第27章 ── 幕間 ── エマ・マクスウェル

 エマが目を開くと、知らない場所にいた。

 ケントが言っていたように舞踏会の最中に攫われたとエマは判断する。


 寝かされていたソファは豪華な代物で、横になったエマにちゃんと毛布が掛けられていたところをみると、害することが目的ではないようだ。


 周囲を見回してみると、本が詰まった本棚やら、錬金術の器具など、ケントの工房で見慣れたものが多い。


 ただ、ケントの工房と違って置いてある器具や本は使われた形跡はなく新品同様のモノという印象を受ける。見た限り魔法道具は一つもない。


「私にここで魔法道具を作らせるつもりかしら……?」


 エマは呆れる。

 確かに本棚には魔導書があるし錬金術用の道具も一応のものは揃っている。

 だが、魔法道具にしろ魔法薬の研究にしろそれだけで何か作れるわけじゃない。

 新しいモノを開発するには発想が必要だ。


 エマは思う。エマ自身に一般人以上の発想というものがない。

 自分はケントとは違うのだ。

 ケントがすべて考え、エマが処理しきれるところまでハードルを下げてくれるからこそ、エマは魔法道具の開発を手伝えるのだ。

 それだけでエマはかなりの高給を稼がせてもらっている。

 これでケントに勝とうなど、ちゃんちゃらおかしいのだ。


 エマはケントに少しお高くとまったような態度を取っているが、心の中では崇拝していた。

 自分には絶対出来ないことを簡単に成し得、いつも自分を驚かせる。


 一年以上、叔母のシャーリーが作った魔法工房で研究をしてきて思ったことだが、ケントの魔法への理解力や分析力は尋常ではなかった。

 自分は叔母が残した資料を読んだり、その作法を覚えたりすることで魔法を上手く使えるようになってきた。

 だが、ケントは全く別の着想で魔法を理解していると思われる。


 その発想がどこから来るのかエマには解らない。

 ケントが異世界から来た事が理由だろうと推測はできる。

 異世界の知識とは、ティエルローゼで生まれた人類には計り知れないものなのだろう。

 異世界の知識は非常に洗練された叡智の存在をエマに感じさせるのだ。

 神に比肩する……いや、それ以上の。


 実際、ケントは神々の寵愛を一身に受けている。

 いや、降臨してきている神々の態度から推測すると、彼らからも崇拝されている所があるのは間違いない。


 ケントの作る料理が良い例だ。

 今までのティエルローゼでは考えられないような料理を有り合わせの材料から作り出す技術は神々をも魅了した。

 料理の女神が教えを請いに来る存在など、ケント以外にはあり得ない。


 全く度し難いわ。

 私ごときを拐かしたところで、バカ貴族の状況など全く変わらないんだから。

 それどころか犯罪を看破されて窮地に追い込まれるのよ。


 今の自分の置かれている状況を考えるだけで、思った通りになるのが目に見えて笑いがこみ上げそうになる。


 部屋に唯一ある扉に向かい、取手を回してみるもビクともしない。

 やはり錠が下りているようだ。


 エマは自分の着ているドレスや身につけた装飾品型の魔法道具を確認する。

 あちこち見ても何か取られたりはしていない。


 私を誘拐したヤツは本当に間抜けだわ。


 魔法というモノを全く理解できてないに違いない。

 エマは既に他の領地にも名が轟くほどの魔法使いスペル・キャスターなのだ。

 魔法を使う者に、鉄すら帯びさせないで部屋に寝かせておくなんて自殺行為だ。

 普通なら鉄製の拘束衣を着せておくくらいの配慮をしておかねばならない。


 魔法を行使する際には鉄製品はご法度なのだ。

 魔力は鉄を嫌うため、鉄で出来たモノを身に帯びていると、失敗したり思った効果を得られなかったりする。

 叔母シャーリーが残した魔導研究資料にもその辺りが詳しく書かれていた。

 エマは本当かどうか調べるために実験を行った事があるが、資料通りの結果になった。

 魔法とはそれほど繊細な技術であり、それに針の穴に糸を通すような魔力制御で術式を織り成すのだ。

 鉄というかせ魔法使いスペル・キャスターに使わないなんて自殺行為に他ならない。


 エマの置かれた現在の状況では、いくら扉に錠前を下ろしたとしても「ご自由に逃げ出して下さい」と言っているのと等しい事なのだ。

 それでなくても、エマは「魔法門マジック・ゲート」の魔法をケントから直々に伝授されている。


 しかし、エマに逃げ出すつもりはなかった。

 ケントからの頼まれごとを忘れるわけにはいかない。

 エマに与えられた役割、「誘拐の被害者」でなければならないのだ。


 エマは手を閉じたり開いたりして身体に異常がないかもう一度確認する。

 手の平に体内に満ちている魔力を集めたり拡散させたりもしてみる。


 異常は全く見られない。


 これなら何かあっても魔法で切り抜けられるわね。

 大丈夫そう……


 エマは思い出したように周囲を見渡す。


 そう言えば、ハリスが護衛にいるはずだ。

 彼は影に潜み姿を隠せる特殊なスキルの持ち主だった。

 以前、ハリスに見せられて驚かされた記憶がある。

 今では彼の当たり前の能力として認識しているし、ケントの集めてきた仲間たちにも同じスキル持ちがいる。


 多分、ハリスが就いている職業固有のスキルなんだろうとエマは考えている。

 ハリスは努力してそんな能力を身に付けたのだ。

 出会った頃に比べると、ハリスは物凄くケントに頼りにされている。


 ハリスはそれだけの努力をしてきたって事。

 私も頑張らなきゃ。


 エマはそう決意している。

 魔法道具の作成で頼られているとは思うが、自分が開発した付与術式でもないし、材料もケントの人脈によって集まってくる。

 エマも魔力の提供とか魔法道具の作成という作業以外でもケントに頼られたいのだ。


 今回は絶好の機会だ。

 ケントの敵に打撃を与えるための囮となれるのは自分なのだ。


 敵をおびき寄せる餌と考えると少し複雑な気分だが、エマとしてはケントの役に立つのなら、そんな些末なことには目を瞑るつもりなのだ。


「ちょっと喉が乾いたわ……」


 エマは部屋の棚を調べ、使えそうな道具を集める。


 最新型のアルコール・ランプを引っ張り出す。

 これも工房を手に入れた頃にケントの発案で作られた物品だ。

 純粋なアルコールという物が手に入らなくて、ケントが難儀していたのを覚えている。


 ケントなら魔法道具を作れば簡単に液体を沸騰させるような器具が作れるのに何でこんなものを? とエマが不思議に思った事がある。

 ケントに聞いてみたら、ちょっとした薬なら錬金術に頼らずに作ったりできた方がいいといっていた。

 魔法が使えない薬師や医者にも使える安価な道具を用意したいらしいと後にクリスから聞いてエマは驚いたのだった。


 フィルが工房に入った頃、このアルコール・ランプを見て「これは便利ですね!」と目を輝かせていた。

 錬金術師でもアルコール・ランプは便利だと思うそうだ。


「一定の小さい熱力を継続的に発生させておけると錬成の術式を一つ減らせます。そうなれば魔法薬へ投入できる魔力量が増えるじゃないですか」


 フィルは確かそんな事を言って嬉しげな顔をしていた。

 フィルはイルシスの加護を授けられるまで少ない魔力に苦労していたそうだから、画期的な道具に目を輝かせた。

 エマには理解不能だったが、長年苦労してきたフィルがそういうのだから間違いない事なんだろうなと思っている。


 続いてエマは透明なガラス製のビーカーを手に取る。

 隣の三脚のスタンドも忘れない。


 スタンドの上部には網に白く燃えない素材が塗られていて、ビーカーに直接火が当たらないように設計されている。

 貴重な極薄ガラスで出来ているビーカーが損傷しないようにする工夫が面白い。

 ケントの発想はこんな細かいところにまで行き届いているのだ。


 エマはスタンドの上にビーカーを起き魔法を唱えた。


水生成クリエイト・ウォーター


 指先から水が溢れ出してビーカーに水が満ちる。


点火イグニッション


 今度は指先に火が灯る。

 その火をスタンドの下に設置したアルコール・ランプの芯に押し当てて火を移す。


「茶葉がないから白湯くらいしか飲めないけど、何もないよりマシよね」


 エマはティエルローゼの人間なので、生水を飲む習慣はあまりない。

 現実世界の文明人と違い、水は一度沸かしてから飲むのが習慣なのだ。


 エマは腰のベルトに装着している小さいポーチを開いてハンカチを取り出すとテーブルの上に広げた。

 その上に焼き菓子をいくつか置いた。


 これは舞踏会の隅に置かれた軽食コーナーからコッソリと失敬してきた焼き菓子だ。

 少しマナーが悪いとは思ったが、誘拐された後の事を考えると、このくらいの無作法を咎められることはないはずだ。


 お湯が軽く沸騰したのでビーカーをテーブルの上に移動させる。

 もう一つビーカーに水を満たして同じように沸騰させる。


 二つのビーカーに白湯が出来たところでエマは自分の影に目を落とした。


「ハリス、いるんでしょ?

 一緒にお菓子でも食べない?」


 すると影からハリスが顔を出してニヤリと笑った。


「頂こう……」


 ハリスの笑顔を見て、エマは本当に一人でない事に少し安心した。


 ケントから絶大な信頼をされているハリスが居てくれるのならば何の不安もない。

 エマはハリスにくすねてきた焼き菓子を勧め、白湯の入ったビーカーも差し出す。


「茶葉がないからお湯だけど」

「ふむ……」


 ハリスは腰の無限鞄ホールディング・バッグから何か変なものを取り出した。


「それは何?」

「これか……? ケントは『ティーバッグ』と……言っていたが……」


 ハリスもいまいち解っていないようだが、これもケントが作ったモノだとハリスは言っている。普通は野営中に使う物らしい。


 ハリスが白湯にティーバッグなるモノを沈め、付いている糸を摘んだまま上下させていると、白湯にどんどんお茶の色が付いていく。


「わぁ! 凄い! お茶になっていくわね!」

「ケントの……発明だ……」


 ハリスはエマにもティーバッグを一つ差し出してきた。

 エマもハリスに倣って自分の白湯にティーバッグを沈めた。


「これも売り出せばいいのに」


 エマはビーカーに出来たお茶をコクリと一口飲み、そう感想を述べる。


「まだ試作品だ……と言っていたな……」


 ハリスが言うにはケントは茶葉の選定に手間取っているそうだ。


 これで十分だと思うけど、ケントって細かい所に気を使うわね。

 この製品が出回れば、ピクニックなどで温かいお茶を飲めるって事なのに。

 貴族の間で絶対流行るわよ。

 こんな隠し種を持っているというのに社交界で出し惜しみするなんてね。


 エマは少し呆れるが、ケントのこだわりに口を挟むつもりは毛頭ない。

 ケントならもっと凄いモノをきっと作り出すだろうから。


 エマはお茶を飲み、お菓子を食べて少しだけ緊張がほぐれる。


 お茶飲み相手がハリスなので多くの会話はできなかったが、以前攫われた時に比べれば、全くといっていいほど切羽詰まった感じはない。

 ケントのお陰で自分の心の傷は殆ど癒えているとエマは考える。


 お茶の後、囚われの身で気軽にお茶を楽しんだのを誘拐犯たちに見られると困るので、エマはハリスに協力してもらって証拠隠滅を図る。


 ティーバッグはハリスに頼み、探してきた小さい桶に水を張り、ビーカーを洗って布で水分を拭き取り棚に戻す。


 アルコール・ランプとスタンドを元に戻そうとした時、ハリスが瞬時に影に消えた。


 起きた時に確認しておいた錠前の下りた扉が不意にガチャガチャと音を立て始めた。


 エマはビクリと身体が揺れたが、必死に冷静になろうとする。

 ランプをしっかりと戻し、ソファにゆっくりと腰を下ろす。


 ちょうどその時、ようやく扉がギィと音を立てて開いた。

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