第15章 ── 大陸中央の動乱

第15章 ── 第1話

 二日後、王国は帝国と正式な友好条約を結び、それと共に通商修好条約、および軍事同盟も締結した。創生二八七二年、クシュ月(一月)四三日、イドア(水曜日)の出来事である。


 この日、長く続いた帝国とのいさかいに終止符が打たれたことを王都民たちは大いに喜んだ。

 即日リカルド国王により布告され、王国内の各都市に今回の条約締結について書かれた高札が立つことになる。


 条約締結後、王国と帝国との間の細かい話し合いが行われたが、その殆どは俺の領地であるトリエンと帝国の間に交わされた『土地借款、人的資源、および資金投入についての協約』、後に『ト・ブの盟約』と呼ばれるものを基礎として話し合われた。


 帝国との交流の窓口として、トリエンが人的・物的流通の管理を任されることになり、その補助金としてトリエンには毎年、金貨一〇〇〇枚が国庫より捻出されることになった。同時に、帝国からも管理委託費用として、こちらも毎年、金貨七〇〇枚が提供されるという。


 これを利用し、管理業務を行うこととなったのだが、トリエン地方では、いかんせん人的視点がまるで足りない。

 そのため、トリエンでは行政官や徴税官などが大量に必要になり、王都やドラケンなどの大都市で経験者を募集する事になった。

 これには宰相のフンボルト侯爵やドラケン領主であるミンスター公爵に協力を要請した。二人とも、快諾してくれたので近いうちに解決されると思われる。


 この条約につき、関税業務がトリエンに任されることになるわけだが、関税の管理機構が町役場にしか存在しなかった為、主要官舎を帝国にほど近い例の湿地帯の空き地へ建設することになった。

 この空き地はトリエンの街の五分の一程度の広さがあるので、人口にして一〇〇〇人程度の街を建設することにした。


 この街の建設は、エドガーをトップとしたトリエンの都市開発チームが担当する。

 俺の要望として、街の一区画をニンフたちとの貿易地として設定し、ニンフと俺の取引場所として造ってもらうことにした。ここは一般人は入り込めず、俺や維持・管理を任される役人のみが出入りできることとした。

 この街の防衛は一つのゴーレム部隊を充てる。


 ちなみに、カートンケイル要塞は、要塞の機能を終了し、トリエン南部の管理、および警護任務を担う防衛本部が置かれることになり、二つのゴーレム部隊が駐屯する。


 残ったゴーレム部隊の一隊は基本的に待機部隊となるが、整備やトリエンの街の防衛を担うのが主な任務となる。


 また、ガーゴイルを大量に作り出して、要所要所に配備し、監視や治安維持になどに当たらせることになった。これにより、空の警戒監視や防衛も強化された。



 それから数カ月。


 トリエンの街は急速に成長していた。

 すでに街の規模は直径で二倍以上大きくなり、第二城壁が建てられ始めている。


 現在、トリエンの領民になることを希望するものが加速度的に増えている。

 この計画が実行に移される前のトリエンの街の人口は二万人程度だったが、現在希望者も含めると八万人にもなっている。


 南部開発に派遣されてきた帝国民たちが、南部を一大穀倉地帯としつつあり、秋の実りが期待できそうだし、そういった帝国民がトリエンの民になりたがったりする事例が頻発している。


 一ヶ月のうち一週間ほどアルフォートが派遣されてくるのだが、彼にその事を聞いてみると「いいんじゃないか?」という反応だ。

 帝国臣民が減ることになるのだが、問題はないのだろうか。


 俺の領主としての仕事は、行政における命令書などに承認を行うのが主な業務なので押印することが日課となり、どんどん増えていく書類の山が悩みのタネになり始めていた。

 時々、マリスやハリスにも押印作業を手伝わせてみたりしている。


 その傍らで、色々なアイテムの開発なども行っており、都市の衛生用装置や民生用の魔法道具などがベストセラー商品となっていたりする。


 ちなみに、マストールが月の半分以上の間、工房に押しかけて来ているのが

国際問題化しそうな気がしてならない。

 妖精族における鍛冶技術の象徴みたいな人なのに、ミスリルやアダマンチウムのインゴットを手土産に工房使用を請われては、断るのも難しい。


 そんな折りの事だ。


「旦那さま、エルフの使者がお見えでございます」


 俺が執務室で書類と格闘していると、リヒャルトさんがやってきた。


「エルフの使者? 応接室に通してあるの?」

「左様でございます」


 ふむ。ファルエンケールからの使者だとするとの地で何かあったのかな?

 マストールに小鳥型のミスリル・ゴーレムを女王に献上してもらったけど、そっちからは何の報告もログに上がっていないけどな。


「よし、会おう」


 俺は執務室を出て応接室に向かった。


 扉を開けて中に入ると、一人のエルフがひざまずいて俺を迎えた。


「お久しぶりでございます、ケントさま……いえ、クサナギ辺境伯さま」

「カスティエルさんじゃないですか!」


 そこにはエルフの豪商ルーファス・カスティエルがいた。


「一体どうしたんです? 使者と聞きましたが」

「この度、ケセルシルヴァ・クラリオン・ド・ラ・ファルエンケール女王陛下より書状を賜ってまいりました。お納め下さい」


 カスティエルさんは、そう言うと腰の鞄から一通の書状を取り出してくる。


「何か問題が発生したとかですかね?」

「私は詳しい話を聞いておりませんので……書状のみお預かりして辺境伯さまの元へ送り出された次第です」


 俺はカスティエルさんをソファに案内し、自分もソファに腰を掛ける。


「では拝見いたしましょう」


 俺は羊皮紙の封印を開けて中を確認する。


『親愛なるケント・クサナギ辺境伯殿


 春の日差しが終わりを告げ、夏がやって参るこの頃、いかがお過ごしでしょうか?』


 むむ。日本語みたいに形式的な文句が最初に来るのか。季語とか入れる部分が日本の文章みたいだ。


 俺は手紙を読み進めて眉間に皺が寄ってしまう。


 手紙には王国の西方にあるとされる『ラクースの森』についての事が書かれていた。

 ラクースの森の中にあるエルフの都市シュベリアと連絡が取れなくなっているという。

 女王は同族であるシュベリアの妖精族の安否を心配しているらしい。


 ラクースの森って聞いた事があるんだが……えーと……あ。あれだ。マルレニシアの後任の偵察隊長。名前はシャリア・メルファルスとか言ったか。彼女の故郷がラクースの森じゃなかったっけ。


 手紙には『心配』とだけ書かれていて、様子を見てきて欲しいとか具体的な事は何も書かれていない。行動するかどうかは俺に判断を任せるってことだろうか。


 世話になったエルフたちの悩みだし、俺は解決してやることに何の疑問もないのだが……


「ん? 何だ、ケント。何を考えている」


 突然、後ろから話掛けられ、慌てて後ろを見ると、そこにはアースラと知らない髭面の屈強そうな大男と立っていた。


「え!? アースラ!?」

「おう。また来たぜ」


 こう、しょっちゅう降臨していいのか。つーか、後ろのオッサン誰だよ。


 俺の視線に気付いたのか、アースラが頭をカキカキしながら話し始める。


「あ、こいつ? こいつはヘパーエストだ」

「ヘパ……?」


 俺はギリシャの高名な神様の名前が頭をよぎる。


「まさか、鍛冶の神様じゃあるまいね?」

「そのまさかなのが笑えるところだろ?」


 やっぱり……つーか、何で毎回、他の神様を連れてきているんだ。この前はヘスティアさんだったし。


「で、アースラ。今日は何の用?」

「ん? 何のって。遊びに来ただけだよ。迷惑か?」

「いや、迷惑じゃないが……というか、毎回神様連れてきて大丈夫か?」

「いやな。何か降臨する時、一人連れていくってのが神界で決まってな。俺は案内役みたいなもんだ」

「は? 何で旅行代理店のガイドみたいなことしてんの?」

「俺にもサッパリ」


 そういってアースラは肩をすくめる。


「ワシはヘパーエストじゃ。供物はないのか?」


 ヒゲのオッサンは周囲をキョロキョロし始める。


「供物……ヘパイストスって供物は何なの?」

「あ、いや。こいつには酒とツマミを出してやればいいよ」


 アースラが若干申し訳なさそうな顔をする。


「酒とツマミ……まさか、アースラ……自慢したんじゃないだろうね?」

「ごめん……いや、マジで」


 アースラ曰く、ヘパーエストとの酒の席で俺が作ったツマミの話を彼に聞かせたらしい。

 そしたら連れて行けと連日付け回され、あげくの果てには、神々の会合の席でヘパーエストのみならず、多数の神々から俺のところへ行く観光ツアーを実現するための会議が開かれてしまったのだという。


「どんだけ吹聴したんだよ!」

「いやー、お前の料理はマジで美味いからさぁ……」


 そういう問題か。神界の神が次々に降臨したら下界はどうなるんだ!


「だから、俺が定期的に降臨して、その時に一人だけ連れてくるという事が決まったんだよ」


 俺は頭を抱えた。


「この糞忙しい時に、そういうことするなよ……」

「ああ、上から見てたから判る。だから謝ってるじゃんか」

「むう。ヘパさんは酒とツマミだけでいいんか?」

「ああ、そういう話で連れてきた」


 しかし、俺の方には何のメリットもないんだが。


「こっちの条件……つーか願いは聞いてもらえるんだろうね?」

「できることならな」


 ふむ。それならば……


 俺は念話チャンネルを開く。


「マストール。今から屋敷の応接室に来てくれない?」

「なんじゃ。今、いいところなんじゃがな」

「ま、それは置いておいて、早急によろしく……神罰落ちかねない」

「む!? その類の件か?」

「ああ、マジでよろしく」

「了解じゃ。すぐ向かう」


 念話チャンネルが切れ、数分も経たぬ内にマストールが応接室に駆け込んでくる。


「ケント、来たぞ」

「マジ、助かる。マストール、アースラの隣にいる人の接待を頼みたいんだ」

「接待じゃと!? ワシを誰だと思うておる!」

「いや、マジ、マストールにもプラスになる人物だから」

「ぷらすって何じゃ?」

「彼の名前はヘパーエスト。鍛冶の神さまだぞ?」


 それを聞いたマストールが驚愕とともに膝を折った。口がパクパクしたまま声が出てこないようだ。


「ヘパさん? 彼はマストールと言いまして……」

「ヘパさん? ワシをそう呼ぶか、人間よ。許す。供物次第じゃがな」

「あ、供物……酒とツマミは、手が空き次第すぐ用意しますんで、マストールに色々と鍛冶の事を教えてあげてくれませんかね?」

「鍛冶の事をな。いいじゃろう。我が技の一端を見せて進ぜよう」


 俺は驚愕で言葉もないマストールに顔を向ける。


「ということだけど。接待よろしく。後で工房にツマミと酒を持っていくからさ」

「……」

「おーい。大丈夫か?」


 俺が肩を揺すると、やっとマストールの目の焦点が戻ってきた。


「ケ、ケント……今こそお前に感謝の言葉を送らねばならぬ……我が神のご降臨に立ち会わせて頂き、心の底より感謝を!」


 いつも年寄り然としたマストールが思いっきり興奮状態で俺にすがりついてきた。


「あ、マジで後はよろしく。工房に連れてってもらっていいから」

「了解じゃ!」


 マストールはヘパさんに向き直り、神の印を結んでいる。それを見たヘパさんは重々しく頷いている。


「我が下僕しもべよ。我が技の伝授を希望するか?」

「はっ! この身はすでにヘパーエストさまに捧げておりますれば、御技をご伝授賜れば至高の喜びにございます!」

「うむ。では案内あないせよ」

「は! 神意みこころのままに!」


 マストールと共にヘパさんが応接室を出ていく。


「全く、人騒がせ過ぎるよ、アースラ」

「すまんな。んじゃ、俺は自由にさせてもらうぜ」


 アースラも応接室を出ていったので、俺はカスティエルさんに向き直る。


「お騒がせして申し訳ありません。ん? どうかしましたか?」


 カスティエルさんはソファに座ったまま彫像のようにピクリとも動かなくなっていた。顔は何か恐ろしいものを見たといった感じで、目がまんまる状態で口が開いて閉じられないといった状態だ。


 うーむ。神の降臨を目の前で見てしまったせいかも。ご愁傷様としか言いようがない。これは俺の所為じゃないはずだし……


 カスティエルさんが正気に戻ったのは、それから三〇分ほど経ってからだった。

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