おきょう橋

きし あきら

おきょう橋

 橋がかっている。橋のたもとには女が立っている。いつ架けられたとも知れないいんな橋だ。どこのものとも分からないせた女だ。

 雨が降っている。雨のなか女は立っている。音もなくらすいやな雨だ。かさも持たずにじっとかげる女だ。

 いまアそれらしいじゃないか、あすこの。……

 しッ、呼ぶんじゃアないよ名前を。……

 女は耳がいいという。雷鳴らいめいごしにも自分のお呼ばれを聞くという。聞けばついてくるという。


 橋が架かっている。橋のたもとには女が立っている。もうよほど湿しめった木造りの橋だ。着物じゅうこけにじませただんまりの女だ。

 日が暮れている。やみのなかに女は立っている。いく度目どめの夜かなどだれが数えよう。足らぬたらぬ十本の指では。

 さア帰ってあったかいおまんま食べようねえ。……

 かあさん、ぼく新しいうつわじゃなけりゃいやですよウ。……

 女は子どもを待つという。いや男さと別口ひとはいう。うわさはいくつも時代に合わせて流れるという。


 橋が架かっている。橋のたもとには女が立っている。欄干らんかんまでくさりくぼんだ橋だ。汚れた木目がうれいた顔に見えるのだ。かげった女、だんまりの女の横顔だ。

 風が吹いている。川はいつでも流れている。日の当たり具合で、金糸のまりが底を転げていくように見えるという。川の名前を鞠川まりがわという。

 あの橋アとうとうこわしてしまうらしいじゃないか。……

 それがいいよ。気味悪くッて仕方がないもの。……

 女はだまって聞くという。そこを渡らぬ噂にさえも、ちた聞き耳を立てるという。

 いまはもうない橋に立つ、女の名前をおきょうという。

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おきょう橋 きし あきら @hypast

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