第19章 ── 幕間 ── 獣人たち

 シュギル・ザムサスは槍を持って沼地を巡回している時にその咆哮を聞いた。


 上空に響き渡った恐ろしい咆哮に目を上げると翼を広げた影が空を旋回しているのに気づいた。


「ジェルド! あれは何だ!?」

「解りません! 魔獣かもしれません!」


 シュギル率いる蜥蜴人族のパトロール隊は即座に戦闘陣形を固めた。


 影がゆっくりと旋回しつつ自分たちの頭上まで来た時、隊員たちは同様の声を上げた。


「あ、あれは……始祖様では……」


 始祖。それは蜥蜴人族にとって崇敬の対象の事だ。神々の呪いを受けた始祖の一人は翼と巨体を失い蜥蜴人族の祖先になった。

 シュギルの部族ではそう言い伝えられている。


「始祖様か……あの咆哮、あの勇姿。間違いない! 始祖様がこの地へやってきたぞ!」

「「「おおおお!!!」」」


 蜥蜴人族たちは大空の影に槍を突き出し歓声を上げた。


◇◇◇


 猿人族の族長マンドルスは沢山いる愛妾の小屋を出て太陽の位置を確かめる為に空を見上げた。


 太陽はすでに中天近くまで登っており、随分と怠惰な時間を過ごした事に苦笑交じりに首を振る。


 見上げた時の映像が脳裏に浮かんできたが、その脳裏の映像に違和感を覚えたマンドルスは確認の為にもう一度空を見上げた。


 太陽の中に黒い影が見えた。その影は時折、太陽を反射してキラリと青い光を放っていた。


「あ、あれは何だ……?」


 マンドルスの囁きは誰にも聞かれてはいなかったが、空をつんざくような咆哮が聞こえてきたのは、そんな時だった。


 マンドルスは手に持った手ぬぐいを取り落とした。


「あ、あれは……ド、ドラゴンだ……」


 マンドルスは若い頃、西の山でドラゴンを見たことがあった。そのドラゴンはまだ子供だったが、それでも五メートル以上の大きさを持っていた。


「あんなものが森に降りてきたのか……!?」


 マンドルスの顔は血の気を失い、固く握りしめられた右の手のひらにはジットリとした冷や汗がにじみ始めていた。


◇◇◇


 午前の涼しい風を背中の翼で切りつつ空中の散歩を楽しんでいたシリース・エルロンは突然巨大な影に陽の光を遮られ、訝しげに上空を見上げた。


 およそ二〇〇メートルほど自分の上に巨大な翼を広げた巨躯を発見した。


 その巨躯は鮮やかな青色の鱗に全身を覆われており、四肢は引き締まった筋肉によってこんもりと盛りあがっていた。それは凶悪な破壊力を秘めていることを物語っている。


 空を支配する鳥人族の自分が他の生物の脅威から身を隠す行動をとるような事は殆どなかった。

 しかし、あの生物からは逃げなければ確実に死を与えられると、シリースの本能が最大限に警鐘を鳴らしている。


「やばい……あれは空の……いや地上全ての支配者……きっとそうに違いない!」


 シリースは急降下を敢行し、あわや地面に激突という所で身体を引き起こして強引に着地した。そのまま木の幹に身体を隠して、木立の影から覗く空を必死に見上げた。


 その時、心臓を止めるような咆哮が空気を揺らしてシリースの身体を凍りつかせた。


「まずい……あれは……あれは……ドラゴンだ……」


◇◇◇


 セルニスは自分のテントの中でその咆哮を聞いた。


 慌てて外に出て空を確認すると、上空を旋回する巨大なドラゴンが自分の目に飛び込んできた。


「ああ、あれが新たなる救世主様が言っていた……」


 そのドラゴンの咆哮を聞いた部族の者たちが歓声を上げてピョンピョンと飛び上がる姿も見えた。


「さすがは救世主様だ! あんな凄いヤツを仲間に引き入れたんだ!」


 部族の者の一人がそう言う声が聞こえてきた。

 誰の声だかは解らない。セルニスの目はドラゴンに釘付けだった為、確認もできなかった。

 それでもセルニスは、その言葉に頷いていた。


 その通りでしょう。

 あの方ならドラゴンと手を結ぶ事も可能にちがいないのだから。


 セルニスはそう心の中で返答した。

 あの空を舞うドラゴンがその証左なのだ。


◇◇◇


 獣人の心の中に突然声が鳴り響いた。


『この地域に住まう獣人よ。争いを辞めろ。俺はケント・クサナギ。救世主が作った約束の地を知るものだ』


 その言葉に全ての獣人が衝撃を受けた。


「約束の地」、それはこの地の獣人にとって特別な意味を持つ。自らの部族の繁栄を約束する伝説の地の事だ。

 遥か昔、この地に救世主がやってきた。彼はこの地の獣人たちを集め、争いを辞めさせ、毎年膨大な食料を生産する土地「田んぼ」を用意すると言った。

 救世主が姿を消した後、その約束の地「田んぼ」を巡って他の部族と争いを続けてきたのだ。


『俺は今、古代竜エンセランス・ファフニルの背よりお前たちに話しかけている。これよりこの地はエンセランス・ファフニルの支配地域となる事をここに宣言する』


 獣人の痺れた脳に、さらなる衝撃が見舞われた。


『各部族の者は代表者を選出すること。代表者たちはこれから言う場所に集まるように命令する』


 突然、脳裏に地図のようなイメージが浮かび、ある一点を示し始めた。

 そこは密林の中心地にほど近い場所だった。

 その場所は幾度もの激戦が繰り広げられた地であり、比較的広く土地は開けているのだ。


『繰り返す! 代表者はこの場所へ集まれ! もし、命令に従わない部族は支配者たるエンセランス・ファフニルによって焼き尽くされると知れ』


 その光景を想像した獣人たちは震え上がった。ドラゴンとは破壊と恐怖の対象なのだ。震え上がらない者はいない。


『命令に従う者には約束の地から生み出される食料を分け与える。これは救世主から君たちに約束した事だ。この約束は必ず履行される』


 食料。潤沢な食料をその地から得られれば、部族はより発展することになるはずだ。そのために八〇〇年もの永き時を戦い続けてきたのだ。


『また、支配を望まない者、従いたく無い者もいるだろう。そういう者はこの地より永遠に去れ。出ていくことは許すが、戻ることは許さないと明言しておく』


 逃げ出す自由は与えられた。獣人たちの脳内で強者による支配を受け入れるか、あるいは拒否するかの天秤が大きく揺れ始めた。

 拒否した場合は逃げるしかないだろう。能力に自信があるものなら抵抗を選ぶかもしれない。

 だが、殆どの住人は従うか逃げ出すかの二つの選択しか残されていない。


『代表者たちは六日後までに指定の場所に集まれ。これは要請じゃない、命令だ。繰り返す。代表者たちは六日後までに指定の場所に集まれ。これは要請ではなく、命令だ』


 正体不明の声が頭から消えた時だった。

 再び、大地を揺らし、大気を切り裂くような咆哮が蛮族の地全体に響き渡っった。


 その声を恐怖の顔で聞いたものたちの目に、大気を焼き焦がすほどの火炎が空中に撒き散らされる様が飛び込んできた。


 ほぼ全ての獣人たちは思った。逆らうも従うも地獄が待っているに違いないと。


 集まるまでの期限は六日。

 命令の場所まではどの部族もおよそ三~四日は掛かることになる。

 それまでに部族の者を集めて話し合うしかない。従うか逃げるかの二択を。

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