第12章 ── 第2話

 宿屋「シュタインバーグ亭」は思った以上に豪華だった。プルミエの城郭内などとは違い、貴族というか金持ち好みといった感じ。宿泊客も貴族っぽい人が多いようだ。


 俺たちはカウンターまで歩いていく。


「いらっしゃいませ、当宿をご利用でございますか?」


 チェックイン・カウンターの従業員は眉こそ動かさなかったが、場違いな客が来たと思ったのだろう。「お泊りですか」ではなく「宿をご利用ですか」などという少々無礼な口ぶりだ。慇懃無礼というやつだな。


「ああ、そうだ。一番広い部屋は何人で泊まれる?」

「当宿の最上級の部屋は一二人のご宿泊が可能です」

「おお、そうなんだ? じゃあ、そこ頼むよ」


 従業員は少し眉をひそめた。


「少々割高になっておりますが、よろしいでしょうか?」

「いくらだ?」

「一晩で銀貨二枚です」

「お、安いね。じゃあ、そこをとりあえず一〇日ほど借りよう」


 俺は無造作に白金貨二枚をカウンターに放り出す。

 ここで従業員は俺たちに対する接客を間違えていたことに気づいたようだ。


「はい! 直ちにお部屋をご用意致しますので、ラウンジで少々お待ちいただけますでしょうか?」

「ああ、構わんよ」


 俺はそんな従業員の態度など気にも留めない素振そぶりで食堂とバーがくっついたようなラウンジの一番奥のテーブルを陣取った。


 仲間たちも俺の座ったテーブルに腰を落ち着ける。


「ケント、なかなか人が悪いな」


 アルフォートがコッソリといった感じで言う。


「ああいう無礼な奴は大嫌いだよ」

「そう怒るな。この宿は帝国随一と言われていてな。普通は富豪か貴族しか泊めないんだ」

「俺も貴族だけどね」


 俺は肩をすくめてみせる。


「格好は冒険者だがな。私も似たようなものだな」

「街中歩くのに綺羅びやかな貴族服なんか着てられないよ。窮屈きゅうくつじゃん」

「それは私も同感だ。貴族の体面など軍隊では何の役にも立たなかった」


 アルフォートはそんな事を言い出す。


「そんな窮屈な貴族の体面というのが欲しくて欲しくて、私は軍人になったが」


 アルフォートはフードの中から周囲を見回している。


「ケントたちと出会って孤児院の子どもたちと触れ、そして一緒に旅をしてきて、こんな綺羅で飾った生活より楽しく幸せなモノもあるのかもしれないと気付かされたよ」


 アルフォートはずいぶん変わったなぁ。


「そうかもな。俺は貴族になったけど、窮屈な生活なんかまっぴらだし、毎日を楽しく生活できればいい。そして俺の周りにいる人たちも幸せなら文句ないな」


 トリシアがテーブルに肘をつき顎を手で支えながら笑う。


「ふふ。アルフォート、お前もそう思うか。ケントとの旅は楽しいからな。私の遊撃兵団での鬱屈うっくつした毎日をぶっ壊してくれたのもケントだったよ。ケントと会って居ても立っても居られなくなって私もエルフの里を飛び出してしまったよ」


 トリシアは何かを思い出すかのように両のまぶたを閉じる。


「我なぞゴブリンに囲まれて難儀なんぎしているところにケントが現れたのじゃぞ。まさにトリ・エンティルが登場したような胸の高鳴りを覚えたもんじゃ!」


 マリスは興奮したようにオーバーアクションの身振り手振りだ。


「その直後にトリ・エンティル本人が目の前に現れたけどな」


 俺は少々茶々を入れる。


「あれも驚いたのは間違いないのう。トリシアに握手を強請ねだってしまったのじゃ」

「そういえば、そうだな。あの時のマリスは顔が真っ赤で可愛かったな」

「今も可愛いじゃろうが!」


 トリシアの相槌あいづちにマリスが手を振り回す。


「落ち着け……」


 ハリスが優しくマリスをたしなめる。


「お客さま……お飲み物などいかがでしょうか?」


 席についている俺たちに、ラウンジの従業員の一人がメニューを持ってきた。


「ああ、そうだな。とりあえず酒は控えておきたい。酒の入ってないものを人数分頼むよ」


 俺は従業員に銀貨を一枚握らせた。


「か、かしこまりました!」


 全く……この宿屋は格好で判断しやがるな。俺たちが席についてから注文を取りに来るまで数分も放って置かれたからな。気に入らない。


 俺が握らせた銀貨の効果だろう。飲み物はすぐにやってきた。


「お待たせいたしました。こちらはキサリスでございます」

「ありがとう」


 キサリスと言う飲み物は、何かの果汁を絞って水で薄めたもののようだ。


「キサリスというのは、女の尻みたいな果実でな」


 アルフォートが説明してくれるが、これ香りで判るよ。桃だよね。


「ああ、この果実の匂いは記憶にある。俺の世界じゃ桃と呼ばれているものだ」

「知っているのか? 帝国から海岸線沿いに西へと行ったウェスデルフという国の特産品なのだが。その国はかなり遠くてな。船で海岸をずっと行かないといけないんだ」


 ここから西か。ウェスデルフを大マップで検索する。この大陸の中央の南端に位置する国だな。帝国との間には巨大な山脈があるようで、陸路での行き来は難しいのかな? 直線距離で一二〇〇キロほどだが、海路なら数日だろうね。


「帝国はその国から食料は手に入らなかったのか?」

「無理だな。その国は獣人の国でね。狩猟で動物を取ったり、果物を採取するばかりだ。農耕はしていないんだ」


 狩猟採集だけで人口が賄えるのか? 帝国と違って随分と食料豊富なんだな。帝国はそっちを何で攻めないんだろう?


 俺の疑問を察知したのかアルフォートは続ける。


「あの国は弱いものは生きていけない。まさに修羅の国だ。強いものが全てを手に入れる。獣人族の身体能力は人間より高い。とても我々の国の軍隊では歯が立たんよ」


 少々残念そうな顔でアルフォートは言う。


「南にある港は開かれているが、我々のような文明度の高い人間たちが作る高度な工芸品を彼らが持ってくる余剰食料と交換するための街でな。治安も悪いし、商人たちは下手をすると商品を強奪されて終わることもある」


 アルフォートはため息をつく。


「食料にそれほど大きな危険を犯す価値があるかといえば、ちょっと疑問だ」


 いくら帝国が食糧難だといっても、多分、帝国にとっても法外な値段なのだろうね。小麦粉一キロに金貨とかは出せないだろうしなぁ。


「王国と戦争する方が、そこに攻め込むより安全なのか?」

「そうだ。あそこの国王はミノタウロスだと言われている。それ以外にも魔法に長けたナーガ族などもいるそうだ」


 ミノタウロスか。ドーンヴァースでは中級冒険者になったときの最初の難関だな。その強大な筋力と素早さは少々厄介だ。ソロで活動していた俺には強敵だった。

 それとナーガか。ナーガの魔法はともかく、徒党を組む性質があったため、これはこれで厄介だった記憶がある。魔法は一~三レベル程度の初級魔法が主だったはずだが、一般的な兵士には荷が重いってことかもな。


 しばらく帝国周辺の話をアルフォートと話していると、先程の慇懃無礼だった従業員が手もみ状態でやってきた。


「お客さま。部屋の準備が整いました」

「あ、そう。じゃ案内頼むよ」

かしこまりました。こちらでございます」


 俺たちはラウンジを出て、用意された部屋に向かった。


 通された部屋は呆れたように豪華だった。寝室は六個、それぞれがツイン・ベッドだし、居間らしいところは、宴会でも開けそうな広さだ。トリエンのトマソン爺さんの宿で泊まったスイートの四倍くらいあるかもしれない。

 もちろん風呂も完備だ。しかし、この風呂は、トリエンでは結構見かけた魔法の蛇口じゃないようだ。風呂桶は二つあり、水はポンプのようなもので引いている。居間の暖炉を使うと、片方の風呂桶の水がお湯になるみたい。そして、もう一方の桶の水と混ぜることで適温にするといった感じだね。結構、面倒な風呂だな。あるだけマシだが。


 案内をしてきた従業員(慇懃無礼な奴だ)にチップの銅貨を握らせてとっとと追い出す。本当なら鉄貨か黄銅貨程度でもいいと思ったが、他の従業員と差を付けすぎても問題ありそうなので銅貨程度で済ましてやろう。


「ここは、豪華じゃのう」


 ソファにポンと腰を下ろしたマリスがキョロキョロと周囲を見回している。


「そうですね。随分と調度品にお金が掛かっている気がするのですよ」


 アナベルも落ち着かなそうだ。


「ま、今回は王国の使節という役目だ。足元を見られないためにも散財は仕方ないな」


 俺は肩をすくめてみせる。


「部屋はそれぞれ一室で良さそうだぞ」


 トリシアが寝室を見て回る。


「我はケントと同じ部屋が良かったのじゃが」

「それは私も一緒だ。我慢しろ」


 君たちは自重しなさい。


「私もー」


 アナベルが一歩遅れて手を上げた。


 アナベルは何となくノリで言っているだろ。まあ、あの巨乳を枕に寝てみたいとは思うが、口が裂けても言えない。


「それぞれ部屋で普段着に着替えたら、食堂でメシでも食おうか」

「賛成なのじゃ」

「そうしよう」

「はーい」


 食いしん坊チームの面々が先に返事をする。


 アルフォートとハリスに目をやると頷いたので、今後のスケジュールは決定。着替えてメシだ。


 俺は普段着用の貴族服に着替えた。アルフォートにも同じような質素だが貴族用の服を渡してある。

 トリシア、マリス、ハリスたちは自前だが、ちゃんとした服を着てきた。

 アナベルはいつもの神官服と同じだが、きれいに洗ったものだった。聖職者の服は正装と同じなんだろう。


 宿の食事は豪勢と言えば豪勢だった。香草サラダ。果物に少量のワインを掛けて火を付け酒精を飛ばした何か……冷やしてあるしブリュレっぽいかな。川魚の焼き物に分厚いステーキ。ポタージュスープに煮物。デザートには桃のシャーベットが出た。テーブルに添えられたパンは、小麦粉とトウモロコシの粉を混ぜて焼いたものだな。このパンが上流階級では普通なのだろうね。小麦粉だけのパンは、さすがに宿では出ないようだ。


 フルコース的なラインナップと言えるな。

 味は……俺の料理には及ばないだろう。いつもなら猛烈な食べっぷりのトリシアとマリスも大人しかったからね。


 料金は六人で銀貨三枚。結構な金額だね。食糧難の帝国では、これだけの料理を出されたら、良い値段なのは仕方ない。


 部屋に戻った途端、マリスとトリシアが後ろから俺の腕に絡みついてきた。


「ケント。カツサンド、まだあるよな?」

「そうじゃ。口直しに我らに配るのじゃ」

「え? さっきの食事じゃ満足できなかった?」


 俺は二人の顔を交互に見やる。


「できんな。何を当たり前のことを」

「そうじゃぞ? 量もじゃが、味がじゃな……」


 俺はハリスやアナベル、アルフォートに目をやる。

 彼らもトリシアたちの言葉に頷いている。

 マジか。確かに料理の味は今一歩といったところだ。ニンニクも胡椒こしょうも利いてないステーキが少々胃にもたれているしな……塩だけってのはマジでウンザリだよね。


「仕方ないな」


 俺はインベントリ・バッグからカツサンドを取り出す。中では時間が経たないので、カツサンドはまだアツアツだ。

 居間のテーブルの上に並べて置くと、みんなが嬉しげにカツサンドを手にとった。


 俺も食べておこうかな。あの食事じゃ仕方ないしね。

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