第22章 ── 第9話
会合の後、アラクネーの撤退が始まった。
アラクネーの下半身は蜘蛛なため、崖などの垂直な壁を容易く越えてしまう。
この下半身を巧みに使い、オットミルの東の崖を一列に並んだアラクネーが進む。
街の人々は少々寂しそうにアラクネーたちを見送ったが、何年も包囲するはめになったトラリア軍は大喜びであった。
アラクネイアは一旦、アラクネー部隊と共にオットミルを去る。小型通信機を渡しておいたので、後々秘密裏に俺たちと合流するとのこと。
アラクネイアが俺の配下に入った事は、トラリア軍には秘密にしているのだ。
アラクネーの撤退を眺めつつ、トラリア軍貴族たちは俺と仲間たちに丁寧な謝辞を述べる。
「今回の事、誠に感謝に絶えません。ようやく魔軍を国から追い払うことができました」
「それは良かった。でも、フソウのタケイさんから依頼された仕事の一貫ですから、お礼はいりませんよ」
俺はにこやかにラリュース伯爵と握手を交わす。
アラクネーの完全撤退後、戦勝祝賀会を開くというトラリア軍貴族たちの誘いを断り、情報にあったデナリアの町とやらに向かう。
マップ画面で確認する限り二日の距離に位置するデナリアの町は、オットミルよりも小さく、主要産業を特定するのも難しそうな立地条件の町だ。
デナリアは岩がちな斜面にあり、東にはトラリアと大陸東側を分ける大きな山脈がある。
そんな土地なので田畑などはなく、木々なども殆どない。禿山の上に石造りの建物が密集しているような感じだ。
この東の山脈の中腹あたりに、例の祭儀場とヤマタノオロチの住処が存在するわけだね。
このデナリアの町には二〇〇〇人ほどの住民がおり、オットミルの町長によればヤマタノオロチに酒を届ける事を生業とした巫女たちの生活を守っているという。
フソウと同じくヤマタノオロチを神聖視していて、神界の神々のように崇めている人々が多いそうだ。
ただ、トラリアの一般的国民にはヤマタノオロチの存在は秘密なので、町の有力者やデナリアの住人、貴族たちくらいしか、古代竜の存在を認識していないそうなので、あまりヤマタノオロチの話は一般住人には聞けないだろうな。
情報の少ないまま、ヤマタノオロチの住処に行かねばならないのが気にかかる。
「ヤマタノオロチはハイドラの一族だと言ってたけど、ハイドラの一族ってのは具体的にどんなドラゴンの種族なの?」
俺は一緒に先頭を歩くマリスに質問を投げる。
「我も詳しくは知らぬぞ? ハイドラに会ったことはないからのう。
ハイドラは何本も首を持ち、身体再生能力が非常に高いと聞いておるのじゃ。翼がないので飛べぬとも聞いた」
まあ、現実世界でいうところのハイドラやヒドラというドラゴンの伝説と同じ感じではありそうだ。
「それぞれの首は違う属性のブレスを吐くとも聞いておるが」
「それは厄介だな……」
ブレス毎に防御策を用意しておかねば大変な事になりそうだ。
ヤマタノオロチの頭が八つあると考えると、それぞれの頭のブレス属性は何だろうか?
マリス自身は炎ブレスを使うし、エンセランスは炎と冷気のブレスを操る。
火炎、冷気、雷、酸、毒、麻痺……六個しか思いつかねぇ……石化ブレスなんかもあるか?
それでも七個しか思いつかないので、残りは謎のままになりそうだ。
二日後の昼時にデナリアのある小高い丘を登り始めた。
既にデナリアの町並みは見えている。
ただ、その町並みが見えてきてから俺は嫌な予感のようなものを感じていた。
どんな予感かと言われても明確には言えないんだが……
まず、町に行く人、町からくる人などが全く見られない。これはアラクネーが制圧していたオットミルの町にも通ずるものがある。
ただの偶然という事も考えられるし、デナリアの町の性質上、あまり人の行き来がないという事も考えられるので、明確にマズイ状況とも言えない。
また、昼時なのに町から立ち上る煙などが皆無というのも嫌な予感がする一つだ。
この世界の町は、昼時にもなれば薪などを燃やし料理を行うのが普通だ。
そういった
だが、デナリアの町から、そういった煙が立ち上がるのが見えてこない。
もちろん、トラリアはフソウと同じように炭文化が浸透しているので、その所為かもしれないんだよな。炭はそれほど煙が発生しない。発生するガスは無色透明なんだよね。
こういった事情から、嫌な予感しかしないのだ。まずは町に入ってこの予感を払拭するしかないだろう。
小高い丘を登りきり、デナリアの低い城壁へと辿り着いた。
城壁の門は固く閉じられており、門番の姿も見えない。門の上の銃眼の向こうにも衛兵や人の姿が見えない。
「マズイな」
俺がそう囁くと、トリシアが俺のところにやってくる。
「確かにマズイ状況だな」
「ああ」
トリシアの同意に、俺も返事しかできない。
「すごく静かですねー」
「何かマズイのかや?」
アナベルも周囲をキョロキョロ見ている。マリスは何がマズイのか解らないようだ。
「マズイだろ? 全く人々が出す音が聞こえないんだぞ?」
俺はマリスの頭をポンポンと叩きながら言う。
「ふむ。確かに風の音くらいしか聞こえぬな」
「ケント……俺が……様子を……見に行く……」
ハリスが提案して来たので無言で頷く。
ハリスは城壁の大きめのレンガに手を掛け、スルスルと登る。
しばらく待つと目の前の門にある小さな扉が開いた。
「誰も……居ない……」
扉から出てきたハリスは首を横に振りながら戻ってきた。
「誰も居ない?」
「ああ……人っ子一人いない……」
やはり異常事態だ。
「死体とかは?」
「ない……」
俺は剣の柄に手を掛けて扉へと向かう。
仲間たちもそれに続く。
扉を抜け町に入るが、ハリスの言う通り、全く人の気配がしない。
住人が二〇〇〇人ほどいるはずなのに、動くものが一切確認できないなんて事はないはずだ。
「誰か居ないか!!」
俺は門を背に大声を張り上げてみる。
だが、俺の耳に返ってきたのは、風の音だけだ。
俺は大マップ画面を開き、何らかの光点がないか調べる。
大マップ画面は建物の輪郭や路地などだけが映し出されており、光点は全く表示されなかった。
「マジで誰もいないようだ。動物すらマップに表示されてないな」
「それは異常だな。どんなところにも、小動物はいるものだ。町や村なら大抵の場合、猫や犬……ネズミだっているもんだ」
トリシアが周囲を警戒しつつライフルを構える。
「そうじゃな。普通は何かおるもんじゃのう……」
「不気味なのです……こんなの見たことありません」
マリスも大盾とシミターを構える。アナベルすら気味悪そうにしている。
「よし。周囲を見て回ってみよう。何か起きたらまずいし、くれぐれも逸れるなよ」
俺がそういうと、仲間たちは迷宮を進むが如く隊列を組んだ。
ゆっくりとメイン・ストリートを進む。
門近くの大通りには左右に宿屋や酒場などがあり、開け放たれた酒場の扉が風に揺れていた。
その扉から中を覗いてみる。
鎧戸が閉まっている暗い酒場の中には、やはり誰もいない。カウンターの中にもバーテンの姿はないし、ウェイトレスも客もいない。
酒場の中を調べてみたが、人の姿も死体も存在しない。もちろん、荒らされたような形跡もない。
ただ、テーブルの上には酒用のジョッキや食べかけの料理などがある。ジョッキは空だが、料理は少し埃を被っている。
その料理をハリスが調べた。
「五日……」
「ん?」
ハリスが囁いたので、俺は聞き返した。
「この料理は……腐りかけ具合などから……判断して……五日前の物だ……」
他の場所も調べてみたが、似たりよったりの状態だ。
こういった状況を確認して、俺は昔オカルト系の本で読んだメアリー・セレスト号の事件を思い出した。
色々と尾ひれがついて都市伝説化した事件だが、その内容によく似た状況に思われる。
まるで、人々が生活をそのまま放棄してどこかへ行ってしまったような状況なのだ。
酒場を中心に建物の中を探索してみると、酒場と同様の状況である事が判った。
「明らかに異常だ」
トリシアが眉間に皺を寄せる。
「なんか怖いのですよ……」
「奇妙奇天烈じゃのう……」
アナベルもマリスも不安を隠せない。
ハリスが分身を出して周囲警戒を強化し始めた。
「フラウロス!」
俺が呼ぶと、影の中からフラウロスが現れる。
「フラウロス、御身の前に」
「この状況を見て、魔族が関わっている可能性は?」
フラウロスは周囲の匂いをクンクンと嗅いでいる。
「そうですな。これは……アモンの仕業かもしれません」
アモンだと!? 悪魔の中でも上級悪魔じゃんかよ!
俺は目の前が真っ暗になってしまい頭を抱える。
「主様、どうなされた?」
「い、いや。アモンか……最悪だな」
俺はフラウロスに曖昧な返事をする。
「最悪なのです」
「アルコーン以上だ」
「何か最悪なのかや?」
それに被せるようにアナベル、トリシアが感想を述べる。マリスは余り判っていない。
「アモン。俺のいた世界でも有名な上級悪魔だ。ソロモン王に使役された七二の悪魔の一人だ」
「おお、ソロモン様をご存知か。さすがは主様ですな」
なんか嬉しげなフラウロス。俺はフラウロスに目を向けた。
「ソロモン王を知っているのか……?」
「我ら古き魔族には馴染みの名前です。我もですが、青い世界に召喚された経験がある魔族は多くいるのです」
マジか。ソロモン王の七二の悪魔はカリスたちの世界から召喚された存在だったのかよ。
「何だ? 有名なのか?」
トリシアが訝しげだ。
「ああ、ソロモンの七二の悪魔は、俺のいた世界の伝説だ。
数千年前にソロモンという王が魔法の指輪を使って、七二人の悪魔を使役したという話があるんだ。
現代の地球人には眉唾な伝説だと思われていると思うが、事実だったのか……」
時系列はバラバラなんだが、どうもマジでカリスの世界と地球は繋がっていた事があるようだ。
現実の地球と異世界の間で時間の流れがマチマチなのは時間の流れが一定ではない事の証左だが、これは色々な科学的考察からも事実だろう。
やはり現実世界のオカルトや伝承などに登場する怪物や悪魔、そして神などは実際にいたものなんだな。
興味深いんだが、真実だったとなると身震いしちゃうね。
ティエルローゼが作られて、そういった存在がシャットアウトされてなかったら、現実世界もティエルローゼみたいなファンタジー感溢れる世界だったかもしれない。
それはそれで面白いかもしれないが、現代社会のような科学的で便利な世界になっていたかどうかは疑わしい。
異世界であるティエルローゼを見るとそう思うしかない。
もし現実がティエルローゼみたいな事になっていたら、人間は早晩全滅していたかもな。
「とりあえず! これがアモンの仕業だとしても! 俺たちはヤマタノオロチに会いに行かねばならない! まずは奥へ進もう!」
俺たちはメイン・ストリートに戻る。
「警戒を怠るな。一応マップで確認しておくが、いつ敵が出てきても対応できるようにしておこう!」
俺は色々な不安を振り払うように、少し大きな声で号令を掛ける。
仲間たちは心得たように、マーチング・オーダーを組み見上げる。
さあ、冒険を始めよう!
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