ワールドサイドー6

 ここでも、空は見えなかった。空は晴れて、青く碧くどこまでも澄んでいるのに。アルにとっての空は、目の前の灰色の鉄だった。それは帝国に来た今でも、英国にいた頃と変わらない。

 庭いじりがしたくなって、前と同じように庭を拵えてもらった。それでも、暗い気分を払うことはできなかった。庭いじりが楽しかったのは、それを両親に見てもらって褒めてもらえるのが嬉しかったからだと気が付いて、すぐに辞めてしまった。

 帝国ならもっと広い世界を感じられる。そう思ってここまで来たのに。願いは叶わなかった。

 ここへ連れてきたのはリチャードだ。それでも恨みはしなかった。同じような待遇が待っていることは、少し考えればわかることであったのだから。彼は国の為に嘘をついただけなのだから。時折見せた影のある表情は、きっと罪悪感であったのだと、今のアルは知っている。

「面会の時間だ」

 重いドアが押し開けられ、帝国の軍服を着た看守の兵士がアルを呼ぶ。アルの表情は、途端にぱあっと明るくなって、先を行く兵士の後ろに慌ててついていく。

 案内された部屋は小さな個室であった。部屋の真ん中がガラスで仕切られていて、それぞれの部屋に椅子が一脚ずつ、ガラスの中段にはカウンター席のようにガラスの板が設置されている。部屋を仕切るガラスの真ん中には小さな穴がたくさん開けられていて、そこから会話ができるようになっていた。

 オクタが部屋に入ると部屋のドアは閉められ、外からガチャリと鍵をかける音が鳴る。それとほとんど同時に、ガラスの向こう側のドアが開く。面会にきた軍服の男が中へ入ると、同じようにドアが閉められ、二人は向かい合った。

「リチャード、いつも様子を見に来てくれて、わしはすっごく嬉しいのじゃ」

「そりゃ良かった。これを励みに、帝国の為に働いてくれるとよりいいんだけどな」

「うむ、考えておこう。して、帝国を見て回りたいとお願いしたが、どうじゃった?」

 アルは期待の篭った眼差しでリチャードをじっと見る。リチャードは胸に苦いものを感じながら答えた。

「外出申請か。今申請を出してはいるが……難しいだろうな」

「そうか……そうであろうな。ならば、いつものように帝国の話を聞かせてはくれぬか?」

「もちろんだ。前回の続きから話すとしようか」

 リチャードはアルを帝国に送り届けてからも、こうしてアルとの交流を続けていた。

 それは司令からのアルの精神をコントロールせよとの命令でもあり、リチャード自身の意思でもあった。アルも気兼ねなく話すことのできる唯一の機会として、この面会の時間を楽しみにしている。

 しかし、楽しい時間ほど過ぎ去るのは早いもの。後方から、ドアが解錠される音がして、看守の兵士が面会室に入ってきた。

「面会終了の時間だ。部屋を出なさい」

「今日はここまでだな。……また明日も来てやるから」

 アルがしょんぼりと肩を落としたのを見て、リチャードは優しく微笑み慰める。

「……うむ。残念じゃが、楽しみにしておるぞ」

 アルはぎこちなくにかっと笑い、名残惜しそうに部屋を出る。リチャードは肩を落としたアルを見送り、部屋を出た。すぐに入り口にいた見張りの兵士が声をかける。

「毎日子供の相手とは、大変ですね。お仕事とはいえ」

「そうでもないさ。待機状態で時間が余って仕方ないんだ」

 リチャードは面会室を離れる。アルの捕らえられている場所は、帝国の首都にある帝国軍総司令部の軍事研究棟である。新しい武器や薬品など、戦争で使う新技術の開発を主の目的としている。

 そこには帝国最高の頭脳が集められ、帝国の未来を切り開かんとする者が集められている。誰もが天才と呼ばれ、それぞれの分野において右に出る者はいない。

 そんな帝国の科学者の中でも、英国に突如現れた科学者は畏怖の対象とされていた。

 自分たちでは思いつきもしなかった画期的な仕組みを次々と生み出し、その力を持って英国は軍事力を強化していく。

 科学者の情報は隠匿され、諜報員が命をかけてようやく得られた情報は、その科学者はまだ幼い少女であり、名前はレミニアル・マキシードであるということだけ。

 それが、すぐに近くにいる。アルは個室に隔離され直接関わる機会は少ないものの、科学者たちの興味は尽きなかった。

 だが、アルの情報はできる限り外に漏らしてはならない。英国の諜報員がどこにいるかもわからず、アルを取り返しにくる可能性は大きかった。そういった帝国軍上層部の判断で、アルと接触できる人間は数を絞られていたし、国の科学者ですらほとんど会うことは許されていない。

 リチャードは研究棟を抜け、帝都を歩む。今回の任務の功労者として、そして実験の成功を祝し、帝都で自由に過ごす機会を与えられていた。

 現在、英国との戦争が始まっている。それでも帝都の暮らしぶりは何も変わっておらず、人々は今まで通りの暮らしを続けている。それは帝都にまで戦争の影響が及んでおらず、実感が湧かないことが原因だろう。

 リチャードはそれでいいと考えていた。兵士が多く死に、戦いを繰り返し国が貧困に陥った場合。国が国民から人や財を巻き上げられるなどということになれば、それは戦争に勝ったとしても、国の在り方として勝利とは言えない。

 任務で英国に長く暮らしたリチャードだったが、やはり帝国の方が過ごしやすかった。何よりも空気が綺麗で、灰や塵に悩まされることがないからだ。

 帝国でも蒸気機関は生活の中に浸透しており様々な部分で出番があるが、蒸気機関から空気中に放出される煙には不純物を除去する装置を付属するよう国が義務付けている。空気が綺麗であれば、外を歩くときにマスクをつける必要もない。

 リチャードは歩いている途中で玩具屋の前を通りかかり、足を止める。ウィンドウにはアルと同じくらいの背丈をした大きなテディベアが二体、肩を並べ寄り添っていた。全身ふわふわとしていて、あれに顔をうずめたらさぞ気持ちいいだろうとリチャードは考えた。店に入り、店主に告げる。

「ディスプレイの中にある大きい縫いぐるみをくれ。二体ともプレゼント用に包装して欲しい」

「かしこまりました。大きいものですし、よろしければ店の方でお家まで配達させて頂きますが、いかが致しますか?」

「そうだな……一つはこの住所に送ってくれ。もう一つは自分で持っていく」

 リチャードは手帳を取り出し、白紙のページに住所を書いてページを破り、店主へ手渡した。

「確かに承りました。では、包装致しますので少々お待ちください」

 ディスプレイからテディベアが取り出される。ぬいぐるみはよいしょと抱えられ、店の奥へと消えていった。それを見送りながら、リチャードはふと思いつく。

「店主、すまないが縫いぐるみに手紙を付けたい。用意はあるだろうか?」

 少し遅れて、店の奥から返事が返ってくる。

「ございますよ。今持っていきます」

 リチャードは店主が持ってきた真っ白な紙とペンを前に、何を書こうかと悩み始めた。縫いぐるみの配達先は、妹が暮らす学校の寮だ。長い間顔を見ていない。たまにやり取りする手紙では元気にやっているようだったが、心配をかけないようにしているだけかもしれない。

 しかし、心配でもリチャードは休暇中でも会いに行くことはできない。帝都で休暇を得たというのは、裏を返せば帝都から離れて行動することを禁止しているということ。アルの情報を持っているリチャードを目の届く範囲に置いておきたいという上層部の思惑があった。リチャードもそれが分かっていたから、在らぬ疑いをかけられぬよう、人と関わる機会を減らしながら静かに生活している。

「これも頼む」

 リチャードは書き上げた手紙を店主に預け、店を出る。予定などはなく、しかしただ用意されたホテルに帰るのでは味気ない。訓練や勉学に明け暮れた青春時代に、趣味らしい趣味もなかった。

 リチャードがどうしたものかと思案していると、胸元の通信機が小さく震える。応答すると、上司の声だった。

「元気にしているかね?」

「はい、おかげさまで。次の任務の連絡でしょうか?」

 リチャードは端的に、要件を聞く。暇を持て余した身としては、渡りに船だった。

「いや、少し顔を見たくなってね。今から会って話せると嬉しいが」

「是非に」

 場所と時間を指定される。近郊の公園で、時間もさほど空きはない。リチャードはすぐに足を向けた。大きなテディベアを抱えて。

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