第5章 ── 第5話
ARの時計を見ると夜一〇時を回っていた。俺のいる独房に数名の兵士が来た。
引きずられるように、独房とは逆方向にある一室に連れてこられた。そこには俗に拷問道具に使われそうなものが幾つかあった。
予想通りかよ。
男たちは俺の腕をロープで縛って天井に吊るし上げた。男の一人が俺のインベントリ・バッグを外そうと手を掛けるが外すことができない。開けようとしても手が滑って歯が立たないといった感じだ。
これ、避けられなくはないけど、避けたら酷いことになりそうなので、あえて受けておくことにした。
──ドガッ
良いパンチだね。しかし、ARのHPバーを見ても、五ポイント程度しか減っていない。これだと二秒程度で自然回復するね。
もっとも、これはドーンヴァース時代ならの話だが。この世界に来てから、まだ自然回復の速度は
……一……二……三……四……五……六……
数えてみると約三〇秒掛かった。これは何を意味しているのか……
男たちが俺を縛り終えて部屋から出ていったので少し考察してみる。ドーンヴァースに比べておよそ一二倍掛かっている。
なるほど一二倍か。
ドーンヴァースの世界では、現実世界と違って一二倍の速さで時間が経過する設定だった。現実時間の二時間で一日の計算だ。この世界は現実世界と同じ速さで時間が流れているようだ。
時間経過が遅いということは、あまり激しくやられると自然回復が追いつかなくて死ぬかもしれないということだね……マズイかな?
そんなことを考察していると、扉が開いて二人の男が入ってきた。一人はドレン。もう一人は見たことがない。偉そうな口ひげを生やした中年太りのオッサンだ。目が嫌らしい光を宿している。直感的に男爵ではないかと思う。
「コイツか? ドレン」
「はい。ギルドの冒険者に聞いた話と一致します」
「ふむ、お前がケントという冒険者か?」
男爵らしき男が俺に訪ねてきた。
「だったら、何だというんだ?」
男爵らしき男はムチをテーブルから拾い上げると、遠慮なく俺に叩きつけた。
──バシッ!
鎧を付けていないので、平服が容易に裂ける。打たれた右脇腹部分の肌も同様だ。かなり痛い。だが、耐えられないほどじゃなかった。
それでも痛いものは痛いので、ムチを振るった中年太りを
──バシンッ!
さっきより強めだ。右の脇腹が裂ける。痛ぇな……
「貴様が帝国兵を捕らえたのであろうな?」
「ああ、要塞西側の丘陵地帯で見付けたんでね」
「
「何かとは……?」
──バシンッ!
「素直に喋れば良いのだ!」
──バシッ!
良いようにムチでシバいてくれるな。カチリという音がが心の中で響く。
「何かって……書状のことか? 男爵が売国奴っていう事が書かれた……」
──バシッ! バシシッ!
「他に誰が知っている!?」
「俺のチームのものは全員。それと捕まえた男だな」
「ギルドには報告していないというのか?」
「ギルドから受けた仕事はゴブリンの調査だ。それ以上でもそれ以下でもないからな」
あえて嘘を言ってやる。男の顔が少し安堵したように見えたが、おいそれとは信じられないようだ。
──バシッ!
「本当だろうな? 嘘を
八回程度ムチを振るっただけで汗まみれになっている男は、念を入れて確認してくる。
「それ以上の報告をして、幾らになるってんだ? 金にもならないんじゃ、食べて行けないだろ?」
男はようやく安心の色を見せはじめた。しかし、黙って見ていたドレンが口を挟んできた。
「コイツはワイバーン・スレイヤーです。それなりに金は持っているでしょう。だとすると今の発言は怪しいです。食っていけない訳がない」
その言葉を聞いて男がギロリと、こちらに目を向ける。
「ちょっと割高なアイテムを買っちまってね。もう大して残っちゃいないんだよ」
──バシン!
この一撃で、俺は
目を瞑る間際、ドレンが少し考えたような顔をするのが見えた。
「そういえば、銀の馬で走り回るコイツを見たという話を聞きましたね。相当な代物らしいです」
「銀の馬?」
「ええ。銀で出来た馬らしいのですが……生きているように動くとか」
ゴーレムホースを乗り回した事が、ここで役に立ったか。
「なるほどな。それほどの
「そうかもしれません」
「とすると、コイツとコイツらの仲間を全員捕まえてしまえば問題はないな?」
へぇ……トリシアたちを捕まえるのか……命知らずだな……
「そうですね。早速捕縛しますか?」
「その前に、ギルドに
「承知致しました、男爵。明日の朝一番に引き渡しの手配と捕縛を開始します」
「うむ、頼むぞ、ドレン」
ドレンと中年太りが部屋を出ていった。うまく気絶していると思わせられたようだね。
やれやれ、ムチだけで済んだか……かなり痛かったけど、HPは五二ポイント減った程度か。服も皮膚も裂けて血がダラダラ出ててボロボロになってるけどさ。
やはり、アイツが男爵か。嘘情報を
しばらく思案していると扉が静かに開き始めた。というか誰かが音を立てないように開けようとしているようだ。
薄目を開けてコッソリと観察していると、少し開いた扉の隙間から顔を出しているやつがいる。
ん? どっかで見たことあるな?
そいつは俺の姿を見つけると、扉をさらに開けて部屋の中に身体を滑り込ませた。そいつはクリストファ・アルベール・デ・トリエン。男爵の息子だと名乗った男だった。
俺が顔を上げてクリストファに目をやると、近づいてきてナイフを抜く。
一瞬、殺しに来たのかとも思ったが、クリストファは俺の身体を吊るしているロープを切り、俺をロープの縛めから開放してくれた。
「どういうことさ」
一応、聞いてみる。
「すまない。私は父が王国を裏切ろうとしてるのを知ってしまったんだ」
「帝国と結んで、この周辺を侵略させようって計画を?」
「そうだ、私はそれを知って、何とか止めようとしていたんだが……」
俺の
「いや、いい。俺は見た目より頑丈なんで、全然平気だよ」
クリストファは少し驚いた顔になるが、直ぐに頷く。
「それで……私は君を助けに来た。すぐにここを出よう」
「助けてくれるなら大歓迎だが……君の立場が
「私はいいんだ……私は国家に反逆を企んだ家の者だ。王国は
あの男爵からこんな子供が生まれるのか。死なせたくないね。どうしたものか。
「さあ、無駄話をしている暇はない。こっちだ」
クリストファが先行して歩き出した。俺はクリストファに尾いていくことにした。
町の裏路地を身をかがめてクリストファと走る。
ミニマップを確認してみると、南へ南へと進んでいる。
大通りを人目を避けて越え、暗がりを進む。
大分進んで来て気づいたが、すでに南の城門近い気がする。トリエンの南東側の城壁付近のようだ。
クリストファが、ボロボロではあるが大きな屋敷の敷地へと入り込んだので、俺もそれに続く。
ここは何処なんだろう?
クリストファが扉をノックする。しばらく待っていると、中から声が聞こえてきた。
「どちら様です?」
「夜分遅くにすまない、アンネ院長。クリストファです」
クリストファが問いに応えると、扉が直ぐに開いた。
「クリストファ坊っちゃん! どうなされたのです? さ! お入りになって!」
「君、こっちだ」
アンネ院長と呼ばれた初老の女性とともに、クリストファが建物に入っていく。俺も入るしかないか。
中に入ると、そこは玄関口のホールだ。二階に続く階段と、奥に伸びる廊下がある。
ホール右側の扉の前で、クリストファが手招きをしている。そこの部屋か。
その部屋は院長と呼ばれる女性の執務室のようだ。装飾は全くと言っていいほど無い簡素な造りの部屋だが、手作りのクッションなどを並べたソファなどを見る限り、居心地の良さそうな部屋に仕上がっている。
「アンネ院長、本当にすまない。実は、この人を匿ってほしいのだ」
改めてクリストファが俺を見る。その時、一瞬記憶を探るような顔になった。
「君はどこかで……」
「どこかでというか、馬車を止めた冒険者を忘れたの?」
「ああ! 君だったのか! 申し訳ない! 今頃気づいた」
そのようだ。俺はちょっと苦笑してしまう。助けようとした人間の素性を全く調べもしなかったのか。行動力はあるけど、思慮に欠けてるね。
「俺は冒険者のケント。最近、トリエンのギルドに世話になってるんだ」
あの時は出来なかった自己紹介をしておく。
折角助けに来てくれたんだし、名前くらい名乗っておかないと礼儀知らずになるもんね。
「あの時は申し訳なかった。詫びをする暇もなかった……これは言い訳か」
「いや、今晩助けに来てくれたし、詫びは必要なくなったよ」
俺とクリストファは、にこやかに笑い合う。
「まぁまぁ、クリストファ坊っちゃんが、お笑いになるのも久しぶりでございますね」
「止して下さい、アンネ院長」
ちょっと照れるクリストファ。イケメンは、どんな表情でも場に映えるね。羨ましい限りだよ。
「それで坊っちゃん、こちらの方は?」
「こちらは冒険者の方で……さっき名乗っていただいたようにケント殿と申します。この方は今、命を狙われていると思われます。
「クリストファ坊っちゃんの頼みです、お引き受けいたします」
素性も知れないやつを随分と簡単に引き受けるんだなぁ……大丈夫か?
「アンネ院長、ケント殿、すまない。私は急いで屋敷に戻らねばならない。申し訳ないが失礼してよろしいだろうか?」
「坊っちゃん、あとはお任せ下さい。ささ、忙しいのでしょう。行って下さいませ」
「ありがとう、アンネ院長」
クリストファは俺に向き直る。
「事がすんだらまた会おう、冒険者ケント。それでは」
それだけ言うとクリストファは部屋を出ていった。
「
「坊っちゃんは貧しいものたちのために、色々と働いてくれています。きっと仕事が残っているんでしょう」
俺の
「彼とは随分と親しいんですね」
「坊っちゃんは元は、ここの出ですのよ」
「へぇ……」
「アルベール男爵家に養子に行かれましてねぇ。本当に立派になられたわ」
「すみません、ここはどこなんでしょう?」
ここと言われても良くわからないので俺はアンネ院長に聞いてみる。
「ここはブリスター孤児院です。クリストファ坊っちゃんは、今ではここの後援者なんですよ」
「ああ! そうか、ここがリオちゃんの孤児院か」
リオの名前を聞いて、アンネ院長が驚いた顔になる。
「まあ、リオを助けてくれた冒険者の方は貴方でしたの!?」
どうやらリオちゃんが孤児院で触れ回ったようだね。
「成り行きで、そうなったみたいです」
「まぁまぁまぁまぁ! これは気合を入れておもてなしさせて頂かねばなりませんね!」
いやはや世間は狭いな。リオちゃんが、クリストファを見て、すぐに
とりあえずこの孤児院は安全地帯といえそうだね。
まずはボロボロになった服を着替えないとな。しかし、男爵め、随分と
俺が服を脱ぎ始めると、アンネ院長が部屋を出ていった。初老とは言え女性の前で着替え始めたのはマズかったかな?
クリストファがこの孤児院出身てことは血族じゃないじゃんね。養子だし、裏切りを止めようとしていたようだし……情状酌量の余地があるとかいうレベルじゃないよな。なんとか無罪になるようにしてやりたいね。
服を着替え終わったので、ソファに腰を下ろさせてもらおう。あんまり寝てないし、今回は結構疲れたしね。
アンネ院長が戻ってくると毛布を貸してくれる。
「ありがとうございます」
「今日は、ここでお休みになってください。明日は部屋を用意しますからね」
院長はそう言うと執務室の隣の部屋へと入っていった。たぶん、院長の寝室なのだろう。
俺もそろそろ寝ておこう。明日からきっと忙しくなるはずだ。
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