第14章 ── 第2話

 トリエンに戻った午後、役場からクリストファを呼び出してもらう。


 俺は執務室でクリストファを待つ。


 さて、彼がどういった心持ちでロスリング伯爵の事を黙っていたのか聞く時が来た。


 扉がノックされ、リヒャルトさんと共にクリストファが顔を見せる。


「クリストファ様をお呼び致しました」

「ありがとう」


 俺が礼を言うとリヒャルトさんは頭を一つ下げてから退室した。


「呼んでいると聞いたが……」

「ま、座ってくれ」


 俺はクリストファをソファに座らせ、留守にしていた期間の行政資料を棚から取り出す。


「随分と良い報告書だね」


 俺は行政資料を開いて中をチェックしながら話しかける。


「資金調達は順調だ。これもエマードソン伯爵の商会があってのことだ」


 クリストファが満足げな顔をする。


「うん、王都で伯爵には会ったよ」

「魔法の蛇口は順調に売れているようだ。値崩れも起きていない。さすがはエマードソン商会の手腕というべきだね」


 帳簿を見るとすでに1万個ほどを販売したようだ。たった一ヶ月程度にしては凄いな。


「行政区の金庫には既に諸経費を引いた状態でも七八〇〇〇枚ほどの金貨が入ってきている」


 クリストファの表情に陰りのようなものは確認できない。


「在庫を含めれば、まだまだ稼げそうだね。残りの五万個の方の手筈てはずは?」


「商会の販売規模と比べたら大したことないが、一〇〇〇個程度は既に捌けている計算だ」


「こっちの販路は帝国方面に回すといいぞ? あっちで魔法の蛇口は全く見かけなかったからね。飛ぶように売れるだろう」


 クリストファの目が輝く。


「そ、そうだな。帝国なら……アルフォートに協力は頼めるか?」

「問題ない。彼はトリエン地方専属の外交官の辞令が降りたからね。彼を通せば帝国の商人を使えるだろう」


 アルフォートの名前が出てもクリストファの目に曇りが見えない。やはり暗殺の情報を隠匿した感じではないな。


「ところで」


 俺は不意に話の腰を折った。彼の顔色をうかがっていても正確な情報は得られないのだから仕方ない。


「実はトリエンを出て王都に向かった際の事なんだけど、また暗殺者に襲われたよ」


 そう俺が言い放つと同時にクリストファが硬直した。


「こう何度も命を狙われるのも面倒だから盗賊ギルドは潰してきたけどね」


 そう言うとクリストファの顔が少々安堵した色を見せる。


 俺は、かの暗殺依頼の書類をインベントリ・バッグから取り出すとテーブルの上に置く。


 クリストファの視線がその書類に注がれる。


「これを見れば判る通り、暗殺の依頼者はロスリング伯爵だった」


 クリストファは書類に目が固定されたまま動かない。


「俺も目を疑ったけどね……」


 俺はさらに続ける。


「王都でミンスター公爵に会った時、この事実を含めて盗賊ギルド壊滅を報告しておいた」


 クリストファは肩をフルフルと震わせている。


「もちろん、この情報は国王にまで上げられたんだけど、ミンスター公爵は一人の貴族を連れて国王のところに来たよ」


 俺は一瞬口を閉じたが、クリストファは何も言わない。


「その貴族はエマードソン伯爵なんだけどね」


 そう言った瞬間、クリストファが顔を上げた。


「も、申し訳ない……実は一ヶ月以上前にエマードソン伯爵から、ロスリング伯爵が君を暗殺しようとしたかもしれないという情報を得ていた」


 クリストファは俺の目をしっかりと見つめたまま続ける。


「だが、私はどうするべきか解らなかった。君にこれを報告するべきかどうか。何故なら、彼は私の罪を消してくれた人物だったからだ。この恩を仇で返して良いのか……」


 そこまで言ってクリストファは目をした。


「ふむ……そのようにして欲しいと俺が頼んだから、ロスリングはそうしたんだけどね」


 俺はその部分をクリストファに伝えていなかった。ロスリングが気を利かせて、そうしてくれたとクリストファが思っていたってことだ。


「そ、そうだったのか……? 私はてっきり……」

「そうしなかったら、君も連座の罪に問われてただろうね」


 クリストファがガックリと肩を落とした。


「それでは……私は君の恩を仇で返したわけか……」

「まあ、恩と思われても居心地悪いかと思って言わなかった俺のせいか」


 ちょっとした行き違いだ。クリストファが裏切ったわけじゃなかった。ロスリングに命を助けられたと思い込んでしまっただけか。

 貴族が自分の利益にならないことをするわけないと思うんだけどね。

 といっても、彼も損得で何かをするタイプじゃないみたいだし、他の貴族もそういうものだと思ったのかもな。例外は養父の男爵だけだと思いたいのも判るけどね。


 基本、人間は邪悪だ。性善説など俺は信じない。でも、クリストファは性善説派なのかもしれない。それはそれで多様性だし、俺はそれを人物の判断基準にするつもりはない。クリスが有能なのは間違いないからね。


 言葉足らずが産んだ行き違い。それで終わりにしよう。


「状況は掴めた。この話はこれで終わりだ」

「し、しかし!」

「しかしもカカシもない。誤解が誤解を産んだだけ。クリスに罪はない。罪はロスリング伯爵が負ったよ」


 その言葉にクリストファが目を見開いた。


「やはり、ロスリング伯爵は……」

「一族郎党、国王陛下の名のもとに捕らえられたようだよ」


 俺の言葉にクリストファの体から力が抜けた。


「クリス、一人で思い悩むのは君の悪い部分だ。是正してもらうつもりだ」

「ほ、本当に申し訳ない……直すように努力する」


 クリストファが頭を深く下げた。


「だが、これきりだぞ、クリス。必要な情報を俺に伝えない事は、裏切りと変わりないからな?」

「肝に銘じておく。このような事は、これきりだと誓う」


 俺はクリストファの目の色を覗き込んで、その言葉に嘘はないと判断する。


「信用するよ。アルフォートと俺と君で話し合ったあの計画を成功させるためにも、君の事は信用する」


 俺はクリストファの肩に手を置いて言った。


「それと、クリス。君一人に、ここの行政を取り仕切ってもらうには荷が重すぎると俺は判断した」


 その言葉にクリスの顔が上がった。


「それで、君に副官と部下を用意することにした」


 そういって、雇用者三人の名前が書いてある書類を取り出して、クリストファに見せる。


「とりあえず、以前から目を付けていた人物、ファーガソン准男爵を君の副官として雇った。その下に二名の部下がいる。彼と話あってトリエン地方の行政を運営をしてもらいたい」


 三人の書類に目を通すクリストファが目線を上げた。


「この三人はいつ?」

「たぶん一週間くらいで着任すると思うよ。それまでは一人で悪いけど」

「いや、助かる。ここの所、蛇口の販売関係で手一杯だったんだ。トリエン行政の各施策は職員任せでね……」


 そっちが一番重要な気もするが、魔法の蛇口販売はもっと重要と判断したんだろう。ま、一大事業ではあるけどね。

 でも、行政長官なんだから、トリエンの領民を第一にするべきなんだよね。それが公僕というものでしょ?


「さて、クリス。俺はこれから猛烈に忙しくなる。ファルエンケールに行って、ミスリルの買い付け。ゴブリンの巣にも顔を出さなきゃだし……」


 それから大量のゴーレムの作成もある。そのうちアルフォートも外交使節として来るだろう。その時には王都に着いていかなきゃならないな。


「そ、そうだな。その様子だと帝国との問題も無事に片付いたようだね」

「あ、そこの所、全然話してなかったな」


 俺がそういうとクリストファが吹き出した。


「ケントは、相変わらず重要なところで笑わせてくる」

「べ、別に笑わせるつもりはないんだが……?」


 困惑気味の俺の顔を見て、クリストファが忍び笑いをして肩を震わせる。


「ま、クリス。君には更に頑張ってもらうことになると思うけど、頼むよ」

「了解だ。留守がちの領主に代わって、しっかり働かせてもらうよ」


 俺は無言で頷く。

 それをしてもらうためにクリストファを雇っているんだからね。


「それでは失礼するよ。これから街の商人と会う約束があるんだ」

「了解だ。よろしくね」


 クリストファは頷くと執務室を出ていった。


「ふう。こういうのも疲れるね。人を疑うのも疑われるのもコリゴリだ」


 俺は執務机の椅子に座ると机に突っ伏して独り言を吐いた。


 扉のノックと共にリヒャルトさんとメイドが入ってきた。


「旦那さま、お茶を用意して来ましたが」

「ああ、ありがとう。ちょうど喉が乾いていた所だ」


 俺がそういうと、メイドがお茶をカップに注いで俺の前に置いてくれる。


「そうだ。リヒャルトさん」

「何でございましょうか?」

「実は三人ほど女性を雇った。そのうちの一人はエマの侍女として雇った。残りの二人は行儀見習のメイドとして当家で働いてもらう」


 リヒャルトさんの白い眉の片方がクイッと上がった。


「さようでございますか」

「それで、使用人が使っている別館に三人分の部屋を用意してやってくれないか?」

「畏まりました。その様に手配させて頂きます」


 リヒャルトさんが頭を下げる。


「済まないね。使用人はリヒャルトさんの一族だけという決まりなんだろうけど……」

「そんな事はありませんが、ここ一〇年ほど外部の人間は居なかったのは事実です」


 そうなのか。これまで欠員が出たらどうしてたんだろ? 外で働いている一族を呼ぶのかな?


 俺の考えが顔に出たのか、リヒャルトさんが話し始める。


「旦那さまは『空飛ぶ子馬亭』をご存知ですか?」

「知ってるよ。領主になる前はそこに宿を取ってたからね」


 リヒャルトさんは、なるほどといった感じで頷いた。


「あそこのトマソンは私の兄でして……」

「え! そうなの!?」

「左様でございます。歳は少々離れていますが」


 なるほど。あそこの客対応は上品で丁寧だった。あそこも一族か。何か納得できるような気がするね。


「それでは、旦那さま、失礼致します」


 そう言うと、リヒャルトさんとメイドが下がった。


 俺は冬の午後の淡い日差しに背中を暖められながらお茶をすすった。

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