第7章 ── 幕間 ── 混乱

 悲鳴が上がった瞬間、トリシアはケントが倒れるのを見た。矢が地面に突き刺さっている。矢とケントの延長線上を見上げると、屋根に弓を手に持つ刺客の頭が隠れる所だった。


「ハリス! あそこだ!」


 刺客が隠れたあたりの屋根を指差すが早いか、ハリスが壁に走り出した。


「ケントーー!」


 マリスが鎧を着ていないような速さでケントに走り寄っていく。


 トリシアはケントが心配だったが、今はマリスに任せておく。それよりも、混乱した会場をどうにかせねばならない。


「お静かに!」


 自分の周りにいた貴婦人どもが浮足立っているのを大きな、そして冷静な声で制する。

 無限鞄ホールディング・バッグから弓と矢筒を取り出す。

 周りを見回して、やたらと冷静だったり、ほくそ笑んでいるようなバカがいないかを素早く確認する。


 居ないようだな……厄介だ。


「会場にいる皆様! 即座に当館より退去願います! 何者かが侵入したようです!」


 トリシアはケントの近くにいた大貴族三人に歩み寄る。大貴族たちの周りは、礼服に身を包んだ護衛が取り囲んでいた。


「三人の方は、本日宿泊して頂く部屋に戻って頂きたい。みなさんの護衛で周りを固めるのが宜しいでしょう」

「りょ、了解だが……これは辺境伯殿が狙われたのであろうか……それとも……」


 代表してミンスター公爵が返答するも、当然と言える質問を返してくる。

 それが判れば苦労しないのだが……

 帝国の重鎮たる大貴族三人のうちの誰かが狙われた可能性も否定できない。ケントの事だ。この三人を庇ったという場合もある。


「貴方たちの誰かが狙われた可能性もあります。その場合に備えるためにもお部屋へ」


 悔しいが、自分たちの手勢では完全な警護をできるとは思えない。就任直後で準備が整っていない事が最悪だ。この辺りは今後、早急に対応しなければならない。


 リヒャルトが慌てて中庭に入ってきたのが見えたので、トリシアは命じる。


「リヒャルト! お三方を部屋へ案内して差し上げろ!」

「畏まりしました。さ、皆様こちらへ」


 問題が起きて慌てて来たが、命令を受けた途端に冷静な行動を開始するリヒャルトは中々の傑物だ。


「ケント! ケント! しっかりするのじゃ!」


 三人がリヒャルトに連れられて中庭を出ていき、トリシアたちだけになったので、意識の無いケントとマリスに近づいてく。


「マリス、落ち着け。ケントはそう簡単に死にはしない」


 トリシアの言葉にマリスが振り返ったが、その目は人間のそれとは思えないほどの悲しみ、いや怒りといえそうなモノを宿していた。


「トリシア……ケントの息が止まっておるのじゃ! 死んでしまったのじゃないのかや!?」


 ケントの身体の横に座り込んで、症状を調べてみる。トリシアは「薬学:毒」のスキルを持っている。そのスキルの力を借りて、ケントの身体状況が判断できた。


「これは、神経毒の類の症状だな。このまま放って置くと死ぬが……」


『アル・コリス・マニウルバ・ウィンディア。微風操作コントロール・ソフト・ウィンド


 トリシアは小さな風を操る魔法を唱えて、ケントの気道を確保して空気を肺へと流し込む。この魔法で肺の中の空気を出し入れすることで、呼吸を確保するのだ。


「これで大丈夫だ。しばらくこのまま人工的に呼吸をさせておけば死ぬことはない」


 ケントが受けた神経毒は即効性で自発呼吸が止まり非常に危険なものだが、呼吸を補助してやることで窒息死することを防げば、すぐに体内の毒は分解されて無毒化する。

 問題があるとすれば、神経毒以外の毒物が混合してあった場合だが、それ以外の毒物の症状が見当たらない。

 症状なく死を与える毒物は相当厄介だが、一般的な暗殺に使うには高価過ぎるだろう。それこそ貴族か商人か富裕層でなければどうにもならないだろう。


 そこまで考えて、ますます犯人の絞り込みが難しいと判る。


「ケントをこのような目に合わせた者を我は許しはせぬ……」


 マリスが呪詛のように抑揚のない声を出す。

 マリスを見ると、目が人間のそれではなかった。瞳孔が縦に割れたような……


「マリス……お前……」


 その言葉にマリスがトリシアと視線を合わせたが、その目は普通の人間のものだった。見間違いだったのだろうか。


「マリス……お前、人間か?」

「なんじゃ、トリシア。我が人間以外の何に見えるのじゃ? もっとも、我がもし人間でなかったとして、何か困ることでもあるのかや?」


 マリスが人間でなかったとしたら……? ケントだったらそんな事は関係ないと言うだろうな。ゴブリンとですらよしみを結ぶほどだ。ならば私にも関係はない……か。


 トリシアは首を振るとケントに視線を戻す。


「う、うう……」


 ケントが苦しそうに眉間に皺を寄せたのが見えた。神経毒の効果は切れたようだ。トリシアは「微風操作コントロール・ソフト・ウィンド」の魔法を解除する。


 ケントが薄っすらと汗をかき始めている。乾いた布を無限鞄ホールディング・バッグから取り出し汗を拭ってやる。汗のニオイが普通のものでなく甘いような感じがする。


 この症状は……マギリトスの実か? ならば、手持ちの薬草で何とかなる。


「混合毒がおおよそ解った。これならケントは助かる」

「おお! 大丈夫なのじゃな!? それで、いつまでケントを地べたに寝かせておくのじゃ? 部屋へ運ぶべきじゃないかや?」

「そうだな。動かしても大丈夫だろう」


 トリシアはそう言うと、ケントを抱き上げる。


「よし、ケントの寝室に運ぶぞ」


 心配そうに見上げるマリスに言ってからトリシアは歩き出す。


 マリスの言う通り、誰を狙ったにしろケントをこのような目に合わせた者を私も許しはしない。いつかこの手で報復しなければなるまい。


 トリシアは固く決意をする。プレイヤーのケントであれば、この程度の毒では死にはすまいが、自分たちには許せる罪ではない。



 ハリスは壁を駆け上がるように登った。今までの自分では不可能な移動方法だったが、そんな事を考えられるほどハリスは冷静ではなかった。


 ケントを殺そうだと!? 許さん!


 屋根に駆け上がった時には、刺客の姿は既になかった。屋根を丹念に調べても痕跡は残っていない。野外……それも自然の中であれば追跡するのは容易いが、野外といえど町中、それも屋根の上ではハリスのスキルをもってしてもどうにもならない。


「くそっ……!」


 悪態をいても始まらない。


 ハリスは気を取り直し、屋根の上から周囲の街並みを見回す。


 夜目のスキルのおかげで、しっかりと街並みが確認できる。西側の街並み、北門への街道へ向かう何頭かの馬が、夜の闇の中で見える。


 あれか?


 ハリスは屋根から降りて北門への街道を目指して走り出した。

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