第12章 ── 第15話

 その後、ジルベルトさんにわれて色々な英文の書かれた本の翻訳を手伝ったが、これだけ聡明な人なので英語の文法や単語の意味などを教えておく。


「いやはや、クサナギ辺境伯のお陰で研究が大いにはかどりました。ありがとうございます」

「この程度なら問題ありません。先程も言いましたが、あれは古代魔法語というより英語というある国の言語形態です。俺は偶然知ってた程度ですから」

「私はその英語と古代魔法語の類似性などを研究していたのです」


 まあ、ドーンヴァースは元々ゲームだし、魔法名には英語と日本語がある。

 ここらのシステムがティエルローゼに影響を与えたのだとすると、考察の価値はあるのかもしれない。

 呪文のセンテンスと魔法名に因果関係はないと俺は思うが、そこと魔法名を結びつけたのは何なのか……


 魔法の神であるイルシスに聞くのは反則なのかな? 世界の法則に関わる部分の気がするし、あまり人の身で解き明かして良い知識なのかは判断に余るな。


「それで、ジルベルトさん。実は今日はお願いがありましてお伺いしたんですよ」


 俺は、難しい問題は脇において、本日の本題、訪問理由について話し始める。


「ほほう。私にできることであれば」

「実のところ、私の持つコネクションを思い浮かべても、ジルベルトさんしか思いつかなかったものですから」

「コネクション……古代魔法語で接続……人と人とを接続……人脈という意味を古代魔法語に当てはめる場合はそのような意味に……?」


 あちゃ。ジルベルトさんはまだ研究モードですか。


「そうですね。それでお願いなのですが……」


 必死に話を元に戻す。


「ああ、失敬。私の生涯の研究と定めた分野なので……」

「そこはライフ・ワークというと古代魔法語っぽいですね」


 仕方ないので、少し教えてやる。


「なるほど! ライフ……生命……ワークは作業でしたかな……なるほど! ライフ・ワーク……」


 小さな手帳にジルベルトさんは書き留める。


「切りがないぞ、ケント」


 トリシアに注意された。ごめん。


「俺たちが帝国に来た理由をジルベルトさんには話していませんでしたね」

「そうですな。お聞きしておりませんな」

「我々は表向きは帝国が王国に侵攻した問題について帝国へ苦情を言いに来た王国からの外交使節となっています」


 ジルベルトさんは白髪になっている眉の片方を釣り上げる。


「表向き?」

「そうです。裏の方では帝国に侵入した魔族への対応と両国の関係修好とトリエン地方と帝国の貿易協定などを結ぶためです」

「魔族ですと?」


 ジルベルトさんが眉をひそめる。


「ええ。そして、魔族の侵入は確定してしまいました」

「我々は城の地下にある迷宮でキマイラと遭遇して撃破した」


 ジルベルトさんはトリシアがキマイラと言ったのを聞いて目を見開く。


「そ、それは……魔軍の騎獣……」

「そうだ。それを騎獣としている魔族が帝国の中枢にいる」


 トリシアが頷く。


「で、その魔族を排除したいわけです。あ、ちなみに現在の皇帝ですが……」

「皇帝陛下が何か!?」

「あれ、偽物ですよ」

「なんですと!?」


 ジルベルトさんが立ち上がる。


「事実なんです。実は俺は本物の皇帝……実は女性なので女帝陛下とお呼びするのが適切ですが、その女帝陛下を救出させて頂きました」

「へ、陛下を救出??」


 ますます意味が解らないといった感じのジルベルトさん。

 俺は仕方ないので、一から説明することにした。


 マリオンから帝国に魔族が侵入していると告げられた事、アースラも言っていた。それとナルバレス子爵と女帝の関係、シルキスから聞いた現皇帝が替え玉だということ。そして、モート公爵が魔族に憑依されている話。モート公爵がシルキスの息子を人質として捕まえている事などなどだ。


「それが事実なら……それは大事おおごとですぞ……」

「それで、ジルベルトさんにお願いがあるのです」

「それは大事おおごとですぞ……」

「俺たちは元老院の議員の前でモート公爵と対峙したいんですよね」

「それは大事おおごとですぞ……」


 ジルベルトさんの様子がちょっと変だぞ?


 俺はジルベルトさんの目を覗き込む。目に人間の意思というものが感じられない。


「トリシア」

「ああ、魔法が掛かっている」


 トリシアが魔力鑑定アプレイサル・マジックを唱える。


「これは精神魔法が掛かっているな。かなり強力だぞ。ある方向に思考が至ると思考を停止する類のものだ」


 ふむ。精神支配マインド・コントロールの魔法っぽいな。


「それなら……『魔力消散ディスペル・マジック』」


 俺は魔法を強制解除するため、魔力消散ディスペル・マジックを唱える。


 ジルベルトさんに掛けられた魔法が何か抵抗するような奇妙な感覚を覚えたが、俺は魔力をさらに注ぎ込み、その抵抗を排除する。


 ジルベルトさんがハッとした感じで顔を上げる。


「私は一体……」


 よかった。無事に解除できたようだ。


「どうも精神魔法に掛かっていたようですね」

「私が? 精神魔法に?」

「そうです。魔族が魔法を掛けたのかもしれませんね」


 ジルベルトさんに魔法が掛かっていたとなると、これは問題が多いな。ジルベルトさんはレベル三九の魔法使いスペル・キャスターだ。それをいとも簡単に魔法で操るとは、アースラが言っていた魔族の仕業に違いないな。


「先程の話は事実なのでしょうか」

「間違いありません。女帝陛下にお会いしてみますか?」

「是非、拝謁はいえつの機会を頂きたい。この目と耳で確認したいのです」


 俺はトリシアを見る。トリシアが肩をすぼめる。


「実は、今、思い出したのです。私がまだ魔法学校の一教師だった時の記憶ですが。私が次期皇帝陛下になられる人物にお会いした記憶です。その人物の事は、まだ霞が掛かったように正確には思い出せませんが……可愛らしい女の子だったのです……」


 ジルベルトさんがまだ校長になる前の話だ。当時の皇帝によって一日数時間ながら皇帝の子供に魔法の家庭教師をするように命じられたのだそうだ。その時に魔法の手ほどきをしたのは女の子だったという。


「この記憶が事実であれば……クサナギ辺境伯殿の言葉は……」

「そうですね。一度、お会いしてもらいましょう」

「事実であれば、モート公爵……いや、魔族を排除するためにも協力させていただきたい」


 ジルベルトさんは年齢に似合わない情熱的な目で俺を見つめてくる。



 俺たちはジルベルトさんを連れて宿に戻った。ジルベルトさんは帝都では有名な人物なので地味で目立たないローブ姿だ。


「今戻ったよ」

「おかえりなのじゃ!」


 マリスがスキップしながら出迎えてくれる。


 奥にある居間にはシルキスとナルバレス子爵がソファに座ってお茶をしていた。ハリスは窓から外を眺めている。アナベルは……なんで腕立て伏せしてるの?


「お客さんを連れてきましたよ」


 俺はジルベルトさんをシルキスとナルバレス子爵に紹介する。

 俺に前に押し出されたジルベルトさんが突然ひざまく。


「殿下! お久しぶりでございます!」


 その言葉にシルキスが首をかしげる。

 ジルベルトさんは、まだローブのフードを目深にかぶったままだ。


「どなた?」

「はっ! これは失礼を。私はジルベルト・フォン・ローゼン侯爵でございます!」


 そういうとジルベルトさんはフードを下ろした。


「あ、先生。お久しぶりですね。再び出会えてわらわも嬉しく思います。それにしても先生は以前とお変わりありませんね」


 フフフとシルキスが口に手を当てて笑った。


「はっ! 私は年齢維持の魔法薬を常飲しておりまして……殿下。まことに申し訳ありません。今まで私は殿下のことを忘れておりました……」


 ジルベルトさんが深々と頭を下げる。


わらわを忘れて? それは少々悲しく思います」

「ああ、それは魔族の魔法のせいですよ、陛下。その魔法は俺が解除しておきました」


 俺はジルベルトさんが魔法に掛かっていたことを説明する。


「そうすると、その魔法は先生以外にも掛かっているのかもしれませんね」

「その可能性は高いでしょう」


 シルキスがやはり悲しそうな顔になる。


「そのような非道は正さねばなりません。クサナギ辺境伯殿、お力添えをお願いできるでしょうか? 今のわらわにはお願いすることしかできませんが」

「お言葉のままに、女帝陛下」


 俺は王国式ながら貴族の礼をする。


「さてと、ジルベルトさん。どうですか? 本物の女帝陛下ですよ?」

まことに。あのお小さかった殿下がこれほど立派な淑女になられており、感動しました」

「殿下じゃないです。陛下ですよ」

「おお! そうでありました。陛下、私は今でも陛下の忠実な臣下でございます。私も微力ながらクサナギ辺境伯殿に協力したく存じます」

「先生、いえローゼン侯爵。その言葉、わらわは嬉しく思います」

「勿体なきお言葉! 我が全力を以て事にあたります」


 ジルベルトさんはひざまずきながら頭を深々と下げた。


「ジルベルトさんに協力願いたいのは、元老院の人たちと魔族に憑依されたモート公爵を一度に集めることなんですけど、可能でしょうか?」

「可能ですな。いとも簡単に集めることが出来るでしょう」


 おお、自信ありですか。それはありがたい。


「で、その方法は?」

「私が何か画期的な魔法道具の開発に成功したと言えばいいのです。それで元老院もモート公爵も議会を開くことでしょう。もしかしたら偽物皇帝も同席するやもしれませんな」


 なるほど。強力だったり生活様式をガラリと変える魔法道具の開発に成功したとなれば、それをどう政治に利用するかを話し合う機会を持つだろうね。さすがジルベルトさん。目の付け所が違う。


「それは良い手ですね。それでどんな魔法道具を開発したことに?」

「やはり、王国の魔法道具でしょうかな。あの一世風靡した魔法文化を再現できるとなれば現在の帝国においてこれほど画期的なことはありますまい」


 ふむ。となるとコレかな?


 俺はインベントリ・バッグから魔法の蛇口を取り出す。


「これとかですかね?」


 蛇口を見せるとジルベルトさんが目を見開く。


「こ、これは!? かの魔法の蛇口では!?」

「そうです。これ、最近ですが再生産の目処めどが立ったんですよ」

「ま、まさか!」


 ジルベルトさんは魔法の蛇口を手に取ったが、その手は震えていた。


「ええ。俺はシャーリー・エイジェルステットの工房を譲り受けたんです」

「おお……ブリストルの遺産を受け継ぎし者が現れた……」


 へぇ……あの魔術工房は帝国でも有名だったんだな。


「納得しました。辺境伯殿があれほどのゴーレムを従えていた理由も何もかも」

「ま、成り行きなんですけどね。でも、この蛇口だけで大丈夫ですかね?」


 俺は少々、蛇口程度では材料が弱すぎる気がしてならない。だってお湯と水が出るだけだよ?


「辺境伯殿はこの魔法の蛇口の価値が解っておいででないようですな」

「と申しますと?」

「水は人間が生きていく上で欠かせません」

「それはそうですが」


 井戸でも掘れば水は手に入るし、川が近ければそこから水を引けばいいだけだ。湿地帯のある帝国なら水はそれほど貴重ではない気がするが。


「水、それも飲んでも大丈夫な安全な水を安定的に手に入れることは難しいのです。貴族や富豪ならあまり問題にはなりませんが、庶民はどうでしょうか? 魔法の術もない庶民は安全な水を手に入れるために、どれほど苦労するか……」


 ジルベルトさんは貧しい家の出だったらしい。幸い、彼には魔法の才能があった。それをとある魔法使いスペル・キャスターに見出されて弟子入りを許されたのだという。彼は庶民の生活を良くしたくて魔法使いスペル・キャスターの道を選んだ。


「それからは日々戦いです。魔法をどのように使えば人々の生活を豊かに出来るか。今も戦っている最中です」


 そんな彼がまだ若かった時、ブリストル……今で言うトリエンで魔法文化が花開いた。


「あれは羨ましかった。そして憧れた。出来うることならエイジェルステットに弟子入りしたいとも思った。だが私は帝国の臣民だった。夢は叶いませんでしたな」


 当時を思い出しジルベルトさんは遠い目をする。


「私は魔法の研究を評価され、いつの間にやら貴族になりましたが、それでもブリストルの魔法文化のような成果を上げられていない。この蛇口はまさにその文化の象徴。どれほどの価値があるのか……」


 なるほど。まさにジルベルトさんのライフ・ワークの根源なんだなぁ……それを「この程度」とか思ってゴメンナサイ。


「理解しました。俺はまだまだ理解が浅かったようです。失礼しました」

「いえ、辺境伯殿が謝られることでは。貴方ほどの才能があれば、この蛇口ですらいとも簡単なものなのかもしれません。貴方が羨ましい」


 ジルベルトさんは俺の手を両手で包み込むように取る。


「クサナギ辺境伯殿、王国貴族の貴方に言うのも躊躇ためらわれますが……帝国のために力をお貸し下さい」

「もとよりそのつもりですよ。実は俺は魔族やら帝国との関係改善やら言っていますが、とある計画を進めるために帝国まで来たのですよ」


 シルキス、ナルバレス子爵、ジルベルトさんが俺の顔を見る。


「では聞いてもらいましょうかね?」


 俺はニヤリと笑いながら皆を見回した。

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