第11章 ── 第8話

 宿についた俺たちは、荷車を宿の馬車置き場に置いて中に入った。


 ミネルバとの商談は宿の食堂の一画を借りて行う。


「それじゃ、荷車のゾバルは全部買い取るけど、そちらの希望金額は?」


 ミネルバは少々戸惑っている感じだ。


「ん? どうしたの?」

「い、いえ……こちらで金額を決めていいと言われたの初めてなので……」


 今までどんな取引をしていたのか。


「荷車には一二個袋があったね。一袋が何キロくらいかな?」


 俺は値段を決められないミネルバに一袋がいくらかを問う。


「一袋……五〇キロです」


 現代日本のそば粉って幾らかな? 前にスーパーでみたのは一キロ四〇〇円くらいだったなぁ。ということは五〇キロで二万円、一二袋で二四万円か。


 この世界の食料物価は現実世界に比べて非常に安い。今まで食料品などを仕入れてきて、なんとなくこの世界の物価状況をそれなりに理解できてきた。ティエルローゼは江戸時代の物価に近い気がする。

 服や靴などは非常に高いけど、食料が安いのなんかがそうだ。油も高いね。そういった物価をティエルローゼに当てはめて考えてみようと思う。


 そば粉はすでに加工されてその値段なわけだから、原料である蕎麦の実で仕入れるならもっと安いだろう。二〇〇円くらいか。ならば一袋一万円、全部で一二万円と考えようか。これを俺感覚だけど、ティエルローゼの金額に変換。金貨六枚くらいかな?


「ふむ……では俺の判断で値段を決めていいの?」

「そうしていただけると助かります」

「じゃあ、一袋銀貨二枚。全部で金貨六枚でどうかな?」


 ミネルバの顔に驚きが広がる。


「金貨六枚ですか!?」

「安すぎたかな? それじゃ金貨九枚でもいいよ」


 ミネルバは開いた口がふさがらないといった感じだ。


「……ケント……」


 俺とミネルバのやり取りを見ていたハリスが横から口を挟んできた。


「どうした?」

「金額が……多すぎて……驚いているんだ……よ」

「え!?」


 逆だったの? 小麦粉とかの仕入れは全部トリシアたちに任せてたからなぁ……そういや、一週間分の食料とかで銀貨二枚とかだったっけ? でも六〇〇キロのそば粉だよ? 一年以上食えるじゃないか。


「俺のいた所の相場だとこのくらいだと思うんだが……」

「ゾバルってそんな貴重なものなんですか……?」


 ミネルバはハリスの横槍で冷静さを少し取り戻したようだ。


「そうだな。俺が生まれる遥か昔はそれほど貴重な食べ物じゃなかったけど、俺の時代ではそんなに多く栽培されてなかった印象だな。安いゾバルを出す店はみんな混ぜものでね。ゾバルが二割も入っていれば御の字だ。全部ゾバルで作った料理は高級料理扱いだったよ」


 高い蕎麦屋なんかに入ると一〇〇〇円とか平気で取るもんなぁ。腹いっぱい食べようとしたら二〇〇〇円なんて軽く飛ぶね。


 ミネルバは驚きを隠そうともしない。


「俺にしたらゾバルは高級食材なんだ。是非とも定期的に買い付けたいくらいだ」

「あの……私の村ではゾバルくらいしか作れなくて。人気のない食べ物なので買い叩かれるのが常だったんです」


 ミネルバは村の現状をせきが切れたように話し始めた。

 村は荒れ地ばかりで草木もあまり育たず、ゾバル以外の農作物は植えても枯れてしまう。ゾバルはあまり水も必要じゃないし、比較的寒冷な南部でも育ってくれるので、村の産業は事実上ゾバル栽培のみ。

 帝国では人気のないゾバルでは村は立ち行かず、働ける男たちは村から都市などに出稼ぎに出る。残った女子供、老人たちがゾバルを必死に作っている。そんな村なのだと言う。年々、村の人口は減っていて、現代社会でいうところのいわゆる限界集落というところだ。


 蕎麦の栽培がなくなってしまうのは困るな。非常に困る。俺のためだけにでも栽培は続けてもらわねばならない。


「そうか。それは俺も困るな。よし。ではこうしよう。今回の荷物は金貨九枚だ。それと、ゾバルの輸送料として金貨一枚をつけよう。しめて金貨一〇枚」

「そ、そんなに!?」


 俺は手を上げてミネルバを制止し、先を続けさせてもらう。


「話はまだ終わってないよ。それから、今後、君の村で取れるゾバルは全て俺が買い上げる。そのための資金提供として年間金貨五枚。もちろん、これは生産物の買い上げ金額に含まないよ。採れたら採れた分だけ購入料も払う。金貨五枚は独占購入の契約料だ。ゾバルを栽培する畑などの維持管理、労働者の賃金、何にでも使ってくれ」


 俺はさらに付け加える。


「ゾバルの輸送にあたって、女の子一人で運んでくるというのに危機感を感じる。ここは是正してもらわないと。この契約を結ぶなら、運ばれてくるゾバルは全て俺の所有物だ。魔物やら動物、野盗などに奪われたら大損してしまう。だから、輸送する際は冒険者を雇うこと」

「冒険者を雇うんですか……」


 ミネルバの心配は理解できる。ティエルローゼの金銭感覚的に言えば、彼女らの村に冒険者を雇う余裕などなかったのだろうし。


「そのための資金はこちら持ちだ。ゾバルは年に二回は栽培できるはずだね? 夏と秋に収穫しているはずだ。夏のは味が落ちると聞いているけど、そこは目をつぶる。そうすると年に二回の輸送となるね。一〇レベル前後の冒険者チームなら護衛に銀貨一枚程度払えば雇えるだろね。なので冒険者を雇うためのお金、銀貨二枚。保険としてもう銀貨二枚付けておこうか。合計で年間銀貨六枚を渡そう」


 俺はゾバル六〇〇キロの代金、金貨九枚の隣に、次々と金貨と銀貨を積み上げていく。


「どう? 俺と契約してみる?」


 札束で頬を叩くような商談の進め方だと思う。しかし蕎麦のためならやむ無しだ。それに俺にとっちゃ大した金額じゃないからな。トリエンに蕎麦文化を開花させるのもいいしね。神殿で治療ができない庶民たちの脚気かっけ予防にも使えるしな。


「ほ、本当にいいんでしょうか……」

「ああ、構わないよ」

「では契約書を書くね」


 俺はインベントリ・バッグから羊皮紙と羽ペン、それとロウソク、リヒャルトさんが作ってくれた印章を取り出す。


 サラサラと契約内容を書き、最後に署名をする。


「ケント・クサナギ・デ・トリエン辺境伯……っと。それと……『点火イグニッション』」

点火イグニッション』でロウソクに火をつけ、署名の下にロウをらす。そこに印章を押し付ける。印章はワイバーンと八つ剣菱けんびしだ。いい感じだね。


「き、貴族様だったのですか……?」


 ミネルバが契約書を見て驚く。


「そうだよ? オーファンラント王国、トリエン地方領主、ケント・クサナギ辺境伯だ。今後ともよろしくね」


 ミネルバは、驚きすぎて口をパクパクさせている。


「さて、ミネルバ。君は俺の客だ。今日は部屋を用意させるから、この宿に泊まっていってくれ。夜、君の村で取れたゾバルが、どんな価値があるのか見せてやろう」


 ミネルバは口も聞けずにコクコクと頷くばかりだ。


「よし、夜ご飯は楽しみにしていてくれよ」


 俺はニヤリとハリスとミネルバに笑いかける。


「ふふ……ケントが……ああ言ったら……凄い料理が出るぞ……」


 ハリスが嬉しげに笑いながらミネルバの肩に手を置いた。


 さてと、そうなると準備が必要だな。


 俺はインベントリ・バッグの中身を確認する。


「えーと、石臼いしうす……石臼いしうすはっと……お、あるね。よしよし」


 ドーンヴァース時代のアイテム『石臼いしうす』は、フィールドに生えている植物から取れる食材、主に小麦などを食材アイテムに変える道具で、料理人系のロール・プレイをしている人に必須のアイテムだ。俺は初心者の頃、小遣い稼ぎに『石臼いしうす』を使って小麦粉を作りまくったことがある。


 『石臼いしうす』でそば粉を作って蕎麦を打とう。それと魚介も大量に仕入れたことだし……天ぷら蕎麦……そして天丼……


 俺は久々の蕎麦屋メニューを思い浮かべ顔が緩んでしまう。


「おっと、よだれが……」


 いつのまにか、マリスがミネルバの座る横に立っていた。背が小さいので、テーブルに手を掛けて顔だけ覗かせている。


「ケント。何を緩みきっているのじゃ?」

「え、あ? マリスいつの間に……」

「ん? 何か面白そうなことしておったから見に来たのじゃ」

「ふむ。マリス、喜べ。今日の夕食は、天丼にするぞ」


 とたんにマリスの目がキラリと輝く。


「なんと申した……? ドンか!? ドンかや!?

「そうだぞ。丼ものの定番、天丼。それと天ぷら蕎麦だ!」

「ドンだけでなく! てんぷり?そば!?」

「天ぷら蕎麦だ」


 マリスがピョンピョンとはね始める。


「こうしてはおれん」


 マリスは突然ダダダダと宿の二階に走り去っていった。


 何だ?


 少しすると再び、ダダダダダと音がして、マリスのみならず、トリシアも走って降りてきた。


「ケント! ドンだと!? マリスが言っているが嘘ではあるまいな!」

「あ、うん。今日は天丼と天ぷら蕎麦だ」


 俺が返答すると、マリスはトリシアに向かいエッヘンと偉そうなポーズをする。


「どうじゃ。我の言った通りじゃろうが」

「うむ。どうやらそのようだ。よし、マリス。今のうちに腹を減らしに行くとするか! 戦いは腹を減らしてからだ!」

「そうじゃな! 参ろうぞ!」


 そう言うと、二人はドドドドドと猛烈なスピードで走って宿から出ていってしまった。


「賑やかな方たちですね」


 さすがのミネルバも苦笑いだった。


「騒がしくてスマン。あれは俺のチームの仲間でね。まあ、食いしん坊チームだと思ってくれ」


 ハリスが顔を背け肩を震わしている。ハリス。お前、ほんと沸点下がったなぁ……

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