第26章 ── 第8話

 シンジは色々ありすぎて疲れているようで、夕食後はエマへの秋波もそこそこに充てがわれた部屋へと戻っていった。


 俺は久々に執務室で仕事をこなすことにする。

 久々すぎて、現在のトリエンの状況が変わりまくっていて、クリスに補佐と説明を任せる。


「これは財務に関してだ」


 クリスに渡された資料に目を通す。


「とんでもない収益が出ているな……」

「ああ。この半年で一国の年間予算に匹敵するほどだ」


 魔法道具文明の復活という偉業が周辺各国に知れ渡り、魔法道具の対外交易がもの凄い事になっている。


 ファルエンケールの鍛冶工房の全面協力のお陰で、原材料費が非常に低く抑えられているのと、エマとフィルの協力と俺の技術革新が影響しているようだ。

 ただ、生前のシャーリーが培ってきた知識や技術が残っていた事が最も大きい。


 ブリストル大祭にもっと資金提供して彼女への鎮魂に力を注ぐべきかもな。


 しかし、このままでは不味い。

 富の偏りは諍いの種になりやすい。

 何か理由を付けて、トリエンの富を他の地方、いや他国も含めて再分配する必要がありそうだ。


 金貨二億枚とか半年で稼いで良い額じゃないからな。


 トリエンに金貨が集まっている以上、他の地域や国の金貨が減っているのは間違いない。


 やはり都市用下水処理機や汚染物質除去装置などの大規模魔法道具の売上がこの収益に繋がっている。


 ファルエンケールの件で開発したヤツをベースにした装置だけど、殊の外自然環境保護の観点から非常に問題視されていたのか、王国内の大都市だけでなく、各国からの買付けが非常に多い。


 今でも注文がいくつもあり、役場の職員が取り付けする都市の規模や処理場などの視察に行っていると聞いた。

 汎用的な設計では不具合が出るので、視察団の派遣は必須らしい。


 今、館の隣の役場だけでは回らないので、トリエンの新市街地にはトリエン役場第二庁舎が建っている。

 そっちは隣の役場の三倍も大きい。見た目もかなり巨大だ。


 そのうち総合庁舎みたいなのを作るべきかもな。


 俺はこの富の偏在の問題を解決するために、クリスに指示を出す。


「トリエンの運営に必要な財は確保した上で、余分な金はオーファンラントの環境や設備への投資に回せ」

「良いのか?」

「ああ、金が唸るほどある状態は健全じゃない。

 余剰資金は社会福祉へと回してしまうのがいい。

 今は、輸送交通網もできていないんだし、そっちの開発に回すのが良いだろう」


 俺はオーファンラントの地図を棚から出して執務机の上に広げる。


「まずはトリエン周辺からいこう。

 北への街道の整備が最初だが、南の帝国……それから西の群小諸国、とりわけウェスデルフにつながる街道の整備は急務だと思う」


 羽ペンで従来の街道をなぞり、さらに太い線に書き換える。


「これは物資の輸送路になるから、馬車が四台並べるくらい太い街道に作り変えよう」

「四台? それは随分太いな」

「そのくらいの物量が将来行き交う事になると思うよ。

 なら、自由が利く今のうちにやってしまうべきだろうね。金もあるし」


 クリスが何か頭の中で計算しているような顔になっている。


「莫大な経費が必要になるな……」

「ああ、半年で国家予算並の収益だぞ? そのくらい数年で回収できるだろ」

「確かにそう思うが……今だけじゃないのか?」


 大型魔法装置が行き渡ったら、今の収益が維持できないと言いたいらしい。


「そんな事か。

 未来を見据えれば、それは杞憂だと思うよ」

「他に何か収益が見込めるのか?」

「確かに巨大インフラの売り上げは膨大な利益を生むが……それだけなら確かに頭打ちだな。

 その後の事を考えた投資をしておかねばならない」


 俺は小難しい事をクリスに説明する。


 例の装置群によって街の衛生状態がよくなるとどうなるか。

 病や毒による死者が減り、住民の寿命は確実に伸びる。

 そして乳幼児の死亡率も下がるだろう。


 なにせ魔法の蛇口は汚染されていない綺麗な水が出てくるんだ。

 これの普及率が今確実に上がっているし、下水も汚物も浄化できるわけだ。


 間違いなく人口の急激な増加が起こるだろう。

 となると必要となる食料や物資が劇的に増加する。


 それなのに物資の輸送経路である街道が今のままでは、大量の物資輸送はままならない。

 放っておけば、都市部は人口過密、物資不足で荒廃していき、都市機能すら維持できなくなる。


 それを踏まえた街道整備だ。

 トリエンだけでやってもまるで意味のない施策だ。

 王国内、周辺諸国を巻き込んで行う一大事業と言えよう。


「もちろん国王陛下の裁可は必要だけど、金の大半をうちで出すと言えばいなとは言われないと思うんだけど」


 クリスは少し考えつつも頷く。


「確かにそうだが、軍事面も考慮済みか?」


 つい最近、隣国に攻め込まれるという出来事があった事を言っているのだろう。


「確かにな。街道などの交通の便が良くなるという事は、軍事活動も容易になるって事だからな」

「そうだ。法国の件もあるが、つい何年か前まで、王国は帝国と小競り合いをしていたんだ」


 確かにそうだ。帝国とは道が一本だけで大量の軍隊が攻めてくる事は殆どなかった。

 これが太い街道で結ばれていたら、王国はもっと必死に国防に力を注がねばならなかったかもしれない。


「しかしな。今、この国に攻め込んでくる国があるかね?」


 オーファンラントは今、多くの神々に注目されている国だ。

 いや、トリエンだけが注目されている気もするけど。


「ケントがいる限り、攻め込まれても簡単にはいかないだろうね……」


 法国との戦争の結果はクリスも知っているだろう。


 たった数人で膠着状態の戦線をひっくり返し、その少数で法国に攻め込んで滅亡させたのだ。

 完全な情報でなくても、漏れ出てくる情報からトリエン勢力は凄まじい破壊を簡単に行える事は簡単に推測できるに違いない。


「逆も考えてみると良いよ。国防の観点じゃなくて」

「こちら側からいつでも大軍を送り込めるぞって事だな?」

「そうだ。街道を使ってゴーレム軍がなだれ込んで来る」

「それは想像もしたくないだろうな」

「だろうね。だから国防の観点から見ても悪くないんだ。これは抑止論という考え方だけど」

「抑止論?」

「ああ、俺のいた国の考え方だ。強国同士が相手を何度も破滅させるほどの力を持つと、どちらも容易に戦いを挑めないという理論だね」

「でも、他国はここより力はないぞ?」

「うん。だからゴリ押しも可能だろう?」

「となると他国はいつ攻め滅ぼされるか眠れない日が来るんじゃないか?」


 クリスの言いたいことももっともです。


「そうだろうね。でも、それは今でも変わらないよね?

 太い街道がない今でも、法国は滅んだよ?」


 クリスはハッとする。


 突然強大な軍事力を持ったオーファンラントは、他国から現時点でそう思われているという事に気付いたようだ。


「ルクセイド領王国が同盟を急いだ理由だよ。

 ウェスデルフを簡単に属国にしたんだからね」


 東側では最大の軍事力を誇っていたウェスデルフは俺のパーティだけで屈服させた。

 ルクセイドもウェスデルフの存在は知っていたが、越えることも難しい山脈があったお陰で東側の防備は考えていなかった。


 トンネルが掘られ、人などの行き来が始まった今となっては、こっちの情報もルクセイドに流れている事だろう。

 トンネルが開通したあとの同盟話の加速度は眼を見張るものがあった。


 法国との戦争で一時中断していたが、聞いた話では戦後二週間もしない内に同盟の調印が行われたという。

 ルクセイドは空を制する軍隊を擁した軍事国家だが、その国が同盟を急いだ理由は、トリエンの勢力に他ならない。


「もう既にティエルローゼで最大の軍事国家なんだよ、オーファンラントはさ。

 街道を太くしたいと言っても、誰も、いやどの国家も嫌とは言えないんだ」


 クリスは「ああ……」と短い返事を返しつつ、深い溜息を吐いて項垂れた。


「私の手に負えないほど大きなことになってる気がするんだが……」


 俺は「プッ」と吹き出した。


「もっと前から手に負えない事態になってるんだよ」

「そうなのか……?」

「そうだよ。俺がトリエンの領主になった頃からだね。俺は国王陛下にしっかり宣言しておいたんだ」

「何て……」

「好きにしますよってね!」


 クリスの脳裏にその映像が浮かんだのか、すごい苦笑いだ。


「ケントが好きにしたら、王国どころか他国を巻き込んで大事になるな……」


 クリスがやれやれポーズをしつつ囁く。


「神々すら巻き込んでる段階で気付くべきだった」

「ま、神すら止められないよ。俺の好きにしていいって言葉は、国王だけじゃないからね」

「国王だけじゃない……?」

「ああ、精霊たちと創造神のお墨付きだよ」

「何を言っているのかサッパリ解らないが……

 ケントの事だ……本当に実現してしまうかもしれないな」


 人間が自分の想像を越えた事を考えるのは無理だ。


 クリスは俺の言葉を比喩とか何かの言い回しと思っているようだが、それは間違いなく俺が精霊と創造神に言われた真実なのだ。


「前に言ったはずだよ。クリスはミクロ経済をやればいい。

 俺はマクロ経済を考える。

 大陸全土を巻き込んだ一大経済圏を確立させてみせる」

「聞いた事ある言葉だ。確かアルフォートもいたっけ」


 その時は大陸というより王国と帝国だけの話だったんだが、今では大陸西側をも巻き込んでみたいと思っている。

 あちらは俺の人生の必需品たる米、醤油、味噌などの生産地なのだからね。


 こっちでも作れるようになれば問題はないかもしれないが、やはり産地は多い方がいい。

 銘柄選びで悩むってのは結構幸せの一時だと俺は思うし、平和ってそういう事だよね?


 大陸の平和を維持するってのは、そんな事ができるって意味じゃないかな?

 多様性ある世界が平和なのが一番いい。


 もちろん小さい争いは否定しない。

 多様性は対立を生むのも自然の摂理だ。


 だが、戦争はダメだ。人的損耗は俺は容認できない。

 だからこその世界一の軍事力を背景に睨みをきかせる。


 街道整備でそれができるなら、大いにやってしまおうではないか。


 ま、街道整備って観点で、ここまで妄想を膨らませるってのも厨二病ならではって事で許してくれ。

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