第24章 ── 幕間 ── 泥沼の戦場にて

──もう嫌だ。


 アルバラン軍の一兵卒の兵士は剣を取り落し、右手で鎧や服にこびり付いた返り血や肉片を払い落とそうと無駄な努力をしていた。


 虚ろな目で周囲を見回すと、辺りは死体だらけ。

 生き残っている仲間も自分と似たような状態だ。


 何度も敵は無謀な突撃を繰り返すばかりで、自分たちは只々それに対処するばかりになっていた。


──こんな戦いに何の意味があるのか。


 法国の軍は全く戦闘という物が解っていないような素人の集団だった。

 剣を持つ訓練などしたことはないに違いない。


 自らが振った剣で自分の足を切り飛ばしてしまうバカな兵士など普通はいない。

 投げるつもりもない剣が空中のあらぬ方へ飛んでいったりする者もいた。


 戦に参加して最初に対峙した時は、流石にそれを見て爆笑してしまった。


 だが、法国軍は怯まずに飛びかかってきた。

 そんなアホな行動は、厳しい訓練を受けているアルバラン軍には通用しない。

 法国の兵は即座に剣の露と消える事になった。



 しかし、既にこんな事が二週間以上続いているのだ。


 この一兵卒を始め、アルバラン軍の兵士たちは、精神的に摩耗していた。


 ある者は膝を抱えてブツブツ言うばかり。

 ある者は空を見上げ、何か見えない者を切り裂こうと剣を振り回している。

 ある者は敵の死体を執拗に切り刻んでいた。


 そんな状態になってしまったアルバラン軍にも少なからず被害は出始めていた。


 この一兵卒の部隊は初戦から戦いに身を投じたため、本当に酷い精神状態だ

 最前線はまだ精神的に元気な部隊が守っていた。


 波のように押し寄せる敵軍を何度も何度も押し返す内に、アルバラン、ピッツガルトの両軍は疲弊していった。


 押し返す度に敵軍の死体の山が築かれ、最前線の兵士には少なからず死傷者が出る。


 王国軍全体としては、まだ数千人程度の死傷者だが、これが一ヶ月も続けばどうなるか解ったものではない。



 そんな折に、不思議な魔法の門が現れ、銀色のゴーレム部隊が二〇〇〇体もやってきた。


 アルバランの領主ドヴァルス侯爵閣下が、このゴーレム部隊に歓喜したと聞いている。


 昨年、トリエン地方の領主になったクサナギ辺境伯が送り込んできた精鋭部隊だそうだ。


 そのゴーレム部隊の働きはすごかった。

 整然と並んだ銀色の戦列は、前衛が剣や槍を使い、中衛は巨大な弓を雨のように降らせ、後衛は爆発的な殺傷力を持つ魔法を放った。


 ゴーレム兵は壊されることはなかったし、疲れず、眠らず、動き続ける。


 あっという間に主戦場は押し戻された。

 漸く王国の都市軍は一息つけたのだった。


 だが、その銀のゴーレム部隊ですら、あの法国軍を完全に止めることはできなかった。

 徐々に銀の戦列を越えて押し寄せてくる敵軍が現れ始める。


 単純に数が違うのだ。

 いくら個々の戦力が強くても、一〇〇倍する数が突進するのを止めることはできないのだ。



 あれから一週間。


 敵勢力は未だに数十万はいる。


 王国軍はよくやっていると言えるだろう。

 数の暴力で責め立てられているが、兵士の質も技量も雲泥の差がある。

 そして、疲れ知らずのゴーレム部隊がいる。


 なんとか戦線を維持しつつ、敵の侵攻を抑えている。


 各部隊の隊長たちは援軍が到着すれば一気に押し返せるという感じの事を触れ回って兵士たちを元気づけている。


 一兵卒の兵士も疲れた顔で笑顔を作ったりしているが、そんな望みがあるのかどうかと思い悩まずにはいられない。


 法国の兵はいくら殺しても減ったように見えない。

 王国の後方もカリオハルト自治領からの侵略軍に苦しめられているだろうと密かに噂が流れている。


 都市軍は士気が日々落ち続け、絶望に包まれてしまっている。


 こんな状態で王国を防衛できるとはとても思えない。

 一目散に逃げ出さないのは、最前線で戦うゴーレム部隊がいるからだ。


 あれらのゴーレム兵を指揮する指揮官はたった二人しかいないが、この二人がそれを押し留めているのだ。


 彼ら指揮官は「クサナギ辺境伯が絶対に援軍を連れてくる」と兵士たちを鼓舞して回っているのだ。


 彼らは元々帝国人だったらしい。


 彼らはクサナギ辺境伯と戦った帝国軍にいたと力説する。

 そして、辺境伯の強さを声高に訴えるのだ。


「俺は死を覚悟したね。

 君たちは見たことあるか?

 巨大な炎に包まれた魔神を?」


 彼の話はお伽噺か伝説に残る神々の戦ぶりにしか聞こえない。

 荒唐無稽なのだ。


 だが、彼らの目に嘘の色は見えなかった。


 本当にそんな人物が援軍にやってくるなら……


 そんな雰囲気を疲弊する軍に作り上げるゴーレム部隊の指揮官たちは凄い。

 彼らの頑張りに少しは応えねばならない。

 都市軍兵士たちも死力を尽くして立ち上がるのだった。



 そんな時だった。


 後方にまたもや魔法の門が開いたのだ。


 朝焼けの光の中に出現した魔法の門から、先のゴーレム部隊のように銀の戦列が溢れ出てくる。


「援軍だ……」


 誰かの囁きが次々と伝播し「援軍」の大合唱になっていく。


 魔法の門より出てくるゴーレム部隊は、先のゴーレムと少し違ったところがあった。


 それは整列するゴーレム兵が等間隔に旗を掲げていたのだ。

 その旗には王の紋章が織り込まれていた。


 各都市軍の兵士は目を疑った。


 王の紋章など、領主の城か王城でしか目にする事はないのだ。

 戦場に王旗がひらめくなど聞いたことも、見たこともない。


 魔法の門から出てくるゴーレム兵の列が途切れた。


 次に門から出てきたのは、銀の馬に乗った草臥れた緑色のブレスト・プレートに赤いマントを纏った平凡な顔の人物だった。


 銀の馬は大変見事な物だった。

 朝日に輝き神々しく思える。

 だが、それに乗る人物とは一体何者なのだろうか?


 その後ろから一際大きな王旗をはためかせて最初の人物と同じような銀の馬に乗ってやってきた者を見た時、都市軍の兵士たちの心臓は例外なく一際ドキリと大きくなった。


 朝日を浴びて金色にキラキラと輝く長髪をたなびかせ、見たこともない美女が出てきたのだから。

 その美貌は自ら光を放っているかのようだ。


 耳が尖っている所を見るとエルフなのだと兵士たちは気づく。


「トリ・エンティル……」


 どこからか、またもや囁き声が聞こえた。



「トリ・エンティルだと?」

「まさか……」

「あの右腕を見ろ……ドラゴンにもぎ取られた右腕を!」


 王騎の握られた右腕は青緑色に輝いている。

 隻腕のエルフなどこの世に一人しかいない。


 どよめきが、次第に歓喜の色を深めていく。


 そして……


 三人目も銀の馬だった。

 だが、白金の鎧に金で縁取られた赤いマント、そのマントには大きく王の紋章が織り込まれている。

 厳しい顔に短く切り揃えられた髭、そしてその頭にはキラキラと輝く王冠が見えた。


「おお……陛下……!」


 古参の兵が瞬時に膝を折った。


「国王陛下の御成だ! 陛下がおいで下さったぞ!」


 その声に後方にいる都市軍兵士が一斉に跪く。

 兵士たちの視線は国王に釘付けとなった。


 戦場に、それも最前線に国王陛下自らが参陣して来たのだ。


 トリシアの美貌も吹き飛ぶインパクトが、そこには確かにあった。


 国王が我々と共に戦場にいる。

 その高揚感に、それ以外の要素は全く必要なかった。


 国王と共に戦える栄誉こそが、精神が摩耗している軍にとって最大級のカンフル剤となるのだ。


 その後、ハリスやマリス、アナベル、魔族連と、何人も魔法門を抜けてきたのだが、都市軍の兵士たちが気にも留めなかった事は言うまでもない。

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