第20章 ── 第53話

 和尚に本堂に上げられ、何やら和風なマリオン神像の前でお茶を振る舞われる。


 トマルさんも何か諦めたようで、俺の斜め後ろに静かに座っている。


「それでは掛けるものをお教え願えますか?」

「うちは……負けたら漆喰など、土建部材を掛けまさぁ」

「こちら様は?」

「あー、そうですねぇ。壁塗りの注文とか代金……と言ったら面白くないよね。じゃあ、施工代金と……これを掛けましょう」


 俺がこてを床に置くと、親分が目を丸くする。


「こ、これをか!? こては左官の魂だ。武士にとっての刀と言える。それを惜しげもなく差し出すというのか!」


 怒ってるのか驚いてるのか判断に苦しむ人だなぁ。


「ああ、別に構わないよ。親分は、このこてを随分と買ってくれているようだけど、俺にとっては片手間に作ったものだからねぇ……」


 何ならまた作ればいいし、勝負の後に勝ち負け関係なしで譲ってやろうかと思ってたくらいなんだよ。


「これは勝ちてぇ……これを俺のものに出来るなら絶対勝ちてぇ!」


 それほど欲しいのか。なんなら、全員分作ってやろうか?


「それでは……戦乙女マリオン様の加護により、ここに勝負約束が交わされました。ご照覧あれ」


 マリオン神像に深々と和尚が頭を下げた時だ。


──ドドドドドド!


 凄い足音を立てながら、アナベルが本堂に駆け込んできた。

 その後ろからトリシアやハリス、マリスも必死に走ってきた。

 ついでに随分遅れてだがハイエルフたちもご同様です。


「その勝負、目の前で見せてもらうっすよー!」


 げ! この口調……マリオンかよ!


 振り返った和尚が、アナベルが首に掛けているマリオン神の聖印をみて目を見開いた。


「おお、マリオン神官の方までいらっしゃいましたか」

「ゼンジ和尚。私も見るっす!」

「おや、私の名前をご存知とは。他国の方にまで知られているとは嬉しい」

「いやいや、私はマリオンっす! ケントの勝負は何でも見ておく主義っすから! 今、照覧あれって言ったっすよね?」


 俺はあちゃーと頭を抱える。


「は? マリオンですと? マリオン様にその様な不敬な物言い……神罰が下りますぞ?」

「ゼンジ和尚、マジで神罰喰らいたいっすか?」


 俺はアナベルの身体に降臨中のマリオンを抑える。


「まあまあ、落ち着け。いきなり言われても、本物だとか判らんだろ」

「何言ってるっすか! 信徒なら直ぐに気づくべきっす!」

「過激なこと言うなよ。神と違って、人間はそんな看破能力はないんだぞ!」


 俺に頭ごなしに怒られたマリオンが、少々冷静になる。


「それはそうっすね。人間は不完全っすし。ケント、手数を掛けて申し訳ないっす。でも、勝負は見せてもらうっすよ!?」

「ああ、それは構わん。俺の仲間のフリして見ていけよ」

「そうするっす! ゼンジ和尚。私はマリオンじゃなくてアナベルっす。失礼な事を言ったっすね!」


 和尚は俺とマリオンのやり取りを見て、ポカーンとした顔だ。


「え、あ……いや。え? 本物?」


 謹厳そうな坊さんが、あたふたしているのを見る事になるとは。


「いいっすね。その慌てっぷりは面白いっす! 失礼な物言いは許しておくっすよ」


 こいつ……全然、アナベルのフリしてねぇし!


「で、修繕する壁ってどこです? そろそろ勝負を始めましょうよ」


 俺が促すと、親分がハッとした顔になる。


「おお、嵐のような仲間だな。一瞬、何も考えられなくなっちまったよ。よし、それじゃ行こうか」


 親分の後に付いて現場に向かう途中、仲間たちに事情を聞いてみる。


「いつ降臨したんだ?」

「ああ、一〇分くらい前だな。突然、降りてきた」


 トリシアも混乱気味だ。


「一人でどこかに行こうとしたのじゃ。じゃから、我らも急いで付いてきたのじゃぞ」

「ケントに……何かあったのかと……思ったから……俺も慌てて……後を追った……」


 で、ハイエルフも同じ様に付いてきたわけか。屋敷は今、もぬけの殻か? いやメリオンはいないな。裏で作業してて気づかなかったんだろう。


「何をゴチャゴチャ喋ってるんでぇ。現場は、ほら、あそこだ」


 親分が指差す方を見ると、たしかに作業の途中になっている壁があった。

 ひび割れや剥がれ落ちた部分が目立っている。


 確かに修繕が必要そうだな。それにしても……ここ以外の白壁に正拳突きの跡みたいなのが所々にある気がするんだが。


「ああ、それか。ここの修行僧たちの鍛錬の跡だな。俺の塗った壁は、あのくらいじゃ剥がれねぇからな」


 白壁がサンドバッグ代わりかよ。さすがマリオンを信奉する寺だな。少林正宗のお寺みたいだ。


「修繕の材料はここのを使え。混ぜ合わせは俺がやる。キヨシマ組独自の割合があるからな。こればかりは他人に任せるわけにはいかねぇ」


 見れば、片隅に漆喰と珪藻土の入った麻袋があり、大きな四角の木桶も壁に立てかけてある。


「そこはよろしく。こっちは門外漢だしね」


 頷いた親分は、木桶に漆喰と珪藻土を目分量で入れ始める。

 俺は横目でその比率を確認する。


 ふむふむ。秘密にしてるようだけど、俺の目は誤魔化せないよ。しっかりと覚えておこう。


「よーし、終わったぜ。始める前に言っておく。塗りの厚さはコレくらいだ。親指の先ほどとおぼえておくといい。他の壁と均一じゃなけりゃ、美しくねぇからな」


 それは同意。


「心得た。それじゃ始めようか」


 そういうと、和尚がまたしゃしゃり出てきた。


「それではマリオン様に捧げる勝負、いざ尋常に……始め!!」

「待ってました! 二人とも頑張るっすよ!」


 だから……マリオンよ。お前の為にやるわけじゃねぇよ。


 俺は鏝台に漆喰を取り、こてで、修繕部分に塗りつける。


 む。さっき屋敷で塗った土と藁より柔らかいな。塗りやすいけど、ちょっとした力で歪な塗面になってしまうぞ。

 こりゃ、たしかに職人の技だよ。素人には綺麗に塗るのは不可能だわ。


 だが、俺の高ステータスはスキルなしでも正確な作業を行えるのだ。

 俺は精密機械のように、ほぼ均一に漆喰を塗っていく。


 親分も相当すごい技量で壁を塗るが、俺の塗面を見て目を見開く。


「ぐっ……やるな! くそ、なんて腕だ……」


 良くわからないが、親分は冷や汗をダラダラと流しながら必死で壁を塗っている。


 俺は、正確さだけでなく速度も普通ではないので、親分の三倍以上の速度で塗ってしまう。


「信じられない……あれほどの塗面なのに、速さが普通じゃない……」


 後ろで見ている親分の手下にも動揺が走る。


「さすがじゃ。何をやらせてもケントは凄いのじゃなぁ」

「そうだな。戦闘だけではない。ケントはこの世界では敵はない。どんな分野においてもな……」


 マリスとトリシアが吐息混じりに称賛している。


 俺にも苦手な事はいっぱいあると思うけど。ジゴロの話術とかな……


「凄いっすよー、ケント! 相手はもう負けを意識してるっすよ! 私の弟弟子だけはあるっす!」


 ああ、マリオン的にも俺は弟弟子なんだ。

 アナベルが俺をマリオンの弟弟子だと吹聴していることに対して、神自身が否定しないのだから神界でも下界でも確定事項なんだろう。



 一時間ほどの作業で俺たちは壁の修繕を終えた。

 俺が修繕した部分は、全体の五分四。


 親分はガクリと膝を落とした。


「なんてことだ……兄ちゃんは……左官の神か…‥?」

「いや、ただの冒険者だよ。ちょっと器用さに自信があるだけさ」


 俺の応えに親分は納得でき無さそうな顔をしている。


「いや、あれは……あの速さと正確さは尋常じゃねぇ……」


 アナベルに降臨中のマリオンがパチパチと嬉しげに拍手してきた。


「いやー、見応えあったっす! ケントは本当に凄いっすねー。良いもの見させてもらったっす!」

「ああ、満足したか?」

「大満足っすよ! んじゃ、そろそろ帰るっすよ。アナベルの身体が持たないっすからね」

「そうか。あんまり降臨すんなよ。神界は今議論紛糾中だろう?」

「そうっすねー。今回は信徒からの供物だったっすから、降臨に問題なかったす! またこういう供物が来るといいんすけど……うぐっ」


 アナベルが一瞬だけ苦しそうに前屈みになり、すぐに元に戻った。


「あら? ここはどこでしょう?」


 元に戻ったアナベルが、いつものように少々間抜けな事を言う。


「やはり、先程の御方はマリオン様だった! 間違いない! マリオン様がご降臨なされた! なんと望外の喜びか! マリオン様がご降臨なされた!!」


 和尚が飛び跳ねながら本堂に飛び込んでいった。


 ああ、また降臨伝説作っちゃったよ…‥東と西で降臨しているからバランス的には悪くないんだろうけど……


「さぁ、勝負も終わったし、約束の物を頂こうかな?」


 俺は土建屋の親分に話しかける。


「こんな事が起こるとは……」


 まだブツブツ言ってるよ。


「聞こえてるか? 俺は急いでるんだよ」


 我に返った親分が俺を見上げた。


「あんた、神の加護を受けているんだろ? そうだよな?」

「あー、うん。マリオンの加護は受けてるなぁ……それとイルシスのも……」


 俺がそういうと、親分は合点がいった顔になった。


「やっぱり、神に愛された御方か。どうりで凄い腕前だった。俺もヘパーエスト神を信仰してたんだがなぁ……」


 ヘパーエストは鍛冶の神じゃなかったっけ? 物作りの神って事なのかねぇ? そういや、ヘパさんの加護も受けてたな。


「ヘパさんか。ヘパさんは今、謹慎中らしいから加護は難しいと思うよ」

「へ? 謹慎?」


 親分は困惑の色を浮かべる。

 当然だな。ちょっと神界の事を話しすぎた。自重しないといかんな。


「神たちの事情にも詳しく、かつ愛されているとは……神の使徒に違いない……そんな御方に勝負を挑むとは、不敬極まりない事をしてしまった……」

「大丈夫。大丈夫だから! 何の心配もないよ。神は下界の些末な事に感心はないから。俺との勝負をかえって喜んでたじゃないか」


 俺の慰めの言葉に親分が顔を上げた。


「本当に? 本当にそうなんで?」

「ああ、多分ね。他の種族と違って人間には決められた使命がないと言う。

 でも俺はそうは思わないんだ。

 神々は人間を作り、そしてどんどん増やした。

 人間に多様な面白い事を発明させてそれを見て楽しみたいんじゃないかな。

 だからこういう勝負を見ることが楽しくてしょうがないんだろう」


 マリオンやアースラなんかの反応を見ると、俺はそう思わざるを得ない。


 創造神が何を思って世界を構築したのか。それはエンセランスも言っていたけど、地球のためだったらしい。

 そして創造神は、地球を模したこのティエルローゼを作った。

 多分、創造神にとって地球は良いところだったんだろう。そして愛してしまったんだ。他の神々に好き勝手に弄られたくないほどに。

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