第10章 ── 第4話

 帝国領内に入ってから数時間たった。もう天頂てんちょうへと近づいている。


「そろそろ正午だし、お昼にしようか」


 俺はみんなに声を掛けて馬車を道の左へと寄せて停めた。


 そういや、この世界は左側右側通行どっちだろうね? 今まで基本的に真ん中走るようにしてたし、馬車がすれ違う時は自然と左に寄せるようにしてたけど……道交法とかないから関係ないのかな?


 今日は昨日の夜に要塞の厨房を借りて作ったハンバーガーだ。ミンチ肉を作るのに苦労したが、死ぬほど包丁で叩き続けて何とかやりげた。問題はトマトがないことだが、普通、ハンバーガーってトマトをはさむよね? この世界にトマトはないのだろうか?


 湿地帯なので乾いているといっても地面は湿気が多いので、空の木箱の大小をテーブルと椅子に見立てた。貴族の食卓とは思えない粗末さだが、軍人上がりのアルフォートも文句を言わないので大丈夫だろう。


「この丸いサンドイッチは面白いな」


 紙包みを開いて、しげしげとトリシアが見ている。


「これは、サンドイッチじゃないんだ。ハンバーガーという食べ物だよ」

「ハンバガー? 何じゃ?」


 うーむ。同じ挟む料理だから説明が難しいね。


「これはハンバーグという肉料理を野菜と一緒にパンにはさんだ食べ物だ。だからハンバーガーっていうのさ」


 恐れ知らずにハリスがかぶり付く。


「うん……なかなか……イケる……」


 トマトが入ってないので微妙な気はするが、マヨネーズがいい感じだ。


「こっちの色のついた紙の方はカラシマヨネーズで作ってみたよ」


 その言葉にマリスの手からポロリと黄色い包み紙のハンバーガーが落ちた。


「危ないところじゃった。また罠にまるところじゃ……用心用心」


 色付きなら解りやすいと思って黄色の紙にしたが、小さい子は色にかれるのかもしれないな。子供の玩具おもちゃってカラフルなの多いしなぁ。


「ん! この肉は凄いの! 口でほどけるようじゃ」


 マリスが気を取り直して白い包み紙の方のハンバーガーをかじっていた。


 そうだろう? 苦労してミンチ肉を作ったんだからね。今度、ハンバーグを単体で出してみよう。苦労するけど。ミンチメーカーってこの世界に無いのかな? ソーセージとかあるんだからありそうだけど?


 トリシアは……白の包み紙と黄色の包み紙のハンバーガーを両手に持って食べ比べしていた。

 感想は……? はい。無言です。食いしん坊チームのリーダーだけのことはあるね。



 食事が終わり一息ついていると、警戒にあたっていたゴーレムウルフのフェンリルが小さく吠えた。


「ウウォン」


 フェンリルを見ると、右の方の湿地を首だけで見ていた。


 その方向に何かあるのか? ……なんだあれ?


 見れば水面みなもから女性と思われる顔が目から上だけを出してこちらを見ている。それも二つもだ。


 俺は自然に剣に手を伸ばす。


 トリシアも弓を手にしようとしたが、すぐに手を離した。


「あれはニンフだな。水の妖精族だ」

「ニンフ? 男を誘惑するとか言われてる?」

「どこの世界の話だ? まあ、ニンフは総じて美形揃いだからな。その美しさに狂う男も少なくはないだろうがね」


 そういうものか? ドーンヴァースではニンフは討伐対象のモンスターだったんだが。男性特効の特性がある魅了魔法が強力で男性キャラクターを操るプレイヤーたちが苦労したという笑い話が多くあった。俺自身も何度か戦ったが、出会った頃には既に雑魚だったので苦戦したことはなかった。


「なんでこっちを見てるんだろう?」

「さあな。構わなければ攻撃してくるような種族じゃない」

「ふーん……」


 俺たちは食後の後片付けをして馬車に乗り込もうとした。


「そこの人間どもよ」


 ふと右側から美しい声で呼びかけられた。見れば首から上まで顔を出したニンフの片割れだ。


「え? 何か?」


 不意に声を掛けられたので、普通に返事をしてしまう。振り返った俺はその美しさにファルエンケールの女王を思い出した。でも、ニンフは顔色が青かった。顔面蒼白とかの青さでなく、青い絵の具で塗られたような青だね。


「そこの人間ども……エルフも混じっておるようだが、冒険者であろう?」


 鈴が鳴るような声とはこんな感じか? つい聞き入ってしまいそうになるよ。魅了の魔力でも籠もってるんじゃないだろうね?


「俺らか? 俺はケント・クサナギ辺境伯だ。一応貴族だが……冒険者もやってるな。こっちのローブ以外は冒険者なのは間違いない」

「やはりそうであろう。冒険者どもよ。我らを助けるが良い」

「は? 何だって?」


 随分と高みからの言葉だが、助けをうているようだ。


「なんじゃ、ニンフ風情が我らに何をせよと申すか」


 あ、もっと高みからの人がいた。


 マリスの言葉にニンフが少しひるむ。


「わ、我らは今、苦難のふちに立たされておる。冒険者とは人々を助ける事を生業なりわいとしておるのであろう?」

「そうだね。報酬に見合うなら依頼ならクエストとして受けることはあるよ」

「そうか、では我が部族を助けよ。報酬とやらはよく解らぬが……」


 ふむ、ニンフの生態系は知らないけど、通貨とかないのかね?


「で、依頼の内容を詳しく聞いてみないと、受ける受けないは答えられないな」

「そうであろうな。我らはこの湿地を住処すみかとしておる。今、他の人間どもにこの湿地はけがされておる。この汚れを速やかに排除せよ」


 水生生物が水質汚濁に悩んでるのかな?


けがされてって、生活用水でも流されたのかな?」


 しかし、水質検査用具なんて持っていないなぁ。


けがされた水に我らが触れると、長い眠りののちに死んでしまうのだ。水から上がれぬ我らでは、水をけがす人間どもに近づくことすらできぬ……」


 ふむ。水がないとニンフは生きられないっぽいな。それは大変だろう。


「それで水をけがしている人間どもは何処どこにいるんだ?」

「その乾いた土を進んでいった先におる」


 そう言うとニンフは南の方を指さしている。ん? 帝国軍が原因か?


「以前も似たようなことはあったのか?」

「あった。だが、ここまで水がけがされたことはない。少々眠る程度であった」


 なるほど。帝国軍がニンフ避けに何かしているんじゃないかと思う。将軍の話によるといつもより大規模な軍隊になっているようだし、ニンフ避けがやり過ぎになっているかもしれない。

 行きがけの駄賃に、ニンフを助けておくか。


「了解した。できる限りのことはしよう」

「冒険者どもよ。助かる。それで報酬とは何か?」

「んー。まあ普通はこういうものなんだが」


 俺はそう言いながらベルト・ポーチから金貨や銀貨を取り出す。


「それは何ぞや? 我らにはそのようなものを持っていない」


 そうだろうなぁ。貨幣経済が発達してたら、もっと人間と馴れ合ってるはずだしな。


「じゃあ、この湿地で取れる食べ物なんか無いかな? 人間でも食べられるものならいいんだが」


 喋っていたニンフが、もう一人のニンフに向き直り何か喋っている。


「エシャル・アセルス・ナリク」

「ヤイジャー。アルセス・ケル・ポリンド?」


 何喋ってるのかサッパリ解りません。


「アルセス・ワジャ・シルリオ」

「ヤムヤム。ワジャ・シルリオ・ケセル」


 ニンフが振り返り、もう一人から手渡された何かを差し出してくる。


「今はこれしかない」


 水面から伸ばされたニンフの手にあるものを見た俺は、ふらふらと近づいていく。


 まさか……あれか? あれがあるのか?


「ど、どうしたのじゃ? ケント?」

「魅了か?」


 マリスとトリシアが慌てたようになる。

 いや、魅了じゃ……いや、ニンフが手に持ったものに魅了されているのかもしれない。


 ニンフの手に持たれたものを俺は手に取った。間違いない。これは……


 俺はトリシアたちに振り返ると、すっごい笑顔になってた。


「見付けた……」


 俺の表情と言葉にトリシアたちが困惑したような顔になる。


「何を見付けたというのじゃ?」

「だ、大丈夫か、ケント?」


 俺は手に持った水草の太い茎のようなものをみんなに見せた。


「ワサビだ! ワサビを見付けたんだ!」

「ワサビ? なんじゃそれは?」

「私も初めて聞くが……食料なのか?」


 そうだろうな。ティエルローゼの人間は知らないのだろう。日本人なら絶対欠かすことのできない食べ物だよ。寿司、蕎麦、海鮮丼。絶対に欠くことのできない薬味だ。


「これは大量にあるのか? 一樽分ひとたるぶんくらいゆずってくるなら、依頼を完璧に遂行すいこうすると約束しよう」

「それはワジャだ。この湿地のいたる所にある。一樽とはなんだ?」


 俺はインベントリ・バッグから空樽からだるを取り出す。


「この樽にいっぱいで手を打とう」


 ニンフがたるの大きさを見てうなずく。


「そのくらいであれば容易い。事が終わったら水面に呼びかけよ。我が名は『ナイアス』」


 それだけ言うと、二人のニンフは水の中に消えた。


「ふふふ。ワサビか……醤油ショルユとワサビとくれば、寿司かね?」


 俺は一つ渡されたワサビを丁寧にインベントリ・バッグに仕舞いつつ、ニヤリと笑う。


「今の水草の茎がそれほどの素材なのか?」


 興味深げにアルフォートが問いかけてくる。


「そうだな。俺の故郷では、このワサビを薬味として使って寿司という食べ物を食べていた。高級料理の一つでな。俺たち日本人……いや世界中の人々が寿司に魅了されていたんだ」

「世界中が……? 聞いたこともないが……」


 あ、ごめん。現実世界の話だからな。


「すまん、こっちの話だ。何にせよ……ワサビがあったら海鮮丼とかいいよなー」


 俺は遠くを見つめながらささやく。


 俺のささやきに食いしん坊チームの二人が反応した。


「ドン!? あの噂のドンじゃな!」

「ほう! 伝説のドンの材料か! これは腕を振るわねばなるまいな」


 あ、いや。海鮮丼を作るには海の幸も必要なんですよ?


「いや、まだまだ素材が足りないんだが……」

「うおー! 燃えてきたのじゃ!」

たぎるな!」


 二人とも聞いちゃいねぇよ。


 まあ、何はともあれ帝国軍の蛮行を阻止することが目的の一つになったわけだ。ワサビのためなら俺はやっちゃうよ?

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