第26章 ── 第36話
朝食後、執務室で仕事をしているとトリシアとマストールが入ってきた。
「ケント、話があるんだが……」
ん? トリシアが少し歯切れが悪いな。
何か頼み事か?
「どんな頼み事?」
俺がそういうとトリシアがちょっと驚く。
「なんで解った?」
「ん? シャーリーの時みたいな雰囲気だったから?」
基本的にトリシアは人に頼るという事はしない。
マストールは昔からの付き合いがあるので例外みたいだけど。
そのマストールが少し厳しげな顔になっているのを見ると、先にマストールに無茶な頼み事をしたって事かね?
「鍛冶に関してだと推測したけど、マストールに出来ないことか?」
俺がそういうとマストールはカッと目を見開く。
「儂に出来ない事ではないぞい! 勝手にやっては不味い事じゃ!」
勝手にやったら不味い事?
ああ、領主の許可が必要とかそういう事?
「で、何だよ?」
「ミスリルで裁縫道具を作りたいんだ。それとシンジにミスリル布も扱わせてやりたいんだ」
「なぬ? 裁縫道具とミスリル布?」
ミスリル布か……
そもそもミスリルなどの魔法金属は、この大陸内では貴重な金属であり戦略物資扱いになる。
現在、ミスリルとアダマンチウムの各インゴットは、トリエンにのみ出荷されている状況だったりする。
ミスリルやアダマンチウムを加工できる工房は、俺の魔法工房、そしてファルエンケールにあるハンマー一族の工房だけとなる。
この二つしかないのだから、他の地域や国にインゴットを輸出しても意味はないのだ。
そしてミスリル布の製造は、俺の工房だけだったりする。
そもそもミスリルやアダマンチウムを糸ほど細く加工できるのが、俺とマストールくらいしかいないんだから仕方ないんだけどね。
ちなみに時々ではあるけど数年前まで、ミスリル製品はファルエンケールの商人たちが流通させる事があった。
ミスリル製品は非常に流通量が少ないので大変大きな付加価値が付く。
少し前までのファルエンケールにおける最も優秀な外貨獲得手段がコレだったわけ。
だが数年前と違い、現在の状況は激動といえるほどの変化に見舞われた。
俺という存在の出現である。
ミスリル製品は、今まで生産国であるファルエンケールのみが取引を行えるものだった。
俺という存在がティエルローゼに出現した結果、その優位性が失われた。
俺は高純度のミスリルやアダマンチウムのインゴットを所持し、ハンマー工房に提供した実績があるからだ。
この情報はマストールによってもたらされ、ファルエンケールの産業関係者を恐慌状態に陥らせたらしい。
スパイと思われたら気分が悪いのか、マストールがトリエンに常駐しているのもそういった情報を手に入れる為だとか最近本人から聞いた。
その程度の情報の供出がファルエンケールとの良好な関係を維持するのに必要だというなら、俺は別に構わない。
まあ、こういった理由もあってミスリルとアダマンチウムのインゴットがトリエンに輸出されているわけだね。
といっても、ファルエンケールから輸入されるインゴットは非常に安価だ。
製品への加工前の状態だからというものあるが、妙な付加価値は添加されていない。
この理由も、俺やマストールへの心象を良くしておくってのがあるようだね。
マストールは今、俺の工房を気に入りトリエンに全面協力している。
ファルエンケールの重鎮だけに、他国に詰めているというのは外交上非常に問題があるのだが、ファルエンケールの行政府はマストールの機嫌を損ねるような帰還命令を出せないでいるようだ。
ケチな帰還命令なんか出してマストールがヘソを曲げたら、一族引き連れて他所へ移住なんて事も無いとは言えないからね。
そうなればファルエンケールは大変な損失を被る。
マストールを取り返すために戦争を仕掛けてくるなんて事は無いだろうけどねぇ……
貴族たちはしらんけど、女王がいる限り絶対ないだろうけど。
魔神と同じプレイヤーなのは彼女自身が確かめているわけだからね。
ま、マストールがトリエンに詰めていても俺の工房の情報入手や定期的なインゴットの輸出ができるのでデメリットばかりではないってのも容認してる理由っぽいけどね。
もう一つの理由、俺の心象を良くしておきたいってヤツも説明しておくと、ミスリルやアダマンチウム製品への魔法付与能力を俺が持っているのが最大の理由だ。
魔法道具を作り出す俺の協力がなければ、ミスリル製、あるいはアダマンチウム製の武具や道具を作って売っても、ただただ丈夫なだけのモノでしかない。
そこに魔法の付与、所謂「魔化」という要素が、ファルエンケール産魔法金属の付加価値を付ける事になるわけだ。
これまではトリシアが時々作り出す魔化製品があったため、ファルエンケールの優位性を非常に高めていた。
そこに俺という存在が現れたため、やっぱり優位性を失うことになった。
俺は五〇〇〇体ものミスリル・ゴーレムを作り出し、誰でも見学ができるように部隊を展開している。
これを見たエルフたちは、トリシアの魔法付与能力など児戯にも等しいと思ったに違いないね。
俺やエマ、フィルは魔力無尽蔵に使えるしねぇ。
あまりにも強力で強大な存在や領地の出現は、ファルエンケールという都市国家を窮地に追い込んだと言ってもいい。
普通ならファルエンケールは戦争か隷属かの選択を迫られたかもしれない。
ただ、俺は全てを独り占めするような事をするつもりはないので、そんな事態を迎えることはなかったわけだが。
都市用大型浄化装置や土壌汚染除去装置など、非常に高価な魔法装置の無償提供とかをやっているしね。
「ミスリル布は戦略物資ではあるけど、トリエン、いや王国内で消費されるなら大抵の事は何の問題もないと思うけど?」
俺がそう言うとマストールが厳しい顔になる。
「ミスリル製品をケント以外の者が商うとなると、ファルエンケール産ミスリル製品の優位性が地に落ちるぞい。
この地に留まっているとはいえ、儂はまだファルエンケールの民じゃからな。
自国の優位性を脅かすような事はしたくないのじゃ。
バカシアもそうじゃと思っておったのじゃが、こんな事を言い出す体たらくじゃ」
うーん。
確かに俺は今までミスリル製の武具などを市場には出していない。
都市用のデバイスにもミスリルの魔導基盤を組み込んでいるけど、見た目では解らないし。
ファルエンケールの外貨獲得手段を奪ってしまうというのは俺の信条にも反するか。
「トリシアは、そこのところどう思っているの?」
「私は……」
今のトリシアにはいつもの快活さが全くない。
エルフとしての自国愛と前世の兄弟愛がせめぎ合っているという事か。
「ふむ。マストールの言い分ももっともだ。
ミスリル布を市場に流すのは時期尚早だろうね」
トリシアが落胆したように肩を落とした。
「だが、待て。
マストール、一セットだけミスリル製の最高級裁縫道具を作ってくれ」
マストールがジロリと俺を見る。
「ケントが使うのじゃろうな?」
「いや、俺じゃないよ。シンジの店で使うのさ」
マストールは太い眉をグワッと上げる。
「まあまあ、怒るなよ。
そもそもティエルローゼの裁縫道具は質が悪い。
シンジやトリシアが考えるアパレル産業では満足行く道具は手に入らないんだ。
そこでマストールの技術の粋を集めたような道具さ」
「どういう事じゃ?」
マストールは「何が言いたいのか解らん」と腕を組む。
「まずは道具から改革したい」
「道具から?」
「マストールが作る道具だから、最高級になるのは間違いない。
これを製造ラインに乗せて大量生産する。
もちろん、製造ラインに乗せる時は品質を鉄製にするけどね」
トリシアも解らないらしく首を傾げた。
「アパレル産業を改革するんだよ。
まずは道具からだ。
プロ仕様の裁縫道具を市場に流す」
「そうなれば服などの品質は上がるとは思うが、その意図は?」
「俺は市場にシルクを投入したい」
「そうか! アラクネーが作っているというシルク布か!」
「うん。
今、シルクは大陸西側ですら殆ど流通していない。東側では皆無だ。
俺はこのシルクを普及したいと思っている。
トリシアは粗悪なハサミでシルクに刃を入れたいと思うか?」
トリシアはプルプルと首を横に振った。
「だからさ、まずは道具を改革しようよ。
絹という新素材が浸透してからでもミスリル布やらアダマン布を普及しても遅くないだろう?」
「なるほど、段階的に新素材を投入か。
悪くないな。
まずは品質の良い絹製品を使って立場を確立させておくわけだ」
性急なミスリルの普及は価格崩壊にも繋がる。
ファルエンケールの経済にもよろしくない。
「つーことなんだけど……マストール、協力を頼みたい」
「ふむ。職人用の最高級道具の普及か」
「プロ仕様の道具は高価になるし、その雛形を作る栄誉はマストールに譲りたいんだが」
「引き受けよう」
職人心を
「もちろん、売れた数だけロイヤリティを払うよ」
「ロイヤリティとは何じゃ?」
「ロイヤリティってのは……」
俺はロイヤリティの説明をする。
基本的にはデザインとかの使用料の事だよ。
マストールのデザインや意匠などを量産するんだから、彼の著作権に金を出すのは当然の事だ。
もちろんティエルローゼにはない概念だけど、俺はこっちの世界にもそんな概念を作っていきたい。
産業の基盤は職人たちの努力によって支えられている。
優れたデザインやアイデアに金を出さなければ、職人のやる気や生活力が向上しない。
職人が働けないと技術の向上も望めないでしょ?
「ロイヤリティは五%ってところかな?」
「一セット金貨五〇枚くらいとシンジには言ってあるんだが……」
トリシアが申し訳無さそうに口を挟む。
「金貨五〇枚? 最高級なんじゃぞ?」
「ああ、俺がそこに金貨四五〇枚出すよ。
合わせて金貨五〇〇枚でどうだ?」
俺はさらに計算する。
「鉄で複製した場合、一セットの価格は二〇〇分の一くらいか?
金貨二枚と銀貨二枚だね。
これの五%だから、銅貨三枚がロイヤリティとなる。
鉄製の複製品が一つ売れるたびに、マストールには銅貨三枚が手に入るわけだよ」
マストールはまたキョトンとした顔だ。
「その鉄製のは儂が作るわけじゃないんじゃろ?
なんで儂に銅貨三枚が入るのじゃ?」
「うーん。マストールのデザインを使うからだよ。
その使用料が銅貨三枚になるんだよ」
マストールは「よく解らん」といった顔だが、なんとなく首を縦に振る。
「まあ、入ってくるのは別にいいのじゃが、儂が何も手を出してらんのに勝手に金が入ってくるというところが微妙じゃ」
職人的には自らの手によって生み出した製品の対価として金銭を貰うのが自然なんだろうな。
何の労力も払わず金が湧いてくるという仕組みにしっくりこないのかもしれない。
「もちろん、このロイヤリティは、ウチの工房から出荷した分だけに適用されるものだよ。
他の職人が真似をして作った場合は支払われないよ」
「ふん。儂の最高級品を真似できたら天晴じゃよ。
ケントになら真似できようがな」
いやいや、俺の技術じゃ難しいよ。
マストールが作ったら芸術的なエングレーブとか入れそうだし、俺はそういう芸術性がないからな。
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