第14章 ── 幕間 ── ナイアス&ミネルバ

 ナイアスがいつものように魚を追って水の中を泳いでいると、ニンフの集落で騒ぎが起こった。


「化物だ! 化物が群れをなして来たぞ!」


 ナイアスはもりを持つ手に力を入れた。

 素早く水の中を泳ぎ集落の中へと進むと、慌てたニンフたちがバラバラと逃げ泳ぐ姿が目に入った。


「戦えるものは武器を持て! 小さきものは水の中へ!」


 ニンフたちの女王ファレニスが神より授かった三叉のもりを手に大声を上げていた。


 ファレニスの周囲には勇敢なニンフの戦士たちが手に手に武器を掴み集まってくる。ナイアスもそれにならい、女王の元へ馳せ参じた。


「ナイアス! 右翼を守れ! シャリアは後方を防御せよ! エプリス! 左翼へ!」


 ファレニスの戦法はニンフたちが古来から使ってきた防御陣の一つで防弓の陣と呼ばれている。


「怪物はどこに!?」


 ナイアスは防弓の陣の右翼から敵を探すが、周囲の水辺に敵の姿はない。


「上だ!」


 ナイアスの隣に陣取っている古参のニンフ戦士オルマシスが空を指さした。

 見上げてみると、五つほどの影が目に入った。


「大コウモリ?」

「いや……魔族に似ている」


 近づいてくる魔族のような怪物の詳細が次第にはっきりしてくる。


 赤い目玉、手と足に凶悪な鉤爪、頭はトカゲのような人間のような見たこともないものだ。その口には牙が四本生えている。そして、その背中にはコウモリに似た翼を持っていた。


「あんな怪物は見たことがない……」


 怪物どもが、彼女らニンフの姿を認めたのか、高度を下げてきた。


「戦闘用意!」


 女王の号令にナイアスはもりを持つ手に力を込め、そして突きの構えを取る。


 バサバサと音を立てて近づいてくる怪物が彼女らの目前まで来た。


「攻撃せよ!」


 ナイアスがもりを繰り出す。


──ガキーン!


 怪物の身体に突き立てたもりが甲高い金属音を立てて弾き返されてしまう。


「な!?」


 見た目が石のような色の怪物は、戦士たちの攻撃にまるで怯む様子はなかった。それだけでなく、反撃してくる様子もない。


 戦士たちの必死の攻撃は何度も繰り返されるが、怪物にはまるで効果がないように見えた。


「ならば!」


 女王ファレニスが三叉のもりに込められし神の力を開放する。


「天の水神ナーディアよ、その御力をお貸し下さい。水柱ウォーター・ピラー!」


 五つの水の柱が現れ、怪物たちをその中に取り込んでしまう。水の柱は竜巻のようにグルグルと回り、柱の中のものは身体を切り裂かれる事になる。


 水の柱がその効果を発揮し終わり消えて失くなった時、ニンフたちは絶望した。


 五匹の怪物どもは何の損傷も受けずに未だ空中に浮いていた。


「……なんということだ……」


 ファレニスが小さく囁いたのが聞こえる。


 怪物たちが動き始めた。集落を取り囲むように四方に散って行く。


「包囲するつもりか?」


 五匹のうち一匹が、周囲を伺うように頭を右から左へと回している。

 右翼のナイアスの方を見た怪物の目が、彼女を貫いた。


 じっとナイアスを見た怪物がゆっくりと彼女へと近づいてくる。


「端から殺るつもりか……最初は私だな」


 ナイアスは覚悟を決める。


「いつでも来い!」


 もりを再び構えるが、怪物はナイアスの前まで来ると、片方の足を目の前に突き出した。

 そこには羊皮紙が括り付けられている。


 ナイアスは戸惑った。これは何の意味があるのか?


 彼女の逡巡しゅんじゅんの間も怪物は足を突き出したまま微動だにしない。


「ナイアス! その足の羊皮紙を取れ!」


 ナイアスの前に来た怪物の様子を油断なく観察していたファレニスが彼女に命令を下した。


 ナイアスは命令に即座に従った。

 怪物の足の羊皮紙は先程の水柱攻撃で濡れてしまっているが、切り刻まれたりはしていないようだ。


 羊皮紙を足から外し、ナイアスは女王の元へと運ぶ。


 足から羊皮紙を外された怪物は、他の怪物と同じように集落の外側へと移動していった。

 ナイアスは怪物たちを順番に見回してみる。集落は五方向から怪物に囲まれていることになる。


 ファレニスは羊皮紙を開き中を少々見た後、ナイアスに声を掛けた。


「ナイアス、お前にだ」


 先程の緊張感が嘘のように女王から消えており、少々可笑しげに笑っている。


「警戒解除だ! 解散せよ!」


 ファレニスの号令で戦士たちが散っていく。


 ナイアスは手渡された羊皮紙を手に狐につままれたような顔になってしまう。


 シャリアがツツツとナイアスに近づいてくる。


「それは何?」

「羊皮紙だ」

「中のことだよ」


 ナイアスが羊皮紙を開けて中を確かめると……


『ナイアスへ

 君たちの住む場所を守るためにガーゴイルを一〇体派遣した。五体は住んでいる所の防衛用に、あと五体は周囲の沼の要衝にいると思う。

 何かあった場合、ニンフたちを守るために奮戦するはずだ。

 また、ガーゴイルは君の命令を聞くように造ったので、自由に使ってもらって構わない。

                冒険者のケントより』



 羊皮紙の内容を横から盗み見ていたシャリアがケタケタと笑いだした。


「あははは! 我らの婿殿が送ってきたのか! 敵だと思った!」


 ナイアスはもう一度羊皮紙の内容を読み返し、怪物を送ってきた冒険者の人間の顔を思い浮かべていた。





 ミネルバの朝は早い。

 水を汲み、家の中に運ばなければならないからだ。

 母は朝食の支度を始めている。小さな妹たちはまだベッドの中だ。

 ミネルバは陽が昇り始める頃に桶を持って家の外に出た。


 村で唯一の水場である井戸は村の中央に位置しており、この井戸を取り囲むように住人たちの家が立ち並んでいる。


 かじかんだ手にハーッと息を吹きかけながら、井戸端へやってきた。


 ミネルバと同じように水を汲みに来たものに挨拶する。


「メネットさんお早うございます」

「ミネルバちゃん、今日も早いね。偉い偉い」

「いえ、仕事ですから」


 隣の家の主婦メネットさんは良く褒めてくれる優しいおばさん。


「よう、ミネルバ姉ちゃん」

「エッソも水汲み?」


 今年一〇歳になるエッソは悪ガキだけど、家の手伝いもちゃんとするからイイ子。


「今日は寒いなー」


 エッソが井戸のロープを引いて桶いっぱいの水を汲み上げると、それをネメットさんの桶に空けた。

 エッソはロープが括り付けてある桶を再び落とし、水を汲み上げる。


 今度は私の桶に水を入れてくれる。


「ありがとう、エッソ」

「最近のエッソは優しくなったねぇ」


 ミネルバがエッソにお礼を言い、エッソの行動をネメットさんが褒めそやす。


 顔を赤くしたエッソが自分の桶に水を汲んでいる。


「そ、そんなんじゃないやい! 女に任せておくと、仕事が遅くて敵わないからね!」


 ベッ! と舌を出すとエッソは水の入った桶を持って自分の家に帰っていく。


「それじゃ、ミネルバちゃん。またね」

「あ、はい」


 ミネルバはエッソが汲んでくれた桶を持ち上げて歩き出した。


 ミネルバは、ふと上を見上げて水が入った桶を取り落としてしまった。

 屋根の上に石像が乗っていたからだ。


 見れば、周囲の家の上にもある。

 五個の石像が夜のうちに出現したのだった。


 帝国でも辺鄙へんぴなハドソン村で、こんな不思議な事が起こったことはこれまでなかった。


「あれは一体何だろう?」


 ミネルバが不思議そうな顔で石像を見ていると、それに気付いた村人も集まってくる。


「ミネルバ、あれは何だい?」

「判りません。私もさっき気づきました」


 どの石像も同じ造りで、変な怪物を模しているようだった。


 そのうちエッソやメネットさんも騒ぎに気付いて家から出てくる。


「あれま。あれは何だろね?」

「ちょっと屋根に上がって見てくるよ!」


 エッソが村長の家からハシゴを借りてきて、ミネルバの家に立て掛けた。


「気をつけて!」

「へっちゃらだい!」


 エッソが落ちないかハラハラしながら見守っていると、エッソは石像をあちこち調べてからハシゴを降りてきた。


「こんなものが像の足についてた」


 エッソは何か羊皮紙のようなものを手にしてミネルバのところまで走ってくる。


「それは何?」

「わかんない。中に文字が書いてあるよ?」


 この村で文字が読めるのは村長のヴィスタ老人だけだ。


「ちょっと村長さんのところに言ってくるね」

「オイラも行くよ。ハシゴ返さなきゃ」


 ハシゴを担いだエッソと村長の家に向かう。


「村長さん、これを読んでもらえませんか?」

「おお、なんじゃね? 羊皮紙のようじゃが?」

「家の上に石像が現れたんですけど、それに結び付けられてたようです」

「それは不思議なことじゃなぁ。どれどれ」


 村長はミネルバから羊皮紙を受け取ると、声を上げて読み上げた。


『ハドソン村のミネルバへ

 ガーゴイルを五体ほど造ったので、そちらに派遣したよ。

 君たちの村や畑を守るように命令してある。獣や魔獣、時には盗賊などが襲ってきた時には村を防衛するはずだ。

 何か困ったことがあったら、ガーゴイルに話せば助けてくれるから使ってみて。


               ケント・クサナギ辺境伯』


 村長のフィスタ老人は感心したような声を上げる。


「ケント・クサナギさまと言えば、ゾバルを買い付けてくださる王国の貴族さまじゃな! ガーゴイルとはのう……ワシも初めて見たが、そんなものを派遣くださるとは……なんと慈悲深いお方じゃろうか」


 村長の言葉にミネルバも頷くしかない。


 アドリアーナでケチを付けてきた役人を追い払ってくれただけでなく、村の唯一の農作物のゾバルを全部、それも大金で買い取ってくれた優しい笑顔の貴族さま。

 そのお陰で去年から今年にかけて村の食糧事情はかなり良くなった。ハムやパンなどを定期的に買えるほどだ。


 あの貴族さまはきっと神がつかわしてくれた救世主さまかもしれない。

 ゾバルを伝えてくれた旅人も伝承では優しい笑顔だったという。

 ハドソン村は貧しいけど、神に見守られているのかも。


 ミネルバはそう思い、空の上にいるとされる神々に手を合わせた。

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