第20章 ── 第50話
午後の最初の作業は床下の排水関連の機構の作成だ。
裏の向こうは崖、その下は海になっているので、排水は海に流すことになる。
洗剤も石鹸もないので、そのまま流しても何の問題もない。しかし、現代人的な俺の発想としては、排水はちゃんと浄化してから自然に返したい。
なので、排水と外の側溝の間に、都市の地下に設置するために開発した魔法道具「汚水排水処理装置」の小型簡略版の機械を設置しようと思う。
小型汚水処理装置の開発は後ですることにして、今は設置できる箇所を確保しておくだけでいい。
ドーンヴァース時代から持っていたキャンプ用レンガ──即席の
微妙に角度を付けて水がちゃんと流れるようにする。レンガとレンガの間には目地として粘土を詰める。
メリオンが単純作業をしていると思って手伝い始めたが、こういう基本的な知識の無いものがやると、やはり計算されたように綺麗に並べる事は難しいようだ。
全部敷き終わった後に、俺がメリオンがやった部分の補正をしっかりとやっておく。
手直しされたメリオンはショボンとしていたが、ここを疎かにしては排水がまともにされないからな。
「お館様の腕前は、本当に凄いですね」
手直しされた部分をじっくりと見たメリオンが、自分の至らない部分に気付いたのか、称賛してきた。
「まあ、うん。ありがとう」
褒められ慣れていない俺は少々照れてしまう。
ティエルローゼに来てからは褒められまくっているが、未だに褒められる事に慣れないなぁ。嬉しいんだけど、素直になれない感じですよ。
「さて、床下はオーケーだな。床を張ってしまおう」
「はいっ!」
床張り用の板を作成し、脱衣所、風呂場の部分に敷き詰めていく。
鉄のクギを使うと古くなった時に足に突き刺さりそうな気がして嫌なので、木釘を作って床板を固定する。
風呂場の部分には耐水、腐食防止用の魔法の付与を忘れない。
続いて天井板を張る。風呂場なので通気性を考えて構造を工夫する。風の通りを良くし、湿気が籠もらないようにするのだ。
魔法で湿気や腐食を防止するにしても、水滴などがいつまでも蒸発しないような構造はカビの原因になりそうだしな。
ここまでやって、陽が暮れ始めた。時計を確認すると、一六時を回っている。
「よし、今日の作業はここまで!」
「お疲れ様でございます!」
一日中、俺の作業を手伝ったり見学していたメリオンが嬉しげだ。
ま、彼の参考になったかは判らない。
本職の大工さんの建築手順や方法などは全く知識にないから独学だし、変な事をしている可能性も高い。
ま、俺としては形になれば「細かいことは良いんだよ」的な精神で作業を
台所に向かうとエルヴィラが、ちゃんと待っていた。
俺の料理する所を見るのが本当に嬉しそうなので、俄然俺のやる気も湧いてくる。
「本日の夕食は、カレーを作ろうと思います」
「カレー? どのような食べ物でしょうか?」
「うーん。辛くて美味い。非常にスパイシー。ご飯に掛けて食べるんだ」
何を言っているのか理解できないエルヴィラが首を傾げる。
「ま、作りながら教えよう。カレー自体を作るのはさほど難しいことはない。煮込み料理みたいなもんだからね。
一から作る上で一番難しいのは、カレー粉だな……」
「カレー粉……」
「そう。色々な香辛料を混ぜて、好みの辛さや美味さを引き出すものだ。この調合はある意味、薬学……いや錬金術に近いだろう」
薬学と聞いてエルヴィラの目が輝く。
「私も薬学スキルを所持しております。お役に立つでしょうか!?」
「あー、うん。多分役に立つかも。
でも、まずはカレーという物が何なのか、どんな味なのか知らねば調合することは無理だろう。なので、俺が以前作ったケント・ブレンドを使います」
俺はインベントリ・バッグからガラス製の大瓶に入った茶色い粉を取り出す。
「これが、ケント・ブレンドというものですか……」
「そう。これは俺が苦心して作り上げたカレー粉です。
俺がそういうとエルヴィラが俺を崇拝するような色を目に湛え始める。
「料理の女神ヘスティア様に!!!」
「ああ、そうだ。俺から料理を学んでいる君は、妹弟子ということになるかもね」
俺はイタズラ小僧のようにニヤリと笑う。
「い、妹弟子……
エルヴィラは、神への畏れや神の妹弟子となれる興奮など、感情が複雑に入り混じったような表情になる。
「ま、気負いすぎないでいい。
料理の第一は愛情! 食べてくれる人の笑顔を引き出すために心を込めて作る事」
エルヴィラが衝撃を受けたような顔になる。
まあ、よく言われる事だけど、料理があまり発達していないティエルローゼにはない考えなのかな?
「第二に楽しく! 料理は想像力が大事です。楽しく作る事で発想を豊かにしましょう」
新たな美味い料理を作り出すのは、まさに想像力が大事だ。新メニューなどを試すのはワクワクする体験であるべきだからね。
しかし、世の中のメシマズ案件の殆どが、この発想の部分で大失敗している事が多い。
レシピが確立されていない料理の場合、これとこれを組み合わせたら、こういう味になるだろうと想像できないと駄目です。そこが駄目だと料理がメシマズ物件に早変わりします。気をつけましょう。
「第三が味! 愛情や創意工夫を凝らしても、味が駄目なら全ておじゃんです。
塩味、甘味、辛味、苦味、旨味、香味……色々な味を組み合わせることで、食べる人の舌を満足させます。付け加えるなら、ここに見た目なども考慮したら最高でしょう」
ま、これが一番大事かな。美味くない料理は、食べる人を不幸にしますからな。人の好みは千差万別。好き嫌いもある。
万人に受ける味を作り出すことは不可能に近い。だが、それでも料理をする者として、そこを目指すのが使命ではなかろうか。
俺が厨二病よろしく悦に入りながら言うことを、必死にメモしだすエルヴィラ。
メモを取ることは大いに結構な事です。いかな天才でもメモしておかねば、大事な閃きを記憶から
「お館様の料理哲学、しかと受け継いでいきます!」
哲学というほどのものでもないんだが。
後にこの料理三原則が、ティエルローゼの料理人たちに与える影響を俺は知らない。
板の間のテーブルに着く仲間たちがカレーを出されて小躍りして喜ぶ。
「久々のカレーじゃな! 今日は我もみなと同じ辛いヤツに挑戦するのじゃ!」
目の前に置かれたカレーにマリスがニンマリする。
「辛いぞ。本当に大丈夫だろうな?」
トリシアが少し冗談めかしてマリスに言う。
「大丈夫じゃ。カラシやワサビで修行しておるからのう!」
「カラシやワサビとは、また別の辛さなのですよ?」
アナベルも少し心配そうですな。
「確かに……これは……火を吐きたくなる……辛さ……だから……な」
「火を吐くのなら我の特権じゃろ。問題ない!」
ハリスが少し愉快そうに言うのが面白いな。
ハイエルフたちはというと、泥のようなものが米に掛けてある事に戸惑っているが、強いカレーの香りが食欲をそそるのか、ゴクリと喉を鳴らしている者が多い。
「福神漬を添えると、より美味いから試してみてね」
福神漬けを盛り付けた小皿をみんなに配る。俺のは福神漬けと
「ケントのには別のが乗っておるの。我もそれを所望する!」
「いや、
「いいから寄越すのじゃ!」
ま、いいか。
俺は三個ほど
「もっとじゃ!」
「前もいったはずだぞ、マリス。これは付け合せだ。メインのおかずじゃない。そういう物は少しにするんだ。また地獄の食べ物とか妙な名前を付けられても困るからな」
俺がそういうとマリスがビクリとする。
「あ、あれは食べ方を知らなかっただけじゃから……」
「これも初めて食うんだろ? 俺の言うことを聞いておいたほうが良い」
「そ、そうするのじゃ。我儘言ってゴメンなのじゃ」
可愛いのう。素直なマリスは頭を撫でたくなるな。可愛いは正義だ。
「では、頂きま~す!」
「「「頂きます!!」」」
その後の事は言わずもかな。
仲間たちはもちろん、ハイエルフたちもカレーに舌鼓を打つ。お替りが続出し、ご飯が足りなくなるという事態に突入してしまう。
仕方ないので、以前炊いたご飯の残りなどをインベントリ・バッグから出す羽目になった。
インベントリ・バッグ内は時間が経過しないので、いつまでも炊きたてだから問題はないんだが、中途半端な量だったので使い
食事後、交代で風呂に入ってから俺は自室に引きこもり、小型汚水浄化装置の設計と作成を行う。
小型化に非常に苦労する。何度か魔法回路を暴走させて溶かしてしまう。
ただ小型化するだけならば簡単だが、稼働に必要な魔力が大きいと熱暴走をしてしまう。なので、冷却装置を付随する必要があり、想定よりも少し大きくなってしまいそうだ。
これだと設置スペースに入り切らない。
頭をボリボリと書きながら、魔法回路の再設計を始める。
静かに襖が開いた。
「失礼します」
振り返るとシルサリアがお盆に湯呑を乗せてやってきた。
「もう大分遅くなっておりますが、ご無理をなさらないで下さい」
「ああ、心配ないよ。俺は一週間くらいなら寝なくても大丈夫だからね」
作業台の上にお茶を置いたシルサリアが、俺のやっている作業を覗いてくる。
「何をお作りなんですか?」
「ああ、汚水浄化装置の小型版だな。汚い水を自然に帰すのは問題だからね」
「素晴らしいお考えです」
ま、ファルエンケールでマストールがアダマンタイト鉱山を準備する上でエルフたちの猛反対があったくらいだからな。自然を護る事を使命にするエルフ系の種族には嬉しい魔法道具だと思うよ。
「お館様」
「ん?」
「お願いがございます」
「何?」
シルサリアの顔が俺の顔に近くてドキッとしてしまう。心なしか、彼女の吐息が熱い気がする。
「私どもハイエルフにお情けを頂けませんか……」
「ん? 何か困ったことでも?」
「いえ、あの……」
シルサリアが出会った時のような凛とした感じではなく、何か恥じらう乙女のようにモジモジとしている。
「お館様の子種を頂けないでしょうか……」
顔を真っ赤にしたシルサリアが消え入りそうな声で囁いた。
「え!?」
俺はビックリして身を引く。
「ど、ど、ど、どういう事!?」
「あの……我らモアスリンのハイエルフは絶滅寸前です。お館様の強い子種を頂ければ、危機を脱すると思うのです」
その時、ガラッと襖が開いた。
「そこまでだ! 抜け駆けは許さんぞ、シルサリア」
「そうじゃ。ケントの子種は先約が大量におるのじゃ」
「よく解りませんが、私も許さないのです!」
トリシアがニヤリと笑い、マリスが手を腰に胸を反らせ、アナベルが何故かニッコニコの顔で部屋の入り口に立っている。
「え? 抜け駆け?」
シルサリアが顔に動揺の色を浮かべ後退りする。
「ま、わからんでもないが……それは我々が許さん」
「さ、こっちに来るのじゃ!」
「うふふ。あっちで話し合うのです~」
トリシアとアナベルに両腕を捕まれ、シルサリアがずるずると引きずられていく。
「ああ! お館様! 御慈悲を!」
俺は遠ざかっていくシルサリアを呆然と見送った。
「何が何だが……」
あまりにも早い状況の変化に付いて行けず、しばらくポカーンとしてしまった。
「ふう。まあ、いいか」
気を取り直した俺は、再び魔法道具の作成に没頭した。
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