第22章 ── 幕間 ── ターミット・ラリュース伯爵
ターミット・ラリュース伯爵は、遠くに微かに見える光景を呆然と眺めていた。
隣にいる副官のセムス・コーゼイ伯爵も、友人のネイター・シロット子爵も、動揺を浮かべた表情をしている。
「あれは、何なんだ?」
突然、半透明の何かが現れ、辺りを囲まれた兵士たちが動揺して騒いでいたと思ったら、巨大な噴煙が兵士たちを吹き飛ばした。
次に空中を舞う兵士たちが見える。
後方から見ているだけでは、あまり良く状況が掴めないが、戦列の前方で爆発を伴うような戦闘が開始されたのだけはラリュースも理解できた。
しかし、彼らの兵士の中には魔導兵はいない。
トラリアにおいて魔導兵は女王直轄の
だとすると、例の冒険者どもが魔法を使ったと見るべきだとラリュースは考えた。
「魔法を使うものがいたのか……」
部隊指揮官の三男爵の一人が呟くのが聞こえた。
「魔法を防ぐ手段を持つ者は我が隊にはいないぞ? どうする?」
「神殿の武装神官はどうした?」
ラリュースの問いにコーゼイが男爵たちに問いかける。
「たった五人の冒険者を相手にするのに神殿勢力は必要ないとラリュース伯爵様が仰っておられましたので……」
「用意してなかったのか?」
「はっ、その通りです……」
最悪だ。失敗したと言っても良い。あれほどの爆発が起こせるなら、レベル二〇以上の
そういえば、先程みた時に二人ほど増えていた。
ラリュースは渋面を作って首を振った。
「多少の犠牲はやむを得まい。中央の戦列に重装歩兵を多く配置しろ」
魔法を防ぐ手段がない以上、防御力で押すしかないとラリュースは考えた。
「その様に手配しましょう」
コーゼイは頷くと伝令兵を走らせた。
左翼最前衛付近で何やらキラリした閃光が走り、直後に赤い霧のようなものが空中に漂うのが遠目に見えた。
「今度は何だ?」
「解りませんな……」
右翼では妙な大きな魔法を打ち出したような音と衝撃波が連続で巻き起こった。
こちらでも赤い霧が噴き上がり、兵士たちが悲鳴を上げているのが聞こえてくる。
「な、何なんだ……」
「全く状況が掴めぬな」
「戦列はどうなっているのだ?」
男爵たちの言葉に動揺が伝わってくる。
ラリュース自身も混乱しているが、指揮官である自分が醜態を晒しては全軍の士気に関わるのでグッと堪えた。
「ラリュース殿、どうしますか?」
何の情報もなく、指揮などでるはずもない。
「最前衛から状況報告が来なければ、命令の下しようもあるまいが」
少々苛立ちの籠もる声でラリュースは応えた。
「確かに……しばらく静観するしかありませんな」
解りきった事をいうコーゼイを、ラリュースは無視した。
しばらくすると、前衛部隊から伝令兵がやってきた。
「伝令! 最前衛一〇〇〇人が壊滅!」
「な、何だと!?」
「何があった!?」
「壊滅だけでは解らん! 詳しく話せ!」
伝令兵によれば、冒険者の一人々々が攻撃をするたびに数百人が吹き飛ばされ、切られ、バタバタと兵士たちが死んでいったという。
「何をすれば一撃で何百人も死ぬというのか!?」
「やはり魔法か!? 全員が魔法を使うのか!?」
部隊指揮官の三男爵もコーゼイも伝令兵の報告に、慌てふためいている。
「落ち着くのだ! 伝令! 正確に説明せよ!!」
黒ずくめの冒険者が魔法らしきモノを使ったのを合図に、各冒険者がそれぞれの大技を繰り出して来たらしい。
大盾を持った小娘は見たこともないほど巨大な力場を伴ったスキルで戦列中央を吹き飛ばし、敵右翼の男はレイピアのような細剣で光る剣閃を飛ばし、数百人を惨殺した。
敵左翼のエルフの杖からは光弾が無数に発射され、これも一瞬で数百人の兵士が死滅した。
敵の神官が巨大なウォーハンマーで兵士たちの中に飛び込んできたと思ったら、地面が爆発し、やはり何十人もが吹き飛んだ。
そして、冒険者たちの背後から、見たこともないほどに巨大なパンテーラに似た生物が複数現れたらしい。
ラリュースには、伝令がまくし立てるような事が本当に起こったとは、とても信じられなかった。
そんな神話で繰り広げられる神々の戦いにも似た描写を聞いて信じられる者は、トラリア……いやティエルローゼでもいるとは思えなかった。
「そんな馬鹿な事が起こるはずは……」
「起きているのです伯爵閣下! 現在進行形で起きているのです!」
被せるように言った伝令兵は彼の信ずる神に祈るように天を仰いだ。
「我々は一体何と戦っているというのですか……? ただの冒険者ではなかったのでしょうか……神よ……我々を救い給え……」
伝令兵は、苛烈な戦闘の有様を目の当たりにして絶望に染まった表情で神々に祈った。
「ま、まさか本当に世直し隠密だったとでも言うのだろうか……」
コーゼイの囁きにラリュースは眉間に深い皺を刻んだ。
「世直し隠密の物語にすら、そんな戦いは乗っておらぬ」
ラリュースも世直し隠密の物語は読んで知っている。
確かにフソウでも最強レベルの人員を集めて伝説的な逸話が数々伝えられているが……一度に数百人も殺傷できるような話はない。
「こ、これでは救世主様の伝説のような話じゃないか……」
ラリュースの後ろからシロット子爵が言う。
その言葉にラリュースも背中に冷や汗が流れていくのを感じた。
「ま、まさか……ケントとやらが救世主だというのではあるまいな?」
「そ、そこまでは言わないが……」
シロットもしどろもどろだ。
「伝令兵、敵のリーダーであるケントの攻撃はどのようなものであったか!?」
「冒険者のリーダーは、最後方で待機しているようです……」
ということは、リーダーであるケントは、もっと凄い攻撃をできるという事なのか?
ラリュースは口にした恐ろしい想像が脳裏に浮かび戦慄した。
「ラリュース殿……どうなされる……」
副官のコーゼイが不安げに問いかけてくる。
しかし、ラリュースに応える術もない。
副官なら、打開策の一つも考えつかんのか!
ラリュースは口を開かなかったが、心の中でコーゼイに悪態を吐いていた。
「撤退……は出来ぬな……?」
ラリュースは後ろを振り返り、透明な壁に視線を投げかけた。
シロットが戦闘開始前に壁を調べていたのを思い出す。
あの壁はこの戦場から我々を出さない為のモノのようだと言っていたか……
あの冒険者を敵に回したのは間違いだった……
まさか、ここまで物凄い存在だったとは。
新たなる救世主様が現れたというフソウからの報告は、ラリュースもセティスに戻った時に聞いていた。
「皆のもの、彼らこそがフソウからの報告にあった『当代の救世主様』たちだったのかもしれぬ……」
「ま、まさか!? あの情報は信憑性が低いという事で、貴族院の誰もが信じなかった事ではありませんか!」
キンバース男爵が大きな声を上げ、トムス、ジルマール両男爵もガクガクと首を上下させている。
「だが……伝令からの報告は、救世主ほどの力がなければ説明のつかないものだ……」
最前線付近からは兵士たちの悲鳴が風に乗って聞こえてくる。
その悲痛の声が上がる方向に目を凝らすと、巨大な四足歩行生物が何匹か見えた。
何匹もの巨獣が我が軍の兵士たちを虐殺しているのが遠目にも解った。
「あのような巨獣をどこから出してきたというのだ? 救世主か神々でも無ければ説明はつかぬだろう……」
既にラリュースは、この決闘の行く末を確信を持って予期していた。
「この決闘の結末は敗北しかあり得ぬだろう……だとすれば……死を覚悟して戦いを続けるべきかどうか、みなで考えねばならぬだろう」
「財産の半分も献上すれば許してもらえるのではないだろうか……?」
ラリュースの言葉にコーゼイが消え入りそうに言う。
「半分で許してもらえるなら、私も支払いますぞ」
シロットもコーゼイの言葉尻に乗った。
「半分で済めばいいが……我らはケリング将軍の前で宣言してしまったのだぞ?」
ラリュースはケリングの前で公言した事を思い出し、深い溜息を吐いた。
自らの疑惑を否定し、決闘という解決手段を提示した以上、負ければ……
「負ければ物資の横領は真実となる……」
あの宣言の前に罪を認め、財産の半分を差し出せば何とかなる話だったかもしれなかった。
通常なら極刑の重罪だが、自分たちが貴族である以上、金で解決することも可能だった。
しかし、今回は自らが決闘を申し込んでしまった。
決闘が解決されるには、敗北宣言を勝者側が受け入れるか、決闘者のどちらかが死ぬ場合に限られる。
勝者には全てが手に入り、敗者は全てを失う事になる。
しかし……
ラリュースは思考を先に進めた。
あのケントという者と前に話した時に感じた印象は「お人好し」だ。
情に訴えると弱い類の人物だと思われる。
長く人間を見てきたラリュースは、自分の嗅覚が正確だという自負を持っている。
両手を挙げて命乞いをすれば、ケントたちは自分らを殺さない可能性が高い……
ラリュースは、ケントたちをそう判断する。
決闘での敗北者の
あのケントなる人物は、そこそこ頭の回る人物だ、そんな状況は望まないに違いない。敗北宣言が受け入れられる勝算はかなり高いと思える……
そこまで考えてから、ラリュースは口を開いた。
「それでは、
ラリュースが集まっている貴族たちに問う。
「私は死にたくない。宣言するぞ」
コーゼイが一番最初に肯定した。
「ラリュース殿、私も宣言しますぞ」
シロット子爵も賛成らしい。
「トムス男爵、キンバース男爵、ジルマール男爵、貴殿らはどうする?」
「我らも負けを認めたいと思いますが……」
キンバースがそういうと、トムスもジルマールも無言で頷いた。
「では、伝令に白旗を持たせ、ケントらに向かわせるとしよう」
戦闘はまだ続いているが、白旗を上げれば戦闘は停止される。
これは決闘でも同じく扱われるのだ。
後の処理において、生殺与奪の取り決めがなされるが、そこは交渉次第だ。
勝算のある交渉だとラリュースたちは判断した。
ぬるま湯のようなトラリアの貴族界で育った彼らは、死と隣合わせの世界など思いもよらなかったに違いない。
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