第26章 ── 第21話

 前世の記憶を取り戻したトリシアは、なんだかスッキリした顔で執務室を出ていった。

 俺は財務関連の申請書類にサインと押印をして午前中を終えた。


 昼食は麺つゆのかつおだし的な匂いが漂ってきていたのでウキウキしながら食堂に行く。


「この匂いはソバじゃ!」


 シンジと共に出かけていたらしいマリスが麺つゆの匂いに釣られてロビーに飛び込んできた。


「この世界にもソバがあるのかい!?」

「あるとも! ソバが出る時は天丼も出るのじゃ!」

「え? 天丼もあるのかい!?」

「白いご飯の上に載ったテンプリは極上じゃぞ?」

「それは『天ぷら』だと思う……」


 俺は苦笑してしまう。相変わらず「天ぷら」という単語になってない。


「マリス、また『テンプリ』って言ってるぞ」

「マジかや!?」


 合流した俺が指摘するとマリスはショックを受けた顔になる。このクセを治そうと努力しているらしいんだけどね。


「まあ、寝言でまで『テンプリ』って言ってたからなぁ……」

「マジかや!? もう治らんかもしれんのじゃ……」


 どうやら理解したらしい。


 三人で食堂に入るとトリシア、アナベル、ハリス、エマ、フィル、クリスはもう席についていた。


「遅いぞ」

「すまぬ。シンジを孤児院に連れて行っておったのじゃ」


 どうやら孤児院に遊びに行っていたらしい。

 最近の孤児院の子たちは、年長が貴族や商家などに使用人として働きに行ってしまうため、小さい子たちが退屈しているらしく、マリスが良く面倒を見に行っているらしい。


 マリスの事だから一緒に遊びまくっているんじゃないかと思う。

 アンネ院長の迷惑になっていなければいいのだが。

 少し寄付金を上乗せしたほうが良いかな?


 自分の席に付いて料理が運ばれてくるのを待つ間、仲間たちの報告などを聞く。


 トリシアがシンジを見ながらニヤニヤしているのが気になる。


「この世界の孤児院は中々凄いね」

「どう思った?」

「さすが日本人のケントが治めている街だと思ったよ」


 ティエルローゼの一般的な孤児院は大抵の子どもたちは衣食住の内、住だけが満たされていて、衣食に関しては蔑ろにされる事が多い。


 そういう孤児院は、運営費用が行政から殆ど支給されないのだから仕方がない。

 大抵の国や街では、こういった慈善事業は殆ど行われない。

 裕福な都市部で富裕層や貴族が金を出す事はあるが、未来の労働力を確保するためだけの理由だったりする。

 出資者が邪な目的で女の子供や赤ん坊だけが保護する事だってあるそうだ。


 未来を担う子供をそういった目的で孤児院に集めておくなんてのは、人的資源の損失に他ならない。

 子供は将来どんな才能を開花させるか全く解らない存在だ。


 通常、親を持つ子供は親の職と同じ仕事に就くことが多いティエルローゼにおいて、親がいない孤児院の子どもたちは、実は非常にアドバンテージが高いと俺は考えている。


 親がいない代わりに、選べる職業は自由だ。

 ということは、秘めた才能を埋もれさせる事も少なくなる。

 生活の補償を行い、文字の読み書き、算術などの基礎的な技術を教え込めば、将来優秀な人材に育っていく可能性があるわけだ。


 なので、俺はクリスに命じて年間金貨五〇枚の予算を孤児院に認めているのだ。


 だからシンジに孤児院運営を褒められるのが少し嬉しい。


「特に服がいいね。

 女の子はメイド服みたいな感じだし、男の子はブレザーみたいなヤツだった」

「ケントさんのデザインなのですよ」

「へぇ。ケントはデザイナーもやるのかい?」

「いや、なんとなく作ってみただけなんだけど」

「なんとなくであのレベルか……」


 シンジが何か計算深い商人のような顔つきになった。


「黒を基調としてシックなデザイン……もう少しカラーバリエーションを……」


 ブツブツと呟くシンジをトリシアが笑ってみている。


「シンジ。その様子を見るとブティック・マリアの運営は上手く軌道に載せられたようね」

「ああ、今ではおさとさんに任せておけば上手く回るように調整したよ、姉ちゃん」


 トリシアの言葉にシンジは無意識に答えている。


聡子さとこに任せてゲーム三昧?」


 シンジがハッとしたように顔を上げた。


「え!? あれ!? 今、姉ちゃんがいたような……?」


 シンジはキョロキョロと周りを見て、ニヤニヤ笑うトリシアと目があった。


「えっと……今言ったのはトリシアさん……?」

「お姉ちゃんだよ」


 シンジが衝撃を受けたような顔になる。


「え? 何かの冗談じゃ……?」

「いや、シンジ。トリシアは冗談は言ってないよ」


 俺も少し面白くなって口を挟んだ。


「トリシアは君の姉の生まれ変わりだ。

 片瀬真理亜は地球で死んだけど、魂はティエルローゼでエルフとして生まれ変わったんだよ」

「マジか……?」

「ああ、マジだ」


 シンジは信じられないという顔だ。


「ま、前世の記憶までは無かったけど」

「でも今、ブティック・マリアって……」

「ケントに頼んで、前世の記憶を思い出させてもらったのよ」


 トリシアの口調がいつものガサツな感じではなく、非常に女性らしい喋り方なのに微妙な気分になる。

 元が相当な美人だけに、非常に女らしく見える。


「それが片瀬真理亜の時の口調なのか?」

「そうね。トリシアとしての口調とは大分違うでしょ?」

「調子狂うね。それはシンジと話しをする時だけにした方が良くないか?」


 微妙なモノを見るような顔をしていたマリスとアナベルがコクコクと猛烈なスピードで頷いている。

 何故かハリスが背もたれの方に身体ごと向けて肩を震わせていた。


「という事だ、シンジ。私はお前の姉という事だ。前世の事ではあるがな」


 いつものトリシアの口調に戻して彼女は爽やかに笑っている。

 だが、彼女の頬が少し赤いのに俺は気づいた。


 ちょっと照れてる感じか。

 ま、魂だけだけど姉弟の再会だろうし、気恥ずかしい感じなのかもね。


「マジで真理亜姉ちゃんなのか?」

「そうだ。あっちでは暴漢に何もかも奪われたがな。

 こっちではあんなヘマは絶対にしないから安心しろ」


 トリシアがいつものようにニヤリと笑う。


「本当に何でもありか……」


 天井を仰ぎ見るシンジが目からポロポロと涙を流し始めた。


「ゲーム中に死んだと言われて最初は信じられなかったけど、この世界は無くしたものが返ってくる世界なんだね。

 一番取り戻したかったものが返ってきたよ……」


 ふむ。面白いことを言うな。


 大切なものを失う事は辛いことだ。

 それが取り戻せたか……


 外の世界には何もなかった俺も、ティエルローゼに来てからかけがえのないものを色々と手に入れてきた。


 俺の一番欲しかったもの。

 俺も家族や仲間が欲しかったのかもしれない。


 トリシア、ハリス、マリス、アナベル。

 アモン、アラクネイア、フラウロス。

 エマにフィル。

 リヒャルトさんを筆頭にユーエル家の一族。


 みんな俺の家族みたいなもんだ。


 ティエルローゼは正に俺にとっても安住の地といえるかもな……


「旦那様、お食事をお持ちいたします」

「あ……うん。リヒャルトさんお願いするね」

「畏まりました」


 トリシアとシンジの会話でしみじみしていたら、突然リヒャルトさんに声を掛けられて少しビックリしてしまった。


 それにしてもリヒャルトさん、もう仕事に復帰しているのか。

 生き返ったのは昨日だろう?

 本調子じゃないんじゃないのか?


 料理のカートを押しているメイドたちを連れて返ってきたリヒャルトさんが、俺の顔を見て少し苦笑いを浮かべる。


「旦那様。ご心配をお掛けして申し訳ありません」

「昨日の今日で、もういつも通りに働くのはダメじゃないの?

 もう少し休んでいないと……」

「いえ、もう身体に何の異常もありませんし、私が働かなければ、館の運営に支障が出てしまいます」


 申し訳ない。もっと俺が自分の館の仕事をするべきだよね……


「旦那様、すぐにでも感謝の言葉を述べさせて頂きたい所ですが、今は先にお食事をなさって頂きますようお願い致します」


 見ればシンジもマリスもカートの上の天丼に釘付けだった。


「あ、ああ……そうだね。みんなに食事を待たせちゃマズいね」

「そうよ。天丼は私も好物なんだから、待たされちゃ堪んないわ」


 エマさん、すみません。

 午後から損耗したゴーレムの再生産に尽力してもらう積りなので、しっかり食べてくださいね。


 リヒャルトさんが指示を出すと、メイドたちがみんなに給仕を開始した。

 俺の前にも天丼、天ぷら、大盛りのソバが置かれる。


「おお……天ぷらじゃん。めちゃくちゃ美味そう!」


 涙の再会だったのに、泣いたカラスが笑ったってヤツですかね。

 料理の力は凄いねぇ。


 俺はみんなを見渡し、料理が行き届いたのを確認する。


 んじゃぁ、頂くとしましょうか。


「それでは、頂きましょう」

「「「頂きます!!!」」」

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