第25章 ── 第29話

 まずHMDヘッド・マウント・ディスプレイの開発だが、これは人の精神波についての仕様文書が例の管理者アカウントの資料の中に存在したので、精神魔法を応用することで実現できそうだ。

 基本的に人の脳内の精神波を均一のデータに落とし込む必要がある。


 しかし、個々人の脳内の精神活動は本来、人それぞれで違う。

 これは学術的には感覚質クオリアと呼ばれている。


 例えば視覚。

 青や赤など、人間は共通の同じ色合いとして認識していると思っている。

 しかし、脳や視神経の発達において、人は均一ではない。

 人が見て認識している色は、実際のところ人それぞれで感じ方が違うのだ。


 これは色弱や色盲という視覚異常を考えれば、自ずと理解できる。

 物質に反射した光を視神経が拾い、脳によって処理され映像として捉えるわけだが、色を感じる視神経の状態によって映像の色合いが人それぞれとなってしまう訳だ。

 視細胞の一種である錐体細胞すいたいさいぼうの感度は、人それぞれに違いがある。

 赤や緑を捉える事を苦手とする錐体細胞を多く持つ者は赤緑色盲と診断されたりするわけだ。

 悪意ある表現として受け取ってもらっては困るが、これは純然たる事実である。


 この状態をHMDにて均一化したデータに変換し、脳内に送り込んで視覚情報とする。

 これが一般的なVRギアの仕様だ。


 勿論、使用前に調整キャリブレーションが必要で、自分が肉眼で本来感じている色合いに設定しなければならない。

 これは先程の感覚質クオリアの問題なのだ。

 自分が脳内で認識している色合いと齟齬がない状態にしなければ、精神的に混乱を来し、重度の精神疾患を発症することもある為、非常に重要な作業になる。


 ヘッドギアに標準搭載する電極によって脳波パターンをトレースし、問題ないデータ値に自動調整する機能は必須だ。


 非常に繊細な機能なので、以前開発した例の魔導キャパシタが能力を発揮しそうだね。


 つくづく人体の感覚情報は非常に複雑だ。

 考慮しなくてはならない感覚として、特殊感覚、体性感覚、内臓感覚に大別される。

 先程の視覚は特殊感覚に分類される。


 VRギアによって様々だが、サポートされる感覚で一番重要なのは特殊感覚。

 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、内耳感覚と、人が直接的に感じ取っているものが集約されている。

 この特殊感覚だけは、全てのVRギアが標準装備している。


 次に重要な感覚は体性感覚で、皮膚の触覚、痛覚、圧覚、冷覚、温覚などをサポートする。

 これも仮想空間においては臨場感を醸し出す為に必須感覚と言えよう。

 ただ、大抵のVRギアでは痛覚はサポートせず、冷覚、温覚などはレベルを落としたりしている。


 VRMMOで、火で焼かれたり、腕を切り落とされたりした時、本来通りに感じ取れば、プレイヤーは一瞬で死ぬ。


 そんな危険な状態に陥るようなVRギアが発売されるわけないだろ?


 さて、最後の内臓感覚だが、尿意や便意、喉の乾き、空腹などを感じ取る感覚だ。


 これも本来の肉体でない仮想空間でも考慮しておかねばならない感覚機能である。


 何日もぶっ通しでHMDを装着していれば、本来の身体は生命活動を維持できずに衰弱死する。

 そういう部分を解消しておかねばマズイ。


 点滴、オムツ姿でVR体験したくないだろ?


 よって、これらの異常を感じた場合、視覚情報として警告表示するように機能させるべきだろう。


 こういった複雑な機能をHMDに一纏めにするのが非常に大変だと思い至る。

 現実世界のVRギア技術って凄いと思う。


 俺にはそこまで小さく作る技能がない。

 というか、精密機器を作る機械でもないと手作業じゃ無理だよ。


 なので俺はそういった処理をサーバ上で行うように作ろうと思う。

 HMDは基本的に脳波の入出力のみに限定すれば楽だろうし。


 ということで、HMD作成。


 基本的設計は魔導波によって人の感覚神経を制圧、脳による身体の制御を奪取する。

 これが最初に組み込む機能だ。

 全身麻酔みたいな感じですな。


 これにより、脳がいくら命令を発しても人体は全く動かない状態になる。


 ただ、交感神経や副交感神経などのコントロールまで奪ってしまうと、身体が死んでしまうので、そこのあたりは奪わないように注意して作る。


 ま、このあたりは精神属性魔法は良く設計されてたりするんだよね。

 例えば麻痺パラライズの魔法なんかは、人の自由を奪って痺れさせる魔法だけど、そういう部分は回避されてたりする。


 こういう部分は現実よりも楽ちんで助かるね。


 次は肉体の情報の読み取り機能。

 肉体の全感覚情報を読み取りデータ化してサーバに送る。

 このデータを元に、生命維持に関する情報を身体に送り返すことで、仮想空間内の情報とは切り離した状態で、身体機能を維持するのだ。


 脳内には仮想空間でプレイヤー・キャラクターがとる行動によって与えられる感覚を送り込む。

 もちろん、脳内で発する身体機能への命令を読み取り、仮想空間内のアバターに送り込む事も忘れてはならない。


 これらも全て精神属性魔法で制御する。

 非常に細かい魔法的作業だが、俺のスキル作れる魔導回路で何とかなりそうだ。


 これら仕様はアースラに伝えておく。

 ソフトウェア上でデータ処理してハードウェアに均一なデータを吐き出してもらわねばならない。


「うへぇ……面倒くせぇ……」


 口ではそういうアースラだが、目の輝きから判断するに嬉々としてやっている感じだね。


 HMDとソフトウェアの設計開発を完了してデータベースに登録する。


 このHMD作成作業の次の日、仲間たちに研究室を急襲されたが、平謝りで許してもらった。

 安請け合いはトラブルの元ですな。気をつけよう。


 こうして、二台分のVRギアHMDが完成したのは作業開始から三日目の真夜中だった。


「何とか形にできたな」


 アースラがHMDが繋がった端末に目を落として安堵のため息を吐いた。


「お疲れさん。早速実験してみるかい?」

「ああ。やってみよう」


 俺らは用意した寝台に横になり、HMDを頭に装着する。


「仕様としては、ドーンヴァースのIDとパスワードを入れんだよな?」

「そう設計してある」


 俺が確認するとアースラはそう言ってニヤリと笑った。


「よし、ではやろう。スイッチを押してくれ」


 俺はそう言ってからHMDのスイッチを入れた。


 一瞬、目の前が真っ暗になるが、次の瞬間には真っ白な長方形の部屋の中にいた。


 直ぐに周囲を確認すると、アースラも同じように白い部屋の中にいる。


「よし。サーバ上のログイン部屋には正常にアクセスできたようだな」

「今のところ成功だな?」

「ああ、今のところはな」


 俺は自分の身体とアースラを確認のために調べてみる。


「装備も服もティエルローゼと一緒みたいだ」

「インベントリ・バッグ内のアイテムも同じだな」


 ふむ。これは面白い。

 脳内で処理しているだけなのに、装備まで一緒なのは興味深い現象だ。


「では、ドーンヴァースへの転送実験だぞ。準備はいいか?」

「いつでも良いぞ、ケント」

「では、失礼して……『異世界転送!』」


 グイーンと目の前の視覚が歪んだ。

 目を瞬かせるほどの時間で目の前の視覚が正常に戻った。


 眼前に広がる景色はステインの街だ。


「おお……確かにステインだな……」


 アースラも転送成功したようだ。


「成功かな?」

「ああ、成功だ」


 アースラは手を前にやりドーンヴァース特有のジェスチャーをした。

 このジェスチャーはステータス画面を表示するためのモノだ。

 本来はこんなジェスチャーは必要なく、脳内で出るように考えるだけでいいのだが、システムを熟知していない初心者プレイヤー用に用意された機能だったりする。


「ふむ。この機能も付いているということは、間違いないくドーンヴァースだな……」


 アースラは自分のステータスを調べつつ懐かしそうに目を細めた。


「ん?」


 アースラの眉間に皺が寄った。


「どうしたんだ?」

「ああ、ウィスが届いた」

「ウィス? 知り合いから?」


 俺はアースラのステータス画面を覗き込む。

 アースラが個人間メッセージやり取り用のウィスパー画面を開くと、そこには短い文書が書かれていた。


「団長! 本当に団長ですか!?」


 アースラは少し混乱したような顔になった。


「団長? アースラのクラン員からか?」

「そのようだ……これはメイサだな。厄介だ」

「メイサって誰?」

「俺のクランのサブ・クラン・マスターだ」


 アースラは周囲をキョロキョロと見回す。

 俺も釣られて見回すと、タウン・ポータルの方から物凄いスピードで走ってくる奴がいた。


「団長~~~!!!!」


 物凄い大声で走ってくるその人物は、道にいるNPCもプレイヤーも吹き飛ばしながらやってきた。


「うわ……もう来やがった……」


 アースラが後ろを向いたかと思うと、クラウチング・スタートの姿勢をとった。


「GO!」


 アースラが一瞬で俺の視界から消える。


 俺は何事が起こったのか解らず、ポカーンとしてしまった。


 走ってきた奴は、俺のところまで来ると立ち止まる。


「ぐぬぬ。団長め。半年もインしてなかったと思ったら、逃げるなんて!」


 アースラが消え去った方向へ目を向けてイライラした口調で言う人物は、白と紫のローブを身に着けた長身のエルフだが、胸がはちきれんばかりのスイカサイズの美女だった。


 俺はスイカに目を奪われ、身動きすら出来ない。


 そのスイカ美人は、一息つくと俺の方に視線を向けてくる。


「あら? 君は……オールラウンダー?」

「え? あ、はい。そうですけど」


 あ、しまった。

 オールラウンダーだと知られると、この世界ではマズイ事に……


 突然、俺はスイカ美女に両肩を掴まれる。


「ふふふ。今、団長といましたね?」

「え? えーと、何のことでしょうか?」

「今、アースラ・ベルセリオスと一緒にいたでしょ!!」


 何、この人……凄い怖い……


 ギュッと肩を捕まれ、逃げられそうにない。


「団長がオールラウンダーとつるんでるなんて……

 アレだけ私たちには手を出すなと言ってたのに!」

「えーと、何の話でしょうか?」


 俺がそう言うと、スイカ美人がジロリと睨んでくる。


「貴方には事情聴取が必要なようね。私たちのクラン・ホールまで来なさい」


 俺は必死に逃げようと身体をよじるが、スイカ美人は怖い雰囲気を残しつつニッコリと笑う。


「逃しませんよ?」

「!?」


 俺は言葉にならない悲鳴を上げた。


 そして、メイサと呼ばれたスイカ美人副団長に引きずられ、タウンポータルへと連れて行かれてしまうのであった……

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