第21章 ── 第4話

 部屋でくつろぎつつ、料理ができるのを待つ。


 素材の入手が遅かったせいで、宿の夕食は少々遅いものになったようで、宿の食堂に客たちが呼ばれたのは夜の八時を回っていた。


 俺たち以外の商人らしき他の客たちは別段不満に思っていないようだ。逆に出てくる食事を心待ちにしているような感じだ。


 あの反応を見ると期待が持てるな。


 少し待つと料理が運ばれてきた。


 子牛肉のステーキやサラダなどは、どこの宿屋でも出てきそうなメニューだったのだが、控えめに添えられるように置かれた小鉢に俺は目が釘付けになる。


「こ、これは……!?」


 俺が絶句気味に少し大きな声を出すと、他の客たちの視線が俺に集まる。


「ああ、お兄さんはサミュエル亭は初めてだったのかい?」


 近くのテーブルに座っている老商人が気軽に話しかけてきた。


「ええ、この宿は初めてです。しかし、ここでコレが出るとは……!」

「通ですね。肉じゃがを知っていらっしゃるとは」


 そう。まさに肉じゃが。

 男子が彼女に作って欲しい料理ナンバーワンという都市伝説すら存在する伝説の料理。


 もちろん俺も作れるが……やっぱり女子に作って欲しいなんて願望が……

 ま、ここの料理をしているサミュエルなる人物は男ですがね。


「これのために私はここに泊まることにしているのですよ」


 これが名物料理なのか。アニアスの伝統料理が肉じゃがだとは知らなかった。

 多分、この料理はシンノスケが広めた料理の一つだ。

 なんかシンノスケの料理追跡紀行と化してきた気がしてならない。

 でも、久しぶりの肉じゃがを楽しまずにはいられない。


 俺は箸をジャガイモに突き刺し口に運ぶ。


 むむ!? これはかなりの腕だな! まさにお袋の味とかいう居酒屋メニューの味に近い! 異世界でティエルローゼでこれほどのお袋の味に出会ったのは初めてだ!!


 俺がやたら感動しているのを見て取ったトリシアが興味深げだ。


「ケントが感心するとはな……見せてもらおうか、サミュエル亭の料理人の腕前とやらを」


 どこの少佐だ? 本当に誰と戦っているのか毎度不思議なエルフ様だよ。


「あれじゃ。ケントの故郷の料理なんじゃろ? ケントのこの反応はトリエンの南通りの店で見たことがあるのじゃ」


 マリスさん鋭いですな。


「トリエンの南にこういう料理を出す店があるのです? 南通りにマリオン協会がありますが、記憶にありません」

「それはあの辺りでは相場が高めの食堂だとハリスも言っていたからな。金を殆ど使わない屋台専門の美食戦士には縁はない」

「ぶっ!!」


 言い得て妙だな。


 俺は思わず吹き出した。

 トリシアのアナベル評は「屋台専門の美食戦士」というらしい。

 ちなみにハリスも肩を震わせているのは言うまでもない。



 食事後、宿の主である料理人サミュエルを呼んで話を聞いてみた。


「肉じゃがをご存知だとは、アニアスは初めてじゃないのでしょうか。この肉じゃがという料理は、アニアスの民が定住する前に救世主様から伝えられた料理だと言われています」


 やはりな。


「救世主様が曰く……海軍なるものの将軍が料理人に作らせた……と聞いています」


 サミュエル亭の主人は代々サミュエルの名を受け継いでいるらしい。


 まだ宿屋などを構える前の初代サミュエルが、船の料理人をしていた頃、彼の乗っていた船に救世主が乗ってきた。

 サミュエルは救世主に料理の腕を買われ、この「肉じゃが」を伝授してもらった。

 丘に上がったサミュエルはこの料理を出す店を出す。料理は評判が評判を呼び、そしてその店は今のように宿として大きくなっていく。


 といっても、周囲の大きな宿に比べれば小さいね。料理の素材が高いせいで薄利なのだろう。

 だが、良いものを適正価格で提供するのは間違いではない。

 利益度外視で流通に乗せるのはダンピングであり、市場経済に悪影響を与える不正行為だということは周知の事実だろう。


 ちなみに、本日のメニューの料金は一人あたり青銅貨二枚。

 庶民的な店に比べれば高い。庶民料理数食分の値段だ。

 だが、非常に高級な子牛肉をふんだんに使った料理を出している事を考えれば、適正価格よりも少し安いような気がするね。



 俺は料理の礼としてチップを銅貨数枚渡して自室に引き上げた。


 サミュエルの話で何となく判明した事実。

 この自由貿易都市アニアスの成立は、およそ六五〇年前。

 アニアスの民とは海上を生活の基盤としていた民族で、いわゆる海賊と呼ばれる特殊な業種形態がメインだった。

 当時、西の海周囲で一番大きい海賊団が、何を思ったか丘に上がり定住した。その定住先がここというわけだ。


 治安が悪いと宮司さんが言っていたが、それが理由かもしれない。


 ウェスデルフでもそうだが、ここに着いてから目撃した事も勘案して推測するならば、力こそ正義という原理が比較的強く残っている気はするね。

 こっちは腕力というより金の力という可能性は高い。貿易都市だしな。


 この都市でやることは……海苔、ごま油の大人買いと観光だ。


 ヤマタノオロチの案件もあるが、既に冬に向かう季節なので、早急な解決を必要としないと判断する。春になる前に問題を解決しておけばいいだろう。


 それまでは、ここやトラリア王国を回ってみたい。



 翌日、早速市場へと繰り出す。


 この都市の流通システムはフソウの問屋システムとは違い、王国やルクセイドに近いので、大抵の食料品は市場で揃う。

 大人買いする場合は各商品を扱う商会の倉庫に出向く必要が出てくる。


 海苔は軽いので市場で大量に買えた。かなり良質な海苔だったので大満足。


 ごま油の露店は、やはり小分け売りの店で大量に買う為には、この露店を出している商会の倉庫かごま油を製造する工場に行くしか無い。


 ごま油の工場には興味があるんだが、特産品工場が観光客に開かれているかと言えば、そんなことはない。大量生産の技術流出を防ぐために非公開だ。


「大樽で二〇本ほどとなりますと……倉庫の方に出向いていただかないといけませんが」

「構わないよ。行こう」


 何人かいた露店の店員の一人に案内されて港の上にある倉庫街に連れて行かれる。


 ずらりと並んだ倉庫の数がアニアスの経済力を良く現している。

 崖を背にして南北に大きな倉庫が五〇棟ずつ、その東側の通りを挟んで対面に同じように五〇棟の倉庫。さらに東にも似たような路地を挟んだ倉庫群が連なっている。


 ちなみに、この倉庫街と港は、手動式ながら巨大なエレベータで繋がっているようだ。

 動いているところを見たいねぇ。


 海賊を起源としているアニアスにとって、物資の集積地は力の象徴に違いない。それを堅固な崖に守られた台地に創設することが防衛の第一歩だったと推測する。


「ここが我が商会の倉庫です。二階の事務所にて売買手続きを行いますので、横の階段で上に上がって頂けますか? 私は油樽のご用意をさせて頂きます」


 言われたとおり、俺はお供のハリスと共に倉庫横の階段から二階にある事務所に向かう。


「お邪魔します」


 扉を開けて中に入ると、小ざっぱりした事務所で数人の事務員が仕事をしている。


 ソロバンを弾いている人が顔を上げた。


「いらっしゃい。ご商談で?」

「ええ。今、下で用意してもらってますが、ごま油を大樽で二〇本ほど購入します」

「二〇本……どちらの商会様のご紹介でしょうか? 通商許可証などはありますでしょうか?」


 矢継ぎ早に質問されたが、俺はフソウの鑑札を取り出して見せる。


「フソウ竜王国の……」


 メガネをクイッと上げながら鑑札を眺める事務員の目が見開かれる。


「お、王家御用商人様!?」


 え? そうだったっけ? 御免状に付いてきた一〇枚の鑑札の一つだが?


 俺も鑑札を改めて眺める。この木の鑑札の丈夫にはフソウ王家の紋章が描かれ、フソウ文字で「商」という文字がマークのように掘られている。これに金箔が貼られていたりする。


「へぇ。これって王家御用達の鑑札だったんだな。知らなかったわ」


 ボソリと言うのが聞こえたのか、事務員の目がキラリと輝く。


「当然そうなるでしょう。なにせ金鑑札ですよ? 私は実物を見るのは初めてですが、近辺の国の商人で知らぬものはおりません」


 大層な代物だったらしい。


 鑑札には金・銀・銅という等級、それぞれ等級毎に甲・乙・丙の三種類、合計で九種類の鑑札が存在するんだそうだ。

 もちろん、俺の持ってきたのは金等甲種であり、フソウ商人では一番凄い商業鑑札だよ。


 事務所で売買契約を交わす。

 一応、この商会の扱うのは「極上ごま油」なので、二〇樽が金貨にして三〇枚と非常に高価だが、味も香りも段違いだそうなので、これを購入する。


 その場で金貨を払い、契約書に商会の付箋が貼られ、蝋を垂らして押印し接着する。


 商取引の方法は王国と変わらないな。フソウでも証文という形で同じような物を使っている。証文は蝋による押印ではなく、判子だったけどね。


 下に降りていくと、二〇本の大樽が既に用意されていたので、中を一応確かめておく。

 一九本がごま油だったが、一本だけ水樽が含まれていた。


「おい、一つ水だぞ」


 俺がそういうと、作業員が面倒くさそうな顔をする。


「確かに二〇本だったはずなんですがねぇ……」

「元からだろ。もう一本持って来い」


 俺は厳しく言うが、作業員たちはニヤニヤしたままだ。


 コイツら……


「おい、程々にしておけよ。上客様なんだから」


 俺を連れてきた店員が少し離れた所でタバコを吹かしながら言った。


「コイツらがですか? 二人、それも荷車も作業員もいませんぜ?」

「そうですよ。俺たちに作業させるんだ一本くらいは多めに見るのが道理です」

「ま、そういうもんだよなぁ。それに目を瞑らないのは客の傲慢でしょうよ」


 作業員が言いたい放題言っている。


「作業員は要らないし、荷車も必要ない。だからもう一本持って来い。俺は誤魔化しは許さん」


 そう言いながらも、俺はちゃんとしたごま油が入った樽を次々とインベントリ・バッグに放り込んでいく。


 それを見た作業員が目を丸くする。


「み、見ろ!」

「魔法道具! それも最高級の無限鞄ホールディング・バッグだ!!」

「バカ、そこじゃねぇ! コイツ、片手であの大樽を……!」


 何を驚いているのか判らんが、俺の腕力だと一〇トン近くは普通に持ち上げられるですがね。


「で、もう一本持ってくるのか来ないのか……」


 さすがの俺もキレるよ?


「は、はい! 今直ぐお持ちします!!」


 その声に二人の作業員が慌てて倉庫に駆け込んでいった。

 直ぐに手押し車に大樽を一つ載せて戻ってくる。


 俺はその樽の中身を調べ、問題がない事を確認してからインベントリ・バッグに仕舞う。


「よし。契約通り二〇本の納品を確認した。作業員のみんな、ご苦労様」


 俺は一人一人の手のひらの上に銅貨を一枚ずつ握らせてやる。


「あまり客を侮らない方がいいな。儲けが減る事もあるし、自分の商会の名前に傷を付けることになるからね」


 俺は一枚ずつ握らせながら「商取引とは信用第一」などと曰う。


「いいか、セールスにおける契約とは自分の命よりも価値のあるものと知れ。

 まさに命がけ。俺の経験から導き出されたモノだ。

 相手の信用を裏切るような事をすれば、いつか跳ね返ってきて儲け以上の損失を出すことがある」


 不誠実な取引をした会社の先輩が、取引企業から莫大な損害賠償を請求されたのを見たことがある。

 着手金を横領した同僚が当地のギャングから金を借りて返せなくなり、行方不明なった事件もあったっけな。

 大金が絡む場合、ダーティな事件や問題が発生するなんてのは枚挙に暇がない。


 こちらに正当性があるなら、こういう輩には上手うわてに出るのがコツだ。

 対処を間違えなかったからか、作業員たちは始終ペコペコ状態です。

 こうなると、脳筋的存在は素直になるので可愛いものですね。顔も身体もゴツイですが。

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