第26章 ── 第20話

 例の夢空間で色々と提案したら即採用だったので、暗黒騎士ジリスの処理をタナトシアに押し付けた。

 タナトシアが良い笑顔で請け負ってくれたので、ヤツの待遇は熾烈なものになるだろう。


 死後に行くはずの地獄に生きたまま連れて行かれたからなぁ……

 一粒で二度美味しい的な感じなんだろうか?


 ま、もうタナトシアに連れ去られたので、この問題はもう終わりだ。


 それよりも、執務室に戻ってくるとトリシアの訪問を受けた。


「話がある」

「改まって何? トリシアにしては珍しいな」

「シンジのことだ」


 ああ、アレから俺が気絶したもんで問題が棚上げだったっけ。


「シンジがどうかしたの?」

「私の前世がアレの姉だというのは本当なのか?」

「多分だよ。魂の種類っていうのか、色というのが凄い似てるんだ」


 トリシアは難しい顔をしつつソファに座る。


「私がヤツと話している時なんだが、不意に懐かしい気持ちになる事がある」


 トリシアにも思い当たるような感覚があるようだが、その気持ちを持て余しているってところだろうか。


「トリシア。俺にそういう人生相談に乗れる才覚があると思う?」

「まあ、ケントはヤツと同じ転生者だし、神々とも交流がある。

 それにどっちの世界の事もよく知っているだろう?

 私に相談できる存在はケントしかいない」


 うーむ。

 カウンセリング的なものを求められてもなぁ……


 俺は基本的にコミュ障だし、思い返してみれば非常にドロドロした憂鬱な人生を歩んできた。

 人様に説法できるような人生じゃないし、世間一般的なカウンセリングなどできるはずもないじゃないか。


「トリシアはどうしたいんだ?」

「私か? 私は……」


 トリシアには家族がいない。

 唯一の家族と呼べる存在は彼女を養育してくれた遠い親戚筋の人々だけだ。

 そう。シャーリーの実家だ。


 シャーリーとは姉妹という感覚はあるそうだが、彼女の両親にはやはり遠慮があり、父母という感覚はないらしい。


 それが、シンジと初めて会った頃から妙に懐かしいというか、シャーリーへ向ける時と同じような感覚がトリシアにはあった。


「シンジと出会ってからだと思う。脳裏に私の知らない風景や光景が浮かぶことがあるんだ」


 それはフラッシュ・バックのようにトリシアの心に浮かび、心を動揺させるようだ。


「このままでは私はケントの役に立てなくなるかもしれない」


 トリシアはそれを最も恐れていると言う。


「そんなに深く考えなくても良い気がするけど……」


 俺は少し考える。

 トリシアにとって何が最善だろうか。


「それに対する対処法だけど、二つの選択肢があると思う」


 一つは生前の記憶を思い出させ、前世と今世の記憶を統合させてしまう方法。

 こうすれば、思い出される記憶に齟齬はなくなり、混乱も静まるのではないか?


 もう一つは、生前の記憶は完全に封印するか、消去する。

 これを実行すればフラッシュ・バックのような記憶の混乱は起こらなくなる。


 二つの方法をトリシアに説明すると、トリシアが顔をグシャグシャにした。


「家族というものへの憧憬は、私が幼い頃からあった。

 シャーリーという存在が、その気持ちを抑えていたんだろうな。

 彼女を失ってからの私の心はずっと寂寥の念に駆られているんだ」


 魔物に両親を奪われたトリシアは、幼い頃から魔物に対する強い復讐心を持っていた。

 シャーリーもそれを知っていて彼女が冒険者になる時、一緒に来てくれたんだろうと言う。


 そのシャーリーを失った時、トリシアの心の一部が少し壊れたのだろうと彼女は言う。

 だからだろうか。

 王国の砦を襲ったドラゴンの討伐隊などというモノを組織した。


 その討伐隊はドラゴンに簡単に打ち負かされてしまったが、トリシアを含む数名の冒険者は生き残った。

 右腕を失ったトリシアは、精神的にも完全に打ちのめされてしまった。

 彼女は冒険者を引退し、そして故郷であるファルエンケールへ戻った。


 当時、伝説の冒険者として既に名を馳せていたトリシアが、遊撃兵団の団長に就任するまでに二〇年の月日が必要だったらしい。


 このような経歴を持つトリシアに、果たして前世の記憶を戻しても大丈夫だろうか。

 シンジの話によると、前世の最後は非常に悲惨なモノだったらしいと言う。


「私には選べない……ケントが選んでくれないか?」

「俺が!? そんな重要な選択を俺なんかに任せて良いの!?

 今よりもっと酷い精神状態になっちゃうかもしれないんだよ!?」


 流石の俺もそんな重大な選択を任されては困る。


「構わん。ケントに責任を押し付けはしない。

 私がケントに選ばせる事を選ぶんだからな」


 いつものように強い意思を目に宿したトリシアの言葉は、もう決定事項だと言わんばかりだ。


「うーむ。

 じゃあ……一度記憶を思い出させて、ヤバそうだったら記憶を消すってのがいいかもね?」

「前世の記憶とやらを思い出させる手段はあるのか?」


 多分、創造神の力を使えはチョチョイのチョイだと思う。

 シャーリーが色々開発した精神系治療魔法を改造して使うことでも同じ効果は得られそうな気はするけど、「前世」の記憶まで操れるかどうかが疑問だ。

 それに該当するセンテンスに手持ちはない。


「多分、俺が使える力で思い出させることはできる気がする」

「そうか」


 トリシアはニヤリと笑う。


「では、早速始めてくれ」

「今から!?」

「ほら、ケントの世界の言葉にもあったろう。なんと言ったか。善を急ぐ……だったか?」

「いや、『善は急げ』だな」

「それだ」

「善かどうかは解らんけど、トリシアが望むなら仕方ないな」


 俺は美人のお願いには弱いのだ。普通の男は大抵そうかもしれんが。


「んじゃ、そのソファに横になってくれ」


 トリシアは言われた通りソファにゴロリと寝転がった。


「もし失敗したら、嫁に貰ってくれよ」

「却下だ。

 精神的に壊れて、扱いが非常に面倒臭くなったトリシアに用はないぞ。

 心を強く持って、成功に寄与してくれ」

「ふふふ」


 メンヘラ気質のエルフは見たことないけどな。

 俺がファルエンケールで出会ったエルフは結構楽天家ばかりだったし。

 表面上陽気でも心の中はドロドロだったりするのか?


 トリシアが目を閉じたので、俺もトリシアの額の上に手をかざして目を閉じる。


 そして精神を集中して創造神の力を込めていく。


 トリシアの魂の奥にある記憶を呼び戻すように念を込める。


 ゾワッと神の力が腕を通り、かざした手に集まっていく。

 その力がライトの光のようにトリシアに降り注ぐようにイメージしながら精神を集中する。


「うっ……」


 トリシアが少し呻き声を上げた。

 目を開けると、閉じた瞼の下で眼球が激しく動いているトリシアの顔が見えた。

 少し苦しそうだが大丈夫だろうか?


 しばらく手をそのままにしていたが、力の放出が完全に止まった感覚がしたので手を下ろした。


 トリシアは目を閉じたままだ。

 苦しげだった表情は、もう元に戻っている。

 俺はトリシアが目を開けるまで、じっとトリシアの顔を見ていた。


 トリシアの目が開いたのは五分ほど経ってからだ。

 心配そうな俺の顔を見て、トリシアはいつものようにニヤリと笑った。


「私の前世とやらは随分と短い人生だったようだ」

「全部戻ったのか?」

「ああ、シンジの事も思い出した。

 あいつは本当にダメなオタク野郎だったからな」


 トリシアは上体を起こし、ソファに座り直す。


 俺はトリシアの両目を覗き込んで、狂気や混乱の色がないかチェックする。

 トリシアは俺の行動に文句も言わずに静かにしている。


 精神崩壊などの色ははない。どうやら成功したようだ。


 俺がホッと短く息を吐くと、トリシアは俺の頬に軽く唇をあててきた。


「にゃ! にゃにをする!」

「うはは。お礼の接吻だ。夢心地だろうが」


 この悪戯小僧め!


 茹でダコのような俺を見るトリシアの目は非常に優しい感じだが、いつものトリシアよりも女性チックな感じがした。


「片瀬真理亜か」


 トリシアが前世の名前を呟く。


「なんと自由奔放な人生。

 いや……それにしても……コイツはダメだ」


 何故かトリシアはガクリと肩を落とす。


「ダメなの?」

「ああ、ダメすぎる。

 まず、危機感がない。これは死んで当たり前だろう。バカ過ぎる」


 トリシアが前世の自分にダメ出しを繰り返す。


 武装もせず夜の街を歩く。

 街角の男の話に興味を持って付いていく。

 そういうリスクに対処する体術も技術もない。


「死んで当然。

 このティエルローゼなら二〇〇〇回は死んでるはずだ」


 そりゃ弱肉強食のティエルローゼと比べちゃダメでしょ。


 平和の塊みたいな日本で生まれ育った若い女性なら、海外も日本みたいに安全だと勘違いしたままってのは多い。


 実際、日本の外は危険がいっぱいだし、先進国の筆頭に挙げられるアメリカだって日本からしたら無法地帯も良いところだよ。

 世界を渡り歩いていたとシンジは言っていたから、相当危険な地域に足を踏み入れた事だろう。


 ただ、シンジの話では美人で頭がいい子だったらしいんだが……?


 俺は少し考えてから思い至った。


 ああ、現実世界はレベル制じゃないしなぁ。

 レベルが上がって知力度に数字を割り振れるわけじゃないもんな。

 ティエルローゼ人であるトリシアは既にレベル九三……いや、今見たら九五まで上がってるな。


 レベル九五のトリシアから見たら、現実世界の人間が愚かに見えるのも仕方ないのかもしれない。


「この程度の暴行で死ぬなど身体の鍛え方が足りん。

 ま、ケントに出会った頃の私も似たようなモノだったかもしれんがな」


 今と前世では危険への心構えも、技術や知識への価値観も全く違うようで、自分の記憶だというのにトリシアにとって他人事みたいに見えるのかもしれない。


 俺と出会った頃はレベル四〇台だったトリシアは修業に励み、今では亜神レベルの存在となった。


 聞いた話では死後はアルテルの使徒となる事が決まっているらしい。

 まあ、エルフが死ぬのは何百年、いや何千年も後だろうから、何の問題もないが。


 それにしても、姉御肌ながら優秀な司令塔であるトリシアの性格がガラリと変わったりしなくてよかったな。


 なにはともあれ、トリシアに前世の記憶が戻ったわけだから、現代知識を持った仲間が増えたって事になる。

 これはティエルローゼに現実世界の技術や知識を更に持ち込む好機かもしれんね。

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