暁の道標 6
◇ ◇ ◇
「元気そうで良かった」
それから一月後。
中央教会に程近いカフェのテラス席で、アストリアーデはデザートをつつきながら言う。
秋も深まってきたが、今日は天気がよく、日差しも暖かかった。北の町は、もっと寒いのかもしれない。
少し状況も落ち着いてきたので、ミューシャに会いに行ってみようと思い立った彼女は、サリュートアも誘って、学校の帰りに教会へと向かった。
彼女は忙しくしているようだったが、守りの少女が呼びにいくと、あの時のままの笑顔で快く迎えてくれた。
あまり長く話は出来なかったが、それでも疲れが癒されるような、前向きな力を分けてもらえた気がする。
「ミューシャはね、大守長を目指してるんだって。冗談かもしれないけど」
「へぇ、やり手って感じだもんね。彼女」
「え、そうかなぁ……どこら辺が?」
意外な反応が返ってきたので、アストリアーデは少し驚いた。彼女からすれば、気のいい女性にしか見えないからだ。
「うーん……何となく」
サリュートアは曖昧な返事をし、ミルクティーのカップに口をつける。
以前は何かしらの理由を滔々と語っていた彼だが、最近はそういった言い方をすることも多くなった。
「それよりさ、ミズ・ヌーラの課題、早くやったほうがいいよ」
ミズ・ヌーラとは二人の担任で、『平凡』を表す『ヌーラ』という言葉を連発する彼女の口癖からついたあだ名だ。
採点が厳しく、中々良い評価をくれない。
「わかってるけどさ……ずっと、ずっと、ずーっと課題続きなんだもん。仕方ないのもわかってるけど」
はぁ、と大きくため息をつき、アストリアーデはテーブルに突っ伏す。
学校にもずっと行っていなかったので、やらなければならないことが山ほどある。
そのことを考えると、ミューシャからもらった元気も、一気に使い切ってしまったかのようだった。
そんな彼女を見て、サリュートアがあきれたように言う。
「君がちゃんとやらないと、俺にもしわ寄せが来るんだから。今日だって癒しが欲しいっていうから、教会に行って、カフェで一緒に課題をこなすっていうプランなんだろ?」
「はーい、わかってまーす」
言い方にカチンと来るものがあったが、事実なので仕方がない。
山盛りの課題が出ているのは同じなのに、サリュートアはアストリアーデの面倒も見てくれているし、先延ばしにしたところで、結局後で泣きつくことは目に見えている。
「……そういえば、聞いた? あたしたちがいなかった間、どうやって学校を誤魔化してたか」
「さぁ」
課題をやる覚悟をようやく決め、バッグの中から出しながら言うと、サリュートアは首を捻った。
「お母さん、ミズ・ヌーラに『二人とも修行に向かいました』って言ったんだって」
アストリアーデはミストの澄ました顔と声を真似する。
「ミズ・ヌーラがそれに文句言ったら、『学校の授業よりも、当家の修行が劣るという根拠はあるのでしょうか?』って切り返したらしいよ」
「はぁ、流石というか何というか」
二人のやり取りや、それに気を揉む周囲の人々の姿までありありと想像出来てしまい、何ともいえない気分になる。
でも、皆それぞれのやり方で、自分たちがいない間、いつ帰ってきても良いような準備をしてくれていた。
それには感謝の気持ちが湧いたが、代わりに積まれた課題には、ため息しか出ない。
元々あまり理解できていなかった授業も、出ていなかった分、さらにわからなくなっていた。
「気が重いよ……」
サリュートアは頭いいからいいよね、と続けそうになり、思いとどまる。
授業に出ていなかったのも同じだし、以前からアストリアーデが遊んでいた時も、兄はきちんと授業を聞いて、勉強もしていた。
「正直、俺もだけどね」
ぼそりと言ったサリュートアと目が合い、お互いの情けない表情に、思わず二人は吹き出す。
「リシュカさんには、会いに行かないの?」
サリュートアは、あれからリシュカと手紙をやり取りしたと言っていた。
彼女の家にあった『遺産』も、動かなくなったようだ。
「……うん、今度の連休に会おうってことになってる」
サリュートアの答えは、何故か歯切れが悪い。
「アドルアの森は遠いし、それならメザで会おうかってことになったんだけど……」
「えーっ!? じゃあ、オーファさんたちのとこにも行くの!? バートさんとセシリアさんは!? あたしも行きたい! 邪魔しないから、絶対!」
大きな声を出したアストリアーデに、サリュートアは人差し指を立て、静かにと合図をする。
「でもほら、もう少ししたら、みんなもマイラに来るって言ってたし……」
あれからセシリアの父、フォルスタ・リーヒャエルドの秘書をしていた男を含めた数人が、殺人の容疑で逮捕された。
これから裁判や、リーヒャエルド家の今後について話し合うため、セシリアとバート、そしてスウォルトやオーファもマイラへとやってくるという。
「課題――課題だよね!? その日までに提出しなきゃいけない分、絶対終わらせるから!」
アストリアーデは身を乗り出し、サリュートアにぐっと顔を近づけて力説した。
メザまで行くとなると、今日のように気軽に出かけるというわけにはいかない。
本音としては課題を放り出して行きたいところだったが、流石にそれは出来なかった。
「兄ちゃん!」
その時、突然通りから声がして、二人ともそちらに顔を向ける。
黒髪の少年が、こちらに向かって手を振っていた。
アストリアーデの知らない人物だったのでサリュートアの方を見ると、彼は柔らかな表情で手を振り返している。
「レンじゃないか。もうこっちに来たの?」
「うん、住む場所も決まったんだ」
そう言って、レンと呼ばれた少年はこちらへと駆け寄って来た。
それからアストリアーデに向かい、小さくお辞儀をする。
「妹のアストリアーデだよ。こっちはレン。前に話しただろ? メザの町で会ったんだ」
確か、造花を作るのが上手だという少年だ。
「へぇ、兄ちゃん、妹さんがいたのか。よろしく!」
「あ、こちらこそ」
にこにこと笑うレンに、アストリアーデも笑みを返したが、逆はあっても、サリュートアの友達に紹介されるという経験はあまりなかったので、何だか少し緊張してしまう。
二人が挨拶を済ませたのを見て、サリュートアはレンに尋ねた。
「お母さんの具合はどう?」
「うん、お医者にもちゃんとかかれてるし、どんどん良くなってるって。そのうちこっちで一緒に暮らせるかもしれない。全部兄ちゃんのおかげだよ。本当にありがとう!」
「……借りは、返せたかな」
サリュートアがぼそりと言うと、レンは「借りって?」と不思議そうな顔をしてから、やがて笑い出した。
「ああ、そんなの気にしなくていいのに。それならオレの借りのほうが大きすぎるよ。兄ちゃんってやっぱ変わってんなぁ」
「そうかなぁ……ま、そう思ってくれてるならいいけどさ」
「そろそろ行かなきゃ。親方に呼ばれてるんだ。えっと、住所はジェイムさんが知ってると思うから、今度遊びに来てよ。またね!」
彼はそう言ってから、急いで走って行く。
「忙しそうだなぁ」
「ジェイムも知り合いなの?」
繋がりが良くわからなかったので聞いてみる。サリュートアは頷いた。
「レンは手先が器用だから、それを活かして何とかならないかって、ジェイムに聞いてみたんだ。そしたら、知り合いの職人に、人手が欲しいっていう人がいたらしくて」
そうして彼は、ほっとしたように息を吐く。
「でも良かった。病気のお母さんも良くなってるみたいだし」
そんな兄を見ていて、アストリアーデは自分の中にも温かなものが込み上がってくるのを感じた。
「お手柄だね。……なんか失礼なことはしたんだろうけど」
「えっ、何でわかるんだよ」
怪訝そうにこちらを見るサリュートアに、アストリアーデは笑う。
「大体わかるよ、サリュートアのことだもん。レンくんは、学校には行ってないの?」
「ずっと働いてるみたいだからね」
「じゃあ、サリュートアが教えてあげれば? 字――とか、色々」
そう口にした時、ウィリスやマーサと一緒に、字の勉強をしたことがふっと浮かぶ。
サリュートアなら、もっと上手く教えられるだろう。
「それもいいかもな。……でもまずは、今の生徒が何とかなってからじゃないと」
そう言って彼は、アストリアーデを見る。
「……はい、ちゃんとやります。手伝ってもらえて感謝してます」
彼女は首を縮め、頭を下げた。
殊勝な彼女の姿が面白かったのか、声を上げて笑った兄につられて、アストリアーデも照れたように笑う。
それから彼女は、通りを歩く人々を眺めた。人も、街も、ヨセミスフィアが動きを止める前と変わらないように見える。
長い旅の中、色々なことがあった。
ウィリスのことを思い出せば、今でもまだ胸が締め付けられるような思いがする。けれども同じくらい、楽しかったことも思い出せた。
あれから少しでも前に進み始めて、様々なことが変わったと自分でも思っていたけれど、またこうして日常に戻れば、結局今までと同じようなことで悩んだり、迷ったりしている。
それでもアストリアーデには、世界が前よりも少しだけ、色づいているように見えた。
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