないの。

 ケントが王様に申し上げてくれて、マクスウェル男爵家が持っていた財産分くらいの金額を賠償して頂いたから。

 その財産が倍になるくらいは頂かないと。金額? 白金貨で五〇〇〇くらいかしら?

 え? 白金貨五〇〇〇枚に驚いてるの?

 本当に呆れるわね。ケントが工房で使えるように用意してくれている材料や資料、設備、研究費なんかを考えたら白金貨で数百万枚くらいの価値になるわよ?」


 ブルックドルフはエマの暴言に「なっ!?」とか「うっ!」とか言うばかりで反論もできずに涙目になり部屋を出ていった。


 最後に来た貴族はラーヒルトと名乗った。

 ラーヒルトという名前に少々エマは怯んだ。

 マクスウェル男爵家を襲った貴族の名前がラーヒルト伯爵家に名を連ねる貴族だったからだ。


 この貴族はエマを「男爵から子爵にしてやろう」と陞爵しょうしゃくを提案してきた。

 普通の貧乏男爵家の者なら泣いて喜ぶ提案かもしれない。

 子爵なら最下級ながらも門閥貴族の仲間入りだ。


 男爵という爵位は貴族といえども木っ端貴族扱いされる事も多いだけに、王家や王国に対して相当の功績を挙げねば爵位が上がることなんてない。

 叔母であるシャーリー・エイジェルステッドが「子爵」という貴族位を賜ったのだって、魔法道具の量産において王国に多大な貢献をしたからだ。


 そんな貴族社会なので陞爵しょうしゃくをチラつかせれば大抵の下級貴族は籠絡できると思っているのだろう。

 だが、エマは何も知らない只の貴族の令嬢でなかった。


「貴方って王族の方? 違うわよね?

 だったら、バカも休み休み言いなさい。

 今の発言だと自分は王族だと言ってるのと変わらないのよ?

 理解できてる?

 理解できてないと貴族社会で生きていくのは大変で困るでしょうから教えておいてあげるわ。

 あのね、『陞爵しょうしゃく』って言うのはね。王族、それも国王陛下の裁可なくしてされないの。

 陞爵しょうしゃくしてあげようなんて、王族でもない貴族が言ったら笑われるの。

 私の記憶が確かならラーヒルト家って伯爵家でしょう?

 何十年も前から伯爵号のままなのかを考えてみて?

 陞爵しょうしゃくって簡単じゃないのよ?

 物凄い実績や功績が必要なの。

 国の存亡に関わるような事件を解決したり、今までの生活のレベルをひっくり返すような発明をしたりね。

 伯爵号を持つ大貴族がそんな事も知らないなんて事はないでしょうから、貴方たちって貴族の名を騙る盗賊か、はたまた山賊か何かなんじゃない?

 もし偽物じゃなかったらお先真っ暗よ。

 だって貴族の常識を知らなすぎるんですもの」


 マシンガンのごとく浴びせられる罵声に何故かラーヒルトが恍惚の表情をしているのが非常に気持ち悪い。


 ラーヒルトは「私は諦めない。其方はきっと私たちの仲間にしてみせるからな」などと嘯きつつ退室していった。


 エマは三人の貴族の事を思い起こして溜息を吐く。


 こんなのが大貴族やら名門貴族と自称しているとなるとオーファンラント王国の行く末が心配になってしまう。

 エマの父親が散々言っていた。


「民衆の支配者たる貴族は、その地位に恥じない品性と教養持たねばならぬ」


 それに付け加えるとしたら「力」かもしれない。

 マクスウェル男爵家はその「力」がなくて滅びるところだったからだ。


 エマはケントという「力」の象徴みたいな人物に出会い、その事を実感した。


 ケントの単純な腕力はドラゴンをも凌ぎ、魔力すら神に認められている。

 まさに全ての「力」において世界最高峰の男だ。

 伴侶にするならケントしかいないとエマは思っているが、ライバルが多すぎて中々歩を進められていない。

 あれだけの男なのだから当然とはいえるが、だからと言って諦めきれない。


 だからエマは必死に魔法付与の力を磨き、そして魔法使いスペル・キャスターとしての訓練もしてきた。

 まだまだだけど、たった二年足らずでレベル五〇を越えることができた。

 あのシャーリーやトリシアですら不可能だった速度で。


 もっと頑張って「食いしん坊三姉妹」に追いつかなくちゃ!

 私も食いしん坊チーム入りしている気もするけど。


 などと下げられていくお皿を眺めつつエマは思っていた。

 昔の自分では気にならないほどの食事の変化に気づくレベルで「食いしん坊」になっている。

 これもケントの所為かもしれない。


 ケントが発案し作り出す料理は本当に美味しいから。

 ケントの料理を味わえば、料理の神ですら虜になるのだから。


 私が「食いしん坊」になっちゃうのも仕方ないわね。


 エマは自分に言い訳しつつハンカチで口の周りを拭った。


 直ぐに食後のお茶が出てきたので口に運んで一口飲む。


 お茶だけは高級なのよね……


 味も香りもケントの館で出てくるお茶よりも良い。


 食事も終わり読書でもしようと本棚を物色しているとノックの音がして扉が開いた。


 エマが振り返ると鷲鼻のヒョロリとした背の高い貴族が、前に来た三人の貴族を引き連れて入ってくるのが見えた。


「エマ・マクスウェル女爵殿ですな?」


 鷲鼻の貴族は友好そうな笑顔でそう言うと、エマに近づき手を差し出してくる。

 エマはその手を見たけど無視した。


「どなた? そこにいる偽物貴族たちの頭目の人かしら?」


 そう言われて鷲鼻の貴族は一瞬で不機嫌そうな表情に変わる。


「私はトスカトーレ。ハミエル・トスカトーレ侯爵だ」


 やっぱり……


 エマはトスカトーレ侯爵を油断なく見据える。


「ああ、トスカトーレ派閥の旗頭なの。

 貴方、王国最大と言われる派閥の頭目だというのに、こんな貴族の出来損ないみたいな配下しかいないの?」


 トスカトーレは冷たい視線でエマをジッと見つめる。


「聞きしに勝る毒舌家だな、女爵。

 私にそんな口を聞く者は寡聞にして知らぬ……いや、一人いたな」


 トスカトーレは苦虫を噛み潰したような顔になった。


「クサナギ辺境伯と言った者だが、彼奴の部下たる君も似た減らず口なのだろう」


 ケントに似ていると言われエマは嬉しくなりニッコリと笑う。


「お褒め頂き光栄ですわ、侯爵閣下」


 エマは皮肉ではなく本心でそう言ったのだが、トスカトーレには痛烈な皮肉返しに聞こえたようだ。

 猛烈な平手打ちがエマに襲いかかってきた。


 しかし、エマはそれをスッとかわした。

 今のエマにとって貴族といえど一般人の攻撃など止まって見えるのだ。


 平手打ちを避けられトスカトーレはますます血を頭に上らせた。


 その右手が腰に下げられていた細剣レイピアの柄に伸びる。

 それを見て後ろに控えていた貴族たちが慌てたように止めに入った。


「閣下、それはいけません」

「そうです。それでは人質の意味をなさなくなります」

「ここは私たちの顔に免じて、ご寛恕を!」


 エマは貧乏男爵家の小娘なので品もなければ口の聞き方も知らないだとか、冒険者あがりの平民あがりの部下程度とか、侮辱にも程がある言葉を並べ立てられ、トスカトーレはようやく落ち着いた。


 トスカトーレは「ふんっ!」と鼻を鳴らして剣の柄から手を離す。


 だが、逆にエマの機嫌が急降下を始める。


 自分を「貧乏貴族の小娘」と貶められるのはいい。

 実際にそうだったし痛痒も感じない。

 だが、ケントをバカにするのは許せない。


 ケントは目の前にいるクソ貴族たちなどと比べようもない素晴らしい男なのだ。

 自分が認めた男を貶される事が、己の逆鱗に触れるなどとエマは全く知らなかった。

 今まで自重してきたが、こいつらを火炙り……いや、爆殺したくて堪らなくなってくる。


「それよりも侯爵、お早く……」

「む、そうであったな」


 怒髪天を衝くの状態だったエマだが、バカ貴族たちのセリフはしっかり耳に入ってきていた。


「女爵、君には人質になってもらうことにした。

 研究員の仕事はお預けだ」

「なに……? どういうこと?」


 エマは怒りで目に入る光景が真っ赤に見えるほどだったが、意識の半分は氷のように冷静だ。


「君を人質に他国へ亡命することになったのだよ。

 これも辺境伯などという成り上がりの所為だ。全くもって業腹な事、この上ない」


 アホ貴族が亡命?

 やはりケントたちが動き出したようね。

 となると国王陛下もケントの為に動き出したということね。

 私を人質にして国外逃亡とか……本当に頭が悪いわ。

 今の王国はケントの力を背景として強大な力を持つ国家だし、他国が亡命者の保護を良しとしてくれるとは思えないんだけど。


 ますますもってバカ貴族たちは先が見えていない。


「お断りするわ」


 エマがそういうとトスカトーレが再びジロリと冷たい視線をエマに向けた。


「君に断る事はできない。君は従うしか無いのだよ」


 そう言うとトスカトーレは指をパチンと鳴らす。

 開いたままの扉の外から控えていたらしい私兵たちがやってくる。


「君は我々と一緒に来るのだよ」


 ニヤッと嫌らしく笑うトスカトーレをエマはもう見たくなかった。

 一秒でも早く排除したくて堪らない。


 エマは身体を巡る魔力を操作して手の平に集まるように動かし始めた。

 必殺技を披露するのがケントの前じゃないのだけがエマの心残りだ。


 その時だった。


──ズズーン……


 地の底が微妙に揺れる感覚と共に低い爆発音が地下にまで聞こえてきた。


 始まったわね。ケントが来たんだわ!


 エマはこの地下に捕らわれてから初めて満面の笑顔になった。

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