第26章 ── 第42話

 エマは俺から奪い取ったシルクの下着を真剣な目で検分している。

 糾弾するような目も無くなったので良しとする。


「これ、もらってもいいよね?」

「ん? ああ、いいぞ」


 エマがにへっと笑って研究室から出ていった。

 早速試着してみるつもりかもしれんな。



 かなり時間が経ったので生産ラインを見に行くと、裁縫道具の生産は終わっていた。

 早速、ゴーレムによって倉庫に運ばれてしまった裁縫道具を取りに行きインベントリ・バッグへと納め、俺はそのままシンジの店に繰り出す。


 もう夕方だけど、最近シンジは自分の店で寝泊まりし始めているので大丈夫だろう。


 最短コースでシンジの店に向かう。

 貴族だというのに一人で気安くフラフラする領主に領民は慣れたもので、笑顔で手を振る者もいる。


 まあ、手を振ったりお辞儀をしていくのは古くからいる領民ばかりだが。

 街の中心付近は第一城壁の外よりも古い町並みが並ぶ。

 エドガーもその辺りを気にしているらしく、クリスに区画の再整備の申請をしているらしい。

 その申請が受理されないのは領主である俺の意向によるものだ。


 トリエンはかなり古い町だった。

 マルエスト侯爵が言うように、トリエンの古い町並みは前魔法文化時代の遺産だと俺は思う。

 まあ、崩れたりするのは困るから、そういう所は助成金とか出して修理させるのがいいかもね。


 ただ、効率のいい都市計画には不要と思われる地区は存在する。

 それが南東に位置する貧民街だ。


 血も涙もない領主ならさっさと壊して区画整備してしまうところなのだが……この南東地区にはブリスター孤児院があるのだ。


 流石に一時は匿ってくれたり、戦時捕虜だったアルフォートを預かってくれたあの孤児院を立ち退かせるのは気が引けるし、クリスも許さないだろう。

 俺も院長を困らせるつもりはないけどね。

 ま、その辺りは後で考えるとしよう。


 考えながら歩いている内にシンジの店に到着した。


「おーい。シンジいるかー?」

「おお、ケント。丁度いいところに来た。

 夕飯の準備が出来たんだ。食べてくだろ?」


 作業場からニコニコの顔を出したシンジが手招きする。


「いや、俺は飯はいいよ。

 それより、例のモノが完成した」

「例のもの?」


 シンジが首を傾げるが、直ぐにハッとした顔になる。


「道具か!?」

「そうだ。注文通りかどうか確かめてほしい」

「了解だ。早く見せてくれ!」


 俺はシンジと作業場へ入る。

 作業場には例のお針子一〇人衆がいた。

 俺の姿を見た瞬間、ガタガタと立ち上がって壁側に整列して頭を下げた。


 前回と対応変わったなぁ。


「あ、ああ……そこの作業台を借りるよ」


 俺は作業台の一つに裁縫道具を一つずつ取り出して並べていく。

 並べられた道具を手に取り、シンジが「うーむ」と唸る。


 シンジの目はいつも優しげだが、この時の目は獲物を狙う狼のようだ。

 ハサミの噛み合わせや針の鋭さなどを丹念に見定めている。


「今まで見た道具とは比べ物にならないな……」

「そりゃそうだろう。マストール作だぜ?

 それと……これがシンジ用」

「あれ? こっちのは?」

「こっちはお針子さん用だ」


 俺はミスリル製の裁縫道具を鉄製のモノと分けて並べる。


「これはミスリル製だ。通常使いなら手入れ知らずの一品だよ」


 シンジは自分用の道具に目を奪われている。


「これは……凄いな……」

「ドーンヴァースじゃミスリルなんて中級装備用で大した素材じゃないけどさ。

 こっちの世界だと超高級素材なんだよ」


 シンジは鉄製とミスリル製を見比べて吐息を漏らしている。


「店のオーナーはいい道具を持ってるべきだと思うし、最初にトリシアが注文してたヤツだ」

「これは確かに別格だ……高そうだね?」

「そうだねぇ……それは金貨五〇〇枚」

「五〇〇枚!? この店と同じ価格か!?」

「へぇ。この店、五〇〇枚もすんの?」


 王都の別邸、幾らしたっけ?

 俺は金があり過ぎて頓着しないところあるらしいからな。

 相場は知っておかないと困るからな。


「土地付きだし、広い家屋。裏にも一棟あるんだ」


 ふむ。それなりの大商人の持ち物だったんだろう。


「ちなみにこっちの鉄製の方は幾らなんだ?」

「こっちは白金貨一枚だね」

「白金貨がどのくらいの価値かまだ解らない……」

「金貨二枚と銀貨二枚だ。日本円にする一〇万くらいじゃないかと……

 俺もこっちとあっちの物価が解らないんだよねぇ。

 単純に比較できる感じじゃなんだよねぇ」


 そもそも物の価値が一緒じゃない。


 服、靴など、現実世界なら量販店で数千円くらいだ。

 だが、こっちだと新品の革靴ってだけで金貨一枚を越える。

 一足四万とか、どんな高級靴か。

 服も高い。一式揃えると金貨数枚ってところだろうか。


 平民では新品など普通に買えない。大抵は中古服だし、継ぎ接ぎのある服は当たり前なんだよね。

 孤児院の子たちの制服が注目の的になった理由でもある。

 新品のデザイナーズブランドっぽい服なんて富豪や貴族でも着てないからね。


 とにかく現実とは全く価値感覚が違うのだ。


「その辺り、お互い頑張ってすり合わせていくしかないみたいだね」

「そうだな……」


 それはそうと……


「さて、お針子諸君」


 俺は壁に整列するお針子たちに向き直った。

 シンジが「ん?」という顔でこちらを見る。


「前回、話しておいた通り、この店で働くなら契約魔術を受けてもらわねばならない」

「はい! 覚悟は出来ています!」

「ああ、聞いていたアレか。大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。契約に違反しない限りね」


 シンジは少々心配顔だね。


「契約魔法について説明しておく」


 俺はお針子たちの前を行ったり来たりしながら契約内容も含めて説明する。

 技術情報の漏洩や道具や機材の窃盗、横流しなど云々。

 契約魔法は身体や精神にも負荷はなく、普通に生活する上では何の効力もない。

 ただし、契約に反した場合、忘却の呪いによって全てを忘れ去ってしまう。


「全てですか……?」


 一人のお針子が囁くような声で質問してきた。


「そう、全て。自分が誰なのかすら」


 はっきり言えば、脳がリセットされるようなもんだ。

 しゃべることも、身体の動かし方も何もかもだ。

 赤ん坊よりも何もできない状態になるだろう。


「ま、そんな状態になったら人間は生きてはいけないだろう」


 お針子たちは顔面蒼白だ。


「それ、ひどくない?」


 流石にシンジも口を挟んでくる。


「真面目に働く分には何の問題もないんだよ。

 そのくらい知識や技術には価値があるんだ。それに、このティエルローゼはビックリするくらい命の価値が低いんだぜ?」


 傭兵とかが「一山幾ら」って話が小説とかでも出てくるけど、まさにそんな感じ。


「シンジ。君の持つ知識、技術は平民が一〇〇〇人集まっても釣り合わないんだよ。

 この世界の人間にとってはね」

「マジか……」

「大マジですよ」


 シンジが黙ったので針子たちに向き直る。


「覚悟は出来たと言ったが、全員そうか?」


 俺は一人一人の顔をジッと見ていく。


 ゴクリと喉を鳴らすものもいるが、誰も不覚悟だと言い出さない。


「沈黙は了承と受け取る。

 よろしい。

 では、これより契約魔法を使う。

 目を閉じてジッとしているように」


 俺は作っておいた魔法を使う。


「ルグレギオ・モレス・セクト・アムウルム……」


 お針子たちにかざす俺の手の平から、何か出てきたぞ……?


「マニウルバ・ドミネラル・エタニアラ……」


 手の平から出てきたのはどっかで見たことがある白い糸みたいなものだ。


 うへぇ……マジか。コレって能力石ステータス・ストーンの時のアレじゃねぇか。


 ウニウニと動く糸はお針子たちの頭に這いずっていき、モゾモゾしながら頭の中に入っていった。


「……モート・マインクルス! 契約呪縛コントラクト・ギアス!」


 魔法を唱え終わった途端、白い糸がパンッと弾けるように全て四散した。


 おお?


 このエフェクトは能力石ステータス・ストーンのとは違うね。

 元となる魔法道具があるかないかでエフェクトが変わるのかも。

 にしても、気持ち悪いのに変わりはないな。


「よし、目を開けていい。終了だよ」


 目を瞬かせたり、自分の手を見たりと様々な反応のお針子たち。


「何も感じませんでした。本当に魔法が掛けられたのでしょうか?」

「ああ、ばっちり。これで契約は終了だ。違反しないように」

「畏まりました」


 俺は頷く。


「シンジ。後は自由に技術を教えて構わないし、裁縫道具も使わせて問題ない」

「うん……アレって能力石ステータス・ストーンと同じ感じだよね。

 何か気持ち悪いね……」

「俺もそう思う。何なんだろうね、あの白いの」


 それが自分の手から出てたってのも相当キモいんだが。

 ほんと精神系魔法はSAN値減りそう。

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