第3章 ── 幕間 ── ハリス激昂す


 ケントが宿を出たのを確認してからハリスも宿を出た。裏道を通って南の大通りを越え、あの安宿へと足を運んだ。

 半月前ほど前に初めてケントと出会った宿屋だった。それ以降、ハリスの冒険者人生はガラリと変わった。自分が憧れた高潔さに繋がる道へと。

 安宿「セザールの宿」、そう書かれた看板は古びてひび割れている。


 宿に入ると、酒場カウンターには、ヒゲ親父セザールが立っていてこちらを見た。セザールが小さく頭を下げ挨拶してきたのでハリスも小さくうなずく。

 視線を動かせば、奥にハリスたちがいつも使っていた丸テーブルがあった。そこに見慣れた三人が暗澹あんたんとした雰囲気で座っている。


 ハリスはそのテーブルに躊躇ちゅうちょなく近づいていく。その足音にテーブルにいたリククが顔を上げた。


「ハリスッ!」


 リククの嬉しげな声に残りの二人も振り返った。


「お前たちは……処刑を見届けにいかないのか……?」


 その言葉に三人は顔を見合わせる。


「アイツのせいでワシらはとんだ目にあっただなや。わざわざ行ってやることもないぞな」


 ダレルが吐き捨てるように言う。やっぱり、コイツは損得だけでチームに居たのだ。


「リククにサラは……どうなん……だ?」


「あたしも同感だよ! 何であたしたちが降格させられなくちゃならなかったのさ!」

「お前らはシルバーに昇格したのにな。ワシらは降格だやな。報奨ほうしょうも貰ったんじゃないのか? 分け前の一つも持ってくるべきぞな」


 プリプリと怒り出すリククと浅ましい言葉を吐くダレル。


「結果的に虚偽報告になってしまいましたが、私たちはウスラに騙されていただけです。彼は神の裁きにあったのです」


 全員、利己的な反応を示している。ハリスの中の黒い怒りが大きくなっていく。


「随分お綺麗なことだな……そんな……そんな性根だから、こんな事になったということがまだわからないらしい……」


 ハリスの怒りはその見た目とは裏腹に、すでに業火のように燃えていた。


「お前たちがケントにした仕打ちを……俺は忘れない……決してだ」

「ワイバーンなんか来たら逃げるの当然じゃない!」


 リククが悲鳴のように甲高い声で反論してくる。


「そのことを言っていると思っているのか……? それがケントへの仕打ちだと……? 笑わせるな!」


 物静かなハリスが怒鳴るのを三人は初めて聞いていた。


「ケントと初めてここで会った日を覚えているか? 俺たちが酔いつぶれた後、その飲み代は誰に支払わせた? ウスラもお前たちもケントに支払わせたことを気にもしなかっただろう。俺もその一人だったが……今ではそれを猛烈に悔やんでいる」


 ハリスはいつもの口調ではなかった。饒舌じょうぜつ滔々とうとうと語り続ける。


「アルテナ村へ行くまでの道中はどうだ? 新人のケントに御者を押し付け、馬の世話まで一人にやらせて。新人を扱う態度じゃない。手伝いもしなかっただろ? 俺はケントを見ていたよ。馬をいたわり世話をするケントを。新人なのによくやっていた。文句も言わずにな。昼飯の時は秘蔵の干し肉まで出してくれたよな」


 その言葉にサラとリククが下を向いた。ダレルはそっぽを向く。


「それから、あの洞窟前の戦闘だ。俺とリククは左右の後衛だったから、知らなかったが……ケントが最前衛だと? 新人で、どの程度の腕を持っているかもしらない状況で?」

「それはウスラの提案だ、ワシらの指示じゃないぞな」


 ゆっくりとダレルとサラを見回す。


「そう、ウスラの指示だろうな。だがな、お前もサラもそれに反論しなかったんだろ? 新人を最前衛に出すことに。誠に高潔なことだ」


 ハリスは目をつむり、洞窟へと近づいていく本陣を遠くから見たことを思い出す。


「戦闘が始まった時、ダレルが眠りの魔法を使っていたが、サラは何をしていた? 支援魔法の一つも唱えていなかったな。豊穣の女神の薫陶くんとうよろしく見ていただけか?」


 目を開けると、自分の信仰する神をけなされたと思ったのだろう。サラは顔を赤くしてハリスを睨みつていた。だがハリスの冷たくさげすむような視線を受けて、怒りの炎に冷水を浴びせられたように怒りの色が消える。


「ケントを盾に使おうとでも思ってたんだろう、ウスラは?」

「ワシとサラに……ウスラは言ったんだなや。アヤツが怪我なり危険な状況になってから助けてやったら恩が売れると。金持ちのボンボンに恩を売っておけば将来は安泰だと」


 ダレルがそう白状する。サラはダレルの言葉に眼が泳いでいた。


「なるほどな。誠に高潔なことだ。新人をサポートすると言っておきながらな……」


 やれやれといったポーズを取りながら首を振る。


「幸いなことにケントは新人でありながら腕が立った。ウスラが驚いていたことを覚えてるよ」


 ハリスは再び三人を見る。


「戦闘後はどうした? 解体作業を始めてからだ。お前たち三人はギルドに提出するワイルドボアの一部を集めることと解体にかまけて、ケントの心配など誰もしてなかったな」


 ケントが心配で彼に近づいて行ったことをハリスは思い出す。ワイルドボアのボスの巨体を前に、どうしようかと悩む彼を見た時は驚いた。無傷。汗一つかいていなかった。


「俺が腹が立っているのは、ワイバーンから逃げたことじゃない。ケント、そう新人のケントに対する扱いだ!」


 突然、声を荒げるハリスに三人がビクッと身体を揺らす。


「俺は……伝説の冒険者に憧れて冒険者になった。以前、話したことがあったな。お前たちには笑われたが」


 ウスラのチームに入った頃のことだ。


「ウスラが俺の求めるような高潔さを持ち合わせてはいないことは、薄々気づいていた。チームは居心地悪くなかったから俺は目をつむっていた。多少は仕方がない。生きていく為だと」


 ハリスは続ける。


「だが、森に入った時、何か起きている気がしていた。野伏レンジャーとして、何か森に危機が迫っていると感じたんだ。それがワイバーンだった時には肝を冷やしたが」


 三人は視線を落として静かに聞いている。


「ワイバーンを何とかしないと……俺がそう思いながらも戸惑っている時、ケントは即座に走り出した。俺に援護をしろと叱咤してな。あの光景は忘れられない……俺の求めていた冒険者の姿だった……」


 その時の光景を思い出すだけで胸が熱くなる。そうだ、立ちはだかる脅威に敢然と立ち向かう冒険者。それこそがハリスの憧れる伝説の冒険者だった。


「お前たちは見ていないから信じられないだろうが……ケントはワイバーンを剣のたった四振りで倒してしまったよ……凄かった……まさに憧れる姿だった。それを見た時、俺は思った。こんな素晴らしい人物にお前たちがした仕打ちをな」


 ジロリと睨みつける。


「ケントは恨みにも思っていない。気づいてもいないようだったよ。だが、これほど高潔な人間に仲間たちがしてきた仕打ちを俺は許せなかった。ケントは許してくれるかも知れないが、俺は許せないんだ!」


──ドガン!


 ハリスは近くにあったテーブルに拳を振り下ろした。床と安物のテーブルが悲鳴を上げるようにギシギシときしんだ。


「今までの俺も高潔さとは無縁だったが……ケントと出会って高潔さというものを思い出させてもらった。この恩を返したい。お前たちの仕打ちのつぐないもしたいしな」

「私も……私もつぐないたいです……」

「あたしたち、まだ仲間よね? ハリス、そうでしょ……? あたしもケントに謝るよ、だから……」


 サラがボロボロと涙を流しながら消え入るような声で言う。リククはすがるような眼でハリスに問いかける。


「無理だな。俺が許さない。ケントたちに近づくな。お前たちのような者にケントの周りをうろつかれたくない」

「で、でも……!」


 頑然がんぜんと拒否すると、サラが椅子から立ち上がり抗議しようとするが、ハリスは手を上げてそれを止める。


「俺が今日、ここに来たのは別れを言うためだ。今まで世話になったな……だが、ここまでだ」


 ハリスはいくらかの白金貨が入った革袋を、ダレルたちのテーブルに放り投げる。


「ダレル、欲しがっていた分け前をやろう。だが、これは手切れ金だ。俺はケントのチームに入る。二度と俺たちに近づくな。言いたい事はこれだけだ」


 そういうと、ハリスはきびすを返してあるき出す。


「ハリス! ハリス待って! 待ってよ……!」


 リククが追いすがるような、悲鳴にも似た声を上げるが、ハリスは構わず宿を出た。


 これでいい。金に群がる亡者の如きアイツらがケントに近づくことは二度とないだろう。

 もし近づいてきたら……俺が処分してやる! この手を血に染めてでも……

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