第19章 ── 幕間 ── トリシア

 突然、凄い速さでケントが森の奥へと動き出した。

 自分で進んでいるというよりも、誰かに引きずられているような変な体勢だった。


「ドライアドだ! トリシア、ドライアドだ!」


 既にかなり引き離されたが、辛うじてケントが叫ぶ声が聞こえた。 


「ケントが何者かに攫われたのじゃ!」


 大慌てするマリスをトリシアが慌てて押さえつける。


「待て! 軽々な行動は慎め!」

「じゃが!」

「状況を正確に判断しろ。ケントを連れ去ったモノが何にしろ、ケントが対応していた時の反応を思い出すんだ!」


 マリスがようやく落ち着く。


「ドライアドが何とか言っておったな」

「ドライアドというのは木の精霊ではないのでしょうか?」


 トリシアはアナベルの言葉に頷き、ケントが消えた方向を見つめる。


「ああ、そうだ。ドライアドは森の木々に住む精霊だと言われている。ドライアドの存在なくして木も森も育つことはない」


 そのドライアドがケントを連れ去ったのは、どのような理由があってか?


 基本、精霊は人間には見えないし、干渉してくる事さえない。世界を作り出す根幹的存在であって、空気のようなものだ。

 エルフの身体を構成する要素にも木や森の精霊たるドライアドの力が介在していると聞いたことがある。


 そのような万物を構成する要素を見抜く能力を有している人物もいる。ファルエンケールの女王ケセルシルヴァ・クラリオン・ド・ラ・ファルエンケールもその一人だ。ケントはこのような能力をユニーク・スキルと呼んでいた。

 ケントにもそのような能力があるのかもしれない。


 トリシアは人間の範疇を越えるケントの更なる能力に身が歓喜に震える。


「そもそも精霊が人を害するような事はないはずだ。慌てて足元を掬われないように慎重に行動するべきだろう」

「ドライアド……もし、ケントに何かあったら我がブレスで焼き殺してやろうぞ!」

「精霊は焼き殺せないのです。神々が使役する力そのものなのです」


 アナベルもマリオンの信者だけあり、世界を構成する根幹たる精霊の基本知識があるようだ。


「分身に……追跡させている……」

「あの速さについて行けているのか?」

「辛うじて……」


 さすがはハリスと言うべきか。トリシアに出会った頃のハリスは、ケントと旅するには頼りない非力な冒険者に過ぎなかったが、ある時期から急速にトリシアの信頼に足る能力を身に着けている。


「この先……五キロほど行った所だ……」


 まだ、ケントが連れ去られてから三分程度しか経過していないというのに、既に五キロも先にいるらしい。


「よし、場所が解っているのならば話は簡単だ。これよりケント救出のために奥へと進む。相手はケントの言葉を信ずるならばドライアド。我々の攻撃も防御も役に立たないと思え」

「防御もかや?」

「当然だ。相手は世界を司る力の一部だ。ドライアドという名前自体が我々が便宜上付けただけのものと考えろ」

「魔法も効かないのでしょうか?」


 魔法自体は効くはずと思いたい。


「大丈夫だ。さっきの侵入阻害もケントのイフリートで突破できた。召喚魔法で呼び出した者が破壊できた以上、魔法も有効に違いない」


 確信は無い。だが、人類の長い歴史の中で解明されてきた世の仕組みが正しい物であるならばとトリシアは考えた。


 人類種の長年の観察と努力が無駄だったはずはない。それほど人類種は愚かではない。



 トリシアは仲間の三人を指揮して森の奥へと歩を進めた。

 慎重に森を進むが、先に行くにつれて森の植生は濃くなっていき、足取りは鈍くなっていく。


 だが、密林と呼べるほどの状態だというのに、障壁の外側よりも気候が安定しているとトリシアは感じていた。


「湿気が少なくなってきている。風の流れもあるな」


 トリシアが囁き、ハリスが周囲を見回して頷く。


 レンジャーたるもの自然の状況をつぶさに感じ取れねばならない。自然と共に生きるエルフのトリシアには当たり前の事だが、人族のハリスには比較的難しい感覚的なものなのだが、ハリスは難なく感じ取っている。


「あと……二キロほど……先だ……ケントは……そこにいる」



 更に進んでケントまであと一キロほどの辺りだった。


 トリシアは耳元で何者かが笑うような声を感じた。

 聞いたというより感じたというべき感覚だったのだ。


「誰か笑ったか?」


 仲間たちに確認するが、アナベルは首を傾げる。

 ハリスの目は随分前から鋭いものになっていて、必死に何かを探すように周囲を見回している。

 マリスは全身鎧で、分厚いフル・ヘルムを装着しているために鋭敏な感覚は期待できない。


「何かおるのかや? 我には全く解らぬのじゃが」

「何かに取り囲まれている気がしてならない」


 その時、再び耳元で「フフフ」という声が聞こえた気がする。


 トリシアは周囲を素早く窺う。

 トリシアの目に自分たちと一緒に進む半透明のモヤのようなモノが見えた。


「な!?」


 その透明なモヤのような人形ひとがたのモノが口元に手を当てて肩を震わせているような仕草をしているのをトリシアは感じた。


「いるな……」


 ハリスがモヤの一つに手を伸ばすが、その手は空を切ってしまう。


「ハリスにも見えているか?」

「ああ……何となく……だがな」


 アナベルもキョロキョロと周囲を見る。


「何かいるのです?」


 アナベルがビクビクし始める。神官プリーストといえど、目で見ることのできないものには恐れを感じるのだろう。


 マリスはイライラし始めたのか、小剣を振り回す速度が上がる。


「なんじゃ! 見えんのじゃ! コソコソ隠れるなぞ卑怯じゃぞ!」


 ブンブンと振り回す小剣が下生えの大きな草を次々と両断し、進むべき空間を広げていく。


「あ! 見えました! 女の人ですよ!」


 アナベルがモヤを指さしながら大きな声を出した。


「ようやく見えたか。敵意はないようだぞ」


 トリシアの言葉に一つのモヤが頷くような仕草をする。やはり敵意はない。


「む。コイツらか!?」


 マリスにも辛うじて見え始めたとトリシアは判断する。既にトリシアの目にはハッキリと人間のようなシルエットが見えていた。


 ケントがいる場所に近づくにつれて、モヤはどんどんとハッキリとした姿を取り始めていたのだ。見え方に個人差はあるようだが、先へ進むほど見えるようになるということだろう。


「そろそろ……森が開けるぞ……」


 ハリスの言葉に前方を確認すると、明るさが増している。木々に遮られていた陽の光が木漏れ日となって地面に降り注ぎ始めているということだろう。


「ケントは直ぐそこだ。気を引き締めろ!」


 トリシアは兵団に居た頃のような檄を仲間たちに飛ばした。

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