第18章 ── 第5話

 出来上がったキサリスの飴を紙に包んでセリスに渡す。


「さあ、できたぞ」


 紙を開いて飴を興味津々で眺めるセリスだが口に入れようとしない。


「遠慮はいらないよ?」

「食べ物なの?」

「ああそうだ。美味いはずだよ?」

「ガラス玉みたいだね」


 セリスは指で飴の一つを弾いている。


 むむ。この世界には飴はないのか? 砂糖もあるんだしあっても不思議じゃないはずだが。それとも、セリスが知らないだけなのかも。


 俺も駄菓子屋みたいな所は覗いたこと無いからなぁ。というか駄菓子屋なんかあったかな? トリエンでも帝国でも見かけなかったな。


 セリスが飴を恐る恐る口に入れた。


「甘~い!」


 ほっぺに両の手を当ててセリスは微笑む。


「ああ、砂糖で作ってあるからね」

「砂糖って茶色いの? 白いの?」

「白いのだよ」

「これは透明だよ?」


 溶けたら透明になるんだが、そういう基礎的な知識はないらしい。


 コロコロと口の中で飴を転がすセリスは一四歳の子供としては幼すぎる。親が過保護すぎるためか?

 しかし、過保護にしてはどこの馬の骨とも知れぬ俺たちだけに良くセリスを任せているよな。世話係すら部屋に居ないしなぁ。


「どうだ? 美味いだろう」

「うん! でも、硬いから噛めないの」

「あ、飴は噛むものじゃなくて、舐めるものだからいいんだよ。舐めてるうちに溶けてなくなるんだ」

「へぇ……」


 セリスはまだ紙の中に残っている飴を指でつまみしげしげと眺めている。


 一四歳、いや子供でも飴程度のものなら噛み砕く事は容易いはずだ。という事は顎の力が相当に退化していると見ていい。


 こりゃ硬い食べ物は駄目だな。


「セリスは何が食べたいの?」


 口の中でコロコロと続けているセリスが顔を上げる。


「何も食べたくないの」

「お腹は空くだろう?」

「うーん、慣れちゃった」


 空腹に慣れる事なんてあるのだろうか? 人間、腹が減れば何でも美味しく食べることができるはずだ。


「いつもは何を食べているの?」

「あの水だけだよ」


 セリスが指をさしたのはベッド横のエンド・テーブルに置いてある水差しとコップだ。

 水差しの液体をコップに入れて確認する。


 ただの水にしか見えないが、水だけで生物は生きていけない。様々な栄養素やミネラルがどうしても必要になる。それらを腹に入れてこそ、生命活動を維持できるのだから。


物品鑑定アイデンティファイ・オブジェクト


 液体の正体が流れ込んでくる。


 なるほど……これは凄い。


 この液体は高度な魔法練金薬だ。必要最低限の栄養素とミネラルを凝縮してあるが、魔法によって飲む者の味覚と嗅覚神経を麻痺させることで、無味無臭で飲むことができるようだ。相当に金の掛かった代物だ。


 だが、これだけでは子供の体の成長には全く足りないだろう。なるほど、だから年齢の割りに身体が成長していないわけか。しかし、そうなると、一体どれだけ食事をしないで過ごしてきたんだ? 食わず嫌いにもほどがある。


「セリスは肉は好きか?」

「嫌い……うっ!」


 セリスは何かを思い出したのか、突然えずく。


「野菜は……?」


 口を抑えながらブンブンと顔を振る。


 ふむ……思い出しただけで吐きそうになるのか……こりゃ味とか以前の問題か。


 トラウマ……俺はそう結論付ける。何か過去にあって食べることに拒絶反応を示しているんだ。

 飴は見たこともない食べたこともない物だから口に入れられたんだろう。突破口はそこかもしれない。


 しかし、原型を留めない食べ物なんてモンジャ焼きとかミキサーでドロドロにした野菜ジュースくらいしか思いつかんぞ? どっちも食材の匂いも味も大いに感じられる。セリスには無理だろう。


 まずは詳しいトラウマの原因を調べてみるか。


「セリス。これから君に魔法を掛けるが構わないか?」

「魔法!?」


 またまたセリスが興奮気味に目を輝かせる。


「君にダメージを与える魔法じゃないから安心してくれ」

「でも、魔法は私には効かないよ?」


 え? それどういうスキル?


「抵抗値が異様に高いのかな?」

「よく解んない」

「とりあえず、試してみていいかな?」

「いいよー」


 よし、俺はセリスに『記憶走査メモリー・スキャニング』を使う。


 無詠唱で魔法を唱え、セリスの心の中のトラウマを調べ上げようとする。


 呪文を掛けると俺の眼の前に真っ黒なスクリーンが表示されるが、何も表示されてこない。

 魔法は掛かっている。スクリーンが表示されているのがその証拠だ。抵抗されたり、精神耐性による無効化でなければスクリーンは出ないはずだ。

 だとすると、やはりスキルによるパッシブ効果だろう。


 となれば魔法強度を上げるしかないんだが……セリスの精神への悪影響が問題だな。


 よし、そうなれば……俺は頭の中で魔法の融合を考えようか。『記憶走査メモリー・スキャニング』と『精神回復メンタル・リカバリー』を融合してみよう。


 すでにどちらの魔法も魔法一覧に登録してあるため、融合は比較的簡単だ。以前から試しているんだが、一覧内の魔法の融合には魔法術式の再構築が必要ない。かなりチート能力だと思うんで仲間たちにすら教えていない。


精神走査回復リカバリー・メンタル・スキャニング


 魔法強度を上げつつ、精神の崩壊や苦痛を随時回復修正していく。これなら魔法のレベルが多少上がった所で精神への悪影響は出ないはずだ。


 真っ黒だったスクリーンが明るくなってきている。よしよし、うまくいきそうだ。


 ノイズだらけながら何やら映像が見えてきた。


 豚が数ある料理を食べ散らかす……そんな映像が幾つも出てきた。なんで豚が料理食ってんの?


 というか食べ散らかし方が物凄い汚い。更にクチャクチャという咀嚼音が酷く不愉快に感じる。


 俺はあまりの凄惨な映像に辟易し魔法を解除した。


「こりゃ、食べ物というより食事への嫌悪から来た絶食だな」

「原因が解ったのかや?」

「ああ、色々問題ありだな。魔法は効かないし、こりゃ普通のスキルじゃないな。ユニークスキルに違いない」

「ユニーク? あー、あれじゃなぁ」


 は? ユニーク・スキルはプレイヤーだけが持つはずだけど? マリスはユニークの存在を知っているのか?

 いや、加護はユニーク扱いだった。現地人であるアナベルもユニーク持ちだとすると他にも大量にいる事になる。


「マリスもユニーク・スキルを持っているのか?」

「そのユニーク・スキルというものかどうか知らぬのじゃが、普通のスキルじゃない生まれ持った特殊な能力を持つものは多いのじゃ。我にも恐怖、全属性魔法というものがあるのう」


 全属性魔法!? え?相反する魔法すら可能!? チートやん!


「私にもあるぞ」


 トリシアが口を開いた。


 あー、全員に解る言語で話したか?


「私の特殊スキルは、MPが足りない場合でもSPをMPの変わりに使うことができるというものだ」


 トリシアのユニークは魔法野伏マジック・レンジャーに似合ったもののようだ。イルシスの加護を手に入れた俺にはあまり関係ないユニークだけど、魔法を使う者なら欲しがりそうな能力だよね。

 そういえば、以前トリシアが双眼鏡の魔法道具を作った時に半死半生になったな。あの時はMPとSPが枯渇してたっけ。

 なるほど、自分の能力以上の魔法を行使したからだったのか。なんでSPまで枯渇していたのか不思議だったんだよなぁ。

 永続パーマネンスセンテンスは、消費MPが物凄い跳ね上がるからな。レベル二程度の魔法であんなことになった理由が良くわかったよ。


 問題はセリスのユニークだ。無効化ではないにしろ、俺という神に近い高レベルの者が掛けた魔法すら強力に阻害するほどのものだ。冒険者とかになったら相当すごい能力なんだけどなぁ。


 ただ、俺が魔法レベルを上げると何とか効果を及ぼすことができる。

 トラウマになった部分の記憶の改変を行えれば、現在の状況は打開できるはずだ。


 ちょっとした記憶の齟齬が生まれる事が懸念事項だが、記憶の修復能力に期待するしかない。セリスの状態は命の危険があるからね。多少の懸案事項は目を瞑るしかないね。


俺はレベルを上げた『精神回復メンタル・リカバリー』をセリスに掛けた。

 結構な量の記憶を改変したせいで、セリスの顔に疲労が浮かんできた。さすがに精神的な影響が拭えないか。


「よし、処置は全部終わった。セリス、ご苦労だったね」

「何か疲れたの。眠い……」

「ゆっくりお休み。起きたら美味しい物が待ってるよ」


 セリスは嬉しげに微笑んだ後に眠りに落ちた。


 セリスの部屋を出て一息つく。廊下にはメイドが待っていた。


「お疲れ様でした。伯爵様が待っております」


 ほう。なるほど、しっかりと俺たちの行動は監視されていたわけね。逐一報告が上がっていたのだろう。ついでに、何か危険な行為が行われていた場合、即刻妨害できるように何か手を打っていたと見ていい。

 それが魔法によるものかは判らないが、セリスの魔法阻害能力を考えると、魔法による手段だったと思うね。

 もっとも、その魔法が俺たちに影響を与えるかは甚だ疑問だが。俺はもちろん、仲間たちのレベルに拮抗できる存在が他にいるとも思えないからね。


 俺たちが相当な高レベルだと知っているのは、ヴォーリアとカルーネル、それとサブリナ女史にアルハランの風の面々だけだ。噂レベルでスミッソンが知っているかもしれない程度か。


 領主の間に行くと、カルネ伯爵が物凄い笑顔で出迎えてきた。


「おお、ケント殿! 良くぞやってくれた。これは快挙だぞ!?」

「え? 何のことですか?」

「セリスにあの水以外の物を口にいれさせたではないか!」

「あー、飴ですね。低血糖の症状だったので応急処置として与えましたが」


 応急処置と言ったせいか、伯爵は医学的なものか何かと思ったらしい。


「あれは薬なのかね?」

「いえ、薬ではないです。お菓子ですよ」

「菓子とな? あれが冒険者の食す菓子なのかね?」


 冒険者限定の意味が解らねぇ。貴族だろうが庶民だろうが菓子くらい食うだろうが。


「いえ、砂糖を使った単純なものですが、普通の甘味ですよ。甘味は貴族でも食べるでしょう?」

「それはそうだが……」

「彼女はただの栄養失調です。食事さえすれば命の危険はありません。なので魔法で食事をしたくないという精神的な部分、これは病気でしたので治療させてもらいましたよ」


 カルネ伯爵は重苦しく頷いた。


「うむ。報告は受けている。少々危険な治療だったと聞いたが、セリスたんは大丈夫なんだろうな?」

「ええ、そこも考慮して治療の魔法を掛けました」


 カルネ伯爵は書類にチラリと目を落としてから口を開いた。


「ふむ、剣士ソードマスターだと聞いていたのだが、本当は神官戦士プリースト・ウォリアーなのかね?」

「いえ、神官戦士プリースト・ウォリアーではありません。俺は魔法剣士マジック・ソードマスターですよ」

「おお! ペールゼン閣下と同じ!!」

「ペールゼン閣下?」

「知らんのかね? まあ、フソウの者では仕方ないか」


 いや、友人ですよ。なんで「閣下」なんて言っているのかが判らないだけだよ! それと、まだ俺たちをフソウの人間だって疑ってんの!?


 ペールゼンの悲恋話はルクセイドでは相当に浸透しているんだな。貴族が閣下呼ばわりするんだからね。ペールゼンは当時、一騎士でしかなかったんだぜ? すげぇ影響力だよ。そんな人物を友人にできたのは幸運なのだろうね。

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