第16章 ── 第3話

 登るにつれ、山はどんどんとその猛威を見せ付けてきた。

 一瞬も気の抜けない足場、薄い酸素、変わりやすい天気、そして寒さ。


 馬車で入れなくなったあたりから徒歩に切り替えたのだが、ものの数時間で山の厳しさを知った。


 舐めてた。高い山舐めてたよ、俺。もはや人の侵入する場所じゃねぇよ。


 掻いた汗は一瞬で氷のように冷めてしまい、躊躇なくスタミナを削っていく。


 先頭を歩きながらも後ろを振り返ると、ハリス、アナベル、トリシアは、予想通りグロッキー状態だ。ペースを考えないと重大な事故を起こしそうだ。


 下から見た時にはそれほど険しい山だと思わなかったのだが、予想以上にアップダウンが激しい。マップで確認してみれば、すでに標高四五〇〇メートルを超えていた。

 俺はその数字に愕然とする。


 アメリカのロッキー山脈より高いのかよ……


「よ、よし。休憩だ……」


 俺の言葉に、三人が安堵の表情を浮かべた。


「もう休憩かや?」


 なぜか異常に元気なマリスが俺の後ろから言う。


「マ、マリスは元気だな……平気なのか?」

「我の住処は山の上じゃからのう。この程度は春の微風そよかぜみたいなもんじゃな」


 ドラゴン恐るべし。


 周囲を見回し、岩のくぼみを発見したので、そこへ入り腰を落とす。


「ハリスさま、お気を確かに」


 くぼみに入り、バッタリと倒れ込んだハリスをペルージアが介抱している。

 ペルージアも平気っぽいな。


「女爵殿も余裕みたいだが……」

「私はアンデッドですからね。寒さとかは全く影響ありません」


 寒さだけでなく、薄い酸素も問題ないんだろうか。新陳代謝してないから汗も掻かないようだし。便利な身体ですな。


「山の過酷さが……こ、ここまで厳しいとは思わなかった……」


 さすがのトリシアもSPが三分の一まで減ってしまっている。


「か、神の御元に召されそうなのです……」

「し……死ぬ……」


 職業柄、最大SPがそれほど高くないアナベルとハリスはもっと酷い事になっている。


「よし、SP回復ポーションの出番だな。フィル特製の中級だぞ」


 俺はSPが枯渇気味の三人にポーションの瓶を渡した。三人ともゴクゴクと喉を鳴らして飲み干す。


 俺も一本飲んでSPの回復を図る。俺のSPバーは四分の一ほどしか減っていないが、それでもこの環境は非常に辛い。酸素マスクとか必要だったかもしれないな。


「山ってのは過酷なんだなぁ……初めて知ったよ」

「おお、ケントでも知らぬことがあったのじゃな!」

「いや、そりゃあるでしょ。人間は普通、こんな高い所で活動するように身体が出来てないんだ。やはり環境スーツみたいな特殊装備を開発しておくべきだったな」

「環境スーツ? それは何だ?」


 ポーションで落ち着いたトリシアが聞いてくる。


「環境スーツか? よくSFとかで出てくる装備なんだが……」

「素敵用語かや?」

「ま、そんなもんだ。人間が様々な環境で行動するために考えた装備設定だなぁ。こういうファンタジー世界では普通出てこないんだけどね」

「ファンタジーですか、ペールゼン陛下がそのような言葉を使っていたことがあります」


 ペルージア女爵が首を突っ込んでくる。


「そりゃ……彼は俺の同郷だからね」

「おお……辺境伯殿もカリオス王国の出でしたか!」

「いや、そういう意味の同郷じゃないんだが……」


 彼女にプレイヤーの存在を知らせても大丈夫か不安なので濁しておく。


「女爵殿は元人間だと思うけど、生まれはどこになるの?」

「私でございますか? 私は元からヴァンパイアですが?」

「は?」


 俺はポカーンとしてしまった。


「ですから、真祖と言われる種族でございますよ」


 トゥルー・ヴァンパイアかよ!


「マジで?」

「本当でございます」


 なんで真祖がノーライフキングの配下になっているんだよ。レベル五〇のアンデッドだから、グレーター・リッチよりもレベルは低いけどさ……


 真祖と聞いてアナベルがギロリとキツイ視線をペルージアに向ける。


「真祖……我ら人族の天敵……」


 流石に疲労困憊気味なので襲いかかるような素振りは見せていない。神殿勢力からすると最悪、最凶の敵対者だし、その反応は理解できる。


「おい、アナベル。控えろ。彼女は友好国の貴族だぞ!?」


 俺は心配になりそう言う。


「解っています! 解っていますが!!」


 アナベルは立ち上がることもできずに四つん這い状態でワナワナと震えている。


 そういえば、ペールゼン王国に行ったくらいからアナベルはいつもの天然キャラ的な部分があまり表に出てきていない。


 そんなアナベルをペルージア女爵は微笑みながら見つめていた。


神官プリーストの方だと、そういう反応になりますね。仕方のないことです。だからこそ、我が国は国境を閉ざしているのですから」


 ペールゼン王国の鎖国体制は、まさにそれが理由だ。死者が執政を行う国に宗教家が良い顔をするわけがない。何ら生者に実害がなくとも必ず滅ぼそうとしてくるだろうから。


「アナベル。納得できないならトリエンに戻って構わないんだぞ?」

「いえ! 私は戻りません! ケントさんと共にいることは神に与えられた使命なのです!」


 うーむ。どうしたもんか。


「私はアンデッドという存在を神の敵と教わってきました。しかし、あの国に行ってからというもの、その教義に疑念を持ってしまいました……でも神の教えに疑念を持ってしまっては……」


 そんなに難しく考えることではないと思うんだが……宗教者としてのアナベルからしたら重大問題なのだろうか。

 まさに愛憎併存アンビバレンツな状態に陥っている。


 こうなると神に出張でばって貰うのが順当か。


「ちょっと待ってろ」


 俺は念話チャンネルを開きマリオンを呼び出す。


 電話の呼び出し音みたいな音がしばらく鳴り、マリオンの声が聞こえる。


「あ、ケントっすね。おひさ!」

「部活少女め」


 俺はお気楽なマリオンの声を聞いて少々ムカッとしてしまった。信者が大変なことになっているのにな。


「ひどいっすねー。前にも言ったっすけど、部活少女じゃないっすよ!」

「いや、そんな事はどうでもいいんだ。マリオンの信者が苦しんでいるのに、随分お気楽だな」

「へ? 何か苦しんでいる子がいるっすか?」

「アナベルだよ」


 俺がそういうと、マリオンが少々黙る。


「あー、うん。それっすねー。困るっす。下界のものは、そこすぐ勘違いするんすよ」

「ん? どういうことだ?」

「アンデッドが全部邪悪ってことじゃないって事っす。アンデッドは死と闇を司る神の申し子っす。死と闇の神は別に邪悪じゃないっすからね」

「そこの説明を頼みたいんだけど……」


 マリオンはいつもより真面目な声色で応える。


「人間だって善も悪も両方いるっす。アンデッドだって同じっすよ。特に死者は、生者だった頃の性質が色濃く表に出るものっすから、欲望に忠実なものが多い所為で生きた人間からは敵として認識されることが多いっすね」


 そりゃそうだ。俺は性善説とかそういうのは信じてないので、マリオンの言うことは良く判る。人間は基本的に弱い生き物だ。食欲や性欲、物欲など。欲望には事欠かない生物だ。その基本的な性質が色濃く出るなら、確かにアンデッドは敵となるに違いない。


「死を体現するものがアンデッドっす。生と死は下界の生き物とは切り離せない関係っすから、生者が死を恐れるのは当たり前なんすよ」

「ということは、アンデッドが邪悪だというのは人間の作り出した定義であって神界では違うってことか?」

「そうっすね。死と闇を司る神はレーファリアって言うんすけど、彼女は別に邪悪じゃないっす。秩序の中に組み込まれたれっきとした秩序の神っすよ」

「神界でいう正邪の定義って?」

「カリスがいた世界が虚で、ティエルローゼが正に位置していると言われているっす。創造神さまの定義ではそういう事になってるっす」


 ふむ。ということはカリスの世界とティエルローゼは裏表の存在なのかもしれないな。位相が違うだけで同じ世界なのかも。

 最近も魔族召喚がされていた痕跡もあるし、比較的近い位置にある世界なのかもしれない。

 となると地球はどの位置に存在するのかな?


「ま、今ケントが考えた感じっすね。プレイヤーがいた世界は解らないっすけど」


 あ、念話チャンネル開いてると思考がダダ漏れだったんだっけ。


「私の巫女の事は任せるっすけど、彼女には私からも啓示を授けておくっす。手数をかけてゴメンっす」

「いや、いいよ。アナベルは大事な仲間だからね。マリオンも彼女のケアはしっかり頼むよ」

「了解っす。あ、そうそう。今、神界が色々揉めてるんすよ」

「え? あ、ヘパさんの件?」

「そう! それっす。ちょっと色々と規則を作ることが話し合われてるっす。ヘパーエストは謹慎とか言われてたっす!」

「報告ありがとう。となるとしばらく降臨はないかな?」

「そうっすねぇ……そこのところは解らないっすけど……それとアースラ先生から報告があって、兄貴……アイゼンっすけど、奥さんとモメモメっす! これも会議の議題にあがっちゃって……」


 あー、あれも確かに問題ある行動だよね。秘密にしてたようだけど、ヘパさんとやってることは違わないわけか。


「アイゼンの奥さんって誰なの?」

「狩猟の女神っすよー。アルテルさんっす」


 あー、ウェスデルフの神殿で見た神か。設定的にギリシャ神話のアルテミスに似てる感じだったけど、そうなると貞潔の神でも有名だったよな……そりゃ怒るわ。


「例の下界の女の子の血筋に掛かってた呪いは解かれたみたいっすっから、機会があったらそう伝えてほしいっすね。身内ながらホント申し訳ない事っす」


 下界の女の子ってシルキスの事かな? もう女の子って歳じゃないと思うけど、多分そうだろう。後で教えておくとするか。


「解った、そうしておくよ」

「それじゃよろしくー。またねー」


 そういって念話は切れた。


 まったく、やっぱり神の降臨は問題起こったね。今後、神界はそれなりに自粛モードに入るかもしれないな。それはそれで助かるけどさ。


 念話が終わって目を開けると、ペルージア女爵が不気味なものでも見るよう視線を俺に向けている。

 アナベルはペタンと座ってこちらをウルウルした目で見ていた。


「ん? 何か?」

「いえ……突然、独り言しゃべり始めたので……」

「ああ、ちょっと念話してたんだよ」

「念話……珍しいスキルをお持ちなのですね」

「やっぱり珍しいの?」

「この世に生まれいでて数千年経ちますが……数人しか見たことありません」


 そんなレア・スキルなんか。それはそれでビックリ。


「いつの間にか覚えたもんでね。それよりもアナベル」


 俺はアナベルに顔を向ける。


「はい!」

「ちょっとマリオンと話したけど……」


 アナベルが物凄い期待を込めた目を向けてくる。念話の内容は推測できたのだろうね。


「アンデッドは邪悪じゃないってさ。一応死と闇の神の眷属らしいぞ?」

「本当に!?」

「ああ、人間が誤解から産んだ教義と言っていたな」

「おお! マリオンさま!」


 アナベルは、マリオンの聖印を握りしめて天を仰いでいる。


「神と話していたんですか……?」


 ペルージア女爵が驚愕の顔をする。


「そうだよ。一応、マリオンは俺の剣術の姉弟子にあたるみたいで」


 ポリポリと頭を掻く俺を、ペルージアが目をまんまるにしながら見てきた。

 まあ、その反応は毎度の事だけど、その視線はあまり居心地は良くないな。ヴァンパイアが目を見開くと、目がギラギラと赤く光るようだし……なんか怖いよ?

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