第25章 ── 第33話

 アースラがクランを再び掌握した事で、とりあえずの問題は解決した。


 だが、今回の実験はこのくらいにしておいた方が良さそうだ。

 これ以上、アースラの関係者に詮索されるような状況は避けなければならないだろう。


「アースラ、一度戻ろうぜ」

「そうだな。メールを一通だけ送らせてくれないか?」

「ああ、家族にだな?」


 アースラは申し訳なさそうな目をしつつもコクリと頷いた。


「んじゃ、三〇分後にステインのポータルの前で落ち合おう」

「了解した」


 俺はすぐにステインへと戻った。

 とりあえず、ここを転送拠点にしておこう。


 アースラが戻ってくるまで、俺はゲーム内Webブラウザで銀行のオンライン口座などの整理をする事にした。


 ドーンヴァースのWebコインを大量に買ったり、放置されているであろう自分の遺体の処理や葬式の手配、墓の購入など、出来得る限りの手続きを済ます。

 この辺りは匿名で依頼したから後で病院や警察に怪しまれるかもしれない。

 ま、それはそれで仕方ない事だが。


 諸々の手続きは三〇分も掛からず終わった。

 ゲームへダイブ中に死んだ時の為に用意はしておいたのだよ。

 ドーンヴァースでゲーム中に何件か死亡したというニュースを前に見て色々と考えてたんだけど、それが役に立ったわけだ。

 まさか異世界転生するなんて思いもよらなかったけど……


 でも、考えてみたら、本当に突然死してたら、こんな手配の準備なんて意味なかったと今になって気づいた。


 弁護士事務所とかと契約して、死後に連絡が行くようにしておいた方が現実的だよね。

 だって、死んだら誰が手続きするんだって話だ。

 異世界転生してなかったら出来ないじゃんね。


 それはともかく、生前稼いだあぶく銭が三億以上も残ってしまった。

 使い道もないので、国際的な医療機関や慈善福祉機関などに分散して寄付してしまおう。

 まさか自分がこんな善行をするなんて思ってなかったよ。


「これで送金完了っと」


 ポチポチとAR拡張現実キーボードを叩いているとアースラがやってきた。


「待たせたな」

「時間いっぱいだったな」

「文面に悩んでいたんだ」


 死んだはずの旦那からメールが来るなんて遺族からしたらビックリするだろうし、その配慮は解るよ。


「んじゃ、ティエルローゼに戻ろうか」

「ああ」


 アースラは少し淋しげにドーンヴァースの青い空を眺めている。


「んでは『異世界帰還』!」


 掛け声で瞬時に目の前がブラック・アウトする。


 目を開けると研究室のベッドの上だ。

 アースラの方を見れば、彼も目を覚ましたようだ。


「よし。帰還についても問題ないな」

「リアルでログアウトした時と比べて酩酊感も全くないな」


 アースラは少し頭を振ってみたりしているが、違和感があるはずもない。


 だって、こっちの肉体もドーンヴァースの肉体も全く同じモノだったんだもん。

 装備もステータスもスキルも何もかもがティエルローゼ基準だったんだからね。


 どうも、こっちの世界のパラメータでドーンヴァースのデータを書き換えてしまっている気がする。


「アースラ、実験で解った事だが……」

「ん? 何だ?」

「こっちの世界の方がエントロピーが高いって事かもしれん」

「何だそれは?」

「実際に存在する空間とゲーム内の空間において、情報量の多い世界のデータでパラメータは上書きされてしまうって事さ」


 アースラは頭を捻っている。


「そんな事が起こってるのか?」

「多分ね。

 アースラはドーンヴァースから転生した時のままのデータだったか?

 俺が見る限り、こっちの世界のまんま転送されてたぞ?」

「ふむ。そういやそうだな。確かに、今のこの装備のまんまだった」


 俺は頷く。


「だから、こっちから転送した場合、こっちのデータでドーンヴァースのキャラクター・データが上書きされるって事だ。

 熱力学におけるエントロピーの法則と同じような事が起きているんじゃないかと思ったんだ。

 まあ、言葉としては合致してない気もするが、上手く説明できないよ。

 圧倒的に現実世界の方が情報量が多いんだし、ゲーム内データなんて上書きされてしまうんだと思うんだ」


 アースラは肩を竦めて苦笑する。


「難しい事は考えても仕方ない。そうなってるならそれでいい。不都合もないしな」

「次の実験だが明日にしよう。もう夜も遅いしな」

「ああ、そうしよう」


 俺とアースラは館に戻り一眠りすることにした。

 次の実験は、色々と博打な感じがするので、どんな状況にも対処できるように身体を休めておくに越したことはない。



 次の日の朝食を早々に済ませ、研究室に仲間たちを集めた。


「みんな、待たせたな。漸く実験に参加してもらおうと思う」


 仲間たちを前に、俺はそう宣言した。


「何をするのじゃ?」


 マリスは目を輝かせている。


「そうだな。これから俺がいた異世界に行ってもらう」

「おお! とうとうケントの生まれた世界に連れて行ってくれるのじゃな!?」

「いや、厳密には違う。

 俺のいた世界が運営している仮想世界に行くんだ」

「仮想世界ってのは何だ?」


 トリシアが怪訝な顔をする。


「説明は難しいんだが、とある装置内に仮想空間を作る。

 そこに自分の身体の感覚を送り込んだ人型を用意する。

 その人型を操作して仮想空間内で動き回るわけなんだが、意味判らんよね?」

「サッパリ判らんな」


 案の定理解されなかった。


「やってみれば解るんじゃないですかね!?」


 アナベルは相変わらず能天気だ。


「ただ、一つだけ注意な?

 君たちに何が起こるか解らないし、もしかしたら一生目が覚めないかもしれない」


「……危険……なのか……?」

「解らない。俺とアースラで実験した時は何の支障も出なかったんだ」

「なら大丈夫じゃろ?」

「そうとも言えない」


 マリスはそう言うが、俺たちは元からドーンヴァースのプレイヤーだったから上手く行っただけかもしれない。


「ティエルローゼの現地人での実験は初めてになるんだ。

 そんな危険もあるかもしれないと覚悟だけはしてほしい。

 もちろん、断ってもらっても構わない」

「我はやるのじゃ! 我はケントの行く所なら何処にでも着いていくのじゃ!

 のう、ハリス!?」

「当然だ……」


 いの一番にマリスが実験参加に声を上げ、ハリスに同意まで求める。

 ハリスも間髪入れずに頷いている。


「私も行くのですよ!」

「やれやれ、みんなが行くというのに私が行かぬわけにもいかんだろうな」


 アナベルも積極参加のようだ。

 トリシアは乗り気はしないみたいだが、司令塔として仲間たちの意見には反対しないようだ。


 俺は魔族の三人に目を向ける。


「主の命に拒否はありません。我ら三人もお供いたします」

「コラクス、それは私のセリフですよ」

「久々の青い世界ですかな。我も胸が高鳴ります」


 そういえば、この三人は地球に行ったことがあるんだっけ?


「いや、地球とは違うんだけど……うーん説明できんなぁ。地球内にある魔導装置内に作った仮想空間って感じなんだけども」

「どこであろうと主様とご一緒いたします」


 アラクネイアはキッパリと言い切る。


「解った。

 では冒険の準備をして待機してくれ」

「俺とアースラは異世界転送の準備をする」

「「「「了解!!」」」」


 仲間たちは装備を整え始めた。


「アースラ、七人分のベッドを宿泊エリアから持ってきて。

 俺はVRギアの準備をする」

「解った」


 俺は製造ラインへとHMDヘッド・マウント・ディスプレイの製造命令を端末から入力する。

 基本的な感覚処理はサーバ上で行う仕様にしたので、HMDの魔法付与はライン上で可能な設計だ。


 待つこと一〇分。

 八台分のHMDが製造され、ラインへと流れ出てくる。


「よしよし」


 一応、物品鑑定アイデンティファイ・オブジェクトの魔法で調べてみたが、前に作った二台と同じデータが出てきたので問題ない事が解った。

 ちなみに一台は予備ね。


 アースラが持ってきたベッドに一つずつHMDを並べ、サーバに魔導ケーブルで接続する。


「これで準備完了だな。おっとそうだ」


 俺は七枚の紙を用意し、そこにドーンヴァースの管理端末で事前に登録しておいた仲間用のアカウントとパスワードを書き込んで仲間に渡して回る。


「これは何だ? 見たことあるような無いような文字だな」


 トリシアがアルファベットと数字の羅列に首を傾げた。


「ああ、あっちの文字だ。古代魔法語と同じ文字だよ」

「なるほど。そう言えば古代魔法語に似ているな」


 他の仲間も興味深げに見ているが、魔族たちは一瞥しただけで内容を理解したようだ。


「確かに我々が教えた文字に似ていますな」


 やっぱり文字とか文明とかは魔族が伝えた文化だったんかな。

 似ているって段階で間違い無さそうだ。


「このベッドは何じゃ?」

「ああ、そのヘルメットみたいなのを被って、これに寝そべってもらうんだよ」


 マリスは言われたとおり、ベッドに飛び乗るとHMDを頭に被った。

 全身鎧のフルヘルムは無限鞄ホールディング・バッグに放り込んでいる。


「みんなもマリスみたいにしてくれ」

「何が起こるかワクワクなのですよ!」


 嬉々としてアナベルもマリスに倣う。寝そべってから胸の前で手を組むあたりが聖職者っぽくて面白い。

 そういや野営で毛布に包まってる時も、手を組んでたかも。


 俺はもう一度、HMDの接続を全員分チェックする。

 チェックが終わる頃には、アースラも含めて準備万全となった。


 では俺も装着してと。


「よし、全員準備はいいな?」

「問題なしじゃ!」

「右に同じだ」

「準備……完了……」

「さあ、どんと来いなのです!」


 全員準備は良さそうだ。


「では、実験を開始する。『異世界転送』!」


 一瞬、目の前が真っ暗になる。

 そして目を開ければ四方真っ白な壁のログイン部屋だ。


 仲間たちも無事に転送できたみたいだ。


「何じゃここは!?」

「これは……一体……」

「真っ白です! 神界ですか!?」


 マリス、ハリス、アナベルは大騒ぎだが、トリシアは冷静に周囲を回し、武装や装備の点検を始める。


「召喚陣がありませんな」

「出口も入り口もありません。不思議な部屋ですね」

「流石は我が主、としか言いようがありませぬな」


 魔族たちは至って冷静ですな。


「はい、みんな静かに。

 さっき渡した紙は持ってますか?」


 サッとみんな紙を頭上に上げて見せてくる。


 よし準備はよさそうだ。

 では、ティエルローゼ人初のドーンヴァース体験を開始しましょうかね!!

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