第5章 ── 幕間 ── トリシア

 翌日の早朝。

 トリシアは、不穏な空気を感じて地上への階段を登った。マリスは舟を漕いでいたので放置しておいた。

 一階へ繋がるドアの前まで行った時、何やら恫喝どうかつするような声を聞き取った。


「帝国兵を即刻、我らに引き渡すのだ!」

「いいえ、できません」


 あの声は受付の娘だ。流石は海千山千うみせんやませんの冒険者たちを日夜さばいている冒険者ギルドの看板たる受付嬢だ。少し嬉しくなってニヤリと笑みが溢れる。


 扉を少し開けて様子をうかがうと、黒い鎧を着た男が受付嬢にえている。男の後ろには、中層鎧姿の兵士らしき男たちが五人ほど控えていた。それらの顔は小狡こずるそうな笑みを浮かべている。


『嫌な顔だ』


 トリシアは心底そう思う。

 別段、人族だからといって嫌うつもりはない。しかし、実力もなく権力を笠に着て尊大な態度を取るのは彼女の最も嫌う態度だ。


 現在、彼女が仕えている人族は、偉ぶるでもなく自然体で別け隔てもない。一見、冴えない人族だが、知れば知るほどその懐の深さを感じさせる。彼には秩序とか混沌とかいう境すら眼中にないのだ。

 それと比べて、あの男どもはどうか。比べるのも失礼か。トリシアは首を横に振った。


「領主である男爵の直接命令だ。早急に引き渡すことを命令する!」


 受付嬢のかたくなな返答に青筋を立て始めている黒鎧は、何か書状のようなものを突きつけて要求を繰り返している。


 ギルド会館内にいる多数の冒険者たちが、目に怒りの色を見せ始めていた。

 昨日、ケントが奴らに連行されたことはギルドに報告済みだし、自分が他の冒険者にその横暴を声高に触れ回っておいた事も、その怒りに火を点けているのだろう。


 今まで冒険者たちは遠巻きにケントを見物していただけだった。彼らの心の奥底には突然現れた実力を持った新参者への恐れや妬みも勿論あった。しかし、冒険者という人種は、それ以上に強者への憧憬しょうけいの念が強い。それは自分自身も含めて。


 今まで、そういった感情は殆どがトリシア自身へ向けられるのが常だった。

 彼女はその視線が鬱陶しいと思った事はない。冒険者人生を長く行きてきた彼女にとっては当然のものだった。この世界は弱肉強食だ。実力を隠すことは敵にあなどられ、無用な騒動に巻き込まれる元になる。どちらが上なのかを最初に判らせておくことは処世術の一つだと彼女は思っていた。

 ケントの出現はそんな彼女の価値観を叩き壊してしまった。ワイバーンを瞬殺するほどの力を秘めているにも関わらず、それを誇りもせずにほんの些細な出来事だといった感じだった。ケントの正確なレベルを知った今では、彼のその態度が当然の事だったのは判っている。

 だからといって、彼が威張るような態度に出るところを見たことがない。その気になれば、全てを手にできるほどだというのに。

 ケントはトリシアが幼い頃に寝物語に聞かされた勇者を彷彿ほうふつとさせた。女王の命を助けたという勇者を。

 後に、女王から勅命ちょくめいを言い渡された時、異界の存在、プレイヤーの事を聞いた。まさに勇者と同じところから来た存在こそがケントだと知った時の高揚感は今でも思い出せる。自分が冒険者を目指した理由こそが勇者の存在だったのだから。


「お断りすると申し上げました。お引取り下さい」

「それがギルドの総意ということで間違いないな?」

「ギルドマスターからそのようにと申し付けられております」

「良い覚悟だ」


 黒鎧が剣を抜く音でトリシアは我に返った。黒鎧にならって他の兵士も武器に手を掛けた。


 やれやれ。


 トリシアは素早く一階へと躍り出る。ツカツカと受付へと近づくと、黒鎧に遠慮なく蹴りをお見舞いする。


──ドン! ゴロゴロ!


 黒鎧が蹴り飛ばされてギルドの床を盛大に転がっていく。突然の事に、他の兵士どもは慌てふためくばかりだ。


「貴様たち……表に出ろ」


 威圧を載せた視線を兵士どもへ向けると、兵士どもは恐慌を来して外へ飛び出していった。

 ようやく起き上がった黒鎧──ケントはドレンと言っていたか──がトリシアを睨みつける。未だに威圧が載ったままの目で黒鎧もつらぬいた。


「貴様もだ」


 顎で外への扉を指す。黒鎧はトリシアに背中を見せないようにしながら扉へ向かう。途中、取り落とした剣を拾っていった。


「そこのお前、地下にいるチビ鎧を連れてきてくれ」


 トリシアは近くにいた冒険者に頼むと、自分も外へと踏み出した。


 外にはギルド内にいた兵士ども以外にも多数の兵が集められていた。およそ四〇人といったところか。

 黒鎧が率いている兵士どもは、ギルドから出てきたトリシアを取り囲むように移動し始める。その後ろに薄ら笑いのドレンがいる。


『やはり好かんな』


 トリシアは弓を背中から外して左手に持つ。ギルドからは二〇人からの冒険者がゾロゾロと出てきて彼女の後ろを守るように陣取った。



「お前らに帝国兵は渡さん。これはギルドの総意だ。それに……ワイバーン・スレイヤーたるケントを不当に連行したことを私は許さん!」


 その言葉に居合わせる冒険者たちがざわめく。


「なんだって!? ケントさんを拘束してるだと!?」

「許せないね。リーダー、許せるかい?」

「誰が許したとしても、俺の拳が許せん……」

「若様が!? あたしも許せない!」

「そうです! ラーシュ様もお許しになりません!」


 冒険者たちがケントを不当に連行し拘束した男爵の兵士たちへ怒りを口にする。


「不当ではない! ケントという男は反逆の罪を犯したのだ! 貴様もケントの仲間だろう!? 貴様も逮捕の対象だ!」


 兵士たちの後ろにいるドレンが大きな声を上げる。


「さあて……反逆者はどっちかな?」


 トリシアはささやくように言うが、その澄んだ声は一瞬の静寂に包まれた中央広場に染み渡るように伝わる。


「ケント殿とトリ・エンティル様を反逆者と抜かしたぞ……」

「衛兵隊にそんな報告は来ていないぞ?」

「我が街の英雄が反逆者な訳あるか。反逆者は男爵の兵どもだろう」

「冒険者ケントも不当に捕まえたようだぞ?」


 騒ぎを聞きつけて集まって来ていた衛兵隊が、ドレンの言葉に否定的な声を上げる。事が起こったら止めようと思っていたようだが、衛兵隊の心情はトリシアに傾いている。衛兵たちがバラバラと冒険者たちに合流を始めた。


 トリシアは矢筒から矢を抜いてファル・エンティルにつがえる。それを見た男爵の兵士どもも剣を抜き放つ。呼応するように冒険者と衛兵たちも武器を構えた。


 しばし、両陣営は睨み合った。重苦しい空気が中央広場に充満していく。

 広場に繋がる街道は騒ぎを見守る街の民衆で塞がれている。


「反逆者に与する者は容赦なく切り捨てよ!」

「「「おおう!」」」



 ドレンが男爵の兵士どもにげきを飛ばす。兵士どもがジリジリと間を詰め始める。


「冒険者、ならびに衛兵隊諸君! 反逆者は男爵と男爵が率いる私兵どもである! 容赦は無用だが、なるべく生かして捕らえよ!」

「「「オウ!!!」」」


 弓の弦を引き絞り狙いを定める。


──ビン!!


 弦から放たれた矢が弧を描いてドレンへと迫ったが、ドレンは剣でそれを弾き飛ばした。

 これを合図に戦いが始まった。


「なんじゃ!? もう始まってしもうたのかや!?」


 振り向くと、マリスが慌てたようにギルドから出てきた。


「遅いぞ、マリス! 前へ出ろ!」

「承ったのじゃ!」


 マリスが盾を構えて突進を開始する。

 トリシアは弓を上空へ向けて構えながらスキルを発動させる。


「アロー・レイン!」


 トリシアの身体が自然に動きはじめる。「矢を抜き」、「弦につがえ」、「矢を放つ」という動作を、考えられないような速度で幾度も繰り返していく。

 上空に放たれた幾筋もの矢が、男爵の兵士たちの頭上へと降り注いだ。


 見れば神殿の屋根からハリスも援護射撃を始めている。ハリスの矢は的確に敵の後方を混乱させ、敵を浮足立たせた。やるじゃないか。トリシアはニヤリと笑みが溢れる。


 小競り合いが五分ほど続いた頃だろうか。北の大通りから幾つかの馬蹄の音が向かってくるのが聞こえた。


「静まれい! 剣を引けい!」


 その声に一瞬、広場内のものたちの動きが止まった。確認すると男爵のものとは違う貴族の紋章を掲げた馬が広場になだれ込んで来た。


「我ら、王都より派遣されしロスリング伯爵が配下! 双方とも剣を引け! これは命令である!」

 これはケントの狙い通り、王国が動いたと見るべきか。


 ロスリング伯爵の配下の兵士が、冒険者たちと男爵の兵士どもの間に割って入ってくる。北の大通りから一台の馬車が広場に入ってくるのも見えた。あの馬車がロスリング伯爵のものだろう。


 馬車が止まり、中から上等な衣装を来た男と、小太りの男が降りてくる。


「これはどういうことか?」


 上等な衣装の男が、誰に聞くともなく声を上げる。


「はっ! 男爵の命を受け、帝国兵の引き渡しをギルドに勧告しに参ったところ、反逆者の仲間とギルドの冒険者どもが抵抗をしたのであります!」


 小賢しい事にドレンが先手を取った。


「それはまことか?」

まことにございます」


 ドレンが頭を下げる。


「それはともかく、冒険者ケントなるものをここへ連れてまいれ」

「は?」


 ドレンが間抜けな声で聞き返した。


「私は冒険者ケントに用があって参った。連れてまいれ」

「ケントなら、男爵が連行して収監しているよ」


 トリシアがロスリング伯爵に答える。


「その方、それはまことか?」

「間違いないよ。我が名において偽りは申さん」

「そちの名は?」

「アルテナ森林評議会遊撃兵団元団長トリ・エンティルと言う。今は冒険者だ」

「評議会……? 冒険者トリ・エンティル……? なるほど、報告の……」


 ロスリング伯爵がトリシアの言葉を反芻はんすうするように繰り返す。


「なるほど、その方があの名高き冒険者殿であるか。男爵! 冒険者ケントは何処におる?」

「は、あ、いえ……連行は致しましたが……」


 男爵がしどろもどろになっている。ドレンも慌てたような顔になった。

 これは。なかなか見ものだ。

 暑くもないのに滝のような汗を流す男爵が、ハンカチで汗を拭きとろうと無駄な努力をしている。

 さっきのロスリング伯爵のつぶやきでも判るが、カートンケイル要塞からの報告を知っているのだろう。

 全てはケントの思い通りになったということだ。

 我々の役目は終わったな。

 そう思いながら、トリシアは弓を下ろした。

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