第1話 マルドゥック・ホロウ

 目が覚めたのはベットの上だった。

 クリーム色の壁と真っ白なシーツは、かつて過ごしたセラピー施設を思い出す。

「気がつきましたか?」

「私は……」

 倒れた。恐らくは、ふらりと立ち寄ったショッピングモールの、ペットショップをみて。

 透明なケースに入れられた、生体。

 愛玩されることを目的とした動物。

 常に見られ、さらされ、期待に応えることを求められる生。

「頭を打たれたようなので、包帯だけ巻いています」

 店から通報を受けたのだろう。

 ヘルプカードに、私の事情は書いてある。

 きっと確認されたにちがいない。

 それよりも、こんな姿で帰ったら、家族に心配をかけてしまう。

 病院を出たら外そう。

 私の考えを悟らせないように、次のフローを説明する看護師の言葉に耳を傾けているふりをした。


 10歳の私は、水槽に入れられて過ごしていた。

「ただいま」

「おかえり、マキ」

 15歳の私を、ほほえみを絶やさない母が出迎えてくれる。

 殺人ポルノの唯一の生存者であり、証人として出廷予定だったケイト・ホロウは、予定を大幅に変更し、証人保護プログラムの適用を受けることになった。

 具体的には、名前も国籍も変え、全てのつながりを断って、新天地で生きる。

 私はマルドゥック市から遠く離れたアジア、日本のとある地方都市で、養女として迎え入れられた。

 セラピー、言語学習、基礎学力の底上げを経て、今ではハイスクールに通っている。

 つけられた名前はマキ。

 まだ慣れない。

「今日は遅かったわね」

「ちょっと、寄り道してたから」

「友達と?」

「まあね 」

 曖昧に返事をして、階段を上る。与えられた部屋に入り、ベッドにダイブした。

 たくさんの本。

 机の上のノートパソコン。

 サイドテーブルにある本と栞。

「ただいま、ミックお兄ちゃん」

 震える身体を叱りつける。

「今日も倒れちゃったよ」

 弱音を吐いても、返ってくる声はない。

 かっこよく生きて、時折のろけた姉さんも、きざなしゃべり方をしたボスも、一番年が近かったお兄ちゃんも、遥か遠くに置き去りにしてしまった。

「私は、どうしたらいい?」

 毎日届けられた花。

 思い出のかけらとなった栞をみて、大切な人を思い起こす。

 部屋が暗くなる。

 息が苦しくなる。

 私への蹂躙。

 硝煙。

 手元で響いた大きなおと。

 重たい、引き金を引いた日々。

『気持ちいいよ』

 手足を吹き飛ばされながらも、そううわ言のように私に言い残して死んでいったーーこの手で殺した兄。

「あ、あ、あ………………」

 パソコンを立ち上げて、イヤホンを突っ込んで大音量で音楽を鳴らす。

 嫌なことを思い出さないように、情報を上書きするために。興味のない話題をただひたすら検索して。

 幻影を振り払う。

 こんなに遠くまで来たのに。

 身の安全は保証されたのに。

 私はまだ、マルドゥックから、離れていないのだ。




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