第19章 ── 第9話
甲虫人族の集落では盛大な宴が開かれた。
酒や料理などが大量に出され、俺たちの前に並べられる。
とても俺たちだけで食いきれる量ではないが、甲虫人たちもそこから取って食べているので、全部俺たちが食わなくてもいいようだ。
「おい、ケント。とうとう救世主にされちまったぞ」
「そうじゃな。ドライアドも救世主扱いしておったしのう」
「ケントさんは救世主というより神様に近いんですけど」
女どもは出された料理を口に運びながら言いたいことを言っている。
「まあ、シンノスケとは同郷だけどな。面倒だし救世主扱いさせておいた方が扱いは楽だろ」
「腹の中が……黒い……な」
ハリスが酒を飲みながら苦笑気味に言う。
「そりゃな。どんな時だって平和なのが一番だ。その為に必要なら俺は悪巧みもするぞ?」
「世の中は綺麗事だけでは回らないからな」
トリシアがニヤリと笑う。
「どこが黒いんじゃ? 髪の毛は黒いが、ケントの腹は綺麗な色じゃったぞ?」
おい、マリス。いつ俺の腹を見た? 最近はお前らの前で肌を晒すような事はしてないはずだぞ?
俺は慌てたように腹を押さえる。
「マリスちゃん。腹黒いってのは陰謀を企むとかそういう性質を言う例えですよ」
アナベルが教師のような優しい声でマリスに教える。
「なんじゃ、腹が黒い縞模様にでもなったのかと思ったのにのう」
そんなわけあるか。どこのシマウマか。黒い縞模様の腹巻きでも装備するか?
しばらく宴を満喫していると、カルンがやってくる。
「救世主様、寝所の用意ができたよ。食べ飽きたら寝ると良いよ」
「あ、うん。カルン、君も俺を救世主だと思うのか?」
俺がそういうとカルンは少し首を傾げたが、すぐに頷き直す。
「当然だよ。母なる個が救世主様と言ったんだ。間違いないよ」
うーむ。これは母なる個のセルニスに後で聞かねばならんな。為政者の発言によって、簡単にその人物の立ち位置が決まってしまうんだからね。そこは注意深く考えて発言してほしいものだよ。
宴は朝方まで続いたようだが、俺たちはカルンが用意してくれたという寝所でグッスリと眠らせてもらった。
柔らかい乾燥させた刈草を山にしたような寝床だったが、殊の外よく眠れた。安眠効果を持つ草だったのかもしれない。他の仲間も同様に良く眠れたようだしね。
「おはよう……救世主様」
カルンの弟テルンが寝所から出てきた俺たちに挨拶してきた。
テルンは大分無口で、キリキリという音を出すだけであまりしゃべらない。末っ子らしいので気弱なのかもな。
「ああ、いい朝だな。カルンたちが用意してくれた寝床でよく眠れたよ」
俺がそう言うと、テルンはキリッキリッという音を立てた。
「ところで、母なる個殿に会いたんだけど」
「言っとくよ……」
テルンはそう言うと立ち去ってしまう。
「なんじゃ、ハリスと気が合いそうなヤツじゃのう」
うーむ。コミュニケーションが上手くいかないヤツだな。マリスの言うようにハリスよりも酷いかも。
寝所の入り口から集落を見渡すと、あちこちで甲虫人が酔いつぶれて寝ていた。随分と派手にやったようだなぁ。
マリスと集落の周囲を散歩していると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「創造主殿、創造主殿」
見ると集落の端に生えている灌木から頭だけ出しているダイア・ウルフが目に入った。
ん? 俺の事か?
俺が自分の胸を人差し指で突付きながら首を傾げると、ダイア・ウルフが小さく頷いた。
「創造主殿、この集落は既に包囲しております。危険があれば即座に制圧いたしますが、問題はありませんか?」
随分と流暢な人語を話すね。って、ダイア・ウルフって人語を話せたっけ? こいつだけ特別?
「いや、問題はない。武力を使うつもりはないから、仲間たちは待機させておいてよ」
「御意。我らの主どのをよろしくお願いします」
主ってマリスの事だよな。
「ああ、解ったよ」
俺の応えを聞いてダイア・ウルフは顔を引っ込めて去っていった。
「ケントは大狼とも話せるのじゃなぁ。ビックリじゃぞ」
は? 人語、話してたじゃん。
「ハリスじゃないんだから、ダイア・ウルフとは話せないぞ。アイツ、ちゃんと人の言葉だったじゃんか」
「何を言っておる。アレはクンクンいっておっただけじゃぞ」
何だと? 翻訳機能はダイア・ウルフ語まで翻訳を始めたのか? もしかして他の言語も翻訳できるようになるんだろうか。それだと便利になるなぁ。
「で、何と言っておったのじゃ?」
「集落を包囲してるとさ。俺たちに危険があったら突入してくるつもりのようだぞ」
「大丈夫じゃろ。平和なもんじゃった」
「そうだな。甲虫人に敵対するつもりはないようだからな」
「最初だけじゃったな」
その最初にマリスが完膚無きまでにぶっ飛ばしたからな。抵抗する気も無くなっただろうさ。
午後になり、カルンが俺を呼びに来た。
「母なる個が会ってくれると言ってるよ」
「ああ、今行く」
カルンに案内された建物は他のものよりも大きく、モンゴルの遊牧民のテントみたいな物だった。
他の竪穴式住居みたいなのと比べると、大分マシな建物と言えるな。
「良くぞいらっしゃいました、救世主様」
テントの中に入るとセルニスが恭しく俺の前に
「いや、そういうのはいいんで。頭を上げてくれ」
俺がそういうと、セルニスは顔を上げた。
「やはり救世主様は慈悲深いのですね」
「ああ、それだよ。何で俺たちが救世主だと思うんだ?」
俺がそういうとセルニスが首を傾げる。
「先の救世主様からのお言葉通りでしたので」
「先の救世主? どういうこと?」
セルニスは俺に小さな乾燥した刈草の山に座るように促してくる。彼女もその対面にある刈草の山に腰を掛けた。
「先の救世主様のお言葉は代々、母なる個になる者に言い伝えられておりますので。自分が戻らなくても気にする必要はない。いつかボウケンシャを名乗る者が現れるはずだ。そいつが俺の代わりだと」
何だって? シンノスケは未来を予知でもできたのだろうか?
「ここの北にフソウ竜王国という国がある。そこは冒険者が多いと聞いているけど、この地に来たことはないのか?」
冒険者はこの世界にも大量にいる。シンノスケや俺のようなプレイヤーだけではないはずだ。
「この地に冒険者を名乗る人族が入ってきた事は今までありません」
「ということは……俺たちが初めてか」
「そうです。だからこそ、貴方たちは救世主様の言われた通り、新たなる救世主様であることは間違いありません」
うーむ。なんで冒険者は入ってこないんだろうか? ルクセイド領王国の冒険者も入らないんだろうか。何か周囲の国で取り決めでもあるのかね?
聞けば聞くほど解らんが、解らん事で頭を悩ませても無駄だな。知る機会があれば自然と解ることだと思うことにする。
「ま、それはいいか。俺たちは西の山に入るつもりだ」
「西の山に何かあるのでしょうか?」
「んー。俺の仲間の知り合いがいてね。ちょっと頼みたいことがあるのさ」
「知り合いが」
どうやら再び現れた救世主の動向が気になるらしいな。
「そういえば……他の部族と争っていると聞いているが」
「はい。先の救世主様が残されたと言われている穀倉地帯の覇権を掛けて」
「発見もできないのにか」
「そ、それは……」
さすがのセルニスも言葉に詰まった。キリリリと彼女の顎の音がなる。
「ま、このままでは一生発見できないけどな」
「やはり救世主様のお力ですか……我々には時期尚早だと……」
「そうじゃないよ」
俺は一つ息を付いて話を続ける。
「いいか。君たちが言っている救世主、彼はシンノスケという名前の人族だ。彼の願いはこの地、他国では蛮族の地と呼ばれているようだけど、ここに平和になって欲しかったんだよ。無駄な争いなどして欲しくはなかったんだ」
俺はシンノスケがあの田園地帯を作った意味をセルニスに教えてやる。
「いいかい。シンノスケは、田んぼや畑を作って食べる物の乏しいこの地の食糧事情を改善して、平和にしたかったんだよ」
セルニスからキリリキリリと発する音が大きくなっていく。
「昨日の宴会だって、相当無理しただろ? それくらい解る。何日か森を歩いてみて思った。植物は旺盛に生えているが、動物は殆ど見かけなかったからな」
俺は昨日出された肉の料理を思い出す。貴重な蛋白質だったのだろう。料理を取りに来る甲虫人たちは肉に手をださなかったのに目線だけは肉に固定されてたからな。
「やはり救世主様の目は誤魔化せませんでしたか……先の救世主様に、助けていただいた我々がこれほどまでに栄えている事をお見せしようとしたのですが」
「そういう気遣いはシンノスケも喜ばないだろうな。俺もシンノスケと同じ気持ちだ。現状を訴えてもらった方が、後の行動を考えるのに役に立つんだ」
セルニスは他の甲虫人と同じで表情は良くわからないが、なんとなく気持ちは伝わってくる。
「我々を助けていただけるのでしょうか?」
「我々って……君たち甲虫人だけをか? それはゴメンだ」
俺の言葉にセルニスが明らかにガッカリした雰囲気を醸し出す。
「俺はこの土地に住む全ての部族を助けるつもりだ。無駄な争いをやめさせ、食糧事情を改善させる」
ハッとした感じでセルニスが顔を上げる。
「やはり伝承は間違っていませんでした。新たなる救世主様が我々の土地にやってきた……」
「救世主はやめてほしいな。俺はただの冒険者さ。困っている者がいたら手を差し伸べるのが俺たちの仕事なんだよ」
セルニスがキリリリリリと長い音を発した。
やはりこの音は甲虫人たちの感情によって音が変わるようだ。
表情の出せない彼ら甲虫人の感情を表現するものなんだな。さっきの音は嬉しさのようなモノを表しているっぽいね。
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