第27章 ── 第9話

 別邸は王都の三つある城壁の一番内側の貴族街にあるが、王城からは少々離れていて若干辺鄙な場所だ。

 周囲には城壁内だというのに森があったり、小ぶりの湖などがある。


 森は貴族の子供たちが狩りの練習をする為のモノらしく、小ぶりの動物などが放し飼いにされているらしい。

 もちろん魔物はいないし危険はないそうだが。

 散歩コースなどもあるので貴族の遊び場という意味もあるのだろう。


 さて、別邸から王城まで馬車で三〇分ってところだが、ここから王城に行くのは初めてだ。


 社交界などというモノに縁がなかったので別邸に来ること自体が殆どなかったからねぇ。


 俺は馬車の窓から外を眺める。

 俺の別邸は比較的大きいが、周囲にお屋敷と呼べるほどの物は存在しない。

 いくつか小屋を見かけるけど、狩猟小屋って感じだね。

 一〇分ほど進むとようやくポツポツと屋敷が見えてきた。


 この辺りは下級貴族の屋敷だと思う。

 ただ、大抵の下級貴族は貴族街ではなく、貴族街の外である上町に屋敷があることが多いと聞いている。


 王城に近づけば近づくほど高位貴族の屋敷が多くなっていく。

 ただ、この辺りも王都の貴族街にある屋敷だから、下級貴族であっても古くから爵位を持つ貴族の屋敷なのは間違いない。


 俺は代官ではない上に領地持ちで「辺境伯」という国境地域を治めるのが役割で常備軍を持ってるから当たり前なのだが、一般的な伯爵位より少し格が上として扱われる。

 ウェスデルフ程ではないけど「力こそ正義」という考え方はティエルローゼに深く根付いているんだよね。


 少々進むと見えてきた屋敷は男爵家か子爵家の屋敷だろうか。

 当然ながら男爵や子爵は大量にいて数百は下らない。


 伯爵位になるとグッと減って五〇ほどになる。

 基本的には行政官など、役職を持っているのが殆どだったりする。

 無役の伯爵など普通いないのだ。

 まあ、病気などやむを得ない場合は除かれる。

 もっとも財力がなければ無役を続けるのは難しい。


 そうなると必要になるのが派閥に属することだ。

 派閥の上位にいる貴族は下にいるものを庇い、保護することが望まれる。

 上位にいるからこそ義務が発生するわけだ。

 俺の部下になった貴族たちもそれを望んでいる。


 今までの俺は、そこを殆ど考えていなかった。

 部下たちの期待を裏切ってたかもしれんな。


 俺は政治力も無く、中央に顔を出しても肩身の狭い思いをさせていた可能性は否定できない。

 ただ、そういう情報は上がってきてないし、基本的にクリスがやりくりしてくれてたからな。


 さすがに前男爵の養子だっただけあってソツがないよねぇ。

 貴族をやっていく上で貴族教育って大切なんだなぁ。


 大きめの屋敷が目に飛び込んできた。

 その屋敷の門の前には馬車が停まっていて人が乗り込んでいるのが見える。

 園遊会に参加する貴族だろう。


 ちょうど横を通り掛かった時、その馬車も進み始め並走する形になる。

 隣の馬車の窓から貴族の顔が覗いてチラリと顔が見えた。

 その顔に少し見覚えがあった。


 以前、新年の挨拶に出向いた時の食事会で見た記憶がある。


 確か身じろぎをしていた貴族の一人だな。

 何かやましい事でもしているのだろうかね。


 一応目礼をしておく。

 相手も同じように目礼してきた。


 名前は全く解かんねぇけど……まあ、いいか。

 園遊会で挨拶されたら解るだろ。


 王城が近づいてくると大きな屋敷ばかりになり、道を行く馬車も増えてきた。


「あ! ケント! あの紋章はドヴァルスのヒゲオヤジのじゃぞ」


 窓から覗いていたマリスが知り合いの馬車を見つけて声を上げた。


「ああ、侯爵も別邸を持ってるだろうしね。この道沿いだったのかねぇ」


 マリスの頭の上から外を覗いてみる。

 少し前方の馬車がドヴァルス侯爵の馬車のようだ。


 俺の顔が覗いたのを侯爵の馬車の御者が確認したのか、彼の馬車のスピードが落ち、俺の馬車に並走しはじめる。


 マリスが嬉しげに窓の外にパタパタと手を振る。

 ドヴァルス侯爵がそれに気づいて窓の外に身を乗り出した。


「おお、マリス殿!」

「ヒゲ! 元気でおったか!?」


 ヒゲ……

 侯爵閣下にヒゲ……


 俺の顔は一瞬で青くなる。


「ば、ばか! 侯爵閣下に失礼な口を利くな!」

「がはは。辺境伯殿、よいよい。

 マリス嬢がそう呼びたいなら呼べばいい」


 ドヴァルス侯爵はマリスに甘い。

 さすがロリコン侯爵だと思うが、マリスは節度を弁えるべきだ。


「そういう訳にはいかないでしょう」

「あだっ!」


 俺はマリスにゴツンとゲンコツを落としつつ苦笑いで対応する。


「名前はエルドじゃったかな? じゃあエルドにするのじゃ!」

「呼び捨てか!」


 ビシッとマリスにツッコミを入れると、それを見た侯爵は「がはは」と嬉しげに笑う。


「マリスには躾が必要ですね。社交界に連れて行くのは辞めておこうか……」


 それを聞いて何故か侯爵が悲壮な顔になる。


「マリス殿がいない社交界などつまらん……ワシ、帰ろうかな……」


 それは困る!

 大貴族の一人が参加を見合わせるとなると、色々と予定が狂う!


「あ! ドヴァルス侯爵がお戻りになる必要は……」

「ケント、気にするな! 我がしっかりエルドを連れて行くのじゃ!」

「おお、マリス殿がワシをエスコートしてくれるのかね」


 こ、この侯爵殿は……

 そこまでマリスラブなのか。

 マリスの正体を知ってもその態度ができるなら本物だけどな。


 一瞬でニッコニコのドヴァルス侯爵を見て、俺は「ハァ」と溜息を吐いた。


 マリスは侯爵を鬱陶しく思ってたはずだが、今回は別なのかね?

 社交界って未知の領域にマリスも不安があるのかもしれない。


 このやり取りを見ていたエマが流石に吹き出した。


「あははは! もう! せっかく澄まし顔にしてたのに笑わせないでよ!」

「おお、そこの美少女はマクスウェル女爵殿か。元気そうで何よりだ」


 二人目のロリっ子登場でますますドヴァルス侯爵の機嫌が上向く。


「はあ、二人共まだまだ子供で、申し訳ない」

「辺境伯殿、堅苦しく考える必要はないぞ。気楽にな」

「折角の社交界デビューですし……」

「貴殿は既に初顔見せは済んでるのだ。肩の力を抜いた方がいいな」


 ドヴァルス侯爵は少し真面目な顔になる。


「貴殿には社交界の心構えを少し説いてやらねばならんな。

 だが、続きは城に着いてからにしよう」


 社交界の心構え?

 やっぱ俺には何か足りてないのか。


「よ、よろしくお願いします」

「うむ」


 その後、俺はマリスとドヴァルス侯爵のおしゃべりも上の空で彼の言う心構えについてあれこれと考えていた。



 城に着いて俺たちに部屋が充てがわれると、ドヴァルス侯爵と共にマルエスト侯爵、ミンスター公爵が連れ立ってやって来た。


「よく来たな辺境伯。今日は面白いモノを見せてくれると聞いている」


 ミンスター公爵が右手を差し出してきたのでその手を取る。

 だが、ミンスター公爵の目は女性陣に向けられていた。


「ほう……これは……

 リカルドがお楽しみと言っていた意味が判ったよ」

「あ、公爵閣下。今回、俺が貴族の方々にお勧めしようと思っているのが、このドレスです」


 マルエスト侯爵も目を輝かせている。


「さすが辺境伯殿ですね。また新しいモノを持ってきましたな」

「ワシは一足先に見せてもらったんだがね。これは女どもに受けるだろう」


 マルエスト侯爵とドヴァルス侯爵の言葉にミンスター公爵も頷いた。


「国王陛下が言ってたのがこれだろう。

 貴族たちに辺境伯の顔を売ろうって腹積もりなのだ」

「どういう事でしょう?」


 ミンスター公爵が解説してくれた。


 俺は反乱を未然に防いだり、帝国との確執を取り除いたり、魔法道具工房の復活やドラゴンと王国との橋渡しをしたりと無類の活躍をしているが、貴族たちには全くと言っていいほど顔が売れていない。

 噂ばかりが先行していて、どこの馬の骨と思われている傾向がある。


 王国に対する貢献は申し分ないが、貴族受けする貢献は殆どないのだ。

 リカルド国王はそれを危惧していたらしい。

 貴族受けする何かを俺にやらせて王国貴族界でも確固たる地位を確立させようと思っていたそうだ。

 ちょうどいい時に俺がシルク布を持ち込んだため、それを材料に社交界に華々しくデビューしてもらいたいと。


 国王も俺のために色々考えてくれていたんだと思うと、少し嬉しくもある。


 しかし、タイミングが良かったな。

 貴族界で俺の立ち位置は弱い。部下になってくれた貴族たちの為にも今回の社交界は成功させたい。


 俺は少し拳をグッと握る。


 それを見たドヴァルスが「はぁ」と溜息を吐いた。


「それだよ、それ。固く考えすぎだ」

「え? でも、陛下も考えてくれてたみたいだし……」

「それだよ。貴族だからと考えるのが良くない。

 貴族などそんなものではない。もっと余裕を持つべきだ」

「余裕ですか?」


 ドヴァルス侯爵は頷く。


「貴族など所詮は世襲。

 能力のない者が当主になる事は珍しくもない。

 貴族だからと頑張るのも悪い事ではないが、余裕のない者が上にいたら部下や家臣はたまったものではない」


 ジロリとドヴァルスが俺に視線を向けた。


「貴殿には能力も実力もある。ならば、それほど生き急ぐ必要もあるまい。

 部下にいい仕事をさせるためには余裕を持つべきだ。

 貴族だからと肩肘を張るのは、ここぞという時にとっておけ」


 え? 俺、そんな余裕なかったかな?

 


「社交界など肩肘を張る場ではない。

 まあ、出てみれば解るだろう」


 ドヴァルスは眉間に皺を寄せて肩を竦める。


「社交界など、どうせ嫁取り、婿取りの場だ。

 格式? はっ! 嫁取りにそんな事を考えるのは古い貴族だけだ」


 それを聞いたミンスター公爵がやれやれと呆れた顔になる。


「ドヴァルス侯爵、君はまたそれか」

「ドヴァルス殿は奥方を亡くされてから、頑なですな。

 余裕を持つべきなのはドヴァルス殿もですな」


 ほう。ドヴァルス侯爵は奥さんを亡くされてたのか。

 奥さんがどんな人だったかは知らないが、彼が社交界に忌避感を持っているのは解った。


 ただ「余裕を持て」というのは理解できる気がする。

 今思えば少しありがたい助言かも。

 ちょっと新製品を売り込むことに気負っていたかもしれない。


 もう少し余裕を持って行動してみるとしますかね。

 俺の気負いは仲間たちにも伝わると思うし。

 それが何らかの失敗に繋がったら目も当てられないからな。

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