第12章 ── 第4話

 帝都に着いた次の日の朝は雲ひとつ無い快晴。

 本日はイシュマル月(八月)の二五日の光曜日。空には、二つの月、ザバラスとシエラトが昼の空に白い姿を晒している。ザバラスは半月、シエラトは満月だね。夜の空も明るいに違いない。


 さて、今朝はアナベルと連れ立ってマリオン神殿にご挨拶と資材の調達に行きます。


「大きいマリオンの神殿は初めてですなぁ。少しワクワクするね」

「そうなのですか?」

「うん。トリエンの街のマリオン神殿は教会っていうほど小さくて、神官プリーストが一人もいなかったんだよ」

「ほえー。それはマリオンさまもお気の毒に……」


 アナベルが胸に手を当て聖印を切る。


「でも、孤児院の子どもたちが花を供えたりしていたようだね。誰もいないんじゃマリオン神が可哀想だって言ってたなぁ」


 アナベルが太陽のような笑顔になる。


「子どもたちは世界の宝です! 次の世代を神と共に担うのですから」


 神と共にかは判らないが、その通りだね。


 帝都のマリオン神殿は中央広場を出て、南の大通りにあるとのことだ。トリエンでも南にあったけど、方角が重要な要素なのかな?


「トリエンも南の大通り沿いにマリオン教会があったけど、神殿の位置って決まってるの?」

「ほえ? そんな話は聞いたことがありませんが」


 じゃあ、偶然かな?


「マリオン神殿が南にあるのは人気にんきがない方角だからです」

「は?」


 帝都のマリオン神殿が南にあるのは、南に下れば下るほど帝国は寒くなるので土地が安かったからだという。


「マリオン教は信者はたくさんいますが、信者たちは貧しいものが殆どです。自ら危険な戦いに赴かねばならないような者は大抵は貧しいものですから」


 金持ちでも戦闘に行く人もいなくはない。でも圧倒的に日々、戦いにいどまねばならないものは貧者なのだとアナベルは感じているようだ。

 確かに、命の危険を考えれば、金を使って人を雇うよな。


「中央広場が見えてきましたよ」


 アナベルの言葉に前方を見る。


 昨日は馬車で通り過ぎるだけだった中央広場は本当に広い。出店も多く、人もものすごい数が動き回っている。


 試しに串肉屋があったのでアナベルの分と二本買ってみる。


「銅貨二枚でさ」

「はいよ」


 俺は素直に払った。隣でアナベルが眉間にシワを寄せて考えている。


「むむむう」

「どうした?」

「高すぎます!」


 どうも値段にご立腹のようです。


「勘弁してくださいよ。ここの所、何故か食材の仕入れ値が上がってるんですから」

「それにしても法外です! この前は黄銅貨一枚だったじゃないですか!」


 黄銅貨一枚が銅貨一枚に値上がり? 一〇倍は確かに行き過ぎな気がするが。


「ウチだけじゃありませんぜ。周りの店の奴らにも聞いてみてくださいよ」


 その声を聞き付けたのか、隣の飴屋の店員もこっちにきた。


「そうなんですよねぇ。最近、食料品が突然値上がりしたんです。行政の奴からの命令だからとか卸し業者が言ってたっけね?」


 もしかして帝国軍の街道封鎖による影響か? 外交部が諜報機関だとすると、すでに封じ込め作戦は気づかれているだろうし、大きな軍事行動が起こる前の籠城準備という側面がありそうだ。まあ、大きな軍事行動は起きないと思うけどね。


「それと妙な噂があるんでさ」


 串家の親父がささやくように言う。


「ほう。どんな?」

「こんな事を言っては不敬だと逮捕されかねませんが、何でも皇帝陛下が治めるこの帝都に魔族が侵入しているって……」

「それ、あたしも聞いたよ」


 飴屋のお姉さんも話に加わってくる。


「その魔族を倒しに北から勇者がやってくるとか」

「俺はそれ初耳だな。北の勇者って北の都市アルセルスあたりかい?」

「それがこの話は神殿の神官プリースト連中から出たっていうんだよ」

「神託でも降りたのかい?」

「さあ、そこまでは……」


 親父とお姉さんの噂をまとめると「帝都に魔族が入り込んで、それを討伐しに北から勇者がやってくる」だな。

 ……それって俺たちの事じゃね?


「やってきているのですよ! だから安心するのです!」


 ニコニコ顔のアナベルが手を上げて宣言する。


「あ、マリオン神殿の神官プリーストさまの前でこんな話を申し訳ありません」


 俺の後ろにいたアナベルに気づいてお姉さんがペコペコと頭を下げる。


「いいのですよ。その勇者は貴方たち目の前にいるのですから」


 親父とお姉さんがキョトンとした顔になる。


「勇者さまが?」

「眼の前に?」


 彼らの前には草臥くたびれた緑色のブレスト・アーマーを装備した俺が立っている。

 俺の容姿は勇者と呼ぶには少々味気ない。

 身長は一七〇センチくらい。体格は少々痩せすぎで筋肉質でもない。顔に至ってはごく平凡。というかモテるほどの顔じゃないからな。ハリスやアルフォートが羨ましいですよ。


「この方が?」

「この兄ちゃんが?」


 アナベルはコクコクと笑顔で頷いている。


「プッ!」

「わははは!」

神官プリーストさまも冗談言うんだね。あたし、初めて聞いたよ」

「ちげえねぇ。こんな愉快な神官プリーストさまがマリオン神殿にいるのかい? ちょっと信者になっちまいそうだぜ」


 まあ、そんな反応になるだろうね。俺もそう思います。


 だが、一歩前に出できたアナベルの顔つきがヤバイ。


「はあ? お前ら、ケントの実力も知らねぇでよく笑ってられるな!?」


 あ、ダイアナ・モードだ。暴れるつもりか?


「いいか、このケントはな。この私、ダイアナですら歯が立たねえんだ。見た目で判断しやがると承知しねえぞ!」


 ダイアナ・モードのアナベルの剣幕は相当なものだったが手は出さなかったので助かった。


 だが、親父とお姉さんの顔色は真っ青になってしまった。


「きょ、狂戦士ダイアナ!?」

「マ、マリオンの寵児……」


 周囲を行く人々も足を止めて、こちらを眺めている。


「またダイアナの暴走だぜ」

「ああ、ここんとこ無かったけど、相変わらずだな」

「帝都最強だからなぁ」

「最近姿を見せないと思ってたけど、あの冒険者の兄ちゃんとクエスト行脚あんぎゃでもしていたのかね?」

「ありえるね。あのダイアナの事だ。無茶な旅をしてたに違いないね」


 俺の聞き耳スキルが、見物人たちの言葉を拾ってくる。

 アナベル……いや、ダイアナ。君って有名人なんだね。別の方向で。


「わ、わかりました! 申し訳ありませんでした!」

「あたしも口に気をつけますので、ご勘弁を!」


 親父とお姉さんが必死に頭をさげている。


「判ればいいんだよ。今後気をつけろ」


 それだけ言うとダイアナ・モードが解除されたのか、いつもの能天気なアナベルに戻る。


「あらら? 何で店員さんは頭を下げているのです? 頭をお上げ下さい」


 この性質にも困ったもんだね。見ている分には面白いけど。


 少々冷めてしまったが、肉串を一本アナベルに渡す。

 アナベルはそれを幸せそうに食べている。

 俺も一口かじる。


 塩ベースだが、そこに何らかの香草をふりかけて焼いてある。味自体は悪くないが、肉の処理に失敗しているな。筋が多すぎる。まあ、庶民が利用する出店の肉に文句言っても仕方ないけど。


 中央広場を抜け、南の大通りを進む。色んな店があるのだが、どこも閑古鳥といった感じだ。

 食料品が突然値上がりしたせいで、庶民は買い物などする余裕がないのかもしれない。どの顔も少々暗い気がするしな。

 早いところ、帝国との事を解決しないと帝都の庶民が疲弊してしまいかねないな。


 大分歩いた。

 王都も広かったけど、帝都だって負けてない。

 それなのに一時間以上歩く距離とは……

 アナベルさん。そういう時は馬車とか使うもんです。


 帰りは誰が何と言おうと絶対馬車で帰ると俺は決意を固めた。


 ようやくたどり着いたマリオン神殿は、トリエンのものに比べても立派なものだった。トリエンのウルド大神殿と変わらない大きさだよ。

 ただ、所々に足場が組まれていて、アナベルが言っていたように改装工事中って感じだね。


 関心しながら眺めている俺の眼の前で、壁の一部が吹っ飛んだ。


 な、何事か!?


 吹っ飛んだ壁と共に全身鎧に身を固めた神官戦士プリースト・ウォリアーらしい人も飛んできて地面にゴロゴロと転がる。


「うぉ!?」

「あららー。やってますねー」


 アナベルは全く笑顔を崩さずに、転がった神官戦士プリースト・ウォリアーに歩み寄ると『下級回復レッサー・ヒール』を唱えている。


 俺が何が起こったのかと慌てていると、崩れた壁の中から神官服姿の屈強な大男が現れた。


「おう! 神託の巫女オラクル・ミディアムエレン、戻ったか」


 屈強な神官服の男はつかつかとアナベルの所まで歩いてくると、アナベルを抱き上げ、強烈な筋肉の抱擁ほうよう攻撃をする。


 ああ……あれは圧死しそうだよ。


「こら! 神官長! 離しやがれ!」


 抱き上げられたアナベルがジタバタと暴れ……というか、膝で的確に鳩尾みぞおちに蹴り入れてるね。


「ぐほ!」


 たまらず大男が力を緩めた。


「流石だ。巫女ミディアムエレン!」

「毎度毎度、それを辞めろって言ってるんだ!」


 なんだ、毎度のことか。ちょっと安心。


 回復魔法を掛けられていた神官戦士プリースト・ウォリアーがフラフラと立ち上がったので肩を貸してやる。


「だらしがないな! 神官プリーストモーガンよ。その程度で魔族との戦いに勝てると思ったか!」

「はっ! 日々、精進致します!」


 モーガンと呼ばれた神官戦士プリースト・ウォリアーが足腰立たない状態ながら元気な声で返答している。


「それで……巫女ミディアムエレン! そこの冒険者か!?」

「そうだ。彼こそがマリオンさまの神託の人物だ!」


 その言葉に大男は破顔すると俺に突進してくる。


 うわー、なんで突進!?


 俺は慌てて身構えたが、肩を貸している状態で思うようにいかない。


──ガシッ!


 そして、大男の筋肉抱擁ほうようの餌食になってしまった。

 この暑苦しさはやられた本人しか絶対わからないね。冬だというのに何という暑苦しさか。

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