第27章 ── 幕間 ── ロッテル子爵とメイナード子爵

 ケントの指示の下、陣営の貴族たちは動き出す。


 ロッテル子爵が颯爽と廊下を歩いていると、顔見知りの貴族が話しかけてきた。


「これはこれは、ロッテル子爵殿」

「やあ、エイブル男爵。ご機嫌は如何かな?」


 エイブル男爵と呼ばれた男は、唐突に右手で隠した口をロッテルの耳元に寄せてくる。


「噂が流れているのですが……

 ロッテル子爵殿がクサナギ辺境伯殿に下ったと……

 それは真にござりましょうか……?」


 ロッテルはエイブル男爵を前にしつつ、周囲を見回し無派閥系の貴族家の者たちばかりが近くにいる事に気づいた。

 そして、自分がクサナギ辺境伯の陣営に入った事が、この無派閥貴族たちの間で素早く拡散した事にも思い当たる。


 ロッテルは心の中で溜息を吐きつつ、ここで自分の立場を公表しておくのも悪くないと彼は思った。


「ああ、その事ですか。真でございますな。

 何分、我が愚息も彼の陣営の軍で部隊指揮官をしておりますので」


 そう聞かされたエイブル男爵はピキリと顔が固まる。


「貴方様は我ら無派閥貴族の旗頭だと私は長年思っておったのですが……」

「私を担ぎ上げれば、それは既に無派閥ではありますまい。

 それに、オーファンラントを支える貴族間で派閥争いなど無意味だと私は思っております。

 クサナギ辺境伯閣下は、その辺りをよく解っていらっしゃる。

 貴殿も良く考えた方がよろしかろう。

 今後、派閥間闘争など無くなる事になり申す」


 何人かの無派閥貴族が、ロッテルとエイブルの会話に耳をそばだてている。


 ロッテルは良い機会とばかりに、声のトーンを少し上げる。


「我ら貴族が政争に明け暮れ、結果王国の国力を削いでは意味ないこと。

 国王の名の元に力を結集させておくことこそ、他国への睨みを聞かせ、周辺地域を安定させると、我が旗頭たるクサナギ辺境伯閣下は考えていらっしゃる。

 悪戯に騒乱を起こすトスカトーレ派閥など、風前の灯と言わざるを得ませんな」


 会話の中心にいるエイブル男爵は真っ青な顔をして周囲をキョロキョロと窺う。

 周囲にいた無派閥貴族も同様だ。


「お声を低くしてください子爵殿……トスカトーレの者に聞かれては……」

「構いません。

 トスカトーレ派閥のブルックドルフ伯爵の手の者が、現在、辺境伯閣下の陣営に所属するシャーテンブルク子爵の邸宅を襲っているという報告を受けました」

「な、なんですと……?」

「今、辺境伯閣下はその者たちの撃退に向かわれました。襲撃犯は間もなく捕まる事でしょう。

 そうなれば、陛下のご裁断が下ることになり申す」


 エイブルは青い顔ながら、その目にキラリと光を宿す。


「貴殿も知っておられるはずだ。

 一年前の年始めの日、陛下が我らに仰られた事を。

 陛下はこう仰られた」


 ロッテルはあの日聞いた国王の言葉を周囲にも聞こえるように出来るだけ正確に口にする。


「貴族たちの競争に反対はせぬが、陰謀や謀殺によってそれらがなされることは貴族たちの恥と考えると」


 そしてロッテルは核心部分となる国王の言葉を強調した。


「陛下はその時こうも仰られた。余を軽んずるものには厳罰を以て当たると」


 ロッテルは、エイブルだけでなく周囲の貴族にも視線を向けて演説した。


「辺境伯閣下の暗殺未遂事件を起こしたロスリング伯爵がどのような最後を遂げたかは記憶に新しい。

 その暗殺未遂事件だが……新事実が耳に入りましてな。

 情報によれば、ロスリング伯爵をトスカトーレの者が焚き付けたという話が出てきたようですぞ。

 今起きているトスカトーレによる辺境伯陣営貴族家邸宅への襲撃事件と併わせて考えると、小さい疑惑というわけにはとてもとても参りますまい」


 ロッテルによる告発は衝撃的内容だった。

 周囲の貴族は動揺したが、ロッテルから発せられる言葉が嘘だと断じるものは皆無だった。


 ロッテル子爵は王国剣術の宗家当主であり、その言葉には貴族位以上の力があったのだ。

 品行方正、謹厳実直。

 王国騎士団の誉れであり憧れ、その行動に嘘偽りがない。

 貴族の中でまさに正義が服を着て歩いていると称されるほどの男なのだ。

 そのロッテルが確信を持って口にした事は、事実無比であり、何者にも否と唱えることはできない。


 そんな彼だからこそ、無派閥貴族として家名を守ってこれたのであり、各陣営貴族がこぞって子弟を彼の道場に通わせた理由でもある。

 彼を味方に付けた者こそが王国で正義を執行できるのだ。


 この出来事で無派閥貴族たちは、ケント陣営が正義である事を悟った。

 間違いなくトスカトーレ派閥に未来はないのだと。


 そんな認識が周囲の無派閥貴族たちに浸透するのを確認し、ロッテルは眉間に皺を寄せつつ、もう一度、口を開く。


「周囲の貴族家の方々にもお伝え申す。

 トスカトーレの悪事について情報をお持ちであれば、近衛隊長オルドリン閣下に申し上げるがよかろう。

 もう、トスカトーレを恐れる必要はありませぬ。

 彼が今行っている悪事は、既に辺境伯閣下の知るところになり申した。

 今回の襲撃事件は悪事の一部であり、犯罪の全容はまだ知れておりませぬ。

 是非、善意ある皆様方のお力添えを宜しくお願い申し上げる」


 あえて軍人口調で願うロッテルが「正義の人」と呼ばれるに相応しい態度で締めくくると、何人かの貴族が足早に廊下を歩いていくのが見えた。



 この演説で私は辺境伯閣下のお役に立てたはず。

 これが派閥などという害悪でしかない概念を打ち砕く楔になれば、貴族界ももう少し平穏になるだろう。

 そうすれば派閥の間で苦労してきた生活とも縁が切れるというもの。


 ロッテルはそう思えてきて静かに微笑んだ。




 ウィスター・メイナード子爵は、細々と付き合いのあったトスカトーレ派閥の末端貴族に声を掛けた。


「オーウェル男爵、少々よろしいかな?」

「メ、メイナード子爵!?」

「お静かに。今日は貴殿に良い話を持ってきたのだが」


 ポトスウェン・オーウェル男爵は、トスカトーレ派閥でも力の持たない弱小貴族の一人だ。

 ただ、彼は下位貴族たちだけの会合でトスカトーレ侯爵への不満を漏らしたことがあるのをメイナード子爵は覚えていた。

 酒の力を借りた愚痴ではあったのだろうが、それを聞いた他の下位貴族たちも否と唱えなかった。

 トスカトーレ派閥の末端貴族にはそんなドス黒い不満が渦巻いていたのだ。


 手を汚すような仕事は下位貴族たちが担わされる事が多く、上位貴族たちの手は汚れない。それを不満に思わない者はない。


 メイナード子爵はそこを攻撃しようと考えたわけだ。


「オーウェル男爵、どうかね?

 そろそろトスカトーレを見限っては」


 オーウェル男爵は周囲を素早く見回し、聞き耳を立てている者がいない事を確認した。


「そんな事が可能とお思いなのですか、メイナード子爵……」

「可能ですな。

 トスカトーレは我が旗頭たるクサナギ辺境伯閣下の逆鱗に触れましたぞ。

 このまま行くと、確実にトスカトーレ派閥は瓦解する」


 オーウェル男爵はビックリした顔をメイナードに向けた。


「そ、それは間違いないんでしょうか?」

「間違いありませんな。

 ブルックドルフ伯爵の子息が今、シャーテンブルク子爵邸の襲撃をしておるようだ。

 辺境伯閣下は現在、その襲撃者の捕縛に向かっている」


 オーウェル男爵の目には恐れが見え隠れする。


「辺境伯閣下に牙を向くとは、トスカトーレも馬鹿者ですなぁ。

 あの方にどうやったら勝てると思うておいでか。

 陛下の覚えも目出度く、ミンスター公爵やその派閥の大貴族たちのお気に入りだというのに」


 それだけではないとメイナード子爵は続ける。


「先日の事は聞き及んでおいでかな?」

「え、ええ。

 先日の夜、同盟を結んだはずのエドモンダールが辺境伯のはかりごとで手のひらを返したとモルドー子爵が激怒しておられましたな。

 その事でしょうか」


 モルドー子爵はパリトン伯爵の何人もいる腰巾着貴族の一人だ。

 トスカトーレ侯爵とパリトン伯爵との連絡係の小物貴族である。


はかりごととは片腹痛いですなぁ。

 トスカトーレ侯爵はパリトン伯爵を使って、辺境伯閣下の主席魔法担当官をかどわかしたのですぞ?

 この時点で、もはやトスカトーレに未来はない。

 末端と言えど、陛下のお血筋の方をかどわかすとは……」


 オーウェルが絶望の顔色になる。


「そんなバカな事を……?」

「事実かどうか、少し調べてみては如何かな?

 それがどれ程危ない橋を渡っているか判断付かないほど貴殿は馬鹿ではあるまい」

「それが本当なら、王家への謀反と同義でしょう。もはや言い逃れは出来ますまい……」


 メイナード子爵は頷く。


 オーウェル男爵はそれなりに目端が利く男だったし、泥舟に乗ったトスカトーレの上位貴族たちと心中するほど肝は座っていない。

 危機感を煽れば、親しい下位貴族たちを扇動してトスカトーレ派閥にヒビを入れるに違いない。


 トスカトーレの最大の強みは、派閥に抱える貴族数が、他の派閥に比べても多い事だけだ。

 この人数というモノは一概に馬鹿にできない力となる。


 今までは決定打となる情報が欠けていたため、トスカトーレの勢力を削ぐ事もままならなかったが、今日の会合でクサナギ辺境伯がもたらした情報は、まさにメイナード子爵には蟻の一穴というに他ならなかった。


 ウィスター・メイナードは思う。


 トスカトーレも本当にバカな事をしたものだ。

 あのケント・クサナギ・デ・トリエンを本気で怒らせてしまったのだから。

 娘の報告を信じるならば、それは神を敵に回したに他ならない。

 あの辺境伯閣下は、神々に愛されているのだから。

 辺境伯閣下は秘密にしておられるようだが、娘の観察眼は非常に鋭いのだ。

 もちろん、この事実を私も口に出す事は絶対にない。

 そんな神をも恐れぬ愚か者は、神罰に焼かれ死ぬるであろうに。


 敬虔なナータ神信者のメイナードには、トスカトーレが愚か者にしか見えない。

 彼からすると、どのような悪意からも配下の者を守ろうとする辺境伯の姿勢は、ナータ神の化身ではないか思えるほどだ。


 話の事実を確かめるため、そそくさと去っていくオーウェル男爵の後ろ姿を眺めつつ、メイナードはほくそ笑むのだった。

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